最終話 過ち色の終焉


 つわりはありませんでした。

 ただ月のものが来なくなっただけでした。それ以外は普段と何も変わりなく、お腹だけがどんどん膨らんでいきました。


 緩めのドレスで隠していた体型は、日を追うごとに誤魔化せなくなり、そしてとうとう執務室に呼び出され、オーガスト様から問いただされたのです。

「それで、どっちの子供なんだ?」

 不貞を知っても、オーガスト様はいっさい表情を変えませんでした。

「わかりません」

 バーナード様とクラーク様は妊娠を知ると、距離を置くようになりました。妊娠がからむと及び腰になるところは、異世界の男性も同じでした。暴力を振るわれなかっただけましなのかもしれません。

「怒らないのですか?」

「ん?」

「私がしたことを怒らないのですか」

「既に起きてしまったことをとやかく言っても仕方がないだろう。問題解決に時間を費やす方がはるかに建設的だ。それに、この程度の問題で一々大騒ぎする必要などなかろう」

 バンッ!

 机を両手で叩きました。

「あなたにとってはこの程度なのですね!」

「君は何を怒っている? こういう問題は感情的になっても何も解決しない。君だってそれくらい理解できるだろう」

 これまでも嫌というほど分かっていたはずです。なのに、涙がポロポロ溢れて止まりません。


 涙を見ても、オーガスト様が感情を乱すことはありませんでした。

「しばらく不自由な生活を強いることになるが我慢してくれ。赤ん坊を処分した後は、元の生活に戻れるように手配する」

「処分ですって! 絶対にいやです! この子は私が育てます。それがダメなら養子に出します!」

 泣いて訴える私を、黙って見ていたオーガスト様は、

「ハーーッ」

 と、長いため息を漏らしました。

「君は知らないのだな」

「何を、ですか?」

「上級貴族と人間の女が交わって出来た子供は、例外なく魔獣になるのだ」

「えっ!」

 魔獣が産まれる? 人間の女性から? そんなバカなことが!

 そう考える一方で、ああ、そうなのかと思い当たる節がありました。


「人間の男とモルモットビーストのメスが交わると、美しい子供が生まれる。しかし、モルモットビーストのオスまたはモルモットビーストから産まれた男と人間の女が交われば、魔獣が産まれる。上級貴族では常識だが、そのことを教えていなかった僕の落ち度だ」

 オーガスト様は書類を片付けるように、事務的に語りました。

「赤ん坊は産まれ次第こちらで処分する。君は何も気に病む必要はない。今後は子供ができないように気を付けてくれればそれでいい」

 話は終わり、私は執務室から追い出されました。



 私の出産は秘密裏に行われました。

 産まれた赤ん坊は毛むくじゃらでした。特に顔は醜く牙も生えていて、魔獣そのものでした。

 赤ん坊はすぐに看護師に取り上げられ処分されました。


 ベッドの中で私は自分にヒール(中)を何度もかけて、身体を回復させました。

 それから子供を処分した場所を、看護師から聞き出しました。

 赤ん坊は、ゴミといっしょに捨てられていました。

 もう息はしていませんでした。

 それでも赤ん坊にヒール(中)をかけました。

 すると赤ん坊は息を吹き返しました。

 思った通りです。テッセルとメリノがそうであるように魔獣の生命力は強いのです。


 赤ん坊をおくるみに包み、あらかじめ用意しておいたバックパックを背負い、ダン=ゴドウィン邸を出ました。目的地はもう決まっています。


 産後で身体を休めていることになっているので、家を出たことはすぐには発覚しないはずです。

 まずは街に出て、乗合馬車を見つけて、それから……。


 街へ続く道を歩いていると、貴族の馬車が私を通り越して止まりました。

 もう見つかってしまった?

 赤ん坊をギュッと抱いて身を固くしました。

 馬車のドアが開き、カズィベラ様が降りてきました。

「こんなことだろうと思ったわ」

 彼女の差し出した手を私は拒みました。

「絶対に戻りません!」

 赤ん坊を処分なんてさせません。

「どこへ行こうというの?」

「虚無の森に連れて行きます。この子が生きられる場所はそこしかありません」

 カズィベラ様はあきらめたように頭を横に振りました。

「乗りなさい。森の入り口まで送るわ」



 虚無の森の入り口で停止した馬車から降りて、私は深々と頭を下げました。

「ありがとうございました」

 モブ令嬢だった私に、学園時代から今日まで、カズィベラ様はやさしく接してくれました。

 カズィベラ様のやさしさに、いつか報いることができるでしょうか。

 涙がポタポタと地面に落ちました。


「ああ、泣かないで。永遠の別れではないのだから」

 ハンカチを取り出して、頬を拭ってくれました。

「赤ん坊を置いたらすぐに戻ってくるのですよ。あなたとはまだ話したいことがたくさんあるの。いいわね」

「はい」

 カズィベラ様から離れ、背中を向けて歩き出しました。

 けっして後ろを振り返りませんでした。

 赤ん坊をしっかりと抱いて、私は虚無の森の中に足を踏み入れました。



 * * *



 ダン=ゴドウィン家の馬車が森の入り口に到着した。

 スギア=マグナス侯爵令嬢から事情を聞いたダン=ゴドウィン家の使用人たちは、虚無の森へ分け入り捜索したが、サイオシリスと赤ん坊を発見することはできなかった。


 数日後、捜索は打ち切られ、虚無の森に消えたサイオシリスが戻ることは二度となかった。




【おわり】


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読んでいただきありがとうございました。


受動的な主人公が婚約して、初夜を迎え、吹き替えをして、最後は自分から家を出て行くというお話でした。


テッセルは、コニー・ウィリス著『わが愛しき娘たちよ』に登場するテッセルが元ネタです。

以前一度読んだきりで、内容は覚えていませんが、『テッセル』という名前だけは強烈に記憶に残っています。確か女性性器にそっくりな動物で、鳴き声が子供が虐待されている声にそっくりだったと記憶しています。(違ってたらごめんなさい)


【後日譚】では、森に消えた主人公のその後を書きました。読んでいただけると嬉しく思います。

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