僕だけに効く魔法のキスを
霜月
僕だけに効く魔法のキスを
「ここ、間違ってる。やり直し。また僕の仕事で失敗する気? 分からないなら僕を頼れば?」
いつも失敗して僕の仕事を増やす部下の伊月。本当に迷惑極まりない。毎日毎日、ミスの繰り返し。何度尻拭いをすればいいんだ。
今日もまた、そんな伊月のそばで仕事をする。
ふと、横目で盗み見る。
黒髪の隙間から、ぽたりと涙が叩きつけた決算書を濡らすのが見えた。
ずきりと胸が痛む。
部下を叱責するのは慣れている。
なのに何故──。
「おい」
思わず細い手首を握る。
──熱い。
「伊月、お前熱があるのか?」
言ってぐいと腕を引く。
小さな体がぐらりと倒れた。
咄嗟だった。
倒れた伊月が床に着く前に、僕は両手で受け止める。
「伊月、大丈夫か」
部員が騒ぎ出すのを他所に、今も涙が零れる伊月の顔を覗き込んだ。
彼女は目を閉じ、浅い呼吸を繰り返す。
「医務室に連れて行ってくる」
腕の中に収まる小さな体を強く抱き寄せ、僕は急いで部屋を後にした。
熱にうなされているようで、抱き寄せた僕の胸に頬を擦り寄せてきた。
チラリと見えた滑らかな首には、汗をかいている。
伏せたまつ毛からじわりと滲んだ涙が、流れ落ちていった。
呼吸と共に薄く開かれる唇。
僕は、彼女から目を離せなくなってしまう。
(いやいや。何見てんだ)
彼女の赤くなった顔に髪が落ちて、邪魔そうにしているのをそっとよけた。少し触るだけで、手が震えた。
(何を期待してるのか。具合悪くしてるのに……)
僕は医務室のベッドに彼女を寝かせて保冷枕を取りに立ち去ろうとすると体が動かない。彼女にワイシャツをつかまれていた。
「行かないで!」
開かれた揺れる瞳。自分に訴えかけるその表情に、喉が上下する。
掴まれた手をそっと包み込み、伊月のお腹の上に腕をなおした。
「保冷枕をとって来る」
揺れる自分の心を留めるために、伊月の顔から視線を外した。
「病人を1人にしないでください……」
立ち去ろうとした足が思わず止まる。このまま立ち去って良いのだろうか? もう一度伊月の顔を見れるほど、気持ちに余裕はない。
「自分の体調管理もできないやつが我儘言うな、大人しく寝ていろ」
ぐしゃぐしゃっと伊月の頭を撫で、そばを離れた。
背中に視線を感じたまま離れるが、どうすればいいか、ドアの前で立ち止まる。このまま、ずっといるわけにはいかない。戻って仕事をしなければならないのに伊月のことが気になる。
本当はそばにいてやりたい。
「主任、何してるんですか?」
「いや、何でもない」
不思議そうな顔でこちらを見ている。
後ろ髪を引かれつつもデスクに戻った。
ふと、伊月のいない座席に目を遣る。
妙な気分だった。
あのデスクはそんなに大きかったか?
誰も座っていないだけで、ぽっかりとした虚が出来たようだ。
馬鹿な。部下なのだから気にして当然だ。
そう思いながら事務椅子に体を預けた。
やけに落ち着かなかった。
伊月を寝かせて2時間が経過した頃。
頬を更に紅く染めた伊月が、部長に体を支えられながら部屋へ戻ってきた。
見るからに悪化している……。その様子に、僕の体は勝手に動き出す。
「い、伊月……」
「夏目くん。伊月さんには早退してもらう。君は、責任を持って彼女を家まで送り届けなさい」
「え」
はぁ? なんで僕が伊月を家まで送らないといけないんだよ。大体、具合が悪くなったのは自己責任では? 仕事は山積み。また伊月のせいで僕の仕事は増える。
「僕が居ないと家に帰ることも出来ないのか?」
頭の中ではイラつく思考が巡るのに、伊月へ触れる自分の手は自分でも驚くくらい優しかった。
「主任……すみませんっ」
僕に擦り寄るように、伸ばした腕をギュッと握られる。
熱で潤んだ瞳と視線が絡み、先ほど考えていたイラつく思考はどこかに飛んでいく。
「っ、……早く行くぞ」
自分と伊月のかばんを片手に、小さな伊月を柔らかく包むようにして伊月の家に向かう。
伊月は、会社から電車で3駅先の住宅街にあるアパートで独り暮らしをしていた。
鍵を預かり、ドアを開けてやる。
玄関の三和土迄来たところで、伊月の身体がその力を失い、その場に座り込んでしまった。
廊下の奥に、ベッドがちらりと見える。
僕は彼女の足からパンプスを取ると、その体を抱き上げた。
想像以上に伊月の体が軽かった。何を食べたらこんな体になるんだと心配する。そりゃ、熱も出るはずだ。
ベッドに寝かせるとさっきよりも熱が上がってるのが分かった。伊月は、とても苦しそうにしている。右手で額を触るとかなり熱い。汗をふくため、伊月のそっとブラウスのボタンを外そうとした。
「ん……」
伊月の声に、思わず手を引く。
何をビビってる。熱に浮かされているだけではないか。
中学生じゃあるまいし──。
そう思いながらも、頭がクラクラしてきた。
ひとつ大きく息を吸い、ブラウスを広げてタオルで汗を拭いてやる。
自分の手が僅かに震えているのが滑稽だった。
「情けな──」
「主任……」
それは、唐突だった。
薄く目を開いただけの伊月が、細くて熱い腕を僕の首へと回し力を込める。
完全に油断をしていた僕はいとも簡単に引き寄せられてしまい、ほんのり紅く湿った伊月の唇に頬で触れてしまった。
「……っ」
全身が震えた。
動揺してしまう自分が、本当に情けない。
目を見開き、瞬きすらも忘れてしまっていた。
ぎゅっと抱きつく伊月から、浅く熱い吐息が聞こえてくる。
「主任っ、ひとりにしないで……」
僕に縋り付くような、か弱い声に胸を締め付けられた。
「一人にしないから、早く寝ろ」
締め付けられる胸を解放するように、抱きつく伊月を引き剥がした。
伊月に背を向け、ベッドの側に腰を下ろした。こんな少しのことで鼓動が早くなる僕を嘲笑うかのように、時計の秒針が鳴り響く。沈黙に耐えきれず、口を開いた。
「……僕を引き止める理由はなんだ?」
そんなことを訊いてどうするのか。分からない。でも答えを聞くまで振り向くことが出来なかった。
「……寂しい」
「は?」
「主任……寂しいです」
か細い声でそう告げる伊月。
答えを聞いたのに、結局僕は彼女の方を振り向くことができなかった。
──寂しいなんて。そんな馬鹿げたことを僕に言われても……。
「主任……っ!」
「……」
「黙れ」
伊月をベッドに押し付け、僕は伊月を覗き込んだ。
はっと、彼女が息を呑むのを感じる。
潤んだ目で僕を見ながらも、その唇が戦慄いているのが分かった。
「怖い?」
耳元で囁く。
返事なんか言わなくていい。その目がはっきりと言っている。
「良い子だ。少し寝ろ」
僕はキッチンへ向かった。
キッチンには、整理整頓をされた皿やカップが水切りカゴに並んでいる。
そのカップを手に取り、水を汲む。
伊月の側に戻る。
目を閉じて、一定のリズムで呼吸をしている。寝ているようにも見える。
「水、飲むか?」
ふるふると緩く首を振って、薄らと瞳を開く。
「要らない、です……」
「僕が折角持ってきたんだ、飲め」
「要らないです……」
腹立しい。この僕がわざわざ、キッチンまで行って伊月のために水を淹れてきたというのに、飲まないとは。飲ませてやろう。
持ってきたコップに口を付け、少し口内に含む。伊月の頭を手で支え、顔を近づけた。
「ちょっ……主にーー」
額がヒヤリとして僕は目を覚ました。
「主任、大丈夫ですか?」
伊月が僕を覗き込んでいる。
ああそうか。
僕が彼女を看病したのはもう去年の事だ。
「大丈夫じゃない」
こんな風に我儘を言っても平気だ
彼女はもう心得ている。
そう、またにこりと笑って、優しく頬にキスを落とすのだ。
僕だけに効く魔法のキスを。
あとがき。
Xのポスト(1投稿140字)を交互に紡ぎ、作り上げた小説。一巡目のみ、投稿の順番を決めた。(参加者一覧の順です)
ウェブサイトにあげるために、一部編集(字下げなど)はしているが、原文はそのまま。
プロットは俺様上司×ぽんこつ女性部下のNLオフィスラブ。参加者で話し合いにより決定。
恋に落ちて、付き合うまでを目指し紡いだ。
投稿した瞬間に、自分の書いた小説の感想が聞けるというのは中々新鮮なもので、素直に嬉しく思った。
同じところをみんなで目指す、というのも良かった。完結した後の寂しさはなんとも言えず。
それだけお互いがコミュニケーションを取りながらリレーを楽しんでいた、ということなのかもしれない。
またやりたいと思う。
ーー参加者一覧
X小説リレーに参加頂き、ありがとうございました!!! みんなでコミュニケーションを取りながら小説を作り上げることや、自分の知らないことを多く知ることが出来、とても楽しかったです!!! またの参加、お待ちしております!!!
■霜月(リレー主催)
【なろう】『如月さん、拾いましたっ!』
https://ncode.syosetu.com/n6826iz/
【アルファポリス】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/4465856/203873739
【カクヨム】
https://kakuyomu.jp/users/sinrinosaki
■桜坂詠恋
【審判】
<カクヨム>
https://kakuyomu.jp/works/16818093081349120701
<なろう>
https://ncode.syosetu.com/n5910jh/
<アルファポリス>
https://www.alphapolis.co.jp/novel/414186905/947894816
■海月いおり
【カクヨム】
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【ベリーズカフェ】
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【エブリスタ】
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■白崎なな
「なろう」
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「カクヨム」
https://kakuyomu.jp/works/16818093084668319400
■もちっぱち
【カクヨム】
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【アルファポリス】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/324199776/243816452
僕だけに効く魔法のキスを 霜月 @sinrinosaki
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