物語のなかで人物の表現をするときに考えていること
木山喬鳥
【エッセイ】物語で人物を表現するときに考えていること。
小説を書く際に、私は
物語の登場人物が話すことがらには、わりとその人物の思いこみや、
場面によって〝い抜き言葉〟や〝ら抜き言葉〟を記したり、記さなかったりもします。
二人称代名詞も揃えない場合が多いです。
伝聞された内容は、微妙に細部を変えたりします。
一度で聞いただけでは、数字や他人の名前を正確に覚えない登場人物も描きます。
それらのことは、現実生活で出会う人にわりと見受けられることがらです。
人が暮らしの中で、なにを言ってるかを伝えるときには、たいていの場合、不正確です。
能力の不足であったり、注意を向けていなかったり、間違って覚えていたり。
さまざまな原因から現実の会話での
登場人物の言葉の不正確さは、そんな現実を
もちろん限度は、あります。
私も完全にバカではないのです。
言い間違いなど、伝達にさしさわりがあるもの。
不正確さや前後の文章で意味のつながらない単語や、内容の
これらは、除きます。
演出でもなく、ただ物語の進行を邪魔する喋り方は、訂正します。
私も、むやみにわけのわからないことを言いたい人ではないのです。
言うまでもなく、本格ミステリーやショートショートを書く場合も、あてはまりません。
作中の不正確さは
そもそも、文章表現で現実を正確に再現する必要は、ありません。
普通の人が適当に
いまは令和の時代です。明治時代の〝
私は、そんなことを言っている奇人ではないのです。
物語での文章表現は、現実をそのまま描くとも限りません。
実際の物事を省略したり変形したとしても、内容を伝わりやすく描くことが基本である。そう考えて私は制作をしています。
それらを踏まえたうえで、私は物語の
必要なときに、必要なことだけを正確に
正確に伝達するキャラクターには、アナウンサーが不用意に役者をやらされているような違和感があるのです。
おそらく私は、作中の登場人物が物語のために
いわゆる〝物語に奉仕するためにいる登場人物〟が苦手なのだと思います。
作中の登場人物は、それぞれが
物語は意図して並べられた文章の連なりです。
登場人物たちの言動の連続こそが物語となるのだから、その人たちの言動の不整合性は、ストーリーの
登場人物の不合理なふるまいは読み手の物語を理解するうえで〝ノイズ〟にさえなるでしょう。
おそらく、物語の進行の合理性が下がると、その内容を理解する難易度は上がる傾向にあるはずです。
だけど、私は物語にはムダなことを表すこと、それには意味があると考えています。
文書には、論文や契約書、取説など正確に情報を伝えなければ意味がないものがあります。
それらに比べて、物語はあきらかに不正確です。
いうなれば、元から事実でない事柄や、不明確な言動を記している場合がほとんどなのです。
なぜ、わざわさウソを考えて、
強いて物語を書いている者の感覚として述べるならば。
人間は、情感を伝えたいときに物語を書くからではないでしょうか。
むしろ、情動を伝えることが物語の書かれる意味だと私は考えています。
ここまで長々と話しました〝意図的な不正確さ〟
実はこれ。私の場合には、常に意識して記しているとは、言い難いのです。
なにせ、意図しない間違いも、書かれた文章には
それは私の場合、多分にあるので。
なんとも難しいことなのです。
物語のなかで人物の表現をするときに考えていること 木山喬鳥 @0kiyama
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