奇術

落差

一段目

「雨だるいな」

「おう」

「てかお前、後輩につきまとわれてるってきいたけど」

今日も、口を開くのは俺からだ。

内緒の話なんて許さないという表情をするこの階段の踊り場は、正直あまり好きではない。

俺には、ちらりと見えるこいつの八重歯が可愛いと思ってる、そんな隠し事があるから。

「あーあいつな、自分が奇術師だとかほざいてる奴だろ?うざってーからガン無視。どうせすぐあたしから離れてくだろ」

あっそ、といつも通りにパンを口に運ぶ。



『奇術。

ーー観客にわからないような仕掛けで人の目をくらまし、いかにも不思議なことが起こったように見せるもの。』

マジシャンとか手品師でなく、奇術師を選ぶような変人なんだな、と思った。音を立てないように、そっと胸を撫で下ろした。



「今日も雨かよ、先週も雨降ってた気するな」

「おう、こないだ梅雨入ったらしいしな」

「え、なんか機嫌いーじゃん?どしたん」

「は?んなことねーだろ」

んなことある。いつもより八重歯がよく見える、と感じた自分の気持ち悪さで萎えた。嫌な気持ちのまま口を開く。

「噂の後輩なんじゃないの」

「あー?まーそういや、奇術師名乗っといてさ、あたしに見せてきたマジック死ぬほど失敗してんの。バカだよなほんと」

「なんだそれ」

なんだよ、それ。

嫌な汗が背中を伝う。

こいつと後輩とか、1番相性悪いはずじゃん。



『奇術。

ーー人間の錯覚や思い込みを利用し、実際には合理的な原理を用いてあたかも「実現不可能なこと」が起きているかのように見せるもの。』

あー、

検索履歴ってどうやって消すんだっけか。



階段に腰掛けた途端、こいつの八重歯が太陽に照らされた。しつこいほどに晴れてる日だな、と思った。

「さっきさあ」

いつもより壁が暖かい色をしている気がした。

一瞬だけだったけど。

「太郎、あーあの奇術師の後輩な、見せてきたマジック初めてちゃんと成功しててさ。あたしに褒められたくて練習してきたんだと、バカだよなほんと。」

同意でもしてやろうかと思って口を開いて、喉がカラカラに乾いてることに気づいた。90円のお茶を口に含んで、苦い気持ちと一緒に無理やり飲みこむ。

「どう思ってるの、そいつのこと」

ミスった。

スッと出てきた言葉を押し戻したくて、どうしようもないままお茶をもう一度飲む。

「なんだよそれ?」

「いや、珍しく気に入ってんじゃん」

「はあ?…ま、ちょっと、な。ちょっとかわいい」

一拍置いてベコッと何かが響いた。こいつが勢いよくペットボトルを掴んだ音だった。広告並みに音を鳴らしながら、細い喉でお茶を飲み干す。同じ90円のお茶でも、俺が飲んだのとは違う味がしてるんだと思う。

喉がカラカラだ。でも苦いお茶は飲みたくなくて、そのまま口を開く。

「お前さあ」

こいつの八重歯が見たくなくて、冷たい色をした壁から目を離さないと決めた。

「んだよ、言いたいことあんなら言えよ」

お前さあ、

初めてお前から口を開いたって、絶対気づいてないだろ。

「いや、なんでもない」

諦めてお茶を一口飲んだ。

今までで一番苦いお茶だった。



スマホを開くと、結局消してない検索履歴に煽られて腹が立った。

『奇術』『観客にわからないような仕掛けで』『思い込みを利用し』『いかにも不思議なことが起こったように』

『「太郎、あーあの奇術師の後輩な」』

くそがよ。

太郎とかいうやつ、ガチで奇術師やってんじゃねーよ。

しつこいほどに晴れてる日だった。皮肉混じりに苦笑してみる。

ふざけんな、今日こそ雨降ってるべきだろ。


コンクリートに照りつけた光は他の何よりも眩しくて、俺の視界を簡単に奪って、

反射でぎゅっと目をつぶった。

溢れ出た水には、気づかないふりをした。

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奇術 落差 @rakusa

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