後編

 あっという間に二週間が経ち、修学旅行前の大きな壁である期末試験を乗り越えて、更に一週間が経過した。

 全科目の採点を終え、全体順位まで出し終えた職員室は、今回の期末試験で一人の生徒が叩き出した結果にちょっとした騒ぎが起こっていた。

「全教科満点・・・・・信じられない。決して我が校のレベルは低いわけではない。いやむしろトップレベルに高いと言える。明輝学園に勤めて既に十年ほど経つが、全科目で満点を取った生徒など見たことがない」

「影宮旬。彼は確か、赤坂先生のクラスの生徒ですよね?」

「おうっそうだ。まぁ、俺の教育の賜物だな。はっはっは」

 自分のクラスに満点者が出たことで上機嫌の赤坂。普段、成績の良いクラスの担任に色々と言われることもあったため、そのストレスをこの状況でぶちまけている。

「いいですか赤坂先生。こう言う言い方は本来するべきではないのかもしれませんが、英語と数学に関しては、毎回必ず満点が取れないように工夫してあるんです。現に満点を出せた者はこれまで一人もいません。あの夢北花火さんでさえもです。それなのに、これまでトップ10にすら入っていなかった生徒がいきなり全教科満点など、信じ難いことです」

「ならなにか?教頭は俺のクラスの影宮がカンニングでもしたと言いてぇのかよ?」

「それしか考えられません。それと、その口の聞き方をどうにかしなさい」

「はい分かりましたよ。ですけどね教頭、例えカンニングしたとしても誰も解けなかった問題も解いてる以上、認めるしかないんじゃねぇーんですか?」

 そんな赤坂の発言に論破されてしまった教頭は、それ以上何も言い返せなくなってしまった。信じられない気持ちはみんな同じ、しかし、現実で起きてしまっている事実なのだ。

 すると、隣のクラスであるC組の担任細井が発言する。

「だけど、影宮くんって今は真ん中くらいの順位だけど、ついこの間まで下の方の順位だったよね?」

「だけど細井先生知ってるか?」

「何が?」

「影宮の答案用紙は毎回半分以上は空白なんだよ。だけど埋めてあるところは全部正解してやがるんだ。いやぁ〜俺は分かってたよ、あいつ実はすげぇ奴だってことをね。体育祭の前の体育の授業でも同じようなことがあったからな」

 それは旬が五十メートルのタイムを計測した時の話だ。

「覚えるか?クラスリレーを練習した日のこと」

「授業が早く終わった日のことでしょ?珍しく早く終われて嬉しかったからよく覚えてるよ」

「あの後、残りの時間使ってアンカー決めやったんだけどよ。やる気を出させるためにある条件を出したんだ」

「条件?」

「ああ。アンカーになった奴には今後の俺の体育の授業は自由出席にして無条件で最大評価の五をつけてやるってな」

「はぁ、またバカなことやってたんだ」

 少し呆れ気味に答える細井。

「そん時影宮が自ら立候補してきて正直俺もあいつには期待してなかったんだけど、タイムを見て鳥肌がたったぜ」

「何秒だったの?」

 赤坂は直ぐには口を開かず、少し溜めた後に口を開く。

「五・五秒だ」

「五十メートル?」

「ああ」

「うそでしょ⁉︎」

「本当だ。しっかりとこの目で見たからよぉく、覚えてる。まぁ結局体育祭当日は熱出して参加できなかったけどな」

「それってつまり、今まで全部の科目で手を抜いてたってことだよね?それもかなり」

「そうなるな。だけど俺は今すげぇ嬉しいぜ。俺のクラスにこんなすごい奴がいたなんてな」

 すると、突然職員室の扉が開かれ理事長である斎藤健が姿を見せた。

「理事長」

 校長先生が先陣を切り立ち上がると、他の教師や夢中になって話していた赤坂と細井も斎藤へと体と耳と目を向ける。

 鬼である斎藤またの名をジーマには、常に学校全体の会話が筒抜けなのだ。

 ジーマは赤坂のデスクへと近づくと、Dクラスの各々の全科目の点数と各教科の点数、全体&クラス順位が記載されている正方形の紙を手に取る。

「彼のカンニングの件についてですが、していない方向で考えてもらえますか?」

「何かそうおっしゃられる理由があるのですか?」

 校長が恐る恐るジーマへと質問をする。

「これを見れば明らかではないですか?」

 そう言って見せてきたものは、二年D組の席配置と旬の周囲の茜含めた数名の生徒の順位表。

「彼は窓際の一番後ろの奥の席に座っていますよね?そして彼がカンニングできるとすれば前の席か横の席、右斜め前の席の生徒の答案だけでしょう。けれどその三名の成績を見る限りあまり良い成績とは言えません。少し失礼な発言にはなってしまいますが、例え彼らの答案をカンニングしたところで影宮旬くんが満点を取れたとは到底思えませんよね?」

 ジーマの客観的で冷静な、そして的確な説明を受けて職員室にいた全員が納得させられた。

「これから成績発表ですか?」

「は、はい」

「おそらく生徒たちは貴方がた教師以上に今回の結果を見て荒れることだと思います。それを収めるのは教師の役目ですよ。それでは、今日も一日、よろしくお願いしますね」

 ジーマは終始笑顔を崩さぬまま冷静に教師たちに自らの話を聞かせて、職員室を出て行った。

 

 各クラスでは順位表を生徒たちへと配り終え、廊下に大きく学年トップ10までの順位表を張り出した。

 各自に配られた順位表では旬の成績は誰にも分からないため、誰も旬のことで騒ぐことはなかったが、廊下にデカデカと張り出された表には、常にトップをキープしていた夢北花火の九科目の合計得点889点を上回る、影宮旬の合計得点900点が刻まれていた。

 案の定、廊下では叫びにも近いと言えるほど大きな驚き声が響いている。

 旬は大人しく自分の席に座り、樹と話していた。

「それにしても派手にやったな、旬。足の速さに喧嘩の強さ、それに頭の良さと、そんなにバラしちゃってもう注目は避けられないぞ」

「顔は別として能力面の方は元々幼い頃の反動で手を抜いていただけだから、隠そうとして隠していたわけじゃないよ。だけど、確かに注目されるのは嫌かな」

「はぁ、まぁどうしてなんて聞かねぇけどよぉ。だってどうせ、夢北となんか関係してるんだろ?それくらい分かるって、マジで何年友達やってると思ってんだ」

「今回は自分で解決するべきだと思ったんだ。もう樹に迷惑かけられないし」

 樹は軽く旬の頭をポンッと叩いた。

「ばーか。この後どうせみんなの興奮を沈めるのは俺だしよ。親友なんだからいくらでも頼ってくれていいんだぜ?」

「ありがとう樹。だけど、今回は時間が解決してくれることを待つよ」

 旬と樹が静かな教室で会話をしていると、クラスメイトはもちろん、クラスの違う他の生徒たちもDクラスへと押し寄せ、旬の机を樹ごと取り囲んだ。

「なぁ影宮。お前カンニングしたんだろ?」

「そうよ。いつも下の方の順位なのに、満点って・・・・・あり得ないわ」

「そうだぜ。ついこの間まで俺と同じバカ扱いされてたじゃんかよ」

 夢北とはまた違った気迫の嵐を樹は必死に収めようとしているが、あまりの圧で樹の声が全くと言っていいほど通らない。そんな中、場を静寂にしたのは一本の透き通る声だった。

「影宮くんは、カンニングなんてしてないわ」

「天界さん」

「第一私の成績は、中の下だった。そんな私の解答をカンニングしても、満点なんて取れない」

「だ、だけどよぉ。こいつが満点なんてありえねぇんだって」

「確かに足の速さや喧嘩の強さは見ちまったし認めるしかないけどさ、流石に満点はやりすぎだろ」

 感情的になってしまっている生徒たちは、最早正常な判断ができていなく、旬が良い成績など取れるはずがないと決めつけてしまっている。感情的なため、その認識が中々覆らない。

「悔しいけど、これが影宮くんの実力よ」

 すると、教室の扉の方から旬にとっては聞きたくもない名前が聞こえて来た。

「夢北さん」

 夢北が歩いてくると、みんなは道を開けて旬の机の前まで通す。

「完敗よ。まさか本当に満点を取っちゃうなんてね」

「夢北さんはそれでいいの?カンニングなんかで一位の座をとられたんだよ?」

「本当にバカバカしいわ。あんたたちはそうやって他人を見下すことしかできないのね。あんな問題、難しすぎてカンニングのしようもないじゃない」

 どこか潤んだ瞳で話す夢北に、周囲の誰もそれ以上口を開こうとはしなかった。

「約束通り、もう私は影宮くんには近づかない。今更だけど最後にこれだけは言わせて、今までたくさん迷惑かけちゃってごめんなさい・・・・・さようなら」

 旬へと背を向けた夢北は、瞳に浮かんだ涙を垂れないように我慢していた。

 既に収めることのできない別れの涙は、せめて誰にも見られないところでこぼしたい。

 旬はホッとした気持ちを抱いていたが、そこにいつものような嫌悪感は存在してはいなかった。

 その後旬を囲んでいた生徒たちは自分のクラスや自分の席へと戻っていった。

 

 そうしてその後は特に誰かに何かを言われることもなく放課後を迎えていた。

 確かに直接は何も言われていないのだが、半分鬼になってしまった旬の耳はコソコソと生徒たちが話している内容を聞き取っていた。

 多少はまだカンニングだと疑っている生徒もいるようだが、その他の生徒からは旬が実はすごい奴だと認識しているような会話が聞こえてきた。どちらにせよ、今日一日は旬の話題で持ちきりとなり、注目の的となっていた。

 机に座りながらみんなの声に耳を傾け、何かを待っている旬の隣で、茜は着々と帰りの支度を済ませて緑と一緒に帰ろうとしていた。

 そしてカバンを手に持ち、席を離れようとしたタイミングで、旬の少し上擦ってしまった声が教室内に響く。

「茜っ」

「何?」

 茜は名前を呼ばれて少し驚いたように振り返る。

「・・・・・話があるんだ。二人で、帰りたいんだけどいいかな?」

 茜は不思議そうな表情をした後、すぐに返事をした。

「いいわよ」

「そ、それじゃあ、私はお先に帰ってますね」

「ごめんね緑」

「全然平気です。頑張ってください」

「え?」

 緑はあっ、と声にはならない音を上げて足早に姿を消してしまった。

 そしてその様子を眺めていた樹も、どこか安心した様子で静かに教室を出た。

 

 

 旬と茜は、夏に花火を鑑賞した神社の隣にある山の頂上へとやって来た。

「あの時は夜だったけど、明るい時に見る景色も悪くないね」

「そうね。沈んでいく夕焼けがとても綺麗」

 旬と茜はお互いに視線を合わせることなく、建物に隠れつつある夕陽に照らされそれを眺めている。

「花火大会の日、ここでボクに聞いたよね?告白されたことについて」

「ええ、聞いたわね。まぁ、質問の答えは貰えなかったけど」

「だけど全部聞こえてたはずだよ。だから今度はボクから質問する。文化祭の打ち上げの日のケントくんからの告白、君はなんて返事をしたの?」

 旬は夕陽に向けていた視線を茜へと向ける。

 停学明けの登校日、真っ先に茜へと聞こうとしていた質問。茜の家で目を覚ました時はそれどころではなかったが、時間が経った今、どうしても聞かずにはいられない。

「もちろん断ったわ。私の心はもう別の人に奪われてしまっているから」

 茜のその言葉に、旬の心臓がドクンッと大きな音を立てる。それは、緊張であり不安であり焦りの気持ちを表している。

 今から旬がしようとしていることは、相手の気持ちも自分と揃っていないと成功しないことであり、相手に好きな人がいることはその第一関門は突破したことにはなる。しかし、その好きな人が自分であるとは言えないため、普段はクールぶっている旬であっても心の中は臆病になってしまう。

「そうなんだ」

「まさか人間界でこんな感情を抱くことになるとは思いもしなかったわ」

「・・・・・ボクはこれまで、親も含めて誰かを大切に思ったり好きになったりすることがなかった。そういう感情が分からなかった。だけど最近は、樹たちや五月さんのおかげで誰かを大切に思う気持ちがだんだんと分かるようになってきたんだ。そして今では誰かを好きになる気持ちはすごくよく分かるよ。ボクも今、特定の誰かに心を奪われているからね」

 旬の言葉を受けて、茜もまた夕陽から視線を外し旬の目を見つめる。

「君が好きだ。天界茜のことが好きなんだ」

 茜は目を見開き、口から心臓が飛び出しそうになるが、胸に手を当てて深く深呼吸を繰り返す。

「好きっていう感情を抱いたのは初めてだから、始めはこの感情が何かも分からなかった。だけど今ははっきりとこの感情が愛だって分かる」

 茜は震える片方の手をもう片方の手で覆い、ゆっくりと口を開く。

「私も、同じ気持ち」

 前髪に隠れてよく分からないが、旬も茜以上に目を見開き驚きの表情を隠そうともしない。

「恋愛的な意味で貴方のことが気になり始めたのは、花火大会の日。私を家に呼んで、色々と自分のことを話してくれたり、私の話を真剣に受け止めてくれた時から気になり出していたの」

 旬もだいたい同じくらいの時期から茜のことが恋愛的な意味で気になり出していた。

 緑の告白を断った時、誰かを大切に思う気持ちが分からないと言っていたが、その時は気がついていなかっただけで、心の底では既に茜のことを意識し始めていた。

 それから約四ヶ月。お互いが両想いだとも知らずに、片想いをし続けた期間。

「ボクは未来に、理性の効かない化け物になってしまうかもしれない。だけど、その時まで茜に側にいてほしい。付き合おう茜」

 旬から伸ばされた手は、緊張により小刻みに震えていた。

「・・・・・旬が許してくれるのなら、私はずっと貴方を側で支えるつもり」

 茜は俯き、頬を真っ赤に染めながら旬から差し出された手を取った。

 手を取ってもらった旬は、茜と恋人同士になれた喜びと下の名前で呼ばれたむず痒さから、頬が自動的に吊り上がってしまった。こんなだらしのない表情は見せるわけにはいかないと、旬はそっぽを向くのだった。

 

 

 次の日の登校日。茜と旬は一緒に登校する約束をしていたため、茜はいつもより家を早めに出て旬の自宅前へとやって来ていた。

 ピンポーンと、一度インターホンを鳴らすと扉の向こうから「今行くよ」という旬の声が聞こえてきた。

 声が聞こえてから一、二分後、扉が開かれ出て来た旬の姿に唖然としてしまった。

「え?・・・・・本当にその格好で学校に行くの?」

「うん。君は学校でかなり人気な方でしょ?」

 そう?と首を傾げる茜だが、茜が気がついていないだけで学校内には茜のファンクラブができているほどの人気を密かに誇っている。つまりアイドル的存在として見られているということ。

「だからボクも茜の隣に居られるように、ふさわしい姿を見せるべきだと思ったんだ」

「だけど、間違いなくこれまで以上に注目されるわよ?」

 決して茜の発言がおかしかったわけではないが、フッと、旬は笑顔を見せる。

「もう今更だよ。それに、茜のためならボクは変われる」

「そう・・・・・」

 どう反応を見せればいいか困っている茜は、旬と一緒に歩き出す。

 登校中、少し気まずい空気が二人を包み込みながら特に何の会話もないまま学校へと到着した。

 すると、既に校門周辺から男女問わずざわめきが聞こえ始める。

「こう、まじまじと注目されるのはやっぱり恥ずかしいね。早く教室に行こうか」

「教室でも逃げ場なんてないわ」

 茜の冷たい言葉に足がすくみそうになりつつも、下駄箱で靴を履き替え、いざ教室へと向かう。

 すると突然、旬の一回り大きな手のひらが茜の小さな手を包み込む。

「え?」

「多分、これからボクに告白しようとする女子がたくさん現れると思うんだ。だからみんなに知らしめておきたい。ボクには素敵な彼女がいるってことを」

 茜は頬を赤く染めながら旬の手を握り返した。

 旬の大きな手が茜の手を更に深く包み込み、先ほどまで旬にしか注がれていなかった生徒たちの視線が、二人へと注がれる。

 教室の扉を開けると、いつもの賑やかさは一瞬にして消えた。

「え?誰?」

「あんなイケメンクラスにいた?ていうか、天界さんと手繋いでない?」

「おいマジか!天界さん彼氏いたのかよ〜。あんなイケメンに俺が勝てるわけねぇ」

 茜の隣に立っているのが、普通レベルのイケメンならば誰しもが嫉妬に狂ったことだろう。しかし、今茜の横に立っている旬の姿は、嫉妬を抱かせないほどに美しくカッコいい。

 旬と茜は固まるみんなの間をスタスタと歩いて行き、繋いでいた手を離して自分の席へとつく。

 すると当然、みんなからも超絶イケメンの正体が誰だか分かる。

「嘘でしょ⁉︎え?え?影宮くん、なの?」

「おはよう」

 旬が一言発した途端、悲鳴と言ってもいいほどの女子たちの叫び声が他クラスまで響き渡り、その悲鳴を聞きつけた他のクラスの生徒たちが旬を目にして更に叫びが広がっていく連鎖が起きる。

 その中でも、一番前に来て目を輝かせていたのはクラスメイトの笹野。

「どうして今まで顔隠してたの?勿体なさすぎでしょ!もしかして桃太郎役、C組のケントくんじゃなくて影宮くんなら何十倍も繁盛したんじゃない?うんうん、絶対そう。こんなイケメン芸能人でも中々いないでしょ!」

「それって酷くない?」

 笹野の背後から聞き覚えのある声がしたので視線を向けると、笹野の少し後ろに旬を拝もうとする女子たちを掻き分けるケントの姿があった。

 そして旬の下までやってくると、女子たちの声に負けない声量でケントが発言をする。

「影宮くんを拝みたい気持ちは分かるけど、みんな一旦教室に戻った方がいいよ。もうすぐホームルームの時間だしね。それに、影宮くんはもう茜ちゃんのものだから、絶対手は出しちゃダメだよ」

 ケントらしくない発言に驚く旬の隣で、恥ずかしそうにしている茜。

「影宮くんさ、ちょっと話があるんだけどついて来てくれる?」

「いいけど」

「それじゃあ行こう」

 ケントは旬の腕を掴むと、そのまま目の前にいる大勢の生徒を強引に掻き分けて人気のない廊下へと向かった。

 

「俺さ、文化祭の最終日に茜ちゃんに告白したんだ。いつもは告白されるか、適当に声かけるかだったから、あんなに本気で誰かに想いをぶつけたのは初めてだったよ」

「そうなんだ」

「茜ちゃんの好きな人が影宮くんだって何となくは分かってたんだけどね。自分の気持ちを抑えておくことができなかった。二人の間を邪魔する気はなかったんだけどさ、今更だけど謝らせて欲しい。影宮くんの気持ちも考えずに無理やり桃太郎役を勧めたこと、本当に悪かったよ」

 ケントは柄にもなく、腰をほぼ直角に曲げて深々と旬へと頭を下げる。

「ケントくんが謝る必要はないよ。あそこでボクが勇気を出していれば、もっと早くに茜の気持ちを知れたかも知れないから」

「俺は性格が悪いからね。あそこで君が断ることは分かってたからさ、結果的に茜ちゃんとの仲を悪くしようと思ったんだ」

 結果的に茜と付き合えたので、ケントに対して特に怒りは湧いてこない。これがもし、ケントの行動がきっかけで気持ちも伝えられず、疎遠になってしまっていればケントの謝罪をすんなりと受け入れることはできなかっただろう。

「ボクは最近になって誰かを好きになる感情を知った。この感情は、時に自分ではコントロールが効かなくなる時があるんだ。その人のためならどこまでも勇敢になれるけど、逆にとても愚かな行動を取ってしまうこともある」

 旬は桜木海との一件を思い出し、まるで自分に向けて語るようにケントへ言葉を向ける。

「ふっ、確かにね。俺も君も、その感情に振り回されちゃった被害者だもんね」

 ケントも旬が桜木海をボコボコにした主な理由に気がついているため、どちらも初めて抱いた恋愛感情の被害者として共感の意を込めて笑顔を作る。

「俺はフラれちゃったけどさ、恋愛っていうものがこんなに楽しいものだってことを初めて知ったよ。今まで遊んでくれた女の子たちには申し訳ないけど、俺は俺で次の恋を探しに行こうかな」

 そう言ってケントは携帯を取り出すと、携帯に登録されている女子の連絡先を一斉に削除して、残りが家族と友達だけになった連絡先の画面を旬へと見せた。

「よかったの?」

「もちろん。本気で誰かを大切にしたいと思ったこの気持ちを忘れたくないんだ」

「そっか」

「よしっそれじゃあ、教室へと戻るとしますか」

「はぁ、みんなの視線がトラウマになりそうだよ」

 ケントが教室の方向へ歩き出すと、旬も重たいため息をつきながらその後を追う。

「まぁしばらくあの熱は冷めないだろうね。でもまぁこれもイケメンのさがってやつさ」

「気が遠くなる—————」

 旬が言葉を発した直後、震度4ほどの揺れが学校全体を襲った。

「地震?結構強いね。収まるまでここで止まってようか」

 旬とケントはその場で足を止めて、地震が止むのを待つ。

 しかし、地震は二分ほど続いた。

「結構長いな」

「うん。ここまでのは滅多にないよ」

 その後少しして地震は収まる。

 すると、旬の鼻を金属や紙、木が焼けたニオイが刺激する。

「うっ、何だこのニオイ?」

 そして更に、そのニオイの中には血のニオイも混ざっている。

 鬼となった旬の鼻は、金属と血のニオイをしっかりと嗅ぎ分けることができる。この強く鼻を刺激してくるものの正体は、何かの血だ。

 旬は一度目を瞑りニオイの発生源を探し出す。

「影宮くん?」

「しっ!」

 旬は、訳がわからず名前を呼んだケントに対して、自身の口元に人差し指を立てて静かにするように合図する。

 ニオイの元を探し当て、そこへ耳を澄ませると・・・・・

 

『グアァァァァァァ!』

 

「っ⁉︎」

 神経にまで響き渡るような、身の毛もよだつ悍ましい叫び声が聞こえた。

「一体何が起きているんだ?」

「影宮くん?一体どうしたのさ」

「ごめん、説明してる時間はないんだ」

 そう言うと、旬はケントを置いてものすごいスピードで教室へと戻って行った。

 

 旬が教室へと戻ってくると、既にD組以外の生徒は自分の教室に戻っており、クラスのみんなも各々自分の席についていた。

「茜!」

 旬が大声で茜の名前を呼ぶと、振り向いた茜の顔は青ざめていた。

「旬・・・・・と、父さんが」

 旬は茜の席まで行き、腕を掴んで立ち上がらせる。

「とにかく行ってみよう」

 丁度その時、教室の前の扉から赤坂が姿を見せた。

 しかし、旬と茜はそんなことお構いなしに教室を飛び出した。

「おい、どこ行くんだお前ら!」

 

 学校を抜けて二人が向かった先は、茜とゼツが住むアパート。

 アパートへつくと、部屋中から炎が燃え盛っており、中からはより一層血の香りが漂ってくる。

「うそ・・・・・」

 思わず地面に座り込んでしまう茜。

 すると、不意に旬と茜の耳へとグチュグチュという不快な音が入り込んで来た。

「少し中の様子を見て来るよ」

「私も行くわ」

 茜はすぐさま立ち上がるが、とてつもない不安に満ちた表情に変化はない。

 旬はそんな茜の手をギュッと握りしめる。

「大丈夫。ボクがついてる」

「ええ」

 今にも崩れそうな階段を一段一段慎重に上がっていく。

『ハァハァハァ』

 鬼たちは鬼ヶ島から噴き出す炎への耐性を持っている。それは鋼のように強固な皮膚であり、一切の熱さを通さない。そのため、人肌の温もりを感じることもない。

 旬と茜は燃え盛る部屋の中へと足を踏み入れる。

 そこにいたのは、岩のように体を丸めて何かを必死にむさぼる鬼だった。

 旬たちには背を向けており、顔までは分からないが赤い表皮にとてつもなく鍛え抜かれた筋骨隆々の体をしている。

 旬は半信半疑だが、その鬼が誰なのかは予想がついていた。しかし、以前見た時とはえらく風貌が変わってしまっている上、目の前で起きている光景があまりにも現実離れしていたので簡単に確信を持つことができなかった。

 しかし茜にとって目の前にある大きな鬼の背中は、小さい頃からよく見て来たもの。だけど、まさかこんなことをするなんて思いもしなかった。

 茜にとってその鬼は、いつも優しく、時には厳しいが、鬼ヶ島のみんなからも信頼されている自慢の父親であり誰よりも愛していた、たった一人の家族だった。

「父さん・・・・・どうして、人間を食べてるの?」

 本来鬼は悪人しか食べてはいけないという決まりがある。それは、人間社会をなるべく荒らさぬよう、自分たちの暮らしが人間たちの怒りをかって脅かされることのないようにするため。

 しかしゼツが今手にかけている地面に横たわるその人間は、いつも挨拶を交わしているアパートの心優しき住人。何かと、茜とゼツを色々と気遣ってくれた人間。

 そして、ゼツはアパートの住人一人だけでなく、確認できるだけでも五人は手にかけてしまっている。

『ウガァァァァァァ!』

 突然上げたゼツの雄叫びにより、周囲の炎は大きく揺らめく。

「もう、茜が知ってるお父さんじゃないよ」

『ウゥゥゥゥゥ』

 唸り声を上げながらゼツはゆっくりと旬たちに顔を向ける。

 その顔には、かつての優しさなど一切ない般若のような表情を浮かべながら、片方の目から涙がこぼれ落ちていた。

「どうしてなの父さん・・・・・何があったの?」

 茜は無意識に自身の足を動かしてゼツへと近づこうとする。

「危ないよ」

 旬は茜の腕を引っ張り、前へ進もうとする茜を止める。

「朝まではいつもの父さんだったのよ・・・・・優しい笑顔を向けてくれた。帰って来たら、一緒にお菓子作りをする約束もしたのに・・・・・」

 今朝のゼツの様子を語る茜の瞳からはじわじわと拭いきれない大量の涙が溢れ出てくる。

「どうして、この人たちを食べたりしたのよ!」

 旬から見たゼツは明らかに理性を失っている。そしてそのことは茜も気がついている。しかし、どうしても目の前の現実を受け入れたくない。

 ゼツは左手にボーリングの球ほどの丸い何かを掴んでいる。

 それが何か分かった時、旬は思わず目を背けてしまった。

『あ、か・・・ね。殺、し・・て・・・・・くれ』

 確かに聞こえた。

 ゼツは、人間を殺したくて殺したのではない。自分の意思とは関係なく、手にかけてしまったのだ。

「分かった。私が今、楽にしてあげる」

『グオォォォォォォォ!』

 再びゼツは雄叫びを上げると、周囲の炎は視界を隠すほど揺らめき、ゼツの姿を隠してしまった。

 直後、旬の目と鼻の先に巨大な拳が飛び出し、旬は咄嗟に茜を突き飛ばして顔を両腕で覆った。

「くっ⁉︎」

 打ち込まれたゼツの拳は、ガードの上から旬の体を地面へと叩きつけ、そのまま床を突き破って二階から一階へと突き飛ばした。

「カハッ!」

 旬は血を吐き、これまで味わったことのない苦痛に悶絶する。

 これまで培って来た経験が、圧倒的力の前では何の意味もない現実を突きつけられる。

 そしてゼツは、すぐ横にいた茜ではなく一階へと突き飛ばした旬の後をすぐさま追って一階へ。

 例え理性はなくとも、無意識的に娘への攻撃は避けている。

「くっ!」

 容赦なく休む暇もなく繰り出されるゼツの拳に、以前の桜木海へと拳を振るった自分の姿が重なる。

 ガードしている腕の骨が粉々に砕けてしまいそうなほどの激痛。

 次第にガードが崩されて体中にゼツの攻撃を喰らう。

 そこら中に飛散する自身の血。

 既に痛みなどない。あるのは目の前の死への恐怖だけだった。

 次第に意識が遠のき始め、自身に繰り出されているゼツの拳の衝撃音だけが微かに耳に届いているだけだった。

 するとその時、二階にいた茜が鋭い爪を剥き出しにしてゼツの背後を襲う。

 しかし、無防備状態で茜の攻撃が当たったのにも関わらず、一切傷をつけることができなかった。逆に茜の爪は全て剥がれてしまう。

「くっ」

『ウゥゥゥ』

 旬へと繰り出されていたゼツの攻撃が止む。

 だんだんとゼツの視線は茜へと向き始め、ゆっくりと血に染まった鋭い牙を見せ始める。

 その時浮かべたゼツの表情は、まさに鬼の形相と言われるに等しいただただ恐ろしいものだった。

「逃げるんだ茜!」

 掠れた声で旬が必死に叫ぶ。

 しかし茜は避けきれない。ゼツは一瞬にして茜へと近づくと、鋭利な爪を剥き出しにして茜へと振りかぶる。

「父さん!」

 茜の言葉に反応したゼツは、ピタリとその動きを止めた。

『ア・・・・・・ア』

 何かを話そうとしているが、まともな言葉にならない。

「お願い思い出して・・・・・父さん。戻って来てよ」

 泣きながら語りかける茜。

 しかし次第に止まっていたゼツの手が少しずつ動き出す。

『ウガァァァァァァ!』

 旬は必死に動かない体を動かそうともがくが、ぴくりともしない。

 もう終わりだ。そう悟った時、振り下ろされたはずのゼツの腕は、自身の心臓を貫いていた。

『グハッ』

「何、してるの?」

 ゼツは白目を剥いたま、両目から涙を流している。

『茜。俺はお前にいくつか嘘をついてた。すまねぇな』

「何を言ってるの————」

『俺はお前といられて幸せだった・・・・・本当の親じゃねぇけど、俺を親にしてくれてありがとな。いつか、茜を産んでくれた親にも会いに行ってやれ』

「私にとって親は父さんだけ、お願いだから私を置いていかないで」

 茜はそう言いながら、ゼツの空いている方の手を握りしめる。

『俺は鬼としてやっちゃいけねぇことをしたが、最後の最後で茜を傷つけずに済んでよかったぜ。旬』

 旬は名前を呼ばれ、視線だけを何とかゼツへと向ける。

『マジで悪かったな。これからも茜のことで色々と迷惑かけるだろうが、お前なら信用できる。頼んだぜ』

 旬は軽く瞬きをして返事をする。

「嫌、父さん。死なないで」

『茜。お前はこれから人間の世界で人間として暮らしていくんだ。大丈夫だ、お前は一人じゃねぇから。だから鬼ヶ島のことは忘れて生きてくれ。お前を完全に鬼にさせなくて済んだこと、本当によかった』

 茜の握りしめていたゼツの手からだんだんと体全体がしぼみ始める。

『幸せになってくれ・・・・・茜。それが父さんの、何よりの望みだ——————』

 ゼツは完全にしぼんでしまうと、灰となって炎の中に消えてしまった。

「うぅ」

 茜はその場にしゃがみ込み、歯を食いしばりながら旬に背を向けて涙を流した。

 

 その後、駆けつけた消防隊により建物全体に行き渡った炎は消火され、中にいた旬と茜は救出された。

 そして二人は念のため明後日を迎えるまで病院に入院することになった。旬の傷は鬼の治癒力もあってあっという間に回復したが、茜の負った心の傷は、中々回復はしなかった。

 

 ゼツの騒動の次の日の夜。このことが事件として全国に報道された。

 一見アパートで火事が起きた事件だったが、一部始終を目撃していた者がいたらしく、異形の化け物がアパートの住人を襲い、人間を食べていたこと。しばらくして学生服を着た二人の男女が燃え盛る炎の中に飛び込んで行ったことが報じられた。幸い、男女の身元は公開されなかったものの、鬼という存在が世間に公開されてしまった。

 

 

 旬は一先ず茜を自分の家に置いておくことにした。

 そして、退院したその日は学校を休み、次の日から登校することにした。

 次の日学校へ登校すると、いつものように注目は浴びるものの、教室へ入るといつものような憧れの視線ではなく、旬と茜に対する恐怖や拒絶の感情が入り混じった視線が向けられる。

「おはよう旬」

「おはよう樹」

 旬は旬の席で待っていた樹と挨拶を交わす。

「大丈夫だったか?急に学校飛び出したっきり戻って来ねぇと思ったら、事故に遭ったって聞いて心配したぜ」

「もう、何ともないよ。それよりも、何か様子がおかしくない?」

「ニュース見てないのか?」

「ニュース?」

 樹はポケットから携帯を取り出して、例のニュースを旬へと見せる。

「信じられねぇけどさ、お前ら鬼を見たんだろ?」

 ニュースでは、異形の怪物を鬼と呼んでおり、特に証拠の映像などは流されてはいないが、ニュースとしてその言葉が報道されている以上、多くの者が反応するのは仕方のないこと。

「俺はただ心配だっただけだから、お前らがあの場にいたわけは聞かねぇけどよ。クラスの連中はそうもいかねぇぜ」

 すると、クラスの女子の一部が発言する。

「あのさ、天界さん。事故の現場って、天界さんが済んでたアパートだよね?」

「———ええ」

 クラスメイトたちはそのことを既に聞かされていたらしく、やっぱりねといった表情を浮かべている。

 一方茜は、机に置いた鞄を握りしめながら何かを覚悟しているようだった。

「一昨日放送されたニュース見たんだけどさ、アパートに飛び込んで行った男女って天界さんと影宮くんでしょ?どうしてあんなところに行ったの?それに二人とも地震が起きた直後に何か焦ったみたいに学校飛び出して行ったよね?一体どうして?」

 次々と飛んでくる質問に対して、茜は俯き、答えようとはしなかった。

 その行為が女子だけではない。クラス全体の不安感を煽ることとなる。

「あんた何者なの?」

「え?」

 茜が顔を上げると、クラスメイトの表情には同情や怒りなどは一切なく、ただただ恐怖だけが浮かんでいた。

「私。文化祭の時に衣装作りで天界さんの家に行ったんだけど、その時天界さん、針で手に怪我をしたはずなのに、気づいたら一瞬でその怪我がなくなってたの。あまり大きくない傷だったし、私の見間違いかとも思ったけど、でも、今思うと・・・・・」

 笹野は、ガクガクと震えながらその先を口に出そうとはしなかった。

「私は————っ⁉︎」

 茜が手を伸ばそうとすると、周囲のクラスメイトたちは一斉に茜から距離を取る。

 まるで化け物でも見たような表情を浮かべながら。

「ニュースで言ってた鬼と天界さんって、何か関係があるんじゃない?」

 流石に我慢ならなくなった緑が多少怒りを含ませながら発言する。

「みんなして茜ちゃんを、私の大切なお友達をいじめないでください!」

「緑」

「お前そんな奴の味方すんの?そいつ、化け物かもしれないんだぜ?」

 クラスの男子が茜を化け物扱いし始める声が上がる。

「茜ちゃんは人間です!」

「人間だって証拠あんのかよ?第一、人間ならどうして炎の中に飛び込んで無傷なんだよ?それに、鬼だとしたら以上なまでの運動神経にも納得できるだろ」

「それは・・・・・」

 おそらく緑も茜がどこか普通でないことには気がついている。

 しかし、短い間だったけど友達である茜のことを見捨てたくない。自分だけは茜のことを信じてあげたいという気持ちが緑の中にはあった。

 なぜなら一番大切で大好きな友達だから。

「緑。ありがとう」

 茜は自分を背にしてみんなから庇おうとしてくれた緑の肩をポンッと叩く。

「茜ちゃ————」

 緑は改めて茜の顔を見て言葉を失ってしまった。

 茜の顔は、父親であるゼツを失ったばかりであり、その上みんなからは化け物として見られてしまっていることを知り、大きくショックを受けたものとなっていた。

 昨日は一睡もできずに目の下に大きなクマを作り、たくさん泣いたことで目が赤く腫れている。更に、多少だが頬がこけてしまっている。

「もう、いいわ」

 隣で茜のことを見ていた旬は支えてあげたいと強く思いつつも、この状況でみんなに何と言ったらいいか、茜に何と声をかけたらいいのかが分からなかった。

 そしてそれは家に帰っても同じこと。

 父を失った悲しみは旬が埋めてあげることは今はできない。どう接してあげたらいいのか分からない。

 旬は、ただ茜の側にいてあげることしかできなかった。

 その時、教室の扉がガララッと開かれる。

 現れたのは理事長だ。

「天界さんと影宮くん。少しいいですか?」

 

 茜と旬は理事長へと連れられて、理事長室へと通される。

「貴方たちにはお話しておかなければならないことがあります。特に茜さんにはね」

「私、ですか?」

「はい」

 するとジーマは、しっかりと部屋の鍵がかかっていることを確認した後一度人化を解き、全身青くところどこに黄色の斑点模様と腹部に大きく太鼓の模様が刻まれた姿へと変身した。

「通常人間が鬼になる場合、鬼ヶ島を包み込む鬼の妖気を長年に渡り浴びながら、徐々に鬼と化して行きます」

 ジーマは理事長室の真ん中に置かれたフカフカのソファに腰掛けながら話し出す。

「ゼツは常に悩んでいました。茜さん、貴方を完全な鬼にさせて良いのかと。そこで僕はある提案をしました。茜さんを、人間の世界に戻してあげるのはどうかと」

「えっ————」

「初めて僕と会った時、話したことを覚えているかい?貴方のお父さんがなぜ茜さんを人間界に連れて来たのか、その理由を僕の考えとして話した時のことだよ」

「覚えてます」

「あの時はあたかも憶測として話はしたけど、全てが真実なんだよ。ゼツは、貴方に人間として生を全うして欲しかったんです。鬼のことは忘れて、人間の世界で。だから僕は貴方を僕の学園で引き受けることに決めたのです。高校を卒業すれば、大学へも行きやすくなりますし、良い場所で働くこともできます。人間界で生きていくための準備をこの学園でさせていこうと決めたのですよ」

 茜の目からポロポロと涙がこぼれ始めた。

「何よそれ・・・・・私は父さんの娘。鬼の子よ」

「それが愛なんです。貴方のお父さんは、貴方に人間として生きて欲しかった。いつも明るく笑顔で、ずっと幸せにいて欲しかったんです」

 次にジーマは旬へと視線を向け、再び茜に視線を向ける。

「これから僕が話すことで、決して自分を責めないでほしい」

 そうして再びジーマは真剣な表情で話し出す。

「先ほども言ったように、鬼になるには鬼の妖気を浴びなければなりません。しかし、もう一つだけ鬼になる方法があるのです」

「鬼の血———」

 ジーマが口を開くよりも先に、旬が言葉を口にする。

「その通りです。鬼の血を使うことで、鬼を容易く作ることができる。しかしこの方法は大きな代償が付き纏うため、固く禁じられいるのです」

 その代償とは、以前茜と旬が聞かされた血を与えられて鬼になった者が理性のない化け物と化してしまうことではなかった。

「その代償とは、血を与えた側。言い換えれば、鬼の力を与えた側が理性のない化け物となってしまうというもの」

「つまり父さんは、私に嘘をついていたということね」

「優しい嘘だよ」

 なぜあんなにも真剣な表情で旬に茜のことを頼んできたのか、旬は今強くそのわけを理解していた。

「鬼が鬼でない者に自分の意思で血を与えるということは、自身の中にある鬼の力をその者に受け継がせるということなんですよ。そして残るのは、殻になった自分と鬼の力の微かな残り火だけ。けれどもし、鬼と人間のハーフである貴方たちが誰かに鬼の力を譲渡した場合は、おそらくですが普通の人間に戻ることができるでしょう」

「そんなことしません。例え人間に鬼の私を怖がられようとも、父さんから貰ったものですから」

「ボクもです。ボクはゼツさんにこの命を救われました。ゼツさんの分も、茜の側にいて生きていきます」

「旬・・・・・」

 茜は隣に座る旬へと視線を向けると、その瞳から再び涙が浮かんだ。

「話は以上です。何か僕に聞いておきたいことはありますか?」

「一つだけいいですか?」

「ええ、どうぞ」

「鬼は元々、みんな人間ということですか?」

 旬の質問は、ゼツの茜に対する愛情を理解しているためないとは思うが、人間であった茜をさらって無理矢理鬼にしようとしたのではないかという意味を込めてのもの。

 ジーマは少し悩むフリをして黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。

「その話は、茜さんの生まれ故郷でもある鬼集村にも関わる話なので、僕からではなく、直接訪ねてみるといいでしょう。少し待っていてください」

 そう言って理事長は机から一枚の紙を取り出すと、ペンで何かを書き始めた。

「鬼集村———初めて聞く名前だ」

「私が育ったのは、鬼ヶ島という場所だけど、生まれたのは違うらしいの?前に父さんがそう言っていたわ」

「つまり、その村に行けば君を産んだお母さんとお父さんにも会えるかもしれないってことか」

「生きているかは分からないけどね。でも怖い。顔も知らない、名前も知らない。ただ親だと聞かされただけの人たちと会うのは」

 旬は茜の手を握りながら優しく微笑みかける。

「無理に会わなくてもいいと思う。茜が会いたくなったら会いに行こう。その時は、ボクも一緒についていくから」

「・・・・・ええ」

 そして旬は戻ってきたジーマに鬼集村への行き方が記された紙を手渡された。

「この村は地図に載っていないからネットで調べても行き方は分からないと思ってね。その紙に書かれた通りに行けば、ここからだと約三時間ほどでつくと思います」

「ありがとうございます。理事長先生」

「いえいえ。それと、学校はどうしますか?もし、クラスにいずらいのであれば私のコネで違う学校に転校させてあげることもできますが」

「ボクは大丈夫です」

「私は—————」

「無理に登校することも、転校することも進めません。しばらくの間休学という扱いにすることもできます。もちろん、単位のことは気にしなくても大丈夫」

 どこまでも茜のことを気遣ってくれる理事長。

 クラスメイトの圧に立ち向かう気力がない今の茜は、理事長の提案に甘えるしかない。

「私は、しばらく休学します」

「では、僕の方で手続きは進めときますね。戻りたくなったらいつでも言ってください」

「・・・・・はい」

 学校へは引き続き登校すると決めた旬だが、今日のところは茜と一緒に家へと帰った。

 

 

「茜ちゃんが学校に来なくなって、もう一週間ですね」

「だな。確か天界さん、旬の家にいるんだよな?」

 昼休みの時間、樹と緑は旬の席に集まって三人で話をしている。

「まぁ一応ね。今は母さんが家にいてくれるから、ボクも一先ず安心できてるよ」

 樹は小さく微笑む。

「母さんか。お前が五月さんといい関係を築いてるみたいでよかったよ」

「影宮くん。本当に変わりましたよね」

「変わったかな?」

「そりゃあ、変わったろ」

「はい。以前の棘があるようなオーラが今はもう感じられないですから」

 緑は旬の顔をまじまじと覗き込む。

 そんな緑の瞳の奥には、もう未練の色は少しも見られない。

「影宮くんが殻から抜け出せたのは茜ちゃんのおかげですね。だけど、今は茜ちゃんの方が殻に閉じこもってます」

「無理もないだろ。父親がいなくなったんだからな。なぁ旬」

「何?」

「お前が俺たちに何か隠し事してるってことは気づいてるぜ」

 しかし旬は驚くことなく、視線を床に向けてゆっくりと眉を下げる。

「樹には隠し通せないことは分かってるよ。だけど———」

「ああ、分かってる。今はいい。だけどその代わり、いつか絶対話してくれよな」

「約束するよ」

 

 本当に鬼が実在するのか、樹を含めてその存在を見た者にしか分からない。

 鬼は霊体であるため、事件があった時も普通なら視認されることはなかったが、あいにくとその目撃者が霊媒を職としている人物であったため目撃されてしまった。

 ニュースでは、異形の化け物をとりあえずの段階で「鬼」と呼称しているだけであって、鬼と呼ぶに足る確たる証拠があるわけではない。

 しかし旬のクラスメイトたちには、報道された男女の正体が旬と茜であることがバレてしまっているため、茜が休学してからは旬へと拒絶の視線や態度が向けられ続けている。

 注目されるという意味では、甘い声援を送られることよりも、今のこの状況の方がよっぽど心に突き刺さる。

 茜を大切にしたいと思う旬にとって、心の底から茜が今この場にいなくてよかったと思った。

 しかし旬も、一人ぼっちだったならこの状況に心を折られてしまっていただろう。中学時代は、樹とは表面上としてしか付き合っていなかったため、孤独な世界へと心を押し込めるしかなかった。

 だけど今は違う。茜のおかげで愛を知ったことで、樹のことも、緑のことも大切な友達だと認識できている。

 二人は、旬に対する悪口や嫌悪感丸出しの拒絶の言葉が聞こえても、そんなものは無視して旬の味方でいてくれている。そして、無理矢理事情を聞こうとしない。

「ありがとう」

 帰り道。緑と樹と一緒に帰っていると、ふと、勝手に口が動いた。

「んだよありがとうって、別に、友達として当然だろぉがこれくらい」

「ですよ」

「あのさ、二人に相談したいことがあるんだけど、いいかな?」

 旬たちは帰宅途中、近くにあったファミレスへと立ち寄った。

「それで、相談って何だよ?」

「茜のことなんだけど。彼女最近、部屋に閉じこもりっぱなしで、まともに口も利けないんだ」

「それで解決策はないかって?」

「解決策って言うか、茜に少しでも元気を取り戻してもらうためにはどうすればいいのか分からなくてさ」

「五月さんがいるだろ?」

「母さんもボクと同じで、どうすればいいか分からないみたいで」

 樹は机を軽く両手でパシッと叩くと、旬の顔を真剣に見つめる。

「無理にでも連れ出す。それしかないな」

「えっだけど、茜の気持ちを尊重した方がいいんじゃないの?」

「こればっかりは経験してみねぇと分からねぇんだ。俺もさ、中学の時部屋に閉じこもってた時期があったの覚えてるだろ?俺が一時期不登校になって何日間も学校に来なかった日だ」

 樹はクラスで事件を起こした直後、二週間程度だが、学校を休んでいた時期があった。

「うん、覚えてる」

「あん時は旬や親たちに救われたけどよ、落ちてる時ってのは、殻に閉じこもれば閉じこもるほど落ち続けていくんだよ。だから引きずり出してでも外に連れ出すべきだ」

「私は、茜ちゃんの一番の親友だと思ってるんです。だから今すぐにでも影宮くんのお家に行って茜ちゃんを連れ出してあげたいです。だけど、それをするのは私じゃないんですよ。影宮くんじゃないとダメなんです。茜ちゃんのことをそれほど愛している影宮くんならきっと大丈夫ですよ」

 緑の曇りのない言葉と笑顔に対して旬の顔は少し赤くなる。

「そ、それじゃあ、頑張ってみる」

「おう。何かあったらまた頼れよ」

「ありがとう」

「それじゃあ最後に一つだけ、私からのアドバイスです。今日は十二月二十三日です。ここまで言えば、頭のいい影宮くんなら明日が何の日か分かりますよね?」

 緑がどこかいじわるそうな、揶揄うような視線を旬へと向ける。

「・・・・・クリスマスイブ」

「そうです。女の子にとって、クリスマスイブに好きな人とデートできることはとても嬉しいことですよ」

 

 

 そして迎えたクリスマスイブ。

 旬は、茜がいるのかいないのか不安になりそうなほど静かな部屋の扉の前に立っていた。

 そして扉を二回ほどノックする。

 しかし、何一つ音がしない。

「ごめん。少し入らせてもらうね」

 旬は扉のドアノブに手をかけると、ゆっくりと扉を開く。

 快晴の今日、部屋は昼前だと言うのにとても暗く、とても寒い。

「何?」

 食事は五月がしっかりと摂らせているため、暗くて少し分かりずらいが、顔色はいい。

 だけど、少しだけ目の下にクマができてしまっている。

「今日が何の日か知ってる?」

「知らない」

「クリスマスイブだよ。人間界ではとても賑わう日なんだ」

「そう」

「ボクと一緒にどこかに行かない?」

 茜は少し黙り込んだ後、口を開く。

「ごめん。私そんな気分じゃ————」

「そんな気分じゃないから行くんだ」

「どういうこと?」

「絶対後悔はさせない。言ったよね?ボクは君の側にいるって」

「だけど・・・・・」

 旬が茜の手を上から包むようにして握ると、茜がゆっくりと顔を上げる。

「今日をボクたちの初デート記念にしよう」

「・・・・・そうね」

 

 その後茜は五月に化粧や髪型の準備を整えてもらい、洋服は五月が普段来ている内の一着を貸してもらった。

 旬がリビングでそわそわしながら待っていると、リビングの扉が開かれて姿を見せた茜に、思わず固まってしまった。

「ほら、どう旬くん。茜ちゃん可愛いでしょ?」

 ニコニコしながらそう聞いてくる五月の言葉は旬の耳には届いていなかった。

「旬?」

 茜も少し心配気味に旬の名前を呼ぶ。

「あ、え?うん・・・・・すっごく綺麗だよ」

「あ、ありがとう」

 茜はやはり元気はないけど、少し照れた様子で頬を軽く赤く染めた。

 下は藍色をしているヒラヒラとした長めのスカートで大人感を創出し、上は暖かく首を覆い隠す体のラインを出しすぎない真っ白なセーターを着ている。そしてその上から膝下まであるロングコートを着こなしている。一見シンプルな組み合わせだが、ごちゃごちゃしすぎず、茜の魅力をしっかりと引き出す組み合わせになっている。

 一方旬は、網目の模様をしている黒のセーターに、ピチッとした白のジーンズを履き、スタイルの良さが際立っている。更にその上にグレーっぽいコートを着こなしている。

 決して合わせたわけではないが、どこか似ている服装になってしまった。

 

 時刻は午後三時。

 旬と茜は五月に送り出され家を出た後、家から電車で約一時間ほどの距離に位置する『ドリームランドパーク』という場所にやって来た。

 この場所は、昨日樹と緑に相談を持ちかけた際、オススメされた場所であり、動物園と遊園地が隣り合わせになっている。

 そして今日と明日の二日間は、午後六時には動物園の方が閉まり、遊園地の方でイルミネーションが開催される。

 二人は入場を済ませて早速動物園へと向かった。

 茜はもちろんのこと、旬もこういったテーマパークに来るのは初めて。そのため、テレビなどではよく見る動物たちだとしても、実際に見ると新たな世界に触れたようでとても心が躍った。

 そして今朝から元気のなかった茜は、多少の元気は取り戻してくれたらしく、ちょくちょく笑顔を見せている。

「来てよかったわ」

「ならよかった。それじゃあ次はここに行ってみない?」

 旬はパンフレットに載っている動物園の地図の一部を指さして茜に見せる。

「ホワイトタイガー?」

「入場の時に聞いたんだけど、一ヶ月前に赤ちゃんが産まれたらしいんだ」

「行ってみましょう」

 

 茜と旬はホワイトタイガーを見に行き、その後も動物園内をブラブラと散策した後、イルミネーションが始まる二十分ほど前に遊園地の方に移動して一際目立っていた観覧車へと乗り込んだ。

「外から見ていたよりも少しだけ速いのね」

「そうだね。ボクはさ、今まで知らなかったことを茜と一緒に知っていけてすごく嬉しい」

「私も同じ気持ち」

 そう言う茜の表情は、やはり本調子とは言えず、どこか元気のない様子。

「一人で抱えきれないなら、ボクも頼って欲しい」

「・・・・・ありがとう」

 すると、茜は外へと視線を向ける。

「きれい」

 旬も窓の外に視線を向けると、遊園地の中央にある大きなクリスマスツリーを中心として、徐々にライトアップされていく。

 その光景は、様々な色が辺りを照らし、キラキラと輝く大きな宝石の様だった。

「降りたら近くまで行ってみようか」

「ええ」

 

 旬と茜は観覧車を降りると、中央にあるビルの五階ほどの高さのクリスマスツリーの近くまでやって来た。

 既にツリーの周りには多くのカップルや子供連れの親子の姿があった。

 最初はツリーに向けられていた茜の視線は、いつしか目の前にいる父、母、子の三人の親子へと向けられていた。

 すると、茜は隣でイルミネーションに釘付けとなっている旬の手を握る。

 旬は少し驚いた様子で茜の横顔を見つめる。

「・・・・・鬼の子にならなければこんなに辛い思いもしなかったし、あの家族みたいに普通の家庭で育って、普通の女の子になれてたのかな?」

 一滴も茜の瞳に涙は浮かんでいないが、力の抜けた瞳をまっすぐ向けて、悲しさを大きく含んだ表情をしている。

「父さん。ゼツがいなくなってから、しょっちゅう顔も知らない産みの親の存在が頭によぎるの。だけど、私を産んだ親は、私のことを捨てた人たち」

「茜」

 旬は、イルミネーションには既に見向きもせず、辛そうな茜の横顔をただ見つめながら耳を傾ける。

 次第に片方の瞳から涙がこぼれ出し、旬はポケットにあったハンカチを取り出して茜の涙を拭う。

「だけどそんなことを言ったら、ゼツは私のことを攫った鬼だわ」

 ゼツだけのことで苦しんでいたのではない。

 育ての親の死により、産みの親の存在が頭をよぎるようになってしまい、会いに行きたい気持ちと会いたくない気持ち、不安、恐怖、困惑。様々な気持ちが茜の中でグルグルと渦を巻き、永遠と答えの出ない迷宮に苦しんでいたということ。

 そのことに気がついた旬は、茜の手をそっと引き、胸に飛び込んで来た茜の体を優しく包み込む。

「ボクは過去に茜に何があったのかは分からない。だけど知りたい、力になりたいから。何の確証もないけどさ、きっと産んでくれた茜のお父さんとお母さんは、茜のことを今でも大切に思っているはずだよ」

「そんなの分からない」

「だからさ、行ってみようよ。鬼集村に」

 茜は旬の胸に沈めていた顔を上げて、旬の顔を見る。

「大丈夫。ボクがついてるから」

「そうね。貴方が側にいてくれるなら、行ってみようと思う」

 そう言って茜は再び旬の胸に顔を沈めると、ギュッと力強く抱きしめる。

「・・・・・ありがとう、父さん。旬のことを助けてくれて・・・・・私のことを、大切に育ててくれて」

 その後二人は、手はしっかりと握ったまま、特に会話をすることもなくイルミネーションの輝きに浸った。

 

 帰り際には、茜はスッキリとした様子でいつも通りの笑顔を浮かべていた。

 

 

 その後旬は、親しい間柄である樹と緑、五月にしばらくの間、茜と一緒に遠くへ行くことを伝え、理事長であるジーマへと休学する旨を伝えた。

 五月は親として旬のことを見守っていくと決意したため、不安な気持ちはあるが、樹と緑と同様に特に事情を詮索する様なことはしなかった。

 

 

 そして旬と茜は、紙に書いてある行き方通りに鬼集村へと向かい始めて丁度三時間が経過した頃、周囲一体が森で囲われた山道にいた。

「本当にこんなところに村があると思う?」

 二人はかなり山奥まで来たため、遠方に視線を向けても民家などは一つもなく、緑一色で埋め尽くされている。

「ここからもう一つバスに乗るはずなんだけど」

 しかし、近くにあるのは先ほど下車したバス停以外に、それらしきところは見当たらない。

 時刻は既に午後三時を回っており、後二時間ほどで日が沈み始めてしまう。

 そのため、今日のところは宿のある場所まで引き返そうと思い、下車したバス停にあったベンチへと腰掛けていた。

 すると、車のエンジン音らしきものが山道に響く。

「次のバスが来るまで五時間もあるし、できたら乗せて行ってもらおうか」

「そうね」

 

 しばらくして見えて来たエンジン音の正体は、白い軽トラック。

 旬たちが運転手に向けて手を振っていると、目の前で軽トラックが停車した。

「どうしたんだお前たち?こんな何もねぇ場所で降りるなんてな」

「ある村を探しているんですけど、迷子になってしまったみたいで」

 旬がそう言うと、運転手は驚くことなく相槌を打つ。

「もしかして、鬼集村のことか?」

 その瞬間、旬と茜はお互いに視線を合わせた。

「そうです。その村です」

「何の情報を見て来たのかは知らねぇが、この近くにはねぇぞ。なんなら近くまで連れてってやろうか?」

「お願いします」

 旬と茜は、軽トラックの後ろに乗せてもらい、その後約一時間車を走らせた。

 

「ついたぜ。この先が鬼集村だ」

 旬たちが降ろされたのは、真っ赤な大きな鳥居の目の前。

 鳥居の先には、こちらを向いている二体の狛犬の石像があり、その後ろには四、五メートルはあるだろう何体もの鬼の石像が真ん中の道を開ける様にして、横に並べられている。

「ありがとうございました。だけど、どうして鬼集村の場所を知っていたんですか?」

「まぁ、色々と仕事の付き合い上、この村にお世話になることが多くてな。それじゃあ、俺はもう行くぜ」

 そう言って、親切な運転手は再び車を走らせ、あっという間にその姿は見えなくなった。

「それじゃあボクたちも行こうか」

「そうね」

 鳥居をくぐり、石像たちの間を歩いていく。

「旬。ちょっとこれ見て」

 茜は足を止めて、一体の石像へ釘付けになっている。

「・・・・・ゼツさんそっくりだ」

 その石像は、ゼツの鬼の時の姿によく似ていた。

「この村には、鬼を崇める習慣でもあるのかな?」

 まるで守り神の様に、並べられている石像たちは何かを寄せ付けないようにしているのか、ものすごく怖い表情をしている。

 参道の先には、境内社や御社殿などの建物はなく、ただの突き抜けた一本道となっている。

 参道の端までつくと、目の前には広大な土地を持った村が存在していた。

 田畑はもちろん、多くの民家が建てられており、道を走る車や歩く人の姿が見受けられた。

 旬と茜は、参道の端から村の入り口へと続いた長い階段を下っていく。

 入り口へつくと、旬たちが来ることを分かっていたかのように、白髪でしわくちゃな、腰を曲げて後ろに手を回した老婆が待っていた。

「ほら、こっちだよ。ついて来な」

 そう言うと老婆は、若者と同じ速さでスタスタと歩き出し、一つの大きな民家へと案内してくれた。

 そして一面畳が敷かれた座敷へと通された。

「そこに座って待っていてくれるかい?」

 老婆は押入れから客人用の座布団を二つ取り出して畳の上に置くと、そこに座って待っている様に二人へ促す。

 

 しばらくして、老婆は二人の中年の男女を連れて座敷へと戻って来た。

 老婆が連れて来た男女はとても美しい顔立ちをしているが顔色はあまりいいとは言えず、どこか重ための空気を纏っている。

 しかしそれが一変。

 茜の顔を見た瞬間、男女二人は思わず泣き崩れてしまった。

 旬と茜は何がどうなっているのか、ただただ困惑するばかり。

「信じられない・・・・・こんなことって・・・・・」

 女性は震える手を必死に茜へと伸ばそうとしている。

「菫。少し落ち着こう」

 男性は女性の背中にそっと手を添えて、優しく微笑みかける。

「君の名前を教えてくれるかな?」

 次に男性の微笑みは茜へと向けられる。

 茜はまだ困惑している様子だったが、そっと口を開く。

「天界・・・・・茜」

 微笑みかける男性の瞳からは、更に涙が溢れ出す。

「茜か。あのお人好し小僧、いい名前をつけたじゃないか」

 老婆は旬たちの前に腰を下ろすと、茜にとっては衝撃的な事実を口にした。

「天界茜。いや最門寺茜。この二人に似て、とても美しく育ったねぇ」

「それって—————」

 茜は目を見開き、ボロボロと涙を流す男女へと視線を向けた。

「そうだよ。この二人は、お前の実の母親と父親だ」

 老若男女関係なく、誰にも優しく気配りができる優しい父親に、曲がらないまっすぐな芯を持ったとても強い母親。

 そんな二人は今、十六年ぶりの実の娘との再会に歓喜の涙を流している。

「・・・・・・」

 この村に、茜の実の両親がいることは分かっていた。

 会うためにこの村へ来たのだから。

 しかし茜の顔には、嬉しさ、喜びといった色は一切見られず、言葉を失い、ただただ困惑の表情が浮かんでいた。

 自分を捨てた両親とどう接すればいいのか、どういう反応をすればいいのか。

 捨てたはずの両親が、どうして茜を見た途端泣き崩れてしまったのか。

 分からなかった。

「・・・・・どうして、私のことを捨てたの?」

 震えた声で一番最初に出た言葉は、怒りを含んだものだった。

 茜の質問に対して、茜の両親は必死に首を横に振る。

「捨てたわけじゃないんだ。あの時は、どうすることもできなかったんだよ」

 そんな父親の返しは、旬にとっては聞き捨てならないものだった。

 茜は確かにゼツと鬼ヶ島で幸せに暮らしていたのかもしれない。だけど、この両親と共に暮らしていれば普通の女の子になれた。

 それなのに、心の底から出た茜の言葉を、どうすることもできなかったという言葉一つで片付けられてしまうのは許せなかった。

 旬は、父親に対して言い返そうとしたその時、老婆が先に口を開いた。

「鬼集村には、先祖代々から受け継がれた生贄のしきたりがあってね。百年に一度、生贄を鬼に捧げる決まりとなっているんだ。十六年前、あんたの両親は茜が生贄になることを最後まで反対していたんだ。けれど、他の村人たちの圧に押されてしまい、折れるしかなかったんだよ。みんな悪気があったわけじゃない。しきたりとは、そういうものなんだ」

 旬の中に芽生えた怒りは、少しだけ鳴りを潜める。

「これからお前たちに生贄のしきたりと鬼との真実について話すとしよう」

 生贄を捧げるしきたりは、別名『鬼神祭』と呼ばれ、鬼を神と崇めて村に悪き存在を招くことのなく安全に暮らしを守っていくためのもの。

 鬼神祭の始まりは、何千年も昔のこと。ある時、村に悪霊が迷い込んでしまい、頻繁に火事が起きたり、何ヶ月も死に至るほどの病に苦しめられるなどの不幸が続いた。その不幸の原因である悪霊を退治してくれたのが鬼だったのだ。

 それから鬼集村の人々は鬼を崇めるようになり、何代にも渡り、代交代する鬼の頭たちの石像を建てた。

「これまで捧げてきた生贄は、女性や子供ばかりだったけど、それは、村の人たちが鬼が好むのは若い女性と子供だと勝手に解釈していただけのことなんだ。実際は誰でもよかったんだよ」

 そう老婆が語ると、茜の両親が揃って驚いた表情を浮かべ、その視線を老婆へと向ける。

「村長。それは一体どういうことですか?あの時の生贄は、別に茜じゃなくてもよかったと言うことですか?」

 老婆は少し間を置いて、落ち着いた様子で口を開く。

「その通りだよ」

「なっ—————」

 両親の呼吸がだんだんと荒くなっていく。

「茜。鬼の規則を知っているね?」

「はい」

「鬼は、悪人以外の人間を食糧としてはいけない決まりとなっているんだ。鬼は争いを好まない。だから、生贄に捧げられた人間は、食糧にはならないんだ」

「じゃあ、一体生贄はどうなってしまうのですか?」

 少し冷静さを取り戻した茜の父親である最門寺道士が、老婆に質問する。

「鬼になるのさ」

「鬼に?」

「人間を鬼にしている真実を知れば、村はまともではいられなくなるだろう。だから生贄は食べられるために捧げる風習を先代の頃から伝えて来たんだよ。そして私も、かつて生贄として捧げられた者の一人」

「村長が、そんなまさか・・・・・」

「本当だ。今は人の姿に化けちゃいるが、鬼なんだよ。捧げられた人間はその後、何百年という月日を経て鬼ヶ島の妖気を浴びせられて鬼となる」

 道士は再び荒くなった呼吸を無理矢理落ち着かせる。

「一体何のために、人間を鬼にしているのです?」

「地獄の門を守るためだよ」

「地獄の門?」

 旬は口に出すつもりはなかったが、気がつくと思ったことを口に出していた。

「茜。あんたなら知ってると思うが、鬼ヶ島には、島を赤く染めるほどの炎が噴き出しているだろ?」

「ええ」

「あの炎は、地獄の灯火なんだ。その灯火を、鬼ヶ島という地獄の門で封じているのさ。地獄には、これまで死んでいった悪霊たちが常に外界に出ようとしている。かつてこの村に迷い込んだ悪霊も、今では鬼ヶ島に囚われている。鬼たちは地獄の門を閉じた状態にしておくために労働力を欲しているんだ。そして百年に一度捧げられる生贄は、労働力として使われることになる」

 そのために頻繁に生贄を捧げていては、村の住人が一人もいなくなってしまう。

 そのため、鬼にしてみれば百年とはとても短い時間であり、人間からすればとても長い時間である。つまり、両者の間で一致した間隔が、百年だったと言うこと。

「そして茜。あんたも本当は鬼となり、地獄の門番になるはずだった。だけど、あのお人好し小僧が、既に半分鬼に染まったあんたを人間界に返そうとした。挙げ句の果てに死んじまって、本当・・・・・バカなやつだよ全く」

 老婆は涙こそ浮かべていなかったが、とても悲しげな表情を浮かべていた。

 しかし、今の話を聞いていた両親が、目を見開き、茜を見つめている。

「鬼・・・・・茜が鬼に・・・・・」

「能力面が鬼になった程度で、見た目は人間のまんまだよ」

 老婆が取り乱した両親にそう告げると、茜は額にかかっていた前髪を上に持ち上げる。

「それと、小さくツノも生えているけど」

 両親は心配そうに、されどどこかほっとした様子で軽く涙と笑みをこぼした。

「茜のことを・・・・・愛してくれていた鬼がいたのかしら?」

 すると、ここで初めて母親である最門寺菫が口を開いた。

「名前はゼツ。第十三代目頭だった鬼だ。奴は、生贄として連れて来られた人間に昔からよく興味を抱いていた。鬼ヶ島に立ち入った時点で、例え人間であろうと鬼として私たちは扱うんだ。だけどその中でもゼツの奴は特に親しげに関わっていた。人間に生物としての興味を持ったこと、それがゼツの中に愛情が生まれてしまった原因だろう」

 その愛情は、茜が一番身に染みて理解している。

 いつでも茜のことを考え、茜のために命を懸けてくれた。

「奴には、茜を鬼として育てて行くうちに愛情が芽生えてしまった。大切だからこそ、罪悪感を抱いてしまった」

 その罪悪感とは、大切な茜のことを、人間の茜のことを、やらなければならないことだとしても鬼にしてしまっていることに、ゼツは気づいてしまったが故の苦しみ。

「そして茜を人間界へと返し、そこにいる少年に血を与えて鬼にまでしてしまった。救いようのないバカだよ」

 老婆は旬へと、涙で微かに潤んだ瞳を向ける。

 と同時に、隣にいた両親も驚いた様子で旬へと視線を向けた。

「正確にはその少年も鬼と人間が混じった感じだけどね、血を与えて鬼を作る行為は許されることじゃないんだよ。だけど、その行為に対しての罰はないんだ。なぜなら、血を与えた鬼は理性をなくし、そしていつしか朽ちてしまうからさ。本来、鬼ヶ島に人間を立ち入らせることも罪に当たるが、生贄だけは話が別なんだ。これが鬼集村と鬼ヶ島との真実だよ」

 老婆が語り終えると、少しの間沈黙が続いた。

 すると、その沈黙を断ち切るかのように大きな揺れが村全体を襲う。

 以前の比ではないほどの大きさだ。

 しかし、地震の影響を全く受けていないかのように、倒壊している家や建物は一つも見受けられない。

 老婆は立ち上がると、そのまま空を見上げる。

 そして、近くにいた道士と菫には届かない大きさの声でポツリと呟いた。

「限界が近いね」

 その一言は、旬と茜の耳にはしっかりと届いていた。

 

 しばらくして地震は止まり、静まり返った村に不気味さを演出するかのように、遠方に聳え立つ山から烏の群れが飛び立っている。

「村長。これは一体どういうことでしょうか?」

 道士は壁際に置かれていた小さなテレビをつけ、そこから流れるニュースに目を向けていた。

 ニュースでは、先ほど発生した地震は震度5弱であることが言われているが、鬼集村で感じた揺れは明らかに震度5弱の揺れではなかった。

 鬼である老婆は、大きな揺れの中でも易々と立っていたが、人である道士と菫は立つことがままならないほどの揺れだった。

 震度6強はあるだろう揺れの大きさだったのだ。それなのに家具の一つも倒れておらず、村に一つの異常も見当たらない。不自然に思うのが当然である。

「鬼集村には、鬼たちの妖力による結界が張られている。その結界は、悪霊だけでなく、災害や疫病からも守る役目を果たしてくれているんだよ。だからあれほどの揺れが起きようとも、その影響を全く受けなかったんだ」

「そうですが、そうではなく。ニュースを見てください」

 外の景色に視線を向け続ける老婆に対して、テレビに視線を向けるよう道士が誘導する。

「先ほどの地震は、震度5弱だと報じられています。ですが、体感的には比べものにならないほどの大きさでした」

「お前さん。鬼ヶ島は一体どこにあるのか知ってるかい?」

 老婆は道士から始め、その後順々と菫、茜、旬へと視線を向けていくが、当然誰一人答えられない。

「鬼集とは、読んで字の如く、鬼が集う場という意味だ。これはすなわち、鬼が住まう場である鬼ヶ島と同義的な意味を成している。要するに、鬼集村が鬼ヶ島と言っても過言ではないんだよ」

「つまり、僕たちが今いるのは鬼ヶ島だと言うことですか?」

 少し取り乱した様子で聞く道士に対して、冷静な対応を見せる老婆。

「位置的には間違ってはいないよ。だけど、鬼集村と鬼ヶ島はそれぞれ違う次元に存在している。いわゆる霊界に存在しているんだ。けれど、実態を持てる鬼たちは、二つの次元を行ききすることができる」

 霊体化できない茜は、霊体である鬼の要素を含んでいるため、霊界に足を踏み入れることができる。そしてそれは、旬も同じこと。

 先ほどまで深刻な表情をなるべく隠しつつ話していた老婆だが、突然、険しい表情が表面化してしまう。

「けれど鬼ヶ島が崩壊すれば、この村を入り口として閉じ込められていた悪霊たちが現世へと流れ込んで来てしまう」

 老婆の空を見上げていたように見えた行動は、見えない次元の壁で隔てられた鬼ヶ島に対してのものだった。

「つまり、」

 道士は、恐る恐る言葉を発する。

「鬼ヶ島の崩壊の影響で起きた地震だと言うことですね」

「正確には、崩壊しかけている、だ。何にせよ、時間の問題だ」

「止める方法はないのですか?」

「あるにはあるんだけどねぇ・・・・・」

 老婆は躊躇い気味にそう言った。

「知ったところであんたたちにはどうすることもできないさ。一先ず、話はお終いだよ」

 鬼ヶ島の崩壊を止める方法。その鍵は、崩壊を招くことになった原因にある。

 そしてこの時旬は、一人静かに葛藤にかられていた。

 

 その後、旬と茜は数々の民家が立ち並ぶ内の一つの一軒家へと案内された。

 ここは、道士と菫が二人で暮らしている家であり、茜の実家。

「村長の話を聞いて少し暗い気分になっちゃったけど、今日はご馳走にしようか」

「ご馳走?」

「茜が帰って来てくれたんだ。それが僕たちは何よりも嬉しいんだよ」

 道士は少し潤んだ瞳を茜に向けると、笑みを浮かべた。

「そう・・・・・」

 しかし茜は、顔を逸らして気まずそうな態度を見せる。

 両親にとって茜は、かつて死んでしまったと思っていた世界でただ一人の大切な娘だが、茜にとって産みの親は、そう聞かされただけの記憶もないただの他人。

「無理もないね。茜が、僕たちのことを親だと思えないのも当然だ」

 またしてもそっと微笑んだ道士の笑顔は、嬉しさではなく、悲しさを含んでいた。

「とりあえず二人とも、手を洗ってご飯にしようか」

 旬と茜が食卓についてしばらくすると、美味しそうな料理が次々と机の上に並べられていく。

「遠慮なんてしなくていいから、たらふく食べてちょうだい」

 そう言われても、多少の気は使うもの。

 しかし、一度箸を進めると、止まらなくなるほどの美味しさ。食事を始めた茜の顔に笑顔が浮かんだことで、茜の両親の二人ともがほっこりと笑顔になる。

「喜んでくれてるみたいでよかったわ。そう言えば、まだ名前を聞いてなかったわね。教えてくれるかしら?」

 菫は旬の隣に腰を下ろすと、好奇心旺盛な瞳を向ける。

「影宮旬です。そのぉ、茜さんとお付き合いさせてもらってます」

 茜は多少俯き、パクパクと口へとご飯を運ぶ。

 その一方で両親は二人とも口を開けたまま、箸が止まってしまった。

「十六年ぶりに会った娘が彼氏を連れて来るとはね。茜の側にいてくれて感謝するよ」

 道士は手に持っていた箸を綺麗に揃えて机に置き、旬へと深く頭を下げた。

「私からもお礼を言わせてちょうだい。貴方がいなければ、私たちは茜に会えていなかったかもしれないわ。本当にありがとう」

 そう言って、菫までもが旬に頭を下げる。

 二人に挟まれて食事をしていた旬は、とても気まずさを覚えた。

 

「そうだ茜。これまで育ててくれたゼツさんのこと色々と教えてくれないかな?」

「え?」

「父さんと母さんは知りたいんだよ。茜がこれまでどんな風に過ごして来たのか、茜をこれまで愛してくれていたゼツさんのことについても」

「うん。いいよ」

 茜はゼツのことやゼツとの暮らしのこと、そして人間界に来て学校に通うようになり、不安だった学校生活がだんだんと楽しくなっていったこと、けれど、自分の正体がみんなにバレてしまったことを話した。

 旬はその話の中で、一つ気になったことがあった。それは、だんだんと人間を知り、みんなのことが大切だと感じるようになっていくに連れ、純粋な人間ではない自分を強く感じるようになり、自分だけ取り残されている気分だったということ。

 だけど茜は、いつも側で自分を大好きでいてくれた親友や大好きにしてくれた旬がいてくれたと話し、旬の頬は次第に赤く染められていった。

 だからこそ、ますます旬の中に渦巻く葛藤が強くなっていく。この葛藤は、茜に相談することはできない。もし茜に旬の考えていることを知られてしまったら、茜までも悩ませてしまう。

 

 

 そして旬は葛藤を抱えながら、三日の時を過ごした。

 茜はこの三日間で、道士と菫のことを受け入れて頻繁に二人にも笑顔を見せるようになっている。

 もちろんそれは、道士と菫が茜に寄り添う努力をしたから。

 村に来て一日目は、食事の後は茜と菫は一緒にお風呂へ入り、一緒の布団で眠りについた。

 二日目は、昼に、旬を含めた四人で近くのお店に買い物へ行ったり、菫が茜に編み物や料理を教えていたりした。

 そして三日目の今日は、これまでの二日間と同じように、茜と菫と道士が一緒に過ごす時間を送っていた。

 何か特別なことをしているわけではないけれども、親と何かをするという普通の日常が茜にはとても楽しかった。

 学校に行きたい気持ちはあるけども、この場所から離れたくないという気持ちが、徐々に茜の中に生まれていった。

「よかった」

 三人が楽しそうに過ごしている光景を見て、旬がふと呟く。

 村に来る前は不安だったけれど、茜を幸せにしてくれる人たちがこの村にもいる。

 

 旬は覚悟を決めた。

 

 村に来て三日目の夜。旬は再び村長の自宅を訪ねた。

「夜分に突然すみません。村長さんに聞きたいことがあって来ました」

 中央に暖炉が備え付けられている、昔ながらの見た目をしている居間に通された。

「名前を言うのを忘れていたね。私の名前は朴月近江だよ」

 老婆は、用意した熱々のお茶を旬の前へと差し出しながら名乗る。

「改めて朴月さんにお話があります」

「何だい?」

 近江はお茶を口へと運び、どこか澄ました態度で話を聞く。

「鬼ヶ島が崩壊仕掛けているのは、地獄の門を抑えきれなくなって来ているからでしょうか?」

 旬の揺るぎない瞳を見て、近江が何かを悟った様子でお茶を床へと置く。

「その通りだ」

「その原因は、ゼツさんの死、ですよね?」

「・・・・・全てを、悟ったみたいだね」

 旬は無言で頷いてみせる。

「あんたの考えている通りだ。鬼の頭になるには、他のどの鬼よりも強くならねばならない。統率力があることよりもまず、圧倒的な強さがなければならないんだ。なぜだか分かるかい?」

「地獄の門を抑えるため・・・・・」

「そうだ。地獄の門を抑える力の大部分は、頭が担っている。ゼツは、人間界に来てからも抑え込む力は緩めることはなかった。だけど、あんたに力を受け継がせたことにより、抑え込んでいたゼツの力は今、消えた状態にある」

 ゼツは、鬼の力を全て受け継がせてしまえば、こうなってしまうことぐらい分かっていた。もちろん、理性をなくした化け物になってしまうことも。

 そして結果的に茜がいる世界に悪霊を放ってしまう可能性があることも知っていた。知っていた上で旬へと力の継承を行った。

 しかしゼツは、結果自分のせいで多くの命が傷つけられてしまうことになっても、大切な娘の大切な人を目の前で失わせることはしたくなかった。

 と言うより、ゼツは信じたのだ。

 旬が何があっても茜だけは守ってくれることを、そして———————

「そう暗い顔をしなさんな。実を言うとね、私はゼツの先祖みたいなものなんだよ。だけど、あんたのことを恨んでなんていない。あの子が決めたことだからね」

「———はい」

 旬は返事をしながらも、いつの間にか近江に対して頭を下げていた。

「ボクは、鬼ヶ島に行こうと思います。ゼツさんの力を引き継いだボクが地獄の門を抑えれば、鬼ヶ島の崩壊は止めることができるんですよね?」

「それは分からない。例えゼツの力を持っていたとしても、あんたはゼツじゃないんだ。少し、昔話をしようかね」

 近江はそう言うと、目の前の暖炉の炎を見つめる。まるで、目の前の炎から鬼ヶ島を連想するかのように。

「かつてこの村を悪霊から救ったという鬼は、初代頭であり、かつての私の夫だった。私は元々鬼集村と名のつく前のこの村で人間の少女として暮らしていたんだ。だけど、村を救ってくれたお礼として、私は最初の生贄に選ばれた」

 近江は、懐かしむような悲しむような表情を炎へ向けたまま続ける。

「かつての鬼ヶ島はただ住処で、地獄の門ではなかった。それから何十何百年と時間を重ねていき、初代鬼の頭は世界中に湧いている悪霊を鬼ヶ島に閉じ込めていった。悪霊は光を弱点とする。だから永遠と絶やさぬ炎を鬼ヶ島では燃やし続けているんだ」

 すると突然、近江の瞳から一滴の涙がこぼれた。

「え?」

 旬は思わず、驚いた声を上げてしまった。

「いつしかあいつは仲間の鬼を喰うようになってしまった。長いこと悪霊を集めるために悪霊に触れすぎたせいで、精神が侵食されていってしまったんだ。危険を感じた私は、彼の下から離れ、故郷であるこの村に自らの子供を連れて戻って来た。そして成長した息子は、自らの父を殺して次の頭になった。そうして時を重ねて十三代目の鬼の頭の座にゼツがついたんだ」

「そういえばさっきも思ったんですけど、鳥居の近くにあった石像は、十二体しかありませんでしたよね?」

 旬たちが始めに通った参道の両端には、狛犬以外に鬼の石像が左右で六、六の計十二体しか建てられていなかった。

「悪霊になってしまった初代の石像など、作れるはずがないだろ・・・・・」

 建てられていた石像は、初代を除いたかつての鬼の頭の石像である。まさに、鬼を鬼神と崇める想いの象徴となっている。

「鬼ヶ島が崩壊しかけているということは、鬼ヶ島に行けば悪霊の邪気に当てられ、あんたも初代とおんなじ道を辿る可能性がある。茜は、あんたの恋人なんだろ?」

「はい」

「あんたは茜を一人にするのかい?ずっと側にいたくはないのかい?元々巻き込まれただけなんだから、逃げてしまえばいいとは思わないのかい?」

 旬は少しの間黙り込んだ。しかしこれは、悩んでいる沈黙ではなく、再度、覚悟を決めるための沈黙。

「ボクは、ゼツさんと約束しました。茜のことをずっと側で守っていくと」

「そんなら————」

「だけどボクは、茜をひどい目に合わせたくないんです。傷つけたくないんです」

「あんたがあの子の下を離れることで、傷つけるとは思わないのかい?」

 近江の口調がだんだんと厳しめになっていく。

「これはただの自己満足かもしれません。だけど、自分に何かできるのに何もしないで茜を失ってしまうのならば、例え失望され、嫌われてしまうとしても、正々堂々と胸を晴れる存在でいたいんです」

 茜が旬のことを嫌いになることはないだろう。旬の中にはそれだけの覚悟があるということ。

 近江は、そこまで言い切る旬へと、諦めたような安心したような薄い笑みを向ける。

「それに茜には、ボク以外にも大切に想ってくれる存在がいますから」

「いい目をしているねぇ」

 以前の旬は、前髪に隠れていたが死んだ魚のような目をしていた。少なくとも自分ではそう思っていた。

 しかし、誰かを想う感情を知り、人間として成長した旬の瞳には光が灯っていた。

 

 直後、一昨日よりも少し大きめの揺れが村を襲い、揺れが収まっていくとともに鳥居がある方角から何とも言えない凶々しい気配を感じた。

 気配を感じた旬と近江が即座に石像が並べられている場所へ向かうと、鬼の形をした黒い何かが鬼の石像を食べていた。

「なっ⁉︎」

 旬の声に反応したそいつは、ゆっくりと旬たちに体を向けると、次第にゼツよりも数倍赤い肌が見え始め、その姿を現す。

「羅針剛・・・・・あんたなの?」

 近江がゆっくりと旬の前へ出ると、震えた声で目の前の存在の名であろう言葉を口にする。

『・・・・・・』

 目は白目を剥いており、口からは大量の涎と血液を垂らしている。見るからにまともではない。

「もしかして・・・・・さっき話していた初代、ですか?」

「ああ、もう二度とあんな姿は見たくなかったんだけどね」

 愛する者の残酷な姿を再度目の当たりにする近江だが、決して視線を逸らすことはない。

「おそらく、今の鬼ヶ島じゃあいつを閉じ込めておくのは無理だったんだろう」

 つまり、一刻も早く地獄の門を完璧に閉じなければ、羅針剛だけではない大量の悪霊たちが現世に出てきてしまう。

「今の私たちには、鬼ヶ島に悪霊を返す力がない」

 近江の全身が徐々に白くなっていき、肩までしかなかった白髪も背丈ほどに伸びる。そして両手の爪を異形に鎌の形へと変化させ、牙を剥き出しに羅針剛の悪霊を威嚇し始めた。

「かかってきな。私が終わらせてやる!」

『うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎』

 羅針剛が周囲の森に響き渡るほどの雄叫びを上げると、両手を前にぶら下げて、まるで血肉を求めた獣のように近江へと襲いかかった。

「あんたは下がってな。これは私のけじめなんだ」

 しかし、近江に羅針剛の鋭い牙が届く前に、旬の白く細長い腕が、牙を剥き出しにして突っ込んで来た羅針剛の口腔内から頭蓋骨をぶち抜いた。

「下がれませんよ」

「何?」

「おいお前。仮にもかつて一度は愛した人だろ?お前がこの人の命を奪ってしまう前に、ボクが消してあげるよ」

 そう言うと、旬の拳は次に羅針剛の胴体をぶち抜いた。

『ガッ』

 羅針剛の巨体は野球の球の速さで鳥居の方まで飛んで行った。

 それを追いかけるように旬はスタスタと羅針剛の下に歩いていく。

「本当は共喰いなんてしたくなかったよな?誰も傷つけたくなかったよな?愛する人の側にずっといたかったよな?」

 最後の言葉はまるで、旬が自分に向けた言葉のようだった。

「羅針剛さん。貴方はきっと心優しい鬼だったと思います。ボクはこれから貴方のことを消してしまうけど、貴方は悪霊にすら封印という慈悲をかけた」

 悪霊を集めて地獄の門に閉じ込めるのなら、消滅させてしまった方が楽に決まっている。鬼には、その力がある。

 しかし羅針剛は消滅ではなく、閉じ込めるという手段を取った。その結果、自身も悪霊になってしまったのなら単なる悲劇だ。

 力尽き、地面に座り込みながらドス黒い血を垂らす羅針剛の下に近寄ると、旬は自身の手に鋭い爪を生やして首をはねた。

「さようなら」

 羅針剛の体は、真っ黒い光となって消滅した。

「本来は私の役目だった・・・・・ありがとう。彼を眠らせてくれて」

 近江は旬へ深々と頭を下げた。

「頭を上げてください。もうこれは、ボクの役目ですから」

「そうか、そうだね。あんたになら、これから先の未来を託しても良さそうだ」

「はい。それじゃあ、ボクはもう行きます」

 そう話す旬の姿は、近江には寂しく孤独に感じられた。

「茜に別れは、言わなくていいのかい?」

「別れを告げたら、多分ボクはここに残ってしまう。ゼツさんに頼まれたからではなく、ボク自身が茜の側にいたくてたまらないから」

 旬は小刻みに震えていた。寂しさ、不安、恐怖を全て押し殺し、前に進もうとしている。

 そんな旬に対して、これ以上近江は何かを言うことはできなかった。

「そうだ。これを、茜に渡してください」

 旬が渡した物は、一通の手紙だった。

「分かった。必ず渡すよ」

「ありがとうございます。それじゃあ、お願いします」

 旬には鬼ヶ島への行き方が分からない。しかし、近江なら知っていると検討がついていた。

「本当、どこまで鋭い子なんだろうね」

 すると突如、何もなかった空間に白く輝く円形状のものが現れる。

「この先に、鬼ヶ島があるよ」

 旬は手を伸ばし、徐々に光の中へと体を沈ませていく。

「本当に別れを言わなくていいんだね?永遠の別れになるかもしれないよ」

「いいんです。ボクは必ず、茜の下に戻って来ますから」

 そう言い残して、旬の体は光の中へと消えてしまった。

「カッコいいじゃないか」

 

 光の中は、永遠と真っ白な空間がただ無機質に広がっているだけ。

 旬はひたすらに歩いた。しかし、歩けば歩くほど、決めた覚悟が緩んでしまいそうになる。そしてその度に、茜とゼツの顔が頭に浮かんだ。

 すると、頭の中へと何者かの声が響いた。

『お前の決断が茜を守ることになると信じたなら、迷わず突き進め。自分を信じろ!』

 何者かは、ゼツの声をしていた。

 気のせいだったかもしれないが、旬には確かに、今の言葉が届いていた。

 そうして旬はひたすらに前へ前へと歩き続け、鬼ヶ島に辿り着いた。

 

 

 約一年が過ぎた今日。明輝学園は卒業式を迎えた。

 放課後の教室。樹と緑は、かつての旬と茜の席の位置に座りながら言葉を交わしていた。

「結局、あの日から戻っては来なかったな」

「ですね。あれから連絡もつきません」

 緑と樹は、かつてのメールのやり取りを見返しながら寂しそうな表情を浮かべる。

「茜ちゃんと影宮くんがいなくなってから、私はまたひとりぼっちです。表面上は友達がたくさん増えましたけど、寂しいです」

「俺がいるじゃんか」

「樹くんには、吉祥寺さんと言う素敵な彼女さんがいるでしょう」

 樹の猛アタックの結果、二人は三年生の始め辺りから交際を始めている。

 しかし緑には恋人もいなければ、心の底から友達と呼べる存在も樹と旬、茜の三人しかいない。

 旬と茜がいなくなり、樹が吉祥寺と交際を始めてからというもの、緑はより孤独感を味わっていた。

「そういえばさ、この後五月さんに挨拶しに行こうと思ってるんだけど、緑も来る?」

「濁しましたね。そうですね、久しぶりに五月さんの手料理も食べたいですし行きましょうか」

 

 樹と緑は、三年間過ごした思い出の学校を後にすると旬の家へと向かった。

 すると、マンションの入り口から一瞬目を疑ってしまいそうな懐かしい存在が現れた。

「茜ちゃん——————」

 緑が小さく名前を呟くと、彼女は緑たちへと視線を向けた。

「緑」

 緑は咄嗟に駆け出すと、そのまま茜に抱きついた。

「茜ちゃんのバカ!どこに行っていたんですか!本当に心配したんですよ」

 茜は知っている。緑は滅多に涙を見せない強い子だと。その緑が今、小さな子供のように涙を流している。

 茜もつられて涙を流した。

「よぉ、久しぶり。旬は一緒じゃないんだな」

 緑と違って冷静な樹は、旬がいないことに違和感を覚えたらしく、どこか落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見回してる。

「二人とも、実は今日、話したいことがあって帰ってきたの。もう、五月さんには話したわ」

「それは、天界さんたちが一年以上も消えていたことと関係ある話だよね?」

「ええ、少し場所を移しましょ」

 そうして三人は、近くの人気のない公園のベンチへと腰を下ろした。

「約一年前、私の家が火事になった事件を覚えている?」

「衝撃的なニュースだったからね。忘れられないさ」

「あの時、報じられていた鬼についてなんだけど・・・・・実は私の父親なの。私は人間だけど、鬼でもあるのよ」

 茜は樹たちとは目を合わさずに、どこか怯えた様子で切り出した。

「天界さん。怖がらなくていいよ。何があっても俺たちは天界さんの味方だから全部話してほしい」

「・・・・・分かったわ」

 茜は逃がしていた視線をしっかりと樹たちに合わせると、自分が人間界に来た理由や自分のせいで旬を鬼にさせてしまったこと、旬が茜たちを守るために鬼が集う鬼ヶ島に行ってしまったことの全てを打ち明けた。

「そんなことがあったんですね・・・・・」

「全くあいつは——————」

 その後の樹の言葉は、涙となって現れた。

「実はもう一つ、二人にお願いしたいことがあるの」

 茜は服のポケットから開けた形跡のない一通の手紙を取り出した。

「旬が最後に残しっていった手紙なんだけど、一人で読むのはどうしても勇気が出なくて」

 旬が茜に対して最後の想いを残したのだとしたら、茜が一人で読むべき物である。そのことは、茜自身も分かっている。

 茜は旬がいなくなった日の夜。近江とのやり取りを盗み聞きしていた。もちろんそんなつもりは一切なかったが、聞こえてしまった。

 つまり茜は、旬を自分の意思で送り出したのである。辛い気持ち、寂しい気持ち、不安な気持ちを全て抑えて、旬の覚悟を見届けることに決めたのだ。

 だから茜にとっても、旬と最後に顔を合わせずに済んだのは、茜にとっての決意を揺らがせないためには良い選択だったと言える。

 そのため、怖くてしょうがなかった。この手紙には、旬に会いたいと強く願わせてしまうような内容が十中八九書いてある。手紙を読むことで、ゼツを失った時みたいに自分を見失ってしまうかもしれないのが怖かった。

「二人にも一緒に見てほしい」

「天界さんがそれでいいなら、俺はいいよ」

「私もです」

 そうして茜はゆっくりと手紙を開いた。

 手紙には、茜だけではない樹や緑、五月に対するメッセージまでもが書かれていた。

 樹に対する親友になってくれたことへの感謝のメッセージ。

 緑に対するこんな自分を好きになってくれて、それでも大切な友達として側にいてくれた感謝のメッセージ。

 五月に対する自分を救い、母親になってくれたことへの感謝のメッセージ。

 そして最後に短く一文だけ『暗かったボクの人生に光を当ててくれてありがとう』と書かれていた。これは茜に向けたものであり、茜に対しては伝えたい気持ちがあり過ぎて、一番想いを伝えやすい形で書いたのだ。

「———旬」

 茜の瞳に溢れた涙がこぼれ落ち、手紙の文字を滲ませていく。

 もう一度読み直すことのできないくらい滲んでしまった。

 旬が最後に手紙と一緒に近江に託した「必ず戻る」という言葉は、茜には伝えられていなかった。

 それは近江なりの優しさであり、旬にしても託したつもりはなく、決意表明としての独り言だったのかもしれない。

 

 

 十年後。

 

「お母さん。この赤い髪の人はだ〜れ?」

「これは樹って言ってお母さんの高校時代の友達」

「ねぇねぇこれはこれは?」

「これはじゃなくて、この人ね」

 茜は二人の娘に挟まれながらリビングで寝転がり、緑から貸してもらった卒業アルバムを鑑賞している。

「あれ?お父さんがいないよ?」

「そうだねぇ」

 茜はニコニコと楽しそうな笑みを浮かべる。

「お母さんはお父さんのどこが好きなの?」

 唐突な娘からの質問に、茜は目を見開く。

「やっぱり顔?」

 娘の容赦のない言葉に驚きつつも、間違ってはいないので否定はできない。

「確かに顔もカッコいいけど、それだけじゃないよ。自分を犠牲にしてお母さんを守ってくれるところとか、お母さんのために頑張ってくれるところとか色々あるわ」

「へぇ〜」

 割と真剣に答えたのにも関わらず、興味のなさそうな娘の反応にため息をつく。

 

 

 ピンポーン———————————。

 

 

 インターホンが鳴り玄関へ向かうと、娘を連れてドアを開ける。

「お父さん!」

 扉の先にいた男性はニッコリと優しい笑顔で微笑みかけてきた。

「ただいま」

 男性は茜に対してとても愛おしそうな瞳を向ける。

 そして茜はとても嬉しそうに口角を上げて笑った。

「————おかえり。旬」

 

 

                



                完結。

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鬼に育てられた子は世界を知る 融合 @BURNTHEWITCH600

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