Don't forget me.

「二度と会いたくないし、顔も見たくない」


 彼女は席を立ち、僕の前から逃げるようにしてカフェを出て行った。ありがとうございましたと告げる店員の声を聞きながら、僕は店の片隅でひとり、半分以上残っている紅茶をぼんやりと見ていた。


「顔も見たくないのかぁ」


 声に出すと、思っていた以上に気持ちが落ち込んだ。

 楽しかった頃の記憶の断片が、呼んでもいないのに勝手に現れては僕の心臓をつつく。


 二人で行った、味噌ダレで食べる餃子の店。

 二人で見た、川縁かわべりに立つアオサギ。

 二人で触り合った、自分のものではない手。


 好きで好きで、ただ大切にしたいだけだったのに。

 

 想いを綴ったメッセージに既読が付かなくなったり、バイト先に迎えに行っても違う出口から帰られたり、女友達が張り付くようにそばにいて近付くことさえ出来なくなったりしたけど、僕はそれでも君が僕の彼女でいてくれさえすれば、それで良かったんだ。


 まだ大丈夫と思っていたのは、僕だけだったのかな。

 

 糸のような細さでかろうじて繋げていた『好き』の気持ちが、一方的にぷつりと切られて垂れ下がる。痛いな。哀しいな。

 でも、いつまでもこうしてぼんやり座っている訳にはいかない。


 店を出ると、生温なまぬるい空気が肌にまとわりついた。天気が崩れる気配がする。

 

 今日が雨だと知っていたなら、ナイフを持ってきたのに。


 スマートフォンを開いて彼女の現在位置をGPSアプリで確認する。この感じからすると目的地は駅で、そこから移動してお気に入りの服屋にでも行くのだろうな。言いたいことを言ってスッキリしたところで、楽しく買い物って感じか。

 

 その無防備ですぐ油断する癖、やっぱり好きだな。

 

 さぁ、気を取り直して刃物を調達したら、彼女の家の近くで待ち伏せして驚かせてやろう。


 びっくりしたと笑ってくれたら、痛くないように一カ所を深く。

 怖がって泣かれたら、痛みで怯えを消すために何カ所も浅く。

 雨が降れば血溜まりも足跡も、僕の涙も彼女の叫び声も、何もかも消してくれる。

 僕の上にも、彼女の上にも、どんな人の頭上にも雨は等しく降り落ちるから。

 

 ねぇ。


 僕のこと、好きじゃなくてもいいからさ。

 せめて君が最期に見る景色ぐらい、僕の笑った顔にさせてよ。

 こんなにも君のことが好きで仕方なかった僕の事を、忘れないで。

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