魹のお釈迦さま

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魹のお釈迦さま

 こうえらいさぶい所にまで来てもろてありがとうございます。夜明け前の岬なんて風はビュウビュウ吹くし寒いしで、おっても気持ちいいもんでもないでしょうけども。見てのとおり灯台以外何もない、だだっ広い岩ばっかりのところですわ。あちらは山、あちらは海。月は……もう沈んでますわな。


 天気がええのは良かったです。流石は西高東低で、北の雪国とはいえこないに気持ち良く晴れてくれる日があるわけでしょう。真っ黒い空が段々紺色に紫色になって、もうじき空の端が明るく染まって、いよいよ水平線の向こうからお天道さまが顔を出すって寸法で。こない岩の切り立った辺りに座っとると、ほれ、もう向こうの水平線のあたりがしらじら明るくなって、海の水がきらきら光っとるのが見えまっしゃろ。


 風がずーっと吹いてますな。ビュウー、ビュウー、……遮るものが何も無いと音が乱れんで同じ調子で聞こえる。後ろの山の方からドウドウ聞こえてこんかとも思っとったんですが、この時間だと風の子はまだ眠ってるんですかいな。こんなぺんぺん草も生えない岩場やと、吹き飛ばす胡桃もあらしまへんが。


 寒いでっしゃろ? アイリッシュ・コーヒーでも一杯どうです。濃ゆく淹れたコーヒーにウィスキーを入れて、砂糖も仰山混ぜた飲みもんでしてな、本式は生クリームも入れるらしいですが今回は抜きで……。ほれ、このリュックの脇に差した水筒に入っとって、すぐ取り出せます。水筒の蓋がコップ代わりになりますさかい、さ、一杯どうぞ。


 なんでも昔、飛行機の燃料補給で待たされた客のために、体をポカポカあっためたろうって作られた飲み物らしいですわ。


 大西洋を横断する飛行機便が、カナダとアイルランドで二回給油せんと目的地まで行けんかったとかで、ヨーロッパに行く東向きのプロペラ飛行機が目的地間近で一回停まるはめになる。今日びのジャンボジェットなんかとちごて隙間風はキツいし、滑走路から飛行場の建屋まで距離もあるしで、乗客全員まあカッチカチに凍えるわけですわな。そこで空港のパブのマスターが気を利かして、コーヒーに地場のウィスキーと砂糖とクリームを入れて、さあどうぞと。苦味と甘味とアルコールの刺激で冷えた体もポッカポカになるって寸法ですわ。これが中々評判になって、メリケンの酒場でも出すようになったとか……


 旨い? いやあ良かった良かった。どれ自分も頂きますわ。……コーヒーを濃ゆくしたんが正解でしたな。


 甘い香りがしますやろ? これが本場のアイラモルト仕込みって奴で。どれ崖下の波間にもくれてやりましょ、気の利いた御神酒やんな。


 もう一杯? ええもう、ドシドシ。水筒一本分丸ごとありますさかい、飲みたいだけ飲んでもろて、体ポカポカあっためてお日さん迎えましょ。わざわざこないとこまで来てもろて、お目当てのものに会えなんだらことでっしゃろ。お目当てのものが来たとき、その瞬間、こちらが迎え入れる体勢を作っておかんとあかんのです。


 大丈夫、じーっと待っとれば必ず来まっせ。冬至の朝、この日の晴れ間、然るべき時と場所であちらさんとこちらが繋がって使いが来ます。何せ本州の東の果てですさかいな。


 この国の外、別の世界に繋がる門、半分別世界みたいなもんです。昔は陸奥出羽の海岸に人面魚が流れ着いたちゅう話もあります。紀伊の南の果てじゃ坊さんがでっかい桶に入ってお経唱えながら海に流されるなんてのがしょっちゅうありました。実際本州やと一番南ですし、昔の人は日本で一番南にあるのは鹿児島やのうて和歌山やと思っとったらしいんですな。


 浄土、つまりこことは別の世界ですわ、そこと繋がれるのは地の果てです。浄土いうてもあの世とちゃいます。阿弥陀如来は西方極楽浄土、薬師如来は東方浄瑠璃浄土、あっちこっちの別の世界にお釈迦さんがおって、ありがたい教えを説いていらっしゃるんですな。お釈迦さんたちはみんな、自分の世界の中心の高い山におって、そこからありがたい教えをその世界じゅうにでっかい声で語り聴かせていらっしゃるということです。いわゆるあの世とは別もんです。あの世はただあの世で、死んだ人だけがおって、西や東にはあらしまへんやろ?


 そこへ繋がる門、みたいなもんが、ある時ある所でだけちょびっと開くわけです。その場所が例えばここなんですわな、地の果て、東の果て、岩だらけの岬、とか。


 喋っとる間にお日さんがぼちぼち上がってきとるやんな。見えまっか? 日の出が赤ないのはええ兆しですわ。カスタードクリームを引き延ばしたみたく薄い黄色して、縁起がええ色です。東の空がああして明るい色に変わって、黒い海の波が照らされてきらきら光って、その間を縫って使いが泳いでくるっちゅうわけです。おや、コーヒーが切れてますわな。ささ、もう一杯。


 何、ええ、海から来ます。空からは来ません。


 絵巻物だとお釈迦さまが雲に乗ってフワ~っと舞い降りてくる? それはそうです。でもここだとそうもいかへんのです。


 自分らが住んどる地面は、真ん中に山があってあとは全部平べったくて、周りを海が囲んどる、膨らんだフリスビーみたいな円盤が宙に浮いとるんやと、インドの偉いお坊さんは思っとったんですが、使いの皆さんもそれに合わせていらっしゃる。つまり世界の端の方……陸を囲う海から来るお作法になっているみたいなんですわ。


 お天道さまが水平線を離れますさかい、そしたら門が開きます。


 見えますやろ、水平線の下の波がきらきらぎらぎら、ゆらゆらがちゃがちゃ、震えながら光っとるんが。


 ああして銀色に光っとるんがあちらさんからの使いです。


 大名行列みたいなもんで、初めに来るんは下っ端です。ああしてぎらぎら波の下を輝かしながらこの岬まで来て、そこへ次から次へと使いが押し寄せて、ずらりと並んだ眷属に囲まれながら最後にここまで来るちゅうわけです。


 下っ端どもの最初のひとつ、これが一番槍で、向こうに入るんにどうしてもいりようになります。来たらこっちで下準備をしますさかい、ワイの言うようにしてくれれば、その後もうまくいきます。


 アイリッシュ・コーヒーもう一杯、いかれまっか。どれ注ぎまひょ、トクトクトク……ちょっと失敬、一口いただきまっせ。……うん、旨い。さ、グイッと。


 この後何やるか? それは……見ればわかります。そのまま流れでやってもらえればええですさかいに、大船に乗ったつもりで体あっためといてもろて。


 ワイもこの仕事をして長くなりますさかい、あちらさんと縁が結ばれておるようでしてな。さっきも今も、水筒の蓋に注いだコーヒーを一緒に飲んでくれましたやろ、あんさんにもこれで向こうとの縁が結ばれましてん。一番槍をええ感じにしたらもううまいことあちらへ渡れます。


 ワイはあちらへ行きまへん。ただの水先案内人、あちらへ人を向かわすだけの渡し守ですさかい。


 もう何人も何十人も東へ渡らしてきましてん、詳しい人数まではワイも覚えとらんですが、もうざっと二十年やってますわ。親父から継ぎましてん、そら儲かりまへんが儲けでやっとるわけでもなし、言ったら裏の家業ですさかい、やめるわけにもいきまへんで。オトンも四十年はやっとって、ほいで何十人と人を向こうに渡らしたゆうてましたわ。神戸の地震ン時も頼まれた言うてここまで車飛ばして行きよりましてん。


 オジンも、オジンのオトンも、そのまたオトンも、みーんなやってきとるんです。


 せやからワイもオトンらとおんなじようにやるだけです。


 ……銀色の列がこっちに来るんが見えまっしゃろ? 列が段々太くなってってるんが見えますわな? 下っ端の使いから新米上がり、小慣れてきたの、中堅、課長に部長、飛んで大親玉……とこう、皆さんぞろぞろと来るわけです。あの列の最後に、さっきあんさんが言うたお迎えのお釈迦さまと同じ、あちらの世界のヌシが直々にお出迎えにいらっしゃいます。


 さあどんどん速くなりまっせ。あの使いの列はあちらの速度で進みましてな、具体的に言うと最後尾にいるヌシの目の見え方そのまんまに使いの皆さんも渡ってくるんです。


 長い一本道に立っとる街灯なんか見ると、遠くにあるやつほど間の距離が短く見えまっしゃろ。それとおんなじで、ヌシから見て遠い所に行くほど、その見かけのまんまに距離が短いことになるんですな。すると一番最初にいる連中はもうどえらいスピードで進むことになるっちゅうわけです。


 ほら、ぐんぐん来よる。もう一番槍が崖下におりますわ。


 ちょいと離れとってください。崖下からひとっとびに飛んできますさかいに。


 さあさあ、上がってきとくんなはれ……ほら来た!


 見まっか? どえらい形してまっしゃろ。ここが頭、胸鰭、背鰭、尻尾に尾鰭もありますわな。頭はちゃんと目ェが左右にある、DHAタップリ入ってそうなまん丸い目ェで。ちゃんと口もあって、中には歯も生えとる。奥の方見ますと臼歯も生えておる。普通の魚と違いますさかい、水から出てもビッタンビッタン跳ねません。いろてみまっか? 濡れとるとザラザラしとりますやろ。鱗やのうてこわい毛ェが全身に生えとりますねん。毛ェ生えた魚です。ちょうどこの岬の名前と字面はおんなじですわな。


 あんさんも三重くんだりからはるばる来てもろて、名前くらいは調べましたやろ? 日本本州最東端、魹ヶ埼とどがさきの魹の字ィそのまんまのもんが、こうして来ます。


 道具はこっちで用意してますさかい、慌てんと見とくんなはれ。早速やりまっせ。


 まず腹ァ開けて肝取ります。この肝は焚くと鼈甲の香りがする云うてその筋では高く売れますねや。


 身を清めた水で洗います。青黒い血がでてますやろ。今は洗い流した方がええです。ついでに細っこい肋骨あばらぼねも取ってまうとええですわな。


 それから三枚に下ろします。皮の毛は取りません。ほら、断面見ますと皮と身の間にナタデココみたいなブヨブヨしたのが見えますやろ。これが中と外を分けるクッションになっとって、お皿代わりにも使えますねや。


 取れましたら身をブヨブヨから切り離します。よく研いだ包丁を間に入れればスゥーッと身が離れますさかい、あとはブヨブヨの上に置いて薄切りにしていくだけです。


 そう、この身の色、鯛みたく白っぽいでっしゃろ。ぼんやりと青白い色しとるんがわかりまっか。


 こいつを食ってもらいます。


 使いの一番槍は他と違う言いましたやろ。後から来るのはみんなお迎えですが、こいつだけは贄です。ほんで、これからお迎えするお相手に、あちらさんの食い物を腹へ収めてもろて、あちらの世界との縁をより強く結んでもらう必要がありますねや。


 あんさん生身であちらへと渡りたいんでっしゃろ。せやったらちょいと気味悪いぐらいで、向こうさんの用意した贄、魹の活け造りを食いたないなんてのは通りませんわな。


 ワイはもう半分おろしよるさかいに、その間にまずこいつを食っといてください。


 見てのとおりどんどん日が登ってます。もう中堅の使いが水面から顔出してこっち来よるんが見えまっしゃろ。海賊船のマストみたいに見えますんはえんべらに骨のある烏賊の使い、潜水艦みたく黒うて丸いんは毛の生えた海豚の使い。奥のいっとう大きいんは全身に棘の生えた鯨の使い。


 ぼちぼちあちらのヌシさんがいらっしゃいますさかい、あんさんもはよう手づかみでいったりや。口酸っぱく言わしてもらいまっけど、生きながら浄土へ渡りたかったら、あちらのもんを指と舌で、全身で味わわんなりまへんで。お、いかれまっか。よし! よし! よう食った! はい次!


 食い終わったらそこにおいたペットボトルの水飲んで、そう、その清めたやつです、ほんだら地べたに平伏ひれふしてください。言いましたやろ、魹のお釈迦さんが来はります。


 地べたに正座して、頭を低ゥくして、デコを岩に付けて、土下座の姿勢でお迎えしてください。あんさんが今から渡る浄土のあるじ、主宰者が、直々にお出迎えしてくださるんでっせ。


 さっき一番槍が来ましたやろ。崖の下ァ覗き込みますと、もう使いの下っ端の皆さんがうじゃうじゃいらして、尾鰭で水面をバシャバシャ叩きよってからに、朝日で青ゥ照らされとる水が、真っ白い泡でグツグツ湧き立っとりますわ。棘の鯨の使いさん、毛ェ生えた海豚の使いさんもいらして。


 ああ聞こえまっか、裸のマストの烏賊の使いさんは、漏斗でピイヒャラと笛吹きましてん、異界の楽音いうやつですわ。それから蛸の使いさんも、コウモリダコみたく頭にヒラヒラを生やされましてん、朝日に負けんぐらいビカビカと体の色を変えて、自分で光っとるみたいに見えますわ。


 昔大阪湾で、坊さんの寺でやるのと同じ音楽が聞こえてきて、しかも怪しい光線が見えるとか、そんな話を読んだことがありまっけどよ、ワイはこの使いさんの姿を見るたび聴くたび、いっつもそれを思い出しますのや。あんさん知りまへんか? 日本書紀にも書いてありまっせ。


 なるほどあんさんはあちらを浄土だとは、そんな思っとらんわけですわな。単に別世界への特急券ぐらいに思うてはる。


 や、今更根掘り葉掘り聴いたりしまへん。ここまで来る方はみんなそういう星の下におって、こうして岬に立つ、跪く頃にはもう覚悟も決めてる人です。それにあんさんは中々インテリ風や、インテリがイヤミたらしかったら学究肌のお人や、外国の似たようなものについてもお詳しいらしいのはわかりまっせ。徐福道士の蓬萊島渡り、新世界テラ・ノバの猫の町ウルタール……確かにそういうんとワイが渡す東の浄土は違います。そういうもんやったら、食事なんぞせんでも、鍵の一つであちらに行けますわな。


 浄土いうと、何やらハッピーな雰囲気がありますわな。勿論違ちゃいます。あちらはこちらとは別の世界です。浄土いうても温泉に浸かって極楽極楽と、そんな呑気なもんやあらしまへん。


 ただ、あちらとこちらはちゃうルールで動くとしても、あちらがあちらなりの善し悪しの物差しを持っとることもまた事実ですねん。


 あちらのお釈迦さんは来るもんは拒みまへん。ほんでもあちらなりの仕方で目一杯歓迎します。その「あちらなりの仕方で」ちゅうとこを、頭の片隅にちょこっとでも置いといてもらえたらと、これはワイからのお節介です。


 そのまま姿勢は低くしとってください。いらっしゃいましたわ。


 日がすっかり水平線を離れて、海面が黒く盛り上がって、獣の顔が見えます。禿げた頭、ギョロついたる三つの目、細い髭の生えた顔。顔は上げんでください。おろがんだらあきまへん。見て話すんは渡し守の役目です。


 髭の下には口があります。唇のない薄い口で、その上に生えた疎らな髭がダラーンと胸まで垂れておられる。


 首から下はトドかヒトか区別がつきまへん。肩から生えた腕の先にある指は胡獱トドの鰭の形に平たく延びて、脇腹から人の手が、鰭の代わりとばかりに飛び出しとります。


 脚はこっからは見えまへん。萎えてうなっとるんか、くっついた尾鰭を丸めておられるのか。結跏趺坐を組んでおられるなら、ヒトの脚でも畳んで見えます。


 ようこそ、ようこそおいでくださいました、


 小人凡愚、伏して拝み奉ります、


 高陵よりのりを弘めたる主宰者、獣の貴賓の御方、


 こちらにおわす凡夫、魹形を割いて浄土の醍醐を食い、


 渡し守と甘露を交わして、其方に結縁し奉ります、


 汐風、息吹を浴び、東方の薫香に浴して、


 梵音を伺い、妙光を観奉りて、


 囲繞せる眷族に頭を垂れ、


 畏み畏み白し侍る、


 之なる凡夫、大慈大悲もて、東方獱陵浄土へ召し去り給へかし――

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