第5話アデリーヌとマリー魂の綾

アデリーヌとマリーは今まで以上に治療に取り組んでいた。一般的な治療は教会での祈りと祈祷。しかし、アデリーヌの治療は難航を極めた。教会の治療はアデリーヌの両親が拒否したし、祈祷師の治療は全く効果がなかった。マリーはアデリーヌに語りかけた。「お嬢様の心の中に宿るのは、痛みと共に歩む私の姿なのです。祈りや祈祷ではお嬢様の痛みは癒されません。お嬢様が全てを受け入れ、自分自身を見つめ直すことこそが、本当の癒しとなりましょう。」


そんな或る日、アデリーヌとマリーの対話の中で、新しい道筋が見えてきた。それは、この地に伝わる"魂の対話"の実践だった。「私たちは長い間、お互いに向き合い、会話を重ねてきました。」マリーはアデリーヌに語りかけた。「それが私たちを今の場所に導いたのです。お嬢様は自分自身を受け入れ、愛するようになりました。そして、私もお嬢様の魂の一部なのです。」アデリーヌは自分自身の奥にある魂との会話をより深めていった。マリーは自分の内なる魂に宿る、受容と愛の象徴だったのだ。支配や抑圧ではなく、魂の内なる対話こそが真の癒しの道だった。


マリーはアルトと二人きりで話をした。マリーとして確かに自分はここに存在するけれど、でもほんとうはマリーではないのだとわかっている事。アルトがお嬢様を思っていることも。そしてマリーの存在があるからアルトがアデリーヌを諦めていることも。アルトは強く否定したが、マリーは誤魔化せなかった。アルトはこの新しい道筋を理解し、遠い地から魂の対話の達人を招き入れた。そしてアデリーヌは、マリーとの対話を通じて、自己受容と魂の統合への長い旅に着手したのだった。


魂の対話の達人ガーネットが遠い地から召喚されると、アデリーヌの回復に向けた新たな取り組みが始まった。ガーネットはまず、アデリーヌとマリーの特別な関係を理解する必要があった。


ガーネットはアデリーヌを静かな部屋に通し、深い瞑想の後、二人の対話を見守った。アデリーヌとマリーの魂の深い絆が明らかになるにつれ、ガーネットは驚きを隠せなくなった。「この絆は、まれにみる強いものですね。」ガーネットは言った。「あなたの内側に、守り導く何かが宿っているようです。」


その後、ガーネットはアデリーヌとマリーに、魂の対話の技法を教え始めた。まず静かな環境を整えること、そしてリラックスした姿勢を取ること、次に深呼吸を行うこと。対話の目的や質問を明確にすること、オープンな心を持つことを学んだ。二人は、互いの内なる声に耳を傾け、心の奥底に潜む思いを共有し合うことを学んだ。


しかし、この過程はけっして平坦なものではなかった。アデリーヌの心の傷は深く根に残っていた。マリーとの対話の中で、彼女は過去のトラウマと向き合わねばならなかった。マリーの姿が火の手に絡め取られ、濃煙に呻く幻がまぶたに焼き付く。現実ではないのに、その映像が視界から離れようとしない。目にしていないはずの情景が、アデリーヌの胸を痛ませ苦しめた。後悔、悲しみ、苦しみ、孤独、彼女の心の中に詰まった感情の塊が次々と顔を出した。


マリーは包み込むように優しくアデリーヌの心を受け止め、寄り添うように共に歩んだ。途中でアデリーヌは厳しい試練を幾度となく乗り越えなければならなかった。「お前は伯爵家の血統たる家の娘などと謂わない事です。お前は無知で愚かな母親そっくりの存在に過ぎません。いくら努力を重ねようと、お前のような雑種穢れ種に家督相続の資格はありません。跡取りとなるべき者は、我が純血の親族のみです。お前はただ、子をなせば良い。この屋敷の全てが跡取りの物、つまりお前にはこの屋敷のいかなる権利も与えられぬということです。お前の存在そのものが穢らわしい罪であり、我が伯爵家の恥なのです。」亡くなったお祖母様の声が今もなお耳の奥に残る。


何度も涙を流し、それでも前に進み続けた。


アルトはアデリーヌの治療に同席して、その過酷な過去を聞くたび、胸が熱くなるのを覚えた。本来ならこういった治療は本人のみが普通らしいが、アデリーヌとマリーがアルトの同席を強く望んだのだ。マリーの死によりアデリーヌの心が壊れてしまったあの時、アルトは彼女の笑顔を取り戻すことを誓った。その瞬間に芽生えた恋心は今や、燃え盛る想いとなり、アルトの胸中を熱く染めていた。


ガーネットも付き添い、アデリーヌに瞑想の指導からゆっくりとはじめた。「まずは目を閉じ、呼吸に意識を向けましょう。吸う息に"す"、吐く息に"~"と心の中で呼びかけてみてください。」ガーネットが導き、アデリーヌは徐々に気持ちが落ち着いていくのを感じた。「良くできました。今度は、この質問に心で答えてみてください。"私は今、何を求めているのだろう?"」アデリーヌはその問いに心のなかで答えた。


治療中に行われるマリーとの対話もとても大切でアデリーヌはマリーと話をする事でとても落ち着き安心した。マリーのおかげで治療の苦労も乗り越えられているのだ。


次の日はアデリーヌとガーネットは森の中を歩きながら、自然との対話について説明した。ガーネットがアデリーヌに言った。「木々の鳥の声、風の音。この自然の響きに耳を傾けてみましょう。何かメッセージが聞こえてきませんか?」アデリーヌが目を閉じると、木々からなにかが語りかけてくるようであった。


眠る前にガーネットは「夢には、潜在意識からの大切なメッセージが隠されています」と言った。目覚めて落ち着いた頃にお茶を飲みながら「最近の夢の中で、印象に残っている出来事や象徴を書き出してみましょう。そこに何か意味があるかもしれません。」アデリーヌはペンを走らせ、徐々に夢の意味が見えてくるようであった。


マリーはアデリーヌとガーネットのやり取りを静かに見守っていた。アデリーヌが辛い時は励まし、悲しい時は一緒に泣いた。ガーネットは的確な言葉でアデリーヌだけではなくマリーも導いていった。


徐々にではあったが、アデリーヌの心に平穏が訪れ始めた。マリーとの対話やガーネットの指導を通して、彼女は自分自身の本当の気持ちを受け入れられるようになっていったのだ。


やがて、ガーネットはアデリーヌに最後の提案をした。「お嬢さま、魂の完全な統合を図る時がきました。マリーとの対話によって、あなたの魂は整えられましたね。そろそろ、二つに裂けた魂を一つに合わせる最後の儀式を行いましょう。」


アデリーヌとマリーは、この提案を心の底から受け入れた。二人の魂は、もはや分かちがたく深く結ばれていた。そして最後の統合の日が訪れた。


ガーネットの導きの下、アデリーヌは古の秘儀に導かれた。夜の参籠により、魂は深い瞑想の境地へと入っていった。


ガーネットは静かに淡々とし、かつ力強い声で呪文を唱え続けた。やがてアデリーヌの身体から力が抜けて椅子にもたれかかった。


アデリーヌとマリーは、いつもの部屋のソファーに、並んで座っていた。目の前に、突如として神々の門が開かれた。そこは魂の世界でもあり、同時に内なる自己との対話の場でもあった。「さあ、二人の魂よ。」ガーネットの声が部屋に響き告げた。「この門を潜れば、あなたたちは永遠の一体となれる。しかし、そこに行く前に最後に互いの思いを確かめねばなりません。」


アデリーヌとマリーは顔を見合わせた。熱い絆が、二人の目から伝わってくる。「マリー。」アデリーヌが口を開いた。「私にとってあなたは、闇の中で輝く光でした。私を支え、導いてくれました。今こそ、私たちは永遠の絆を結ぶべき時です。」「はい、お嬢様。」マリーが微笑んだ。「私はお嬢様の一部、そしてお嬢様は私の全てです。悲しみも喜びも、すべてを共にしましょう。この一体となる道を歩みたいと願っています。」


二人は互いに手を取り合い、そして神々の門をくぐり抜けた。


瞬く間に、アデリーヌとマリーの姿は光の渦に飲み込まれた。やがてその光は一つに収斂し、たったひとつの魂の姿となった。完全に統合された、新しい一つの存在が誕生したのだ。椅子にもたれていたアデリーヌの瞳から涙が溢れた。背筋を伸ばしたアデリーヌはそっと胸に手を当てた。もうマリーの声は聞こえない。けれどもマリーの思いや優しさは確かに感じる。まるで霧が晴れたように心も身体も清々しいのだった。


ガーネットは温かい目を向けてその姿を見つめていた。「揺るぎない信頼と愛情に包まれたこの魂に、私から心からの祝福を。」そう呟きながら、ガーネットは深々と頭を垂れて、言ったのだ。「まだ、これで終わりではありません。この融合した魂が身体に馴染んでいくまでにはまだまだ時間がかかります。そ れまで暫くこちらに私はいます。」


アデリーヌとマリーの魂は統合された。統合された魂にはそれぞれの記憶は残されていたが、独自の意思はなくなっていた。アデリーヌはその統合された魂のまま、以前と変わらぬ姿と記憶を持って生きていた。アルトもそのことを受け入れ、深く愛しつづけた。


やがてアデリーヌとアルトは結婚し、夫婦となった。ガーネットも二人の門出を祝福した。統合された魂ゆえに、アデリーヌの人格は変化したかもしれないが、アルトにはそれはどうでもよかった。大切なのはアデリーヌの内側に宿る魂を愛し続けることだった。


結婚後、アデリーヌはアルトに対しての真実の愛に目覚めた。自分のエゴや執着心を手放し、アルトの幸せを第一に考えられるようになった。食事をするだけでも愛に満ちていた。


愛するアルトと過ごす食事の時間は、この上ない至福の時です。お互いにうっとりと見つめ合い、言葉にならない愛を確かめ合っています。アルトと出会え、結婚できたことに心から感謝しています。いくつもの試練が待っているかもしれませんが、アルトさえいれば乗り越えられると信じています。これからも二人三脚で手を重ね合い、共に歩んでいきましょう。アルト、あなたは私の人生の全てです。


アデリーヌの心はアルトに対する無条件の信頼と愛情に満たされていた。二人はお互いの愛情をいつもどこにいても感じ、言葉を交わさずとも深く理解しあえた。価値観の違いもあったが、お互いを受け入れ合った。ネガティブな感情は芽生えず、寄り添う喜びを感じていた。


アデリーヌは仕事面でも大きく変化し、今までの価値観からは想像もつかない新しい世界を切り開いていった。アルトは変わらずアデリーヌを支え続け、二人三人と子供にも恵まれた。


試練は尽きることなく訪れたが、統合された魂は決して離れ離れにはならなかった。ガーネットも見守ってくれている中で、二人は幸せな日々を過ごしていったのだった。





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見捨てられたお嬢様 夢花音 @svz

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