第53話 なお、助けてもらったバロールはビビった
ロングスカートの中。
そこは空洞ができており、毒に汚染されていない清潔な空気が存在する場所である。
アルテミスはその中にバロールを引き入れ、毒から彼を守ったのだ。
なお、体裁は一切考慮されていない。
傍から見れば、バロールは自分のメイドに対し、スカートの中に顔を突っ込ませているド変態である。
生き残るためなら何でもやる覚悟がある彼だが、他人からの目、評価というものも恐ろしいほどに気にする。
幸い、今ここで見ているのは裏社会の男一人しかいないために精神をギリギリのところで保っているが、一般人の目があった場合、彼のメンタルは計り知れないダメージを負うところだった。
しかし、男としてなら、この状況を【美味しい】と思う者もいるかもしれない。
アルテミスの容姿は、とても整っている。
少し無造作なウェーブかかった黒髪に、大きくクリクリとした金色の目。
スタイルは細身だが柔軟な筋肉が内包されており、スラリとしている。
普段は隠れている長い脚も見ることができているはずだし、上を見上げればかなり扇情的な光景が広がっているのだろうが、バロールは死んだ目で正面……すなわち、スカートの裏地を凝視しているだけだった。
性欲を限りなくゼロに近い位置で抑え込んでいる彼にとって、今の状況は、喜びよりも無気力感しか与えなかった。
「みゃあのスカートの中に潜り込むエッチご主人、無事かにゃ?」
「……ああ(お前が引きずり込んだんだろ!)」
助けてもらっておいて、この反応である。
アルテミスが自分を助けるのは当然だという厚顔無恥な考えが根底にあるからこそできることである。
誰にも見習ってほしくないところだ。
「くくくっ。まさか、そんな形で毒から身を守るとは。なかなか滑稽でしたよ、バロール」
「(ぶっころ)」
自分が笑われることは、何があっても許せない。
憤怒のバロールである。
彼の中で、この男を許すという気持ちは微塵もなくなった。
もともと、襲撃された時点でタダで済ませるつもりはなかったが。
「お前も目をギュッと閉じていてガキみたいだったにゃ。ださっ」
「……っ! 2号も随分と変わったものです。足手まといを、わざわざ助けてあげるなんてね。今のあなたには、何の魅力も感じませんよ」
「だったら、誘うにゃよ」
ケラケラと笑うアルテミスに、男は露骨に不快感をあらわにする。
バロールをバカにされて、笑ってはいるが彼女もなかなかいらだっていた。
そこで、スッと前に出たのがバロールだ。
自分がバカにされて、黙っていることなんてできるはずもない。
彼の導火線は、恐ろしいほどに着火しやすく、また短いのだ。
「俺にとっては、君の方が何の魅力も感じないよ。アルテミスの方が、君の何倍も輝いている。君みたいな男が、アルテミスを語ることが間違っている」
アルテミス上げ、男下げである。
人間というのは、とかく誰かと比較したがる。
そして、比較されて改めてお前が下だと言われると、かなり心に来るものだ。
そういった人間の心理を理解しつつ、的確に男にダメージを与えていた。
「……うーん、ご主人さあ。そんなこっぱずかしいことを臆面もなく堂々と言っちゃダメだと思うんだけどにゃあ」
意外なところでダメージを負っていたのがアルテミスである。
バロールが男を言葉で殴りつけるために発したものが、彼女にもいくつかいい当たりをヒットさせていた。
顔色は一切変わらないポーカーフェイスだが、猫耳としっぽがやけに頻繁にぴこぴこと動いている。
「輝く? 私たちみたいな影に生きる者は、輝きなんて持っていたらダメなんですよ。ひっそりと闇に紛れ、人を殺す。それこそが、私と2号の生きる道なんです」
「過去にどのようなことをしていたかなんて、俺は興味がない。少なくとも、今アルテミスは光の下で生きているし、その価値がある。君とは違うんだよ。自分が光の下に行けないからと言って、足を引っ張るのは止めろ」
煽る煽る。
キリッとした表情を浮かべながら、内心では舌を出してべろべろばあ。
とにかく男を下げ、アルテミスを上げる。
そうすれば、面白いように反応をするのだ。
おそらく、この男がアルテミスを引き戻そうとするのは、確かに彼女が有能だからという理由もあるだろう。
しかし、大きいのは、自分が裏にいて、アルテミスが表で幸せに生きているのが我慢ならないのだろう、とバロールは分析していた。
だから、それを利用して煽りまくる。
先ほど滑稽と言われたことが、よっぽど腹立たしかったのだろう。
執念深く、やられたことは絶対に忘れずやり返す男である。
「先ほどから、私たちのことを理解せず、好き勝手言ってくれますね。ボスからは殺さないよう連れてくることを命じられていますが……」
そして、バロールの爪の甘いところは、煽るだけ煽って後のことは何も考えていないことである。
一定の線を越えれば、当然実力行使に出る。
裏の人間ともなれば、法規なんて知ったことではないと行動しやすいのだが、煽って快感を得ていたバロールはすっかり忘れていた。
「どれほど怪我を負っていても構わないとも言われているんでね!」
眼にも止まらぬ速さで、男が疾駆する。
手元に持つのは、小型の刃物。
しかし、人間の命を絶つには十分な武器である。
案の定、バロールはさっぱりその動きが見えず……。
「おっとぉ」
キンと高い音が鳴ると同時に、アルテミスの背中がバロールからは見えた。
彼女が小剣で男の攻撃を受け止め、初めて視認することができた。
動きの止まった男に向かって、鞭のような蹴りが繰り出される。
しなやかな足から放たれるそれは、当たり所によれば命を奪う威力があった。
そして、狙われているのは的確に首。
アルテミスは、容赦なく男の命を奪いにいっていた。
もちろん、それを喰らうはずもなく、男は一気に距離を取る。
「随分とイライラしているわね。裏で生きる者が、感情で生きていたらすぐに死ぬわよ?」
「くくっ。さすがは2号。この程度の攻撃は、簡単に防ぎますか。ですが、ぬるま湯に浸っていたあなたと、ずっと裏で鍛えてきた私。どちらが上かは、すぐにわかります」
嬉しそうに笑う男。
そうだ。
この鋭い殺気こそ、2号だ。
自分の求める人材だ。
「なに、あなたも殺しはしません。あなたの能力は、裏でこそ生きるものですから」
「うーん……にゃんだかにゃあ。ずっと自分が優位みたいに話しているけどさあ。みゃあは一対一なら、超強いんだにゃ」
ケラケラと笑うアルテミス。
それは、男も十分に理解している。
アルテミスは強い。
とくに、その真価が発揮されるのは、一対一の戦いである。
だからこそ、数で押そうとしていたのだが、それは毒によって無力化されている。
しかし、だからと言って負けるつもりは毛頭ない。
いや、勝てると思っているからこそ、男は彼女の前にこうして立っているのだ。
「だから……」
そう、だから……。
「ペラペラと喋っている間に、もう終わってるのよ」
目の前に立っていたはずのアルテミスの姿が消え、次の瞬間には、自分の首から噴水のように鮮血が吹き上がったのを、男が知覚するのは倒れる途中だった。
アルテミスの姿は、男の背後にあった。
悲鳴すら上げられず、崩れ落ちる男。
そんな彼を一切視界に入れず、振り返ったアルテミスは可愛らしい笑顔を浮かべるのであった。
「さ、帰ろっか、ご主人」
「(ひぇ……)」
なお、助けてもらったバロールはビビった。
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腹黒悪徳領主さま、訳ありメイドたちに囲われる 溝上 良 @mizokami_khyt55
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