第52話 俺を見るな
「はあ……」
一つのため息。
迫りくるのは、大勢の敵。
戦いは数だ。
アルテミスはそう思う。
どれほど優れた戦士でも、絶えず敵戦力が投入され、三日間ぶっ続けで戦い続ければ、必ず討ち取られる。
質よりも量。
加えて、アルテミスの戦闘方法だ。
彼女が得意としているのは、奇襲や強襲である。
ましてや、一対多という状況ではなく、相手が一人でいるところを影に紛れて襲撃するものである。
今回、アルテミスは圧倒的に不利な状況にいた。
相手は自分よりもはるかに数が多く、そして戦闘方法も得意とするものではない。
正面から、正々堂々打倒さなければならないのである。
「しんど。どうしてみゃあがそんなことをしなきゃいけないのかしら」
アルテミスは、気まぐれだ。
猫の獣人ということもあるかもしれないが、自分の欲望や気持ちを最優先に行動する。
こんな面倒くさいこと、正直に受け止めてやるつもりなんて微塵もなかった。
自分の過去を知るあの男は、数で攻めれば勝てると思っている。
確かにそれは正しいだろう。
間違った考え方ではない。
実際、もし彼女だけがこの場にいた場合、さっさと逃げ出しているだろう。
数が多ければ、その分姿をまぎれさせるのも容易である。
アルテミスの身体能力ならば、逃げ切ることも可能だ。
それをしないのは、彼女の後ろにバロールがいるため。
「(まさか、みゃあが他人のために危険な状況に居座るなんて。あいつが言っていたことも、あながち間違いではないかもね)」
目の前の男は、自分が変わってしまったと言う。
そして、それは否定できるものではなかった。
確かに、自分が【2号】と呼ばれていたころは、他人のことなんて思いやったことはなかった。
すべて、自分のために利用する。
それが、アルテミスという女だったのだが……。
「余裕がすっごい。普通、ビビるでしょ」
後ろにいるバロールはまったく動揺していない。
多くの敵が迫りくる中、のんきに後ろを振り返って彼の顔を拝むことはできないが、気配で察することはできる。
バロールは、恐怖していない。
これだけ殺意と敵意をぶつけられながらも、いつも通り平然としている。
「(自分が絶対に死なないと確信している。それって、つまり……それだけ、みゃあのことを信頼しているということ……?)」
他人への信頼。
それは、アルテミスがまったく持ち合わせていないものだ。
危機を乗り越えるのは、自分の力。
道を切り開くのは、自分だけだ。
だから、自分を信頼する他人のことも、内心ではバカだと見下していた。
だが……。
「くすぐったいにゃあ」
どうしてだろうか?
嫌な気分にならないのは。
胸をうずかせるこの温かい気持ちは、いったい……。
「(ぬほおおおお! やばいやばいやばいやばい! 早く何とかしろぉ、アルテミスぅ!!)」
たとえ、バロールがとてつもなく小者じみたことを内心で絶叫していたとしても、ばれなければ問題ないのだ。
「さて、困った」
「!?」
アルテミスの言葉を拾って、バロールが絶望する。
大して身体能力が高くない彼にとって、この状況を切り抜けるのはまさしく他力本願。
すべてをアルテミスに任せるつもり満々なのに、その彼女が諦めるようなことを言う。
バロールにとって、それは死刑宣告とほぼ同じだった。
「ご主人、ちょっと息苦しいの我慢できる?」
「任せろ」
即答である。
本当なら2秒でも息を止めることなんて嫌がるバロールだが、自分の命がかかっていたら話は別だ。
キリッとした強い顔で、アルテミスに頷いた。
「じゃ、こっち」
「ふがっ!?」
グイッと身体を強く引っ張られ、バロールはおかしな悲鳴を上げる。
その直後、辺り一帯に黒い煙が吹き荒れた。
◆
「くっ! そういうことですか……!」
ぶわっと視界を覆うほどの黒い煙が吹き荒れたのを認識した男は、すぐさま目と口を閉じた。
そして、呼吸を止める。
戦場でそのようなことをすれば自殺行為にしかならないが、今は自分以外の盾となる人間も多いため、大丈夫だ。
加えて、彼レベルになると、目を閉じていても気配で敵の居場所を察することができる。
さらに、耳から集まる情報も精査すれば、もはや目を開けているときと何ら変わらない対応をとることができる。
「なんだ、これ?」
「目くらましか?」
自分以外の気づいていない連中は、困惑したような声音で話している。
おそらく、この煙の中でも、平然と目を開け、呼吸をしているのだろう。
まったく愚かなことだ。
ボスから押し付けられた数をそろえるだけの人間たちだが、何の役にも立たない。
「(あの2号が、ただの目くらましなんて使うはずがないでしょう)」
そもそも、彼女の過去を知っているのは、この場においては自分しかいないのだから、察しろというのが無理な話か。
警告するべきなのだろうが、そうして口を開けば、まさしく彼女の思うままだ。
そして、しばらくすると……。
「がっ、はっ……!?」
「ぎいぃぃっ!!」
「あぁっ、血、血がっ!!」
聞こえてくるのは、困惑していたものから大きく変化した、悲鳴だった。
地面をのたうち回り、助けを求める音が聞こえてくる。
それでも、男は目を開かない。
手を差し伸べない。
それは、下策だ。
あえて殺さず傷つけさせ、助けに来た人員をさらに攻撃する。
そんな戦い方を、2号は得意としていた。
「…………」
静かになる。
先ほどまでの阿鼻叫喚が、嘘のようだ。
ようやく男は目を開き……。
「死屍累々ですね」
男は軽い口調で、そう言った。
自分の味方が一気に戦闘不能になっているのだが、まるで他人事のようだ。
あの黒い煙は、すでに風に流され霧散している。
「しかし、あなたも息を止めていたのですか? お揃いですね」
「気持ち悪いことを言わないでくれるかにゃ? 自分で使う毒の耐性を持っていないはずないでしょ」
心底嫌そうにアルテミスは顔を歪める。
彼女が使用したのは、毒。
それも、気体の広範囲に使用できるもので、かつ猛毒である。
少しでも体内に取り込めば、身体に大きなダメージを与える。
さすがに即死まではいかないものの、もはや立ち上がることができないほどの即効性はある。
男も、少しでも判断が遅れれば、アルテミスの容赦のない手法を知っていなければ、地面でもだえ苦しむものたちの仲間入りをしていたことだろう。
その猛毒の抗体を平然と持っている彼女もまた、異質だった。
「ですが、バロールはどうですか? 彼はただの貴族。毒の耐性なんて持っていないと思いますが」
そう、ここには自分たちだけでない。
バロールもいた。
彼は抗体を持っていないだろうし、事前に忠告を与えていた様子もなかったことから、この毒に対応することはできなかっただろう。
自分のことを優先し、他人を劣後させる。
それは、まさしく彼が知っている2号であり、自分の手駒として置いておきたい最高の暗殺者のものだった。
アルテミスを変えてしまった男が再起不能になれば、それは気分がいい。
もちろん、ボスからの命令に逆らうわけにもいかないので、殺しはしない。
だが、苦痛を味わってくれる分には、何の問題もなかった。
しかし、アルテミスは不敵な笑みを浮かべる。
「ふっ、大丈夫にゃ。なにせ……」
彼女はスッと下を指さす。
そう、不自然に膨らんでいる自分のロングスカートを。
「みゃあのスカートにもぐりこんでいるんだから!」
「…………」
どや顔を披露するアルテミス。
とんでもないことをしているのに、まったく羞恥心を感じていない。
そして、体育座りをしながらバロールは思った。
「(……俺を見るな)」
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