第4話

6月19日

作戦失敗の2日後。田川の自宅でささやかな通夜が行われた。

形式は家族葬に近く、一部の政治関係者が参列するのみであった。

田川の自宅は練馬にあった。練馬駅南口を出て自転車で10分ほどの住宅街。3階建の戸建てで6畳ほどの庭と一台分の駐車スペース。大臣の自宅としては質素でこじんまりとしていた。

玄関脇に小さな受付が設けられ、鯨幕が控えめに張られている簡素な通夜であった。

北浜は焼香を済ませ、庭に咲いている紫陽花の前に立っていた。細い雨がビニール傘を叩く。左手で数珠を弄りながら、紫陽花の葉を撫で進むカタツムリを見ている。

作戦のことを考える。新興IT企業UIROのCEOと田川の関係、新庄の頭部を持ち去った男。櫂の話では東雲に見えたとのことだが、それでも関係性の謎は残る。いや、むしろ深まるばかりだった。

3年前、東雲龍一は『ウラ』を襲撃した。当時東雲は『ウラ』で研究員として活動していた。”彼の存在”が行使する能力について物理学からのアプローチと人為的な再現。『ウラ』の至上命題の一つに彼も携わっていた。いつからか『ウラ』が監視している仏教系テロ組織「無始」の当時リーダー白江賢治と接触、『ウラ』の襲撃を画策・実行したと思われている。東雲自身の動機については不明であるが、およそ湯木澪への歪んだ恋慕からの拉致監禁が目的ではないかと推測されていた。襲撃事件後、東雲は消息を断ち、一昨日まで一片の情報すら手に入れられずにいた。

ふと気がつくと隣に一人の男が立っていた。

「空の祭壇に焼香しました?」

柴田猫二郎。内閣情報調査室の情報分析官。北浜とは2年ほどの関係である。

「ああ」

柴田のデリカシーのない問いを流すように答える。田川は呪契により肉体は内側より破裂しており、棺に納める遺体は無かった。

「例の黒子はどうです?第2層に落ちたと聞いていますが」

「そろそろ退院する頃だろう。一通り検査をして問題ないと聞いている。」

「それはよかった。」

フレームレスのメガネを上げ、冷めた笑みを貼り付けて柴田が答える。

「それにしても嫌ですね〜。通夜の場ぐらい悲しむ振りをすればいいのに、奥さんを見て下さいよ、悲しむ素振りも見せずに不倫相手の男とべったり。いや〜、きついっすね〜」

柴田は祭壇の置かれた居間を振り返りながらデリカシーの無い発言を繰り返す。しかし北浜も田川の妻については思うところがあった。6月14日から別府にパーソナルトレーナーの男と不倫旅行に出ており、6月17日未明、田川の死を受け急遽帰宅。簡素な自宅葬の手配をし、自宅は売却する方針ですでに弁護士に連絡しているらしい。そのあまりの節操の無さに北浜は辟易とした。

「大学の同期だったんですよね?」

「たまに飲みに行くぐらいの関係だがな」

「何か気づいたことはなかったですか?」

「なに?」

北浜はムッとして柴田を睨む。

笑みを浮かべた仮面を外さないまま柴田が答える。

「いや、すみません。怒らせるつもりはなかったのですが、田川大臣、あ、前大臣?ですが上床議員と不倫関係にあったみたいで」

「確かか?」

「ええ。内調では公然の秘密というやつです。執務室やら控室で逢瀬を重ねていましてね、いつ週刊誌にすっぱ抜かれてもおかしくなかったですよ。ニワトリが啼いたその時も一緒にいました」

北浜は驚きを隠せなかった。大学時代から女っ気が無く、不倫などするようなタイプには思えなかった。

「人は見かけによりませんから。むしろ似たもの同士が結ばれるとも言いますから、現状の奥さんを見れば反射的に田川の本質を見ているのかもしれません」

柴田が心の中を見透かしたように言う。北浜は無神経な発言に怒りを感じながら、どこか得心もしていた。夫婦とは徐々に似ていくというが、そもそも初めから似たもの同士がくっつく。北浜は経験的にそう考えていた。

「でそれが今回の事件と何か関係が?」

「ご存知のとおり上床茜の父親上床茂は元無始メンバーで、5年前我々の手で殺害しています。」

「復讐で国政に潜ってると?」

「その可能性は否定できません」

「しかし公安の報告では遺族が無始と接触した痕跡は一つもないんだろ?それに復讐だとして、なぜ愛人の田川を殺害する必要があるんだ?」

「現状何もわかりませんが可能性を否定できない以上調査が必要です。」

「それを我々に?」

「ええ。必要であればその場での殺害も認められています」

「そんな大仰な!」

「もし関与が確認されれば立派なテロリストです。十分現実的な処置ですよ。」

居間では参列者の焼香が終わり、導師が帰り支度を始めている。

「内調でも調査しますが、そちらでもお願いします。”窓口”の使用権限も私と北浜さんに一任されました。総理直々の意向です。」

「わかった」

柴田は北浜の返事を確認するとそそくさと門をくぐり姿を消した。

雨足は強くなり、激しく打ち付ける。

北浜は裏で流れる得体の知れない黒い濁流を感じ気が重くなった。

深いため息を吐く。

いつしかカタツムリは殻に籠っていた。



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403 Forbidden:Nirvana 千川 翔太郎 @cs1202

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