第3話

雪は止んでいた。

グロックはスライドが後端で停止し銃身が露出している。櫂は弾が切れた拳銃の引き金を幾度となく引く。

「櫂!櫂!……。おい!応答しろ!櫂!」

北浜の呼び声が鼓膜を震わす。

次第に凍りついた意識が溶け出し、あらゆる感覚が動き始める。激しく呼吸する自らの息遣い、汗で湿ったグローブと硬いグロックの感触、潰れた肉塊と血と硝煙の匂い。

「おい!櫂!」

北浜の声が頭蓋骨内部を反響する。痛みが頭部を刺す。

「すまない……。今、戻った」

身体は鉛のように重かった。全ての残弾を頭部に射出され原型を留めていない肉塊の上に櫂は跨っていた。おそらく男性、ビジネススーツを着ている。

爺ではなかった。

櫂の頭部を掴んでいたであろう左腕はだらりと床に垂れ、指は紫色に腫れ裂傷している。傍らには受付の指の持ち主であろう女性が首を噛みちぎられ頸椎を露出して倒れている。

「時間は?どのくらい意識を失ってた!?」

櫂は任務を思い出して矢継ぎ早に尋ねる。

「ほんの2-3分だ。現在21時22分。急げ。」

雪化粧をした桜並木も算空寺も澪も、すべて幻覚だった。そのことを理解するのに時間は必要なかった。

弾を装填する。

櫂は重い身体を引摺りながら社長室を目指す。

オフィスはしんと静まり返っている。

社長室はオフィスの片隅を区切るように設けられていた。

ドアは開け放たれており、風がオフィスに吹き込んで来ていた。

櫂は歩みを早める。ドア横で一呼吸。素早く身を捻りクリアリングをする。

壁掛けの大型液晶モニター、デスク、pc、モダンなファブリックソファとテーブル、書類は風に舞っている。全裸の女がデスク脇に座り込み恐怖に顔を歪ませている。悲鳴をあげたくても声が出ず、ただひくひくと浅く呼吸している。

東京タワーが一望出来る窓は割られており、長髪の男が立っている。逆光で顔はよく見えない。左手に人の頭部を掴んでいる。テーブルにはズボンを下ろし、下半身を露出した頭部の無い遺体が寝ている。

「動くな」

銃を構え命令する。燃えるように赤い東京タワーの光が目を刺す。

男はゆっくりと僅かに振り向く。薄く微笑んでいる。

徐々に明かりに慣れ細部が現れる。

銀色の長髪、身長180cm前後、切れ長の目、右手で杖をついている。

櫂は男の顔をみて迷わず発砲する。

—東雲!

東雲龍一。『ウラ』の技術課研究員だった男。『ウラ』の襲撃を指揮し、澪を殺害した男。櫂はここ3年、この男を殺すためだけに生きてきた。

弾丸は頭部に2発命中。脳漿が飛び散り東京タワーに影を作る。

男はビル外に落下していく。金属が歪み、大きな水袋が破裂する音の後、車両の防犯ブザーの音が聞こえてくる。

「新庄は既に殺害されていた。実行犯と思われる男を射殺した。」

北浜へ報告後、窓辺へと進む。

「掃除屋と回収班が2分後に到着す……とう…ろ」

ノイズが入る。灰が舞い、東京タワーが黒く光っている。

「おい!聞こえるか!」

櫂の呼びかけに反応はない。

「う゛う゛あ゛あああああああ゛ぁぁ」

座り込んでいた女が深く響く低音と耳を劈く高音の混じった悲鳴をあげる。目を見開き、顎は外れ、舌が伸び切っている。

櫂は女に銃を向ける。

「へへっ、へへへへっ」

悲しみと愉悦の笑い声を発した後、女は破裂した。

座り込んだ下半身を残し、すべて肉の液体と化し、あらゆる臓器や器官は形を留めていなかった。社長室は一面赤く染まり、櫂も半身に温い残骸を浴びた。血液と排泄物の匂いが鼻をつく。

黒く光る東京タワーは日食のように櫂を見つめていた。

—まさか!

櫂は急いで窓辺に走り、下を見る。

停車していたSUVの上部は潰れライトが点滅している。

そこに東雲の遺体と新庄の頭部はなかった。


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