革命前夜の悪徳ヒロイン

カルムナ

革命前夜の悪徳ヒロイン

 勝てば官軍、負ければ賊軍。

 それがこの世の正義であり、死人に口はない。


「アルベルト第一王子より、エレオノール・ヴァネスタ公爵令嬢に婚約破棄を言い渡す!」

 アルベルト殿下は会場中に響き渡る声で宣言した。

 めでたい卒業パーティーの場で何事かと視線が集まってくる、不躾な視線は騒めきの中心に居るアルベルト殿下とエレオノール公爵令嬢、そして殿下の脇に控える小柄な少女に向かった。


「エレオノール・ヴァネスタ公爵令嬢、何か申し開きはあるか?」

「何をおっしゃっているのかわかりかねますわ。」

 齢18にして堂々たる佇まい、焦り1つない丁寧な口調は彼女が生まれながらにして富める者であることを示唆していた。

 彼女こそがヴァネスタ家長女にしてアルベルト第一王子殿下の婚約者、エレオノールという女性だ。



 ヴァネスタ家は建国時に功績を立てた王家の忠実な臣下であり、代々国の発展と防衛に尽くしてきた。しかし、その忠誠は服従ではなく、相互利益を生む絶妙な関係だった。公爵家は広大な領土と豊かな財力、独自の軍を持ち、時に王家の脅威となる可能性を秘めていた。それ故、歴史の中で王家は公爵家の力を抑えるため政略結婚や制度改革を行い、公爵家も利益を守るために対立や同盟を繰り返してきた。


 それでも、両家の関係は表向き穏やかで礼節を重んじ、共に国を支える存在であり続けた。現在の公爵と王は強い信頼を抱きつつも、緊張感の中で微妙な均衡を保っている。


 そんな中で交わされたこの婚約は、両家の関係を維持するための誓約であり、絶対的な力の結びつきだった。

 そう、これまでは。


「殿下、貴方は何を仰っているのか理解しているのですか?これは私達個人の話ではなく、両家、ひいてはこの国を揺るがす程の問題なのですよ。」

「そうだな、エレオノール。お前はいつも正しかった。良き令嬢、そして将来の国母になろうと努力してきたのだったな。だが、もう遅い。お前にはほとほと呆れたよ。」

 殿下は強い目でエレオノールを睨みつけ、そして自らの隣にいる少女を見つめた。

 少女を見る目は打って変わり、優しく慈悲深い目であった。


「お前はこのヘレナに何をした?平民だからと言って執拗な虐めを行ったと聞いている。教科書を破ったり私物を水没させたり、階段付近で足を引っかけようともしたそうだな。」

「虐め?そんなこと私がするとでも?いい加減にしてください、何をもってしてそんなことを言うのです?」

「お前の取り巻きが自白した。実行犯はその取り巻きだったが、裏にはお前がいると述べている。揃いも揃ってな。」

「そんなことはしておりません。......第一、それが本当だとして、婚約破棄にまでなるほどのことだと本気でお思いですか?」


 彼女の言うことは最もだ。公爵令嬢たる彼女が平民を虐めたところで大した問題にはならない。

 万一彼女が実際に階段で足を引っかけて平民を殺してしまったとしても、それは同じこと。それほどまでに身分差とは深く力強いものである。

 それを、殿下が分からないはずもない。


「殿下、先ほどからどうしたのですか。あまりにも言い分がおかしいです。その平民に、何か唆されたのですか?」

「そんなことはない。私は私の意思で動いている。ヘレナ、お前も何か言ってやれ。」

 そこでようやく、は口を開いた。


「エレオノール様、どうか罪をお認めください。」

 周囲の人間が息を飲んだ。平民が貴族に罪を認めろと?

 冗談じゃない、その発言こそが罪だ。この発言1つでヘレナの首が飛ぶ。

 それでも私は決して引かない。なぜなら、引く必要がないから。


「お前たち、何をしている?」

「国王陛下!」

 さっと周囲の者が一斉に頭を下げた。エレオノールも同様である。

 この場で頭を下げていないのはたった二人、アルベルト殿下と私だけ。


「今日は学園の卒業パーティーのはず。こんなめでたい場で一体何の騒ぎだ。」

「陛下、私はエレオノールとの婚約を破棄します。そして、代わりに彼女、ヘレナを我が妻とすることを誓います。」


 途端にエレオノールがきっと鋭い眼で殿下を睨みつけた。そして落ち着いた声で陛下に声を掛けた。

「陛下、どうか発言のお許しを。」

「構わぬ。」

「私はいわれのない罪で断罪されております。その上、アルベルト殿下は私との婚約を破棄した上、平民である彼女との婚約するというのです。一体どうして、こんな暴挙が許されましょうか。」

 私をちらりと見る目は凄まじく、これが社交界を生き抜いてきた者の目だと感服してしまった。


 そう、彼女は未だに信じている。

 彼女自身の地位と名声、そして価値を。


 こんなことは許されない。人の上に立つ者をこんな形で蔑むなんて、万死に値する。

 少なくとも平民はその場で打ち首、殿下は良くても幽閉だろう。

 エレオノールだけでなく、その場にいた全員がそう思った。


 国王陛下は苦虫を嚙みつぶしたような顔で首を傾げた。顎鬚を何度も摩り、何かを考えている。

 そして遂に、重い口をゆっくり開いた。


「アルベルト、お前の言うことは誠か?」

「はい、誠でございます。」

「そうか、お前がそう言うのなら、きっとそうだろう。」


 エレオノールが目を見開く。

「陛下!なぜ!ご一考を!」

「衛兵、エレオノール令嬢を連れていけ。彼女は王族の一員であるアルベルトの発言を空虚な嘘であると言い張った。これは紛れもない罪である。」

「陛下!」

 いつの間にか周囲は数人の衛兵に取り囲まれており、抵抗するエレオノールの身体を無理に地面へ押さえつけた。

 か弱い令嬢の身体を何人ものの騎士で押さえつけるなんて、国王陛下も酷いことをする。

 最も、その原因となったのはこの私なのだが。


「アルベルト、ヘレナと婚約を交わすというのは誠か?」

「はい、私は彼女と一生を添い遂げるつもりです。」

「そうか。それでは、婚約を許可しよう。」

 再び騒めきが広がった。陛下が殿下と平民である私の婚約を一瞬にして許可したのだから当然だ。

 最早意味が分からない。少なくとも、その場にいる卒業生達は皆そう思っているだろう。

 だって、彼らは学園の外の世界を知らないから。

 エレオノールを含め、卒業生達はこの学園の外で今何が起きているのかを把握していない。


 だが、彼らの親たちの中には理解している者も居るようだ。目を瞑り、視線を大げさに外している。聞かないふりをしているのだ。

 それはなぜか?現実を直視したくないからだ。


「それではお前たち、折角のパーティーを邪魔したな。後は気にせず、各々の好きなように楽しんでくれ。」

 そうはいっても楽しめるわけがない。国王陛下が去った後も騒めきは止まらず、寧ろ増大していった。


「ヘレナ、よかったな。これで二人一緒になれるよ。」

「ええ、よかったわ。」


 台詞だけ見れば感動的な対話である。紆余曲折経て障害を排除した恋人の台詞だから。

 しかし、生憎私たちの仲はそんなロマンティックなものではない。寧ろもっと殺伐とした、利害の一致に過ぎない。


 王子殿下、いや、アルベルトは私の手を取り、跪いてキスをした。

 俯いた彼がどんな表情をしているかは分からない。

 しかし、そんなものに興味はない。


 私は冷ややかな目で彼を見下ろしていた。


 ---

 荒れ狂う群衆、混乱と高揚の入り混じる罵声。

 空に突き上げられた拳は誰に向けたものか。


 豪華な宮殿の石畳には似合わないボロボロの服を纏った人々が波のように押し寄せ、皆自由の紋章が刻まれた旗を靡かせていた。


「我らに自由とパンを!」


 贅沢と権力の象徴であった宮殿は、今となっては憎悪と嫌悪の対象だ。

 城を守っているはずの王宮騎士ですら鎧を脱ぎ捨て、民衆の暴動に加わっている。


 王宮に出入りしようとする馬車は皆潰され、人は引きずり出され、そして殺された。

 それを酷い、残酷だと止める者は誰一人としていない。

 何故なら、今この場において悪の特権階級を裁く力は正義であるから。


 豪勢さを示す贅沢な装飾は皆悪の象徴となり、窃盗や破壊が正当化された。

 重要な文化財も、歴史的建造物も、空腹の前では何の意味も為さない。


 そんな中、私はリオとグラベルと共に王宮の門を潜っていた。

 リオが中心に立ち、グラベルと私はその左右を固めるように並んで進んでいる。

 王宮に住む使用人たちは私たちを見るなり慌てて逃げ、そして命乞いをした。我らにそんな趣味はないというのに。

 そんな彼らを無視し、我々が向かう場所はただ一か所。


「ごきげんよう、国王陛下。」

 謁見の間に入るなり、リオは適当に手を振りながら国王に声を掛けた。

 国王は忌々し気にリオを睨みつけるが、その表情に力はない。もう戦うことを諦めてしまったようだ。

「お前が革命軍のリーダー、リオか。」


「話は聞いているな?」

「ああ、権利も財産も全てを放棄しよう。だからどうか、命だけは......」

「国王様ともあろうものが命乞いとは情けないね。だが、こちらとしてはありがたい限りだ。ほら。」


 リオはグラベルから書類を受け取り、国王にサインするように顎で促した。

 国王の手は震えていたが、それでもきちんとサインをしたらしい。

 リオはそれを確認すると、国王の手から書類を奪い取った。


「じゃ、これで革命完了という訳だ。」


 宮殿のバルコニーは見事なものである。ここから下々の者に重大な発表ができるよう、王都を見渡せるようになっているのだ。

 それを我々が利用するとは皮肉なものだ。


「おい、同志たちよ!聞こえるか!」

 怒れる民衆たちが一瞬静かになり、バルコニーの上1点を見つめた。

「同志たちよ、我々の悲願は達成された!これがその証明だ!晴れてこの国は我々平民のものとなったのだ!」


 その瞬間、地響きのような歓声が沸き立ち、波のように伝播した。

 男は鬱蒼とした空に拳を何度も振り上げ、女は辺りを跳ねまわった。

 正に歴史的瞬間、実に感動的だ。

 私の人生はこの瞬間のためにあったのだから。


 ---

 元よりこの世界は腐敗していた。

 私が生まれたころから、いやそれよりもずっと前からだ。

 役人は税を掠め取り、貴族はより多くの税を取り立てるように強制した。そうやって取り立てた税も、宮殿では贅沢品に湯水のように使われる。

 その間、貧困で喘ぐ民がどれほどいるのかも知らずに。


 貧富の差は時代を重ねるごとにますます開き、それはやがて不満を引き出した。

 私の両親はそんな世を変えようとする革命軍の一員であった。


 革命軍といっても、最初はかなり穏便なものであった。領主に掛け合い、己の貧しさを涙ながらに訴えたのだ。

 対応は領主によって様々で、無視する者も居れば同情して税を緩和する者も居た。いずれにせよ、完全無駄な行為でなかったのは確かだ。


 しかし、世の中とは常に無常である。

 たまたま不作の年だった。冷夏で小麦があまり収穫できず、パンが高騰した。

 それでも、致命的という訳ではなかったのだ。税を減らし、皆で節約すれば何とか生きていけたはずだ。


 だが、王宮に生きる人間にとってそんなことは知ったことじゃない。

 産まれた時から潤沢な食料がある彼らにとって、パンはその辺に転がっているものであり、不足するなんて発想はない。

 書類上に小麦が不足していると記載されたとしても、それは所詮書類上の話。実生活に影響する実感なんて持っちゃいない。

 だから彼らはいつも通り、それどころか自身の財の為に例年以上の税を課した。


 当然民は反発した。食べ物もままならないのに、貴族たちの贅沢の為に自分達の生活を犠牲にするなんて馬鹿げていると。

 両親含め革命軍は説得しに回ったが、彼らは話を聞こうとしなかった。それどころか税を納めなければ牢に放り込むと脅す始末。

 そしてそれは革命軍が過激化する要因であった。


 両親は怒り、そして誓った。いつかこの国を変えてみせると。そしてそのためには、どんな犠牲も厭わないと。

 例えそれが、自分の娘だったとしても。


 私は幼い頃から英才教育を受けてきた。この国の情勢、上流階級のマナー、科学知識、文字通り何でも。

 それは私の為じゃない。彼らの目的のためだ。

 小さい頃から言われ続けてきたのだ。

「貴方はいつかこの国を変える。そのために、貴方は生まれてきたのよ。」

 物心つかぬ子は、親の期待に応え続けるしかないというのに。ズルい話だ。


 ある日、両親が家に帰らなくなった。

 話は単純だ。殺された。

 誰にか?貴族にだ。


 当然ながら、貴族は革命軍のことをよくは思わなかった。

 彼らにしてみれば、私たちは税を払おうとしないどころか、周囲にその動きを広めようとする犯罪者だ。

 だからきっと難癖をつけて殺されたのだろう。


 当然悲しかったが、不思議と貴族に対する恨みの感情は沸いてこなかった。

 それよりも、やるべきことで頭がいっぱいだったから。


 両親を貴族に殺された私は革命軍内で同情され、勝手に昇進したらしい。

 リオとグラベルという孤児の仲間と共に、若くして革命軍のトップ層に躍り出た。

 そして誓った。この絶対王政の世を変え、国民が主体の政治を作り出すと。


 次第に革命軍は大きくなり、国家転覆がより現実的なものとなった。

 私は貴族の子弟が多く通う国立学園に入学し、貴族たちの情報を集めてくるように命じられた。

 平民の私が入学するには厳しい試験を突破しなければならなかったが、この位こなさなければ革命なんて夢のまた夢だ。


 見事合格した後、私は学校内で有力な貴族たちの情報を集めることに勤しんだ。時に色恋も使い、権力を持つ殿方を次々に侍らせて情報を吐かせた。そんなんだから学内では尻軽と噂され、同性には嫌がらせも受けた。

 だが、そんなことはどうでもいい。最終的に目的が果たされれば、最後に笑うのは私の方だ。


 しかし貴族も一枚岩でなく、血の通った人間であると次第に気づいた。

 貴族は私が今まで教わってきたような冷徹無慈悲な悪の権化ではなかった。そりゃ考えれば当然なのだが、偏見というのはどうしても拭えない。実際に見なければ分からない。特に、を受けてきた私にとってその事実は受け入れがたいものだったから。


 だが、民衆の為に心を砕き、一生懸命に生きている者も確かに居たのだ。


 今頃気づいてももう遅い。その頃リオとグラベルは各地で革命の機運を高めていたのだから。

 いずれこの地は血みどろになるだろう。この学園の生徒もどれくらい生き残れるかわからない。

 彼らは近い未来こんなことになるなんて予想だにしちゃいない。宮殿の外で平民がいくら暴れようとも、彼らにとっては噂話のタネ程度。

 だからこそ、やるべきなのだ。平民の世界は壁を隔てた先の物語ではなく、地続きの隣人であることを教えてやらねばならない。


 決着の日は卒業式翌日。王宮を取り囲んだ民衆によって王は陥落し、身分制度は崩壊した。


 その後はとんとん拍子に話が進んでいった。

 私とリオ、グラベルは議会を設置し、平民の中でも選ばれた優秀な人材を議員として呼び込んだ。今後は彼らが王の代わりに政治を動かしていくらしい。


 それでは私は?私の役目は二人とはちょっと違う。王族の監視だ。

 王族は権利と財産を手放すことで自らの命を守るよう提示してきた。

 これは革命軍にとってはありがたい申し出であった。王都はほぼ革命派で溢れていたが、地方にはまだ暴力を嫌って王を支持する者も居る。また、外国との外交だってしばらくは上手く行かないだろう。

 だから王を形だけでも残すことにしたのだ。

 王は君臨すれど統治せず。お飾りの王だ。


 革命軍リーダーである私と第一王子が結婚すれば、和平の象徴として丁度いい。

 そう言ったのはリオだったっけ。確かグラベルは、王を殺すだけじゃ物足りない、この世が変わる様を見せつけてやりたいと言っていたっけ。

 私は王族なんて全員処刑すればいいと思っていたから反対したけれど、私の意見は聞き入れられなかった。まあ構わない。人生全てを革命に注ぐ覚悟はしてきたから、結婚くらい誰とでもやってやろう。


 因みにこの意見に議会でも反対したものがいたが、彼らは翌日処刑された。

 それ以降、リオとグラベルに反対する者は誰もいない。


 今ではリオとグラベル主体の元、次々と貴族の処刑が実行されている。

 あれほど活気のあった王都の中心は、貴族の首が並べられた血生臭い広場の成り果ててしまった。


「それで?その話を私にして、一体何だというのです?私を嘲笑いにきたのですか?」

 細い金属格子越しにエレオノールは憎々し気に問いかけた。

 彼女の入れられている牢は、牢と言えど小綺麗で不便は無さそうだ。まだ王が権力を持っていたころに投獄されたから、貴族用の牢に入れられたのだろう。

 顔は痩せこけ、髪も輝きを失っていたが、その気品は依然として保たれている。

「今の現状をお伝えしたのですよ。今後の参考になるかと思いました。」

「今後の参考?いつ処刑されるか待ちわびている人間に参考になることなんて何もなかったわ。こんな目に合わせといて今更何?あなたの下品な趣味に付き合うつもりはないわ。出ておいき。」

 エレオノールは部屋の奥へ移動しようと立ち上がった。


「まあ待って。別に私は貴方のことを処刑しようとは思ってないのよ。寧ろ処刑から逃すためにああやって革命前にどうでもいいことで断罪してここに入れたんだから。」

 エレオノールは再びこちらを向き、ゆっくりと椅子に座り直した。まだ話す気はあるようだ。


 エレオノールはいつだってそうだ。上に立つ者の義務を意識し、下の者を導こうとしていた。

 学園で姿を見る度に、これが本来貴族のあるべき姿なのだと感動した。宝石の装飾品や絹の衣装を纏うことはあったが、それも高貴な装いをする理由を知っての事で、ただ無意味に金銭を浪費していたわけではない。

 こんな腐った社会の中でも、彼女は正しく在ろうと努力していた。

 それでも、平民はきっと彼女の姿を見ずに、憎むべき貴族として処刑するだろう。せめて選択肢だけでもやりたいと思ったのは私のエゴだ。


 私は確かに皆の前で断罪した。彼女は何も悪いことをしていないのに。

 しかし、罪と言うのは悪いことをした人が勝手に背負うものではない。社会がその人に与えるものだ。

 革命後の世界において、貴族と言う人間は存在するだけで罪だ。罰は免れない。

 ならば、貴族と言う地位を捨てさせれば重罰からは逃れられる。


「別に、私はどちらでも構わない。貴方が処刑されようがそうでなかろうが、どちらでもいい。ただ、私は貴方まで処刑される必要はないと思ったの。......あなたはこの牢に居るおかげで今のところ処刑やリンチを免れている。それでも、もしあなたが望むなら、ここから出してもいい。」

「出して、それでどうするって言うの?」

「勿論貴族として生きることはもうできない。平民として静かに生きてもらうことになる。」

「もう1つ教えて頂戴。私の家族はどうなったの?」


 私は一瞬言い淀み、しかし正直に答えた。

「貴方の父上は裁判で死刑が決定され、翌日には断頭台に上がった。貴方の母と兄弟はこっそり外国へ亡命を図ったけれど、国境付近に張っていた連中につかまって殺されたと報告が入ってるわ。」

 エレオノールの顔が歪み、俯いた。肩が震えている。泣いているのだろう。

 暫くそうしていたが、突然顔を拭い、ギリっと歯を食いしばって顔を上げた。


「それでも貴方だけは生き残ることが、」

「黙りなさい。私はヴァネスタ公爵令嬢よ。公爵家に生きる者。家の責任は私も負わねばならない。民が怒るというなら、私はその責任を負って処刑されなければならない、」


 私には彼女の言うことが理解できなかった。

「例え貴方が何も知らない令嬢だとしても?平民を追いやった財政に微塵も関わってなかったとしても?それに、死んだらそれで終わりよ。歯を食いしばって生き延びて、私や家族を殺した平民にやり返してやろうとは思わないの?」

「思わないわ。地べたを這いつくばって生きるのは低俗な人間がやることだもの。私は高貴な人間よ。私は公爵家に生まれ、これまでその恩恵を享受してきた。ならば、それだけで責任があるの。逃げるのは私のプライドが許さない。私は貴族だもの。」


 何よりも堂々とした態度。

 その態度は貴族制度が破綻した今、根拠なき傲慢でしかない。それでも、美しいと思えるのは何故だろうか。

 彼女は生まれながらにして貴族であり、今も旧体制に生きている。

 リオやグラベルは彼女を滑稽だと笑うだろうか。人はみな平等だと説教をするだろうか。人の命に等しい作物を見栄に消費したと憤怒するだろうか。


 貴族と平民とは、違う生き物だ。

 幼い頃から異なる教えを刻まれ、異なる環境で育ってきた。私にとっての当たり前は彼女にとっては当たり前じゃない。

 ならば、私のような平民の価値観を押し付けるのは無意味でしかない。


 いずれにせよ分かった。彼女はここから逃げる気はない。死ぬつもりだ。


「貴方の気持ちは分かった。では、これから貴方の裁判をしてくるわ。」

「ええ、行ってらっしゃい。早く終わらせて頂戴ね。」


 振り返らなかった。私が見えなくなってから、彼女の咽び泣く声が聞こえてきたから。


 ---


 断頭台に立っても尚、彼女が怯むことはなかった。

 暴走した民衆は彼女に罵詈雑言を浴びせるが、そんなものは微塵も意味がない。上品な仕草で階段を上り、頭を差し出した。

 最後の瞬間まで、彼女は貴族であろうとしたのだ。

 その真意は私には分かりかねるし、分かろうとも思わない。それでも、彼女にとってはそれが全てだったのだ。


 彼女だけじゃない。一日に何人ものの人間が断頭台に上っては首が飛んでいく。

 それは贅沢三昧だった貴族も居れば、議会に参加した平民もいる。何度も繰り返される処刑に人々は次第に飽き、腐臭漂う王宮を避けるようにして生活し始めた。


 最近は特に議会内の粛清が酷いらしい。初めての民主主義という試みが上手く行かないのだろう。

 何でもリオとグラベルが議会を二分しており、彼らに賛同しない者は殺されるとの噂だ。これでは絶対王政であったころとあまり変わらない。それどころか、寧ろ酷くなっているように見える。

 ただし、絶対王政と異なるところは、リオとグラベルも身分に裏付けされない、ただの人間であるということ。

 議員は段々と彼らに不満を抱いているらしい。これでは、あの二人が断頭台に上る日もそう遠くなさそうだ。



「ヘレナ、考え事?」

 アルベルトが不安そうにこちらを見つめている。

 私達夫婦は誰よりも質素に結婚式を終え、ひっそりと宮殿の隅にある小屋で暮らしている。暫くは表に出てはいけない。民衆の怒りの標的がこちらに向くだけだ。

 何とか今は忘れ去られたかのように息を潜めて生活し、やがて国が安定した後に表の世界へ戻ればよい。

 先代国王は革命時に心を病み、最近は寝床から出てくることはない。それでも処刑されない分マシというものだ。


「そうだね、考え事。今後の事だよ。」

 アルベルトが悲痛な表情を浮かべている。彼もこんなことが起こるなんて予想していなかっただろう。

 自らをこんな場所に追いやった女と結婚させられるなんて、きっと地獄に違いない。


 幼い頃読まされた絵本では。誰からも愛されるヒロインが身分違いの王子様に見初められ結婚し、幸せになる展開がよくあった。王子様と言うものが貴い憧れの的であったから成り立った物語だ。

 ところが、実際の世界では全くの逆だ。悪い企みを持ったヒロインが無理矢理王子様と結婚し、不幸にしている。それどころか作中で沢山の男を侍らせては利用しているのだからびっくりだ。

 そんな私にはヒロインというより、悪徳ヒロインという言葉がお似合いだろう。


 この革命で何百人、何千人の血が流れた。

 間違いなく諸悪の根源はこの私だ。

 しかし、例え私がやらなくとも誰かいつか同じようにして革命を起こしていただろう。民衆はそれほどまでに限界を迎えていたのだから。

 いつか起こるべくして起こったことを、私が今起こした。


「アルベルト、私のことが憎い?」

 アルベルトは黙り、俯いた。返事は帰ってこないが、そんなのはもう気にしない。

「憎んでもいいよ。それでも、やるべきことは変わらないからね。」


 後悔は何もしていない。惨状となったこの全てを見ても、やらなければよかったなんて思っちゃいない。

 人間はこれからも苦悩しながら努力する。今では機能しない議会も、やがて改善していくだろう。そうなった時、この革命は歴史上の事件として語り継がれるだろうか。

 それとも黒歴史として苦い思い出になるのだろうか。

 何だって構わない。人はやらねば学ばぬ生き物だ。


 私は平民だ。泥臭く這いつくばっても生きてさえいればそれでいい。

 そうやって生き延びて、長生きして、世界の行く末を見るんだ。

 私は死後地獄でどのくらい罰を受けるのだろうか。それを楽しみに今世を生きよう。


 全ては、まだ見ぬ世界の為に。



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