第4章

第三の年 神歴第一の年

「私は神になどなっていない!」



少女の言葉と、その覇気に、

蝉の合唱も、天高く飛び歌う鳥も、寄せては帰る波の音も、射抜くような日差しを振り撒きはじめた太陽ですら、思わず静まり返ったほどだった。




事の始まりは、少し前に遡る。


ケセフとレーリアは、もう青年と呼んでも差し支えないほどに成長していた。


二人は、イーサンとローシュほどではないが、やはり少女が知っている普通の成長速度とは異なっていた。


ケセフは毎日、森や草原を駆け回り、動物たちに乗って遊ぶことを楽しんでいた。


時に弱った動物達を助け、亡くなったものは丁重に埋葬し、少女の導きを請い、魂が導かれるまで見送った。


そうして、より動物と心を強い絆で通わせていた。


いつしかケセフが転んで怪我をした時などは、動物たちが彼を、それはもうものすごい勢いで少女の元へ運び、


怪我を直す対価にか、その場で何頭も、何匹も、地に伏して頭を垂れ、その首を差し出そうとしたのだった。


少女は、自らの施した加護のあまりの強さか、ケセフと動物たちの愛のあまりの深さからか、


その光景を目にして思わず僅かに顔を引き攣らせつつ、猪の背に偶然付いていた薬になる草の若芽を引いて傷に塗って治してやった。



ケセフは動物たちに愛され、愛して、絆を強く確かなものにしているのだった。




一方、レーリアは少女への信仰を日に日に強め、いつもその背中を追いかけ、どこへでも付いて行った。


魂を導く様や、空を翔けるように飛ぶ姿、年に数度ほど時折頼まれて奇跡を起こす姿…それらを見るたびに、目を輝かせて、少女の身の回りの世話を焼きたがった。




そんなある日、家族で海に遊びに行った帰りのことだった。



初夏も近づくある日、

太陽もそろそろ傾くだろうかという頃、ケセフとレーリアが砂浜を駆け回り、イーサンとローシュが手をつないで波打ち際を歩いていた時、



突然、レーリアが足を止めたのだ。



少女はその気配を感じて、ふと振り返った。



レーリアはまっすぐな瞳で、少女をじっと見つめていた。そして、その目線よりもその言葉が少女を射抜いた。



「ねえ、大母様が神様なの?」



その一言に、少女は表情が固まった。





まるで時間が止まったかのように、彼女は動けなくなった。


レーリアが、何を言い出すのか——予感はあったが、今まではその疑念を自身も抱かぬよう、抱かせないように、慎重に接してきた。



レーリアは、続けた。



「ねえ、大母様が神様で、私とケセフに特別なきらきらの…祝福をしてくれたのよね?

だからケセフは動物に愛されているし、私は魂の光が見える……見えるだけだけど。

大母様が神様だから、私たちは特別なんでしょう?

私もいつか、大母様や父さま、母さま、ケセフみたいに特別になれる?」


その言葉は、少女の心に深く突き刺さった。


それまでのレーリアの無邪気な信仰が、今や完全に神格化とでも言うべきものへと変わっていることを示していた。


そして、彼女の焦燥も。



少女が与えた祝福が、彼女を神として崇めさせ、距離を縮めるどころか、逆に広げてしまったことを痛感したのだ。


「私は神になどなっていない!」


少女の言葉と、その覇気に、

蝉の合唱も、天高く飛び歌う鳥も、寄せては帰る波の音も、射抜くような日差しを振り撒き始めた太陽ですら、思わず静まり返ったほどだった。



レーリアは驚いた表情で少女を見つめ、ケセフもその緊張した空気に気づき、いつもの柔和な表情から、緊張した面持ちで立ち尽くしていた。



少女には、今まで薄々感じさせられてきた、神の思惑が、愛しい子供から聞かされることで、より真実味を帯びたように感じられた。


そして、残酷なことに少女の「知識」が、それを事実であると告げた。


やり場のない焦燥感と絶望感、そうしたものでごちゃ混ぜになり視界が歪みそうになった時、…大きな声を出したせいで、驚かせてしまった愛しい子供達の顔が目に入った。



少女は深く息を吸い、感情を抑えるようにゆっくりと言葉を紡いだ。



「神様とは、無条件に外から救いを与えるものじゃない。

きっと神様は、みんなが持っている美しさや力…

あなたたちが困った時、悩んだ時、救いを求めた時、その時に自分の中から湧き上る力。

それが本当の意味での『神様』なんだよ。」


その言葉に、レーリアは少しの間黙っていた。


彼女の幼い心は、まだ完全に理解するには難しかったかもしれない。


それでも、少女の真剣な表情と言葉が、彼女の中に何かを芽生えさせていた。


「でも、大母様は私たちに力をくれて、守ってくれた…わたしはケセフと違って、魂を見ることしか出来ないけど…大母様のようになりたいと思って…。神様だったら私にも」


レーリアはそう言って俯いた。


それでも彼女の目には、まだ少女への憧れが強く残っていた。


少女はその言葉を受け、柔らかく微笑んだ。


そして、静かにレーリアの手を取り、優しく抱きしめた。


「レーリア、あなたはあなたの良さがあって、その力にもきっと意味がある。

そしてそれは、自分で選んで未来に繋げていくことができるんだよ。

あなたのお父さんとお母さんがそうしたようにね。

きっと、私はずっとそばにいるわけではないけれど、あなたは自分で世界を守り、愛し、愛される存在になるのよ。

そして、そのためにあなたに宿ったもの、それは私が与えたものじゃきっとない。

あなた自身の力なの。

そしてそれはきっとあなたを輝かせるものになるわ。まだ使い道がわからないだけで。」


レーリアの目には涙が浮かび始めた。


彼女はまだその言葉を完全に理解できてはいなかったが、少女の温かい抱擁に安心感を覚えた。



少女はその言葉に心を打たれ、少しの間、彼女を抱きしめたまま黙っていた。


そして、彼女自身の心にも新たな決意が芽生えていた。



そうして少女はレーリアの額に優しく口付けをした。


その瞬間、静まり返っていた自然が再び動き始め、蝉の声や鳥の歌、波の音が戻ってきた。


レーリアは少女の腕の中で涙をぬぐい、静かに頷いた。


彼女はまだ完全に理解できてはいなかったが、少女の言葉は彼女の心に深く刻まれた。



「…わかった。

でも、ずっとそばにいてほしい」と、ぽつりとつぶやいた。



「うん。でも、ずっとかはわからない。だとしても、なるべくそうするね。

あなたたちには自分の道を見つける力がある。私にはわかる。

だからあなたも、あなた自身のことを信じてね。」


その瞬間、ケセフも静かに少女の側に寄り、彼女の手を握った。


彼は何も言わなかったが、その優しい瞳はすべてを理解しているかのようだった。


少女は二人の手を握り締め、穏やかな微笑みを浮かべた。自分の決意が揺らぐことはないと感じながらも、この二人にとって、どのように道を示していくべきかを改めて考えさせられた。


これからは、この子達が、この世界の人々が歩む道を見守ることが私の役目。


少女はそう心に決め、遠くの空を見上げた。

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