カウンセリング - 患者A

幼稚園生の罪

 先生、私はもう限界かもしれません……

 

 死にたいわけではないんです


 でも逃げたいんです

 すべての事から


 初めから存在しなかったように

 パッと

 消えてしまいたいんです


 それか誰も居ない山奥とか闇の中で

 ただ一人で

 静かに暮らしたいんです


 誰ともしゃべらず

 誰とも関わらず

 責任も無く

 期待も無く

 

 人間として生きるのが辛いんです


 

 先生、私は他人とのコミュニケーションが苦手です

 ですので、今から私は自分の頭に浮かんだものを素直にそのまま言葉に出します

 伝えようとすると、どうしても形が変わってしまうので


 そこから読み取ってもらえますか?



 子供の頃のエピソードですか?

 印象に残った?

 少し長くなりますがいいですか?


 私の最初の記憶は……

 

 …………

 


 私が3歳の時、母が乳がんになりましてね。

 父と一緒に入院しているがんセンターに毎日のようにお見舞いに行っていたんです


 父はフリーランスでしたので

 昼間はそういった家の事をして、夜に仕事をこなしていたんだと思います

 

 カップラーメンすらまともに作れない父でしたから、苦労していたと今では思います

 料理ができないわけではなく、食事にこだわりがなさすぎたんでしょうね

 伸びきったカップラーメンも、硬すぎるカップラーメンも、腹に入れば同じと言う事だったんでしょう

 

 とにかくも、そのころ私は父と二人の時間が多かった

 父がよく言っていたんです


 お前は男なんだから、大きくなって母と妹を頼むぞ、と


 妹が産まれてすぐに母ががんになったものですから

 私も早く大人になって母と妹を守れるようになりたいと思っていました


 それが今でも重荷なんです


 当たり前ですが、妹は私と同様に大きくなります

 いつまでも赤ちゃんなわけではない


 だから私は、それ以上に大きくなって、頼りになる大人になりたいと

 なんだかよくわからないプレッシャーに曝されていたんです



 …………



 確か私は4歳で幼稚園に入りました

 

 そのあたりでは割と有名な、自由と言うか、クリエイティブと言うか

 そんな校風?園風の幼稚園に入りました


 母も抗がん剤や放射線治療で大変でしたが、なんとか母親の仕事がこなせるようになり専業主婦として家におりました

 今考えれば、去年まで死の瀬戸際にいた母が、私を自転車に乗せて幼稚園まで送り迎えをしていたんです

 偉大ですよね、母と言うものは


 その幼稚園は大変変わっていてですね

 歌やお遊戯会は他でもやるでしょうが、木工や農業体験、習字に茶道と…なんでもやるところでした

 幼稚園の裏に畑があって、芋ほりをしたのがとても印象に残っています

 

 作品発表会では私は木工細工を選びましてね

 木で自動販売機を作ったんです

 レバーを押すと中に入った缶が転げ落ちてくるだけのくだらないものでしたけど

 

 周りのみんなは動物をモチーフにした人形とか、植物をあしらったリースとかでしたから

 機械が好きだったんですよね

 それも実用性や機能美が大事だったんだと思います


 見た目だけの電車や車のおもちゃを作ることもできたのに

 動作することを重視して、自動販売機なんてものを選んだくらいです

 

 

 父と母のお見舞いに行っていた頃から、電車が好きでした

 よく高架橋の上から電車が通るのを見せてくれました


 電車が好き、と言うよりもデカいメカが好きだったんだと思いますが

 子供の記憶力はすさまじいもので、記号や車番、音だけでどの電車か覚えていました

 車も後ろ姿だけで年式まで当てるクイズをよくしていました


 父はまったく興味が無かったと思いますから、よく付き合ってくれたものだなぁと思います

 よく褒めてくれたんですよ

 お前はよくそんな事を覚えられるな、すごいなって

 たぶん父はほとんどわかっていなかったと思いますけど

 それでも嬉しくてですね……


 しかし同時に……

 なぜ父は子供の私より知らない事があるのだろうと疑問に思っていましたね

 興味が無いんだから覚えるわけもないんですが

 

 その頃は、大人は完璧な存在だと思っていたんです

 子供の私より劣ったところのある大人なんて一人も存在しないと

 本気で信じていたのかもしれません


 大人を神か何かと勘違いしてたんでしょうかね

 何でも知ってて、強くて……

 子供から見た無敵のヒーローみたいなものになりたかったんですけど


 実際はみんな弱くて、必死に生きてたんです

 それでもね、弱くても必死になれる人たちってすごいなぁって思うんです


 私は、大人になっても自分が無知で弱いって事にまだ納得ができてないんです

 だから、本当はまだ子供なんだと思ってるんですよ、自分を……



 …………



 えー、話を幼稚園に戻します


 幼稚園のお遊戯会で浦島太郎だったかをやることになりましてね


 先生が何の役をやりたいか聞いていたんですが

 私は突然女の子の役をやりたいと言い出したんですね

 しかもフリフリでキラキラのドレスみたいな服を着る役です

 

 別に主役とかそういうのではないんです

 ただ後ろでヒラヒラ踊っているだけ

 なんでしょうね、たぶん男は地味な衣装ばかりで……


 映えないと言うか、演技なのにそれじゃあ普段と変わらないじゃないかと

 好奇心ばかり強くて、普通では体験できないことばかりをやりたがる子供でしたので


 周りも意味がわからないと言う顔をしていましたね

 君は男の子なのに女の子の役?


 私があまりにも意固地にやりたいと言うものですから先生も困ってしまって

 でも園長先生が良いじゃないと言ってくれたのを覚えています

 今では普通かもしれませんが、LGBTQ理解のようなものが園長の中にあったのかもしれませんね

 

 うちの母も呆れたと言っていましたが……

 安っぽい青いフリルを縫い付けただけのエプロンのような衣装をなんとか着ることができたんです

 

 当時はなんだかよくわかっていませんでしたが

 私には性自認と言うものがそもそも無かったのかもしれません

 男はこう、女はこう、って言うラインが引かれていなかったんですね


 なのに、兄だから、男だから、強くなって家族を守ろうと言う変なプレッシャーも同時にあったんです

 


 …………


 そのころ、私には彼女が居ましてね

 とてもかわいい子でした

 

 私は自由奔放、好奇心旺盛、無鉄砲みたいな人間だったんですが

 その子は奥ゆかしくて

 なぜかわからないですけど私の後ろをいつも付いてきていました


 いやあれは彼女だったんですかね

 幼稚園生の感覚なんて理解できないでしょうけども


 いつも一緒でと言っても

 園の裏庭で木登りをしても見てるだけ

 サッカーしてるところを見てるだけ

 いつもニコニコしていて

 でもあまり喋った記憶が無いんですよね

 

 周りもお嫁さんができたねなんておだてるもんですから

 私も大きくなったら結婚しようねなんて調子に乗ったことを言っていたんです


 それが今でも引っかかっていましてね


 私は幼稚園卒業と同時に引っ越すことが決まっていたんです


 小学校は違う場所

 今ならすぐ会いに行ける距離ではあるのですけど

 小学生には行けない程度の距離で


 もちろん携帯もない時代ですから

 そういった引っ越しで疎遠になるのが当たり前のことです


 最後に会った時に、どうせまたすぐ会えるのになんで泣いたりするんだろうと不思議に思っていました


 また明日ね、と


 それから彼女に会う機会も、状況を知る術もなくなってしまったのですけど


 忘れたわけではなく、むしろずっと、ばったりと再会してまた仲良くなれるものだろうと

 なんだかよくわからない感覚を持ち続けていたのです


 これで私は2つの異常をきたします



 ひとつは、死生観のバグと言うんですかね

 彼女の居場所も、生死もわからない

 でもどこかでまた会えると信じていたんです


 ある意味で、死別のような体験だったんです


 また明日ねと言う短い別れと

 また来世ねと言う長い別れと


 どんな違いがあるんだろうと


 他の人が大きい違いだと思うそれを

 同じようなものに感じてしまうようになったんです


 人は死んでも思い出の中に居ると言いますよね

 生きている人もそうなんですよ

 私の中では……

 


 もうひとつは……


 私は彼女に結婚しようねと言っていたんです

 それを取り消すことがなく、今まで来てしまった


 彼女はもう忘れてしまったことでしょう

 むしろそんなことがあったと覚えていなかったかもしれません


 それでも私は永遠の誓いを彼女としたままだったんです


 彼女が今でもそれを引きづって

 他の男性と付き合ったりするのに躊躇していないか

 結婚を躊躇ためらっていないかと

 中学生になったかどうかくらいの時に酷く後悔しましたね


 もう会う機会はなくなったのだと

 そう自覚しましてね


 まあ、9割程覚えていないだろうとは思ってはいましたけども

 自分はとてもよく覚えていて

 なんて無責任な事を言っていたんだと

 

 小学生低学年くらいの頃までは、彼女は引っ越していなかったらしく

 親同士、年賀状くらいは送っていたみたいなんですが


 積極的に、元気?また会おうよとそこで伝えていれば

 今でも連絡先くらいは知っていたのかもしれません


 なぜしなかったのでしょうか


 彼女と偶然知り合って仲良くなったように

 偶然ばったりと会うものだと信じていたのでしょうか


 いくら分析しても、当時の考えを思い出そうとしてもわからないんですが

 ここまで大ごとだと思っていなかったんでしょうね

 

 いえ、世間では幼稚園生の頃の恋や愛なんてくだらないもので

 忘れてしまって当然の出来事だとは思うんですけど

 

 私の中では一生に関わる責任を

 無責任に捨ててしまったんですよ


 それから私は、人の一生を台無しにした犯人として生きることになったんです



 …………


「先生、そろそろ時間です。患者さんに話しかけてあげてください」


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 ※個人情報等、また自分の精神状態には本当に気を付けてください リアルにも甚大な被害を与えゲームオーバーとなる可能性があります。

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突然ですが、<あなた>は精神科医になりました ある精神病患者の記録 患者A @zcool

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