やっぱりなにもできない?

「……結局、俺が春香を殺したってことか?」と気づけば俺は口走っていた。

 途端、長谷川は俺を憐れむような目つきで見ると、ゆっくりと首を振った。

「違うよ。春香を殺したのは、春香を虐めていた奴ら。あいつらが眼鏡をプールなんかに投げずにいたら、そもそも春香を虐めたりしなかったら、こんなことにはならなかった」

「…………」

「でも、あいつらは春香を殺した罪を問われることはない。だって、春香の死は事故だから。ねえ、もう一度聞くね。もし誰かが自分のせいで死んだとして、それでも自分がなにものにも罰せられなかった時、その人は自分のやったことを心から後悔するかな? 申し訳ないって気持ちを、持つことができるかな?」

「……できない、としたら? お前はどうするんだ? 司法の代わりにあいつらに罰を与えるのか?」

「広瀬君は?」

「あ?」

「広瀬君は、どうするの?」

 そう言われて、俺は戸惑った。

 春香の死の真相。それはやがて警察や法医学者などによって改めて解明されるのだろう。そしてその結果が、俺たちの考えていた通りだった時、俺は一体どうするのだろう?

 でも、きっと……

「なにもできない」と俺は言った。

「……そう」と長谷川は答えた。

 その顔を見たくなくて、俺は俯いた。

「なにもできないよ。あいつらの家の窓ガラスを割って回るくらいなら、できるかもしれない。でも、春香の代わりに殺したりはできない。そこまで、自分を犠牲にできない」

「……大丈夫。私も同じだよ」

 嗚咽が聞こえて、俺はびっくりして顔を上げた。長谷川は今まで見たなかで一番不細工に顔を歪めて、泣いていた。

「私、助けてもらったのに」と長谷川はもらした。「救ってもらったのに、春香は、友達でいてくれたのに、親友なのに! それなのに、私、春香のために人を殺せない……! 自分の将来のこととか、他の色んなことを、死んだ春香のために犠牲にできない」

 そう言うと、長谷川はその場にうずくまり、声を上げて泣き始めた。そんな長谷川を前にして、俺はなにもしなかった。長谷川を慰めるのも、なにか違う気がした。俺はただその場に突っ立って、長谷川と同じ罪の意識に浸かった。

 俺は、俺たちは、どうしようもないな。

 ごめん。

 ごめんな、春香。

 クソみたいな懺悔だった。

 それから俺はロッカーで着替えると、職員室に入り、プールの現状を伝えた。教師はプールに来て春香の死体を確認すると警察に通報した。その日、学校は休みになった。

 春香の死は、やはり事故と判定されたようだった。俺も、春香を虐めていた奴らも罪に問われることはなく、ただ春香がいなくなっただけの日常を、みんな変わらず過ごすようになった。

 俺は二年でも三年でも水泳の大会で成績を残し、スポーツ推薦で大学に合格した。長谷川は受験を受けて国立の大学に進学した。それ以来、長谷川と会うことは一度もなかった。学年が上がると、俺は自分でもびっくりするくらい自然に春香のことを忘れていった。一緒に行った場所、思い出、春香の表情、声。全てが曖昧になり、やがて新しい好きな人ができた。

 俺はその子と付き合い始め、初めて知ったセックスにしばらく熱中し、その子に飽きると別れを切り出した。そしてまた別の子と付き合い始めたが、その子にもやがて飽きがきた。そうして付き合っては別れ、付き合っては別れを繰り返し、七人目の恋人ができて今度は同棲まで始めた時、俺はすでに就職していた。

 平日、眠っていた恋人を起こして一緒に朝食をとっていたら、テレビが連続殺人事件の報道を伝えていた。

 容疑者の名前は、長谷川雪だった。

 殺したのは、かつて春香を虐めていた連中たち、複数人。犯行現場を、複数のカメラや映像が捉えていた。

 どうやら長谷川は職場でひどいパワハラを受けていたようで、精神的に追い詰められていたようだった。死を考え、だけど自殺する前にどうしてもやるべきことがあると、部屋に残された遺書には書いてあったらしい。

 長谷川は首を吊った死体で見つかった。

「へえ〜、救いがないねえ」

 そう呟いた恋人に、「そうだなあ」と返しながら、俺は叫び出しそうだった。

 ああ。

 あああ、ああああああああ!

 それは、俺がやらないといけなかったのに。

 他の誰でもなく、俺が。

 でももう全てが遅い。

 遅すぎる。

 恋人が朝食を食べ終えて身支度を始めても、俺はテレビの前から離れられなかった。

 俺は長谷川と最後に話した時の記憶を思い出していた。高校を卒業する日、春香が死んでからなんとなく話さなくなっていた長谷川が、俺に声をかけてきた時のことを。

「広瀬君」と長谷川は言った。「大学でも頑張って。春香のこと、忘れないでね」

「私のこと、じゃなくて?」と俺は笑った。

「私のことは忘れてもいいよ。でも、春香のことは忘れないで」

「……忘れないよ。忘れるわけない」

「うん」

 長谷川は頷いて、笑顔になった。俺も笑顔を作った。

「なあ。俺たち、春香の恋人と、親友だったよ。たとえ春香のために復讐をしてやらなくても、春香の恋人だったし、親友だった。そうだろ?」

 俺が言うと、長谷川は目に涙をためて俯いた。俺もすぐに同じ状態になった。

 やがて長谷川は力強く頷いて、

「うん、そうだね」

 と言った。

 言ったんだ。

 俺はずっとテレビの前から動けなかった。もう二度と、動くことができないかもしれないと思った。

 長谷川、と俺はテレビに向かって声をかけた。

 俺たちは、春香の恋人で、親友だった。たとえ復讐なんかしなくても。そうだろ?

 返事はなかった。

 そもそも期待していなかった。

「次のニュースです」とテレビのなかのキャスターが無機質に言った。

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プールで恋人が死んでいたら あるかとらず @alcatrazbook

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