井波浜区心霊屋敷事件―後編

 私の目の前にあるのは普通の一軒家いっけんやだ。二階建て、かべはクリーム色、平らな屋根はネイビー、窓がそこかしこについていて、入り口のとびらは茶色っぽい感じ。


 私は事前に受け取っていた合鍵あいかぎを使い、ロックを解除かいじょした。ノブに手をかけ、扉を手前に開く。


「おじゃましまーす」


 誰もいないことがわかっているのに、どうしてつぶやいてしまうのだろうか。ちなみに、返事の代わりに返ってきたのは、ほこりくさい空気のみ。ハウスダストアレルギーじゃなくてよかったぁ。


 玄関正面は壁。右手に下駄箱げたばことリビングに続く扉。その奥はまだ見てない。茶色のフローリングの上にはうっすらとほこりが積もっていて、表層ひょうそうだけがさっきの開閉かいへいい上がった。


 私はくつがずにフローリングをむ。ほこりの下層かそう部分で靴底くつぞこがちょっとすべった。


 同時に、背後はいごに明らかな気配を感じ取った。正体は振り向く前にわかってしまったけど。


「ついてきちゃったの?」


暴漢ぼうかんがどこに潜んでいるかわかりませんから」


 光の柱さんだ。何があるかわからないから、除霊じょれいにはついてきてほしくなかったんだけどなぁ。


幽霊ゆうれいを見ることのできる機会きかいはそうありませんから」


 まだあきらめてなかった。


「危ないよ?」


承知しょうちの上です」


 何かしらのたのもしさを感じる。きたえた暴漢を秒殺びょうさつできるから相当強いのだろうけど、幽霊相手にこぶしは通らないからなぁ。


 しょうがないなぁ、何の気配けはいもなさそうな二階に誘導ゆうどうしようか。


 私は頭を切り替えて、リビングに続く扉をそっと開けた。


 ほこりが積もっていたり、扉の右手にある、庭に続く窓ガラスが割れていたりすることをのぞけば、何の変哲へんてつもないリビングだ。木のテーブルに椅子いす四脚よんきゃく。扉から左手にダイニングキッチンが見える。


 一歩踏み込んでみると、入ってきた扉のとなりに二階に続く階段。テーブルの向こうに別の部屋に続く扉があった。なお、気配は扉の方からする。


 だけど、光の柱さんを遠ざけるために、私はことさらきびしい表情を作り、階段の方に向き直った。


「……二階から、そこまでがいのない霊の気配がする」


「えっ」


「ここでひか……あなたに霊視のやり方を伝授します」


 土俵際どひょうぎわで踏ん張った私の口をめてほしい。光の柱さんの表情は見えないが、わくわくしてる感じがするぞ。


霊視れいしというのは、現世うつしよではなく幽世かくりよ、つまり霊魂れいこんなどが存在する世界を見ることです」


「ふむふむ」


「現世と幽世はわり境界きょうかい曖昧あいまいなところが多く、だいたいの場合、たがいに重なっています」


「現世というレイヤーに幽世というレイヤーが重なっている感じですか。そして、僕たちは普段ふだん所属しょぞくしているレイヤーの景色しか見ることができない、と」


 理解が早い!


「そうそう。なので、普通に幽世を見ようと思うと」


「幽霊になるしかないと」


 先読みされた!


「すると、まず単純に思いつくのは、自分の目が所属するレイヤーを変えること、ですか?」


 怖いよ! やっている人もいるけど!


「そ、そうだねぇ」


「あ、でも目はあくまでも感覚器かんかくきだから、受け取った情報を処理して認識にんしきする方、つまりのうのレイヤーを変える方が正しいですかね」


 そうだね。常時じょうじそれをやっていると負荷ふかがヤバいからやらないけどね。


「それは負担ふたんが大きいから、もう少し簡単かんたんな方法で行こうね。大丈夫、ひか……きみくらいの霊力の持ち主ならすぐできると思うから」


 あ、なんか霊力のしつが変わった。霊力って呪力じゅりょくと似て割とおどろおどろしいものだから、こんなふうに真っ白に見えるのも珍しいんだけど、そこに期待感きたいかんというスパイスが混ざったような感じになった。


 こういう質の霊力は、怨霊おんりょうが一番嫌うやつなんだよね。自分と正反対だからだろうか。


 ああ、説明の途中だった。私は教壇きょうだんに立ったつもりで右手の人差し指を立てる。


「すごい簡単に言うと、霊力を用いて幽世と視界を繋げることで、現世にいながら比較的ひかくてき安全に霊視ができます」


「難しそうですね。できるかなぁ」


「脳を幽世に適応させたり、目だけ幽世に移したりするよりは、圧倒的あっとうてきに疲れないし簡単だと思うよ……」


 そういう事ができるやつはとんでもない才能さいのうの持ち主か、どこか壊れているような奴か、あるいは生まれつき何かを犠牲ぎせいにしているような人だけだよ。


 でも、光の柱さんなら……? と思わせてくるから性質たちが悪いよこの子。


「まず、遠くを凝視ぎょうしするように目を細めて」


「はい」


「で、お腹の下、丹田たんでんの辺りからすーっと霊力を目に送るイメージ。腹筋を上に押し上げて、首のあたりの筋肉を少し張る」


 他の霊能力者たちがこのやり方をしているかは知らないけど、私はこれでできるようになりました。いや、できている状態から逆算したらこういう方法取っているな、ってなっただけだけどさぁ。


 さあて。どうかなどうかな、光の柱さんはどうかな。


「……」


 何も返ってこない所を見ると、できてないな?


 ああよかった。これでリビング全体にうっすらともやのようなものがかかっていますね、とか言われたら除霊師じょれいし廃業はいぎょうしようかと思っちゃうよ。


 でも、霊視はあくまでも技術。鍛錬たんれんと信じる心が大事。


 なにせ私の友達は、霊感ゼロ霊力たったの十で霊視はできるようになったからね。


 あ、一般的な霊能力者は霊力百万とかあるよ。美輪みわさんとかは数十億じゃない?


 ととと、目的を忘れるところであった。早く安全地帯あんぜんちたいに誘導しなきゃ。


「まあ、リビングには何もいないから、二階に上がって同じことを試してみてね」


 表情は確認できないが、了承りょうしょうしてくれた模様もよう。なんでわかるかというと、光の柱さんがおもむろに階段を駆け上がったからである。


 ……え、うそ。霊力ってゆか貫通かんつうするの!? 光の柱さんが天井てんじょうから床に向かって突き立っている。前後左右に移動してる。


 つまり、あれ天井も突き破ってたのか。地面はどうなんだろう。ブラジル辺りに行ってみればわかるんだろうか。日系人にっけいじんの知り合い作らなきゃ。


 そんなことを考えながら、私はテーブルの上にろうそくを置き、部屋の四隅に盛り塩をする。


 うわ、凄まじい勢いで真っ黒になった。い塩をしておく。


 続いてお札をぺたぺたり。三枚くらい弾かれた。今回の相手は思ったより強そうだぁ、光の柱さんを二階に行かせておいてよかった。


 まあ最悪独鈷杵とっこしょ月輪がちりんを持ち出せば何とかなるだろう、そう考えて私は油断ゆだんした。


 ボストンバッグを床に置いた瞬間しゅんかん、奥の部屋に通じる扉が勢いよく開いた。何が恐ろしいかって、全く音がしなかったの。


 私はそこから伸びてきた巨大きょだいな腕に捕まれ、部屋に引きずり込まれた。一般の人からすると、突然とつぜん部屋に向かって飛んでいったように見えただろうね。


 寝室しんしつの壁に叩きつけられ、肺からのどを通って口から息がき出す。意識をたもった私を誰か誉めてほしい。


 全身が金縛かなしばりにあったかのように動かせない。かろうじて動かせる目だけで、寝室の内部を観察かんさつする。


 あー、ごく普通の寝室。私の右手側にベッド、となりにクローゼット。後は何もなし!


 あだだだだ、関節がおかしい方向に曲がってきた。この怨霊、ここで私を殺す気だな。とりあえず防壁ぼうへきを張らないと話が進まない。私は苦悶くもんの表情で、自身の中心に霊力を集める。


「ぐえっ!」


 折れた! 右腕が、逆方向に曲がってる! 痛い痛い痛い!


 これはまずすぎる。私の頭は右腕から全身に走る、神経にやいばを突き立ててじ曲げたような刺激に完全に支配された。こんな状況で霊力をっている余裕は私にはない、美輪さんならあるかもしれないが今ここにはいない。


 ぐげげげげ、折れた骨が皮膚ひふを破って突き出てきた。開放かいほう骨折こっせつだぁ。グロい、グロすぎるよこれぇ。神経見えてるぅ。


 次は足。すねの部分の皮膚が嫌な音を立てている。先に腕が解放骨折していてよかった、と思った瞬間は後にも先にもこの時だけだろう。したたる赤いしずくが足のつま先を伝って床をめていく。


 そして、虚空こくうから巨大な手が出てきて、私の首を思い切りよくつかんだ。


 ああ、このまま首をねじ切られて死ぬのか。光の柱さん、無事にこの家を出られるといいな。依頼主いらいぬしはよく生きてこの家を出ることができたなぁ。そして私は明日のネットニュースの一面をかざることはできるのか。


 そんなことを考えていた時である。階段を下りてくる足音が聞こえたのは。


「き、ちゃ」


 動けないこの状況でも見える。光の柱さんがこっちに近づいてくる。声を出してみたものの、それはあまりにもかぼそくて、間違まちがいなく聞こえていない。


 ああ、怨霊が姿を現した。青白あおじろ骸骨がいこつ逆立さかだった頭髪とうはつを生やした、テンプレみたいな大怨霊。この呪力はヤバいよ、何で今まで気づけなかったんだろう。こいつ相当呪力の鍛錬たんれんんでやがる。


 そして怨霊は扉の方に首を向けた。そこには光の柱がそびえ立っている。


「そこに、幽霊がいるんですね!?」


 なーんでこの状況下じょうきょうかうれしそうな声出してんだよ頭おかしいのか!?


 折れてんだぞ、腕。見えてんだぞ、骨。なめとんのか、ワレェ!


 ……ん?


「どこですか、このへんですか、それともこのあたりですか!」


 光の柱さんがあっちに行ったりこっちに行ったり。その度に、怨霊がなんかおびえているみたいに頭を振る。


 怨霊がちらりとこちらを見た。眼球がんきゅうはないし、皮もってないから表情は読み取れないんだけど、たぶん何かを恐れていたんだと思う。


「いえ、あなたが壁に貼り付けになっている以上、いるのはここのはずです」


 光の柱が怨霊に近づいてくる。怨霊は身をよじりながら私に近づいてくる。私は壁に固定されてる。


 別に臭いはしないんだけど、なんとなく死臭ししゅうが顔に近づいてくる気がして、私は顔を横に向けようとする。


 じりじりと怨霊の逃げ場がなくなっていく。壁抜かべぬけでもすればいいのに。痛みにマヒした脳髄のうずいで、私はのほほんとそんなことを考える。いや、その間にも皮を引っぺがされた脛からだらだら出血しているんだけどさ。


 そしてとうとう、私と怨霊の距離はほぼゼロになった。次は怨霊と光の柱との距離がゼロになる番だ。


 五、四、三、二、一.


 光の柱に触れて消える瞬間、怨霊が私に命乞いのちごいをしていたような気がした。そんなわけないのにね、と言えないのがなんとも。


 私は壁から落下らっかする。緊張きんちょうが切れたのか、同時に霊視も切れた。そんな私は光の柱だった美形びけいの子供にやさしく抱き留められた。


 色々とツッコミたいところはあるだろうが、とりあえず、除霊は成功したのだった。





 ここからは後日談ごじつだん。まず私の怪我けがについて。なんと全治ぜんち十五秒でした!


 あの子供、南方みなかたちゃんって言うんだけど。魔術師? らしくて。回復魔術であっという間に怪我を治してくれたのさ。怪我する前より肌艶はだつやが良くなったような気がするよ。それくらい綺麗きれいに治りました。


 そりゃあの状況でも私の救出より幽霊を優先ゆうせんするわな。死んでなければ元の状態に復帰ふっきさせられるらしいし。


 でも、お姉さんとしては人命じんめい優先するそぶりくらい見せてほしかったな。まあ、除霊の現場見るの初めてで、これぐらいが普通だと思っていたらしいけれどもやっぱり納得なっとくいかねぇ。


 怨霊についてだけど、なんであの家にあんな強力な怨霊がりついていたのかは最後までわからなかった。いわくつきの土地でもないし、被害件数が数千件とかでもなかったし。


 あ、もしかするとこの家から、もっと言うとこの部屋から出ることをできなくした代わりに莫大な呪力を得たんじゃなかろうか。他には行けないけど、寝室だけは最強とか。ベッドヤクザか? それでも南方ちゃんの霊力にかなわなかったのだから、世界は広いよねぇ。


 だとしても、始まりはなんだったんだろうね。南方ちゃんの調べでは家の下に死体が埋まっていることもなかったし。


 それと南方ちゃん。警察けいさつ関係の人でした。手帳見せてもらいました、貴重きちょうな経験。


 霊視もできるようになりました。幽世という薄靄うすもや視認しにんできるようになりました。めでたいねぇ。


 これであの子も霊能力者のたまご。今度除霊にさそってみようかと思い、連絡先れんらくさきを交換してもらいました。やったね。


 でもとっても忙しいみたいだから、ご一緒できるのははるか先の未来になるかも。ボディガードとしては世界最強クラスなんだよねぇ。いや、霊能力者としてもトップクラスかもしれないけど。


 世界トップの霊能力者の師匠ししょうポジション……あまりにも甘美かんびすぎるひびきだ。おししむらくは弟子でしがあまりにも強すぎるせいで教えることがほぼないことですかね。師匠としてどうなんだそれ。


 まあでも何事も経験値が重要だから。それだけは勝ってるから! の霊力でありえないくらいの差がついているけど泣かないもん。


 で、最後に報酬ほうしゅうと依頼主について。


 あの後、Aさんに会いに行ったんだけど、住んでいるはずの住所は更地さらち。あの日までつながっていた番号に連絡つかなかったんだよね。


 でも、お金はきっちり振り込まれてた。出来高できだか込みの一千万円。南方ちゃん経由でお金の流れを追ってもらったんだけど、きちんとAさんの口座から振り込まれていた。


 くだんの心霊屋敷は今でも売りに出されていて、買い手はついていない。もう、あそこで心霊現象は起こらない。起こりえない。


 まあ、こういう事はよくあることなので、今日も今日とて、私は怪しげな除霊依頼を引き受けるのだった。


 次は近畿きんき地方らしいぞー、テンション上がってきたなぁ!


                                   ――了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

滝塚市の与太話 ことのき @kotonoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ