機械の子育て

文星

第1話 旧友からの電話

ベランダに出て、口から白い息を吐き出す。

空には、金色の満月が浮かんでいた。

秋の冷たい風が吹き、どこからか虫の鳴き声が聞こえてくる。

ポケットからタバコを取り出して、口に咥える。

ライターで火をつけると暗闇の中、タバコに小さな橙の火が灯る。

モクモクと煙が上がる中、ポケットのスマホが振動していることに気がついた。

電源をつけると〈非通知〉という文字が表示されており、溜息をついて電話に出る。

「言ってるだろ、機械はいらない」

「まあまあ、落ち着いてよ」

電話からやつれた声が聞こえてくる。

「また徹夜したのか」

「まあね、順調だったから」

順調だったら俺なんかに頼ったりはしないだろうという言葉を飲み込んだ。

高校の同級生であるこいつから、久しぶりに電話がかかってきたのはつい先日のことだった。


「機械の子どもって欲しい?」

「は?」

俺がバツイチになったことを知っているのか知らないのか、どちらにせよ俺をバカにしていることには違いないと思い、早々に電話を切ろうとした。

「いらない。それじゃ」

「待って待って。大事な話なんだ、お願い」

こいつの真面目な話というのが大抵良くないことであるのは知っているが、俺は電話を切らずに話を続けさせた。

「えーと、国家機密だからあまり詳しいことは言えないんだけど、ある実験をしてる最中に失敗作が出来たんだよ。それが、感情を持たない人間みたいなロボットで、失敗作は失敗作なりに活用しようと——」

「待て、理解できない」

昔からこいつはそういう所がある。

自分の知っていることは、当然のように他人も理解していると思ってしまうのか説明が下手なのだ。

「うーん、簡潔に言うと、食事不要、睡眠不要の人間型ロボットを実験のためにしばらく養って欲しいんだ。中学生の女子みたいな見た目なんだけど——」

「そうか」

それだけ言って、俺は電話を切った。

俺には中学生の娘がいる。

いや、「いた」の方が正しいのだろうか。

自分でも熱心に教育してきたとは思うし、娘のために使う金は惜しまなかった。

将来のためを思って、小学生の頃から塾にも行かせ、それなりの学校にも行かせてやった。

当時は、自分の子育てに間違いなんて一つもないと思っていた。

点数が悪いのは、やる気がない証拠。だから、叱った。

早く良い人間になって欲しいと思っていた。だから、手が出てしまった。

だから、俺は何も悪くない。

ずっとそう思って生きてきた。

あの日まで。

仕事から家に帰ると家には誰もおらず、ラップがかかった晩飯だけが置いてあった。

働いている自分を置いてどこへ行ったのだと怒りを募らせていると、皿の下に一枚の紙が敷いてあるのに気がついた。

〈離婚届〉という文字を読んだとき、やっと初めて自分の間違いに気がついた。

泣きたいような気分だったが、涙は出なかった。

後悔をしても、もう遅いと分かっている。

だから、そこからは早かった。

用紙を役所に提出した後、車に妻と娘の私物を乗せて、妻の実家へ行った。

やはり妻はそこにいたが、俺に顔を合わせようとはしなかった。

妻に渡してくださいと、それなりの金額のお金を義母に手渡し、荷物を家に運び込む。

途中、一度だけ娘が自分の荷物を取りに来たが、あの時の心を抉るような視線を忘れることはきっとない。

スマホも買い替え、家にある家族写真も全て捨てた。

家も変えようかと思ったが、なぜか売る気になれず、結局は三人用のマンションの一室に一人で住むことになった。

どこかの電気がついているとき、必ず電気のついていない部屋がある。

家族ができてやめたタバコも久しぶりに始めた。

たとえ機械であっても、人間であっても、僕には養う資格はなかったのだ。

昔も、今も、そしてこれからも。


「それで、今度はなんだ?」

タバコの火を灰皿で消す。

「以前、話していた機械の処分が決定したから連絡しようと思って」

彼の言葉は、まるで秋夜の風のように冷たくて、どこか悲しさが含まれているように聞こえた。

「残念だが、感情論で行動するほど、俺は優しくはねえよ。それに失敗作なんだろ」

「知ってるよ、だから連絡したんだ」

あたりが一層暗くなった。

空を見上げると満月が雲に隠れていた。

「噂で聞いたよ。夏美と離婚したんだってね」

虫の鳴き声が音を増す。

「詳しいことは知らないけど、君はよっぽど大きな失敗を犯したようだ」

目下の信号が黄色をずっと点滅している。

「『失敗は成功のもと』みたいな綺麗事は言わないよ」

月が雲の隙間からこちらを覗いている。

「ただ、お前らしくないなとだけ言っておくよ」

新しいタバコを取り出し、口に咥える。

「九条、これで最後にするよ。これで無理だったら諦める。一人の機械を助ける気はないか?」

俺は何も言わずに電話を切る。

お気に入りの銘柄のタバコが不味くて、灰皿に押し付けて潰した。

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機械の子育て 文星 @bunnsei11

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