夜明けの風

また、夜が来た。

朝に涙が零れるなら、背中の嫌な感覚が取れるのだろうか。

少し、気持ちいい。

俺にとっては、非日常的な気分。

啜る音と共に、香る出汁の味はとても美味。

そして、少しばかりの物足りなさがある。

部屋の前に置かれた飯は、素麺。

最近は、飯を残すことが多かった。

だからこそ、素麺を出してくれたのだろう。

でも今は、いつもの何倍もの食欲を覚える。

だから、物足りなく感じてしまう。

今日の朝、脳が洗われたかのように思考が塗り替えられた。

不思議な感覚だった。

全てをわかったような気がした。

実際に、あの時にわかったこともあるのだろう。

この俺が学校にいけるかは兎も角、いけるように心持ちを変えていこう。

まるで、自分の身体にエネルギーを感じる。

麺をできるだけ強く啜って、そのエネルギーを使う。

「なんだ?」

咀嚼している時、スマートフォンが振動した。

今は、特になんの通知も期待してはいない。

面倒だが、スマートフォンを手に取る。

空花そらはな公園で、夢奈が公開自殺しようとしている。早く来て。

一瞬だけ、嘘に思えた。

だが、これは現実だろう。

「あ、あ。あ……」

吐ける息も途切れている。

柚音の悪戯は人を巻き込まない筈だ。

だって、柚音はただ。

俺のことが好きなだけだから。

俺はこの時、自室の扉を開けた。

こんなことは、一年ぶりだ。

フローリングの廊下に素足が密着して、走ることは簡単ではない。

階段の段差を下がる行為すらも、懐かしく思えるのは当然。

家の中なのに、体内に入る空気がまるで違う。

階段を下り終えると、玄関の扉に張り紙が見えた。

あなたは、外に出る機会があると思ってました。

やっぱり、私の推測は当たってましたね。

ご丁寧に書かれた日付は、俺が引きこもったあたりの日付。

涙よ。俺は今、大好きな人のもとへいかなければいけない。

少しばかり、ひっこんでおいてくれ。

用意されていた靴を履いて、扉を力いっぱい開けた。

鍵は閉めていないし、持っていない。

挙句、スマートフォンも忘れた。

お母さんには、なんて怒られるかな。

上がる息が、そんなことはどうでもいいと思わせる。

履き慣れない運動靴で、がむしゃらに。

視界の移り変わりの遅さに、運動不足を実感する。

でも、絶対に。

今の走りが、俺の全力疾走であることは間違いない。

風に、体があたる。

外に出たのに、美味い空気は吸えていない。

でも、そんなことは気にしていない。

というか、気にしていられない。

荒い呼吸に、何故かスピードが上がる。

いつもは、少しの疲れでも寝込んでいた俺。

恋の病、いや。恋の恩恵だろうか。

そろそろ、視界に遊具が入り始めた。

涼しさを感じる、静けさ。

それに、違和感を覚える。

空花公園の入口まで走ると、目の前には柚音の姿があった。

「よく…… 来たね。」

柚音以外の姿は、ない。

「夢奈は……?」

上辺だけの質問。本当は、柚音がついた嘘だとわかっている。

「なんで、夢奈が気になるの?」

噛み合っていない質問が飛んできた。

「お前が、言ったんだろ? 夢奈が自殺してしまうから、早く来いって……」

柚音は、明らかに瞼を落とす。

「そうじゃなくて。なんで、あいつなんかが気になるの?」

怒っているように見えるというか、台詞の内容が冷酷に聞こえる。

柚音の嘘や侮辱は、こんなに過激ではなかった。

いきなり、どうしたんだ。

「それは、俺が夢奈のことを愛してるから。」

照れくささなんて、感じる暇はない。

俺は真剣に、不思議な柚音と向き合った。

「じゃあ、好きなところは?」

一瞬だけ、心が冷えた。

それと同時に、真剣な柚音に気づかされた。

「……なんだろう。」

俺は、夢奈の好きなところが言えない。

「俺に話しかけてくれるところ。でしょう?」

俺の視線が、柚音から逸れた。

「俺に関心を持たない皆と違って、夢奈だけは些細なことで話しかけてくれた。その時、俺の心の穴が埋まった。俺の心を埋めてくれる存在だと気づき、俺は夢奈が好きになった。」

雑な声真似が、嫌にむず痒くなる。

「お前のその心の穴は、単なる寂しさ。それを埋めるのなんて、誰だってできる。夢奈の個性が好きなんじゃなくて、人の温もりを見せてくれる人に縋りついている。お前のそれは、恋愛感情じゃない。依存だ。」

今の言葉に対して、嫌な気持ちがしない。

柚音の言ったことが、正論なんだろう。

それに、柚音の言ったことが正論でなくても。

納得させられている俺は、夢奈に恋愛感情を持っていない。

「突然だけど、私はお前のことを愛している。」

崩れない表情が、驚きの言葉を言わせない。

「まめな返信、感受性の豊かさ。整った顔立ち。勿論だが、お前の個性に好感を持った。」

柚音は、どこか拗ねたような顔をした。

「だからこそ、お前を助けるため。連絡を毎日入れて、たまに嘘をついて笑かして。そして、お前の気持ちを探った。」

柚音はもう、シャーデンフロイデには見えない。

あの時に気づいたことも、柚音に対する過剰な思い込みだったみたいだ。

「どうかな。外の空気は美味しいだろう?」

深く柔らかい音を出して、空気を飲んだ。

「とても甘い。そして、美味しい。」

人が持っている温もりとは、違う優しさを持っている柚音。

「私はお前の親じゃないから、学校に顔を出せなんて言わない。私が言えるのは、学校って悪いところじゃないこと。それだけ。」

柚音がそういうなら、学校だって楽しみだ。

「俺、明日から学校に行ってみるよ。」

柚音に学校でも会いたい。

正直、それだけ。

「そうか、おやすみ。」

強引に話を終わらせて、柚音は空花公園を後にした。

「学校で夢奈に会ったら、別れ話をしておこう。」

俺も帰路についた。

俺が学校に行ったら、柚音はかっこいい笑顔を見せてくれるかな。

これは、不登校の俺に登校する勇気と理由をくれた女の子。情けなかった俺。そんな奴らの話。

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夜明けの鎖 嗚呼烏 @aakarasu9339

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