物語にならなかった夜。

神崎郁

エスケープ

 深い夜の中、自転車を走らせる。


 ただ、ここじゃないどこかへ行きたい。血の通ったものしかない所に行きたい。そんな観念的なことばかりを願いながら一心不乱にペダルを漕ぐ。


 自分がどこにいるのかも分からぬまま、ひたすらに。


 寂れた地方都市すら、今は少し煌びやかに見えるものだから、世界全てに置いていかれるような心地だ。


 いつの間にやら17歳も終わりかけ、将来のために大人になることが迫られる。


 これから始まるのは果てしない地獄なのかもしれないし、甘ったるいモラトリアムなのかもしれない。


 未来は未来の僕にしか分からないし、自分を真に救えるのは自分自身だけだ。


 その事がたまらなく怖いと思う。


 どこまで行ったって一寸先には自己矛盾があり、大小様々な苦しさがある。


 まあ、ままならないことばかりだ。


 思索にふけっているうちに人気のない夜の公園に辿り着く。


 ここには小さめの高台があってこの街を一望できるのだ。


 逃げたいだ何だと言っておきながら、逃亡先は見知った場所。それが僕の限界を如実に現している。


 昼はそれなりに家族ずれや散歩中の老人で賑わうものの、今はひっそりとしている。


 まあ、こんな夜に公園に来るのは、僕のような自分に酔ったやつか、何も考えていない飲んだくれのどちらかだろうし。当然だろう。それなりに広い公園だから余計に。


 汚れた街灯には夏の虫が集って、小うるさく鳴いていた。


 高台にたどり着くと、そこには少女がいた。


 1度目を逸らし、もう1度目を遣るも、やはり僕と同年代位の私服の少女がいる。


 どうしてしまったんだ僕は。自分に酔うあまり世界すら歪めてしまったのだろうか。それとも、僕と同じような......


 いや、そんなはずは無いとその思考を振り払う。


 1度も話したことがないのに勝手に見ず知らずの人にシンパシーを感じてるの普通に気持ち悪過ぎるし。


 少女と目が合った。


 黒いロングヘアはそのまま夜を帯びているようで、白いワンピースが妙にミスマッチに感じる。そして、特筆すべきはその眼だ。顔立ちは日本人っぽいのに目だけが異質に青く光っていて、それが不気味に感じた。


「あなたには、わたしが見える?」


 目の前の少女の声だと気づくのに一瞬遅れた。


 独特なのだ。彼女はたぶん普通に話しているはずなのに、僕はと言うと頭の中に鮮烈な情報を流し込まれるような心地になっている。


「み、見えてるけど」


 何だか怖くて、でもどこか運命的で、やはりそれでも怖いが勝ったためか、しどろもどろな返しをしてしまう。


「よかった。3年ぶりだわ」


 3年? そう困惑するも、自分のことが見えているかと質問する時点で人間離れしているか、痛いやつかだ。


 そして、この少女の雰囲気は異質だったため、たぶん人間では無いのだろうと思う。その推測を何故かすんなりと自分の中で受け入れることが出来た、


 それもきっと、若さに酔ったこのおかしな頭のせいだ。


 物語と自分に酔った僕は我慢できず彼女に質問を返す。


「君は、もしかして幽霊?」


 一瞬の沈黙の後、彼女は答える。

 

「そうかもしれないわね」

「分からないの?」

「人として生きていた記憶が無いの」

「そうか。」


 何と答えればいいのか分からずコミュ障な僕は生返事しか返せない。まあ、幽霊じゃないならなんなんだと言う話だし便箋上幽霊だということにしておこう。


「あのさ」

「何かしら?」

「3年ぶりって言ってたよね? 僕以外にも3年前に君のことが見えた人が居たの?」


 幽霊は少し黙ると、再び口を開く。


「ここ10年くらいではあなたで4人目だと思うわ。みんな、私の事を変なものを見るみたいに避けて行ったけど。実際、変なものではあるんでしょうけどね」

「10年前より前のことは?」

「覚えてないの。けど、あったんだと思うわ」


 そう言うと、おもむろに古びた一枚の写真を取り出した。


 社会人らしき男性が1人でコーヒーを飲んでいる写真だ。そして男性の向かいにもまた、コーヒーが置いてある。


「この写真を見ると、どこか暖かい気持ちになるの。これがいつの写真なのかも分からなくて、昔からあるものだけど、たぶん彼の向かいにいるのは昔の私なんだと思うわ」

「この人は、今もあなたを覚えていると思いますか?」

「どうかしら、生きているのかも分からないし、どんな関係だったのかも分からない」


 彼女はどんな思いでこの写真と10年間向き合ってきたのだろう。

 

「写真、撮りませんか?」


 無意識に僕はそう言っていた。


「え......? あなたが、いつかあなたを覚えていられるように僕とツーショットしてください」


 僕が手元から取り出したのは使い捨てのインスタントカメラ。感傷にはもってこいの代物である。


「はい」


 そして僕らは流れるように写真を撮った。右半分に僕を写して、左半分には空白を写した。


「どうしてあなたまで写真を?」

「備忘録にでもしたらいいよ」

「はあ......」


 そして驚くほど流れるように別れた。


 これが1年前の話。


 あの不思議な体験をふと思い出した僕は1年ぶりにこの夜の高台に訪れた。


 見ると、そこには彼女がいる。


「あの、あなたはこの写真の人ですか?」


 彼女に話しかけられる。差し出された写真の右半分には僕が写っていて、もう半分は綺麗な空白だった。


 彼女にはもう去年の記憶はないのかもしれない。


 けど僕らはまた巡り会え、あの日の空虚な僕はたぶん彼女の一部になった。それだけの話だ。

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物語にならなかった夜。 神崎郁 @ikuikuxy

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