雨の中で

秋のやすこ

雨の中で

「昼から豪雨だってさ」


「まじかー」


スマホをスワイプしながら片目で窓の方を見てみると、昨日に続き満点な青空が広がっている。昼から降るとはとうてい思えないくらいに明るい。


「じゃあ飯どうする?早めに買っとく?」


待ち望んだ土曜日、友達である裕介の家に朝から邪魔させてもらっているが、どうにもやることが浮かばなくて困っていた。昨日までは服を買いに行こうとか、カラオケに行こうかと、山のように遊びの案が溢れていたが

当日になればダルいし暑いしで何も行わず、先日の自分の期待を裏切り、自ら生んだ暇に悩んでいる。

ただそんな達成感の欠片もない暇が馬鹿な男子高校生は好きなのだ。


「うーん…そうだ」


グワっと起き上がった裕介はなにかいい案を思いついたのか明るい表情をしている、だが俺はこいつの中の悪どい顔も透けてみえた。


「ジャン負け、豪雨の中で買い出しいこうぜ」


普通なら拒否以外の選択肢はないが、今の俺たちは暇なんだ。豪雨なんてそんな頻繁に来るもんでもない、馬鹿げたことをするのもたまにはいいだろう。


「いいね、乗った」


なんなら…わざと負けてしまおうかと、そんな考えも浮かんできてしまう。


裕介はベットから降り、俺は椅子から立ち上がる。俺たち二人は向かい合って構えを取る。右腕を少し突き出し全国共通の掛け声を同時に発声する。


「最初はグー!」


俺たちの声は綺麗に重なり、二人以外誰もいない二階建ての一軒家の中を走りまわる。


「ジャンケンポイ!!」


昔から、ジャンケンをするときはグーと決まっている。それが性格なのか、なにか理由があるのかはわからないが、とにかくグーだ。

だが裕介は俺がグーを出すことを予測していた、裕介がパーを出すと気づいた時には俺は既に腕を振り下ろした後で、開き切った手を見る前に俺は負けを知った。


「あー」


「え〜い、俺チーズバーガーね」


「はいよ」


ポケットからジャリジャリと出された小銭は十円が八枚と五円が三枚、百円が三枚に一円が五枚…軽い小銭が重なって少々重い。

ポケットにこんな入れておいたらカツアゲされてしまうぞと、浮かびやすいヤンキー像を想像しながら虚空に言葉を放った。


「まぁまだ降る感じしないからそれまでは…」


まるでお前には喋らせないぞと言っているかのように、ザァーと大量の雨粒がコンクリート、木の葉、瓦屋根に衝突する音が町中に広がる。


「おぉ…いきなり降ってきたな」


「おう…」


ただ雨が予報より早く降っただけだというのに、俺と裕介は少しだけ怯えている。ただ音にびっくりしただけなのかもしれないが、なんとも言い難い畏怖を感じた。


「じゃ、じゃあ行ってくるわ。早めに帰る」


「気をつけてな」


いつもならばこんな会話は巻き起こらない、俺が出ていくだけで安全を祈った言葉が、親子ならともかく友達同士でこんな会話になるのは稀だろう。

そんな会話が今の奇妙な街の様子を表している気がする。


玄関を開けると、さっきまでこもって聞こえていた雨音がガチャリと閉まる音と同時に鮮明に耳に入る。

屋根に弾かれた水滴が腕につき、少し冷たい。


「よし…行くぞ」


誰かに向けて放ったか、はたまたただ呟いただけなのか、自分でもよくわからないが何故だかその言葉を発せずにはいられなかった。

雨が降る中俺は歩き出した。

ジメジメとした暑さはどこへやら、今は半袖一枚では寒いくらいだ。


「さっむ…」


こんな暑いのに体が震えるくらいなのは少しおかしい、俺は空いた左手でポケットからスマホを取り出し、天気アプリを開く。


「なんだ?」


アプリで表示されているのは33度、画面自体はおかしくもなんともない、いつものように気が触れそうになるくらいの気温だ。


しかし俺の中ではとても寒く感じる。

度々吹く凍てつかせるような風はまるで月の後半1月末の大寒の日を思い出させる。


「どうなってんだ?」


麦わら帽子を被り、虫取り網を持った少年が走り去った。

こんな雨で傘も持たずに大丈夫かと心配していた刹那、俺の周りに霧が立ち込める。


誰かの家の部屋の明かりも、少量だが確かに通っていた車のライトも、俺の周りにあった明かりは全て遮断されてしまった。


露骨に感じる不気味さは先ほどまでの感覚とは全く違う。

俺に狙いを定めて現象を起こしているようだ。

今、じゃんけんの誘いを受け入れ勝ったことに、少々後悔していた。

裕介が負けていればこんなことを体験せずに済んだのに。

よくない思考なのは理解しているが、そう思ってしまう。


とはいえいきなり霧が立ち込めて怖かったから帰ってきたなんて恥ずかしくて言えるわけがない。

仕方がないので頼りのスマホを握りながら歩く、雨は勢いを落とすことなく降り続けている。


大きいため息を吐いて歩いていると霧の奥から人影がうっすら見えるようになってきた。

すれ違うわけでもなく、ただポツンと突っ立っている。前にはいない、左右に見えるだけだ。


雨音のせいではっきりとは聞こえないが、人影はなにか話している。


「せ…………じか………」


会話には聞こえない、声色的にあまりポジティブな内容ではなさそうだ。

普段なら構わず無視だが、こんな状況だからこそ話しかけようと思った。


「あの」


近づけば影が晴れると思ったがそんなことはなく、影というよりは全身が黒に包まれている人間だ。

口だけがよく見えて不気味だ。

髪が長いからおそらく女性だろう。


「生活やお金、それから時間、そういうのに

だらしない人って他責思考が多いよねー」


「自分の不幸な人生そのものを誰かのせいにしたりさー。ほんとに、そういう人には絶対会いたくないよね。あなたもそう思うでしょ」


「は?」


話しかけたのは俺だ、聞こえなかったかもしれないがいきなり訳のわからないことを言い出す女性にたじろいでしまった。


「そ、そうですね。あの」


「生活やお金、それから時間、そういうのに

だらしない人って他責思考が多いよねー」


さっきと同じことを言い始める黒い女性、俺の声は聞こえていないみたいだ。


「自分の不幸な人生そのものを誰かのせいにしたりさー。ほんとに、そういう人には絶対会いたくないよねー。あなたもそう思うでしょ」


俺が話しかけても彼女は全く同じ言葉を繰り返すだけだ。

口では他人を非難しているのに表情はニコニコしている、口しか見えないがその顔は明らかに笑っているのだ。

あたかも普通のことを話しているように。


俺はスッとその場から離れた、とにかくここを出たい。

雨が弱まってきたか、周りの黒い人間たちの声がよく聞こえるようになってきた。


そのうちに前からも人間が歩いてくるようになった、俺が話しかけずとも話しかけてくる。

俺の言葉は聞いてはいないが。


「この前遊んだんだ、犬と。犬は僕に駆け寄ってきたよ。けれど道路を挟んでいたから車に轢かれたんだ」


「僕が犬に向かわなかったことが悪いのかな、それとも道路を挟んだことかな」


「そこに信号を置かなった人のせいじゃないかな」


「そもそも道路を渡った犬が悪いんじゃないかな」


「ばかだね、犬って」


こんなことを普通の少年は言わない。そもそもこの雨で俺以外全員傘を刺していないのがおかしい。

ここには人間に似た黒いなにかがいるだけで、本当の人間はいないんだろう。ここに迷い込んで、俺も人間ではなくなってしまっているのだろうか。


次にすれ違ったのはリードを引きずった犬。犬は吠えずに低い声で言葉を話し始めた。


「おまえに引っ張られるとき、痛かったよ」


「捨てられる気持ち、わからないだろ」


同じことを繰り返すだけでその先はないため、聞き終えると俺は早々に歩き出す。

俺は犬を飼ったことはない、誰に向けて言ったことなのかわからない。

あの犬を誰かが捨てんだろうか。

それとも、犬が捨てたのか。


「はぁ…」


慣れてきたのか、奇怪な状況すぎて逆に落ち着いているのかわからないがなぜか納得してきている自分がいる。


「あいつらは死者なのか?」


寒さも霧の原因もわからないのにあいつらのことなんてわかるわけがない。

だが無性に考えてしまう。

納得していると思ったが、そうでもないのかもしれない。

この空間には俺一人、四方から迫る訳のわからないことを吐き続ける謎の影。


なにかを映し出したものなのか?例えば、影の実物の本心だとか。心の闇を反映したのがあの影で、霧はそれを映し出す媒体なのか?

この霧は人間や動物の心を格納させる空間なのか?

俺はそこに迷い込んだのか?


くだらない推理だ、だがそんなような気がした。

本心として愚痴や恨み言が出るのは当然だ、誰しもが純粋に生きているわけではない。

俺の影がもしここにあっても、きっとさっきの影たちのような言葉しか吐いていないだろう。


いないのか、やはり。


そういえばこの霧に入ってからスマホを握っているだけでなにもしていなかった。

裕介に電話してみよう。そう思った。

繋がらない。そんなことは気づいていたが平べったい希望を持ちたかった。


とにかく前へ進んでみた。

そもそもこの道がどこに繋がるのかもわからないが抜ける方法があるのならそれに向かって進むしかない。この先がたとえ無でも、歩き続ける。


歩くこと数十分、道中でいろんなやつの話を聞かされた。


命を終わらせかけた男。恋人のせいで天涯孤独の身となった女。

最近叩き落とされた虫。策略が上手くいったと主張する老人。

ヒーローを倒してしまっ敵怪人。

地球の監視をやめた宇宙人。


先に進めば進むほど、話す内容が変わっていった。

どういった理由でかはわからないが、一方的な会話が少なくなってきた。

俺からの言葉を受け入れるようになってきていた。


「いやぁー短い、短いねぇー!この道はいつ来ても短いよ!」


初めてここについて話しているやつを見つけた。

なんだか涙が出そうだった。影であることには変わりないが、ここを知っていそうなあいつに、とてつもない安心感をもった。


「あの、この道を知っているんですか?」


俺が聞くと前までのやつとは違い、一瞬静止した。さっきまでの受け答えが一応できたやつは俺が話すと即座に言葉を返した。

こいつは違う、人間と似たような反応だ。


「知っているわけではありません。この道のことは誰も知りません」


「え?」


さっきまでの元気なおじさんの声ではなく。今は落ち着いた青年のような声に変わっている、気持ちわるい。このタイプは初めてだ。


「私も知りません、私は今日も歩いている。いえ、久々に歩きに来たと思います」


歩きに来た?外部からやってきたやつなのか?こいつは影じゃなく、人間なのか?


「外からやってきたんですか?」


「私からみればそうでないにしても。あなたから見ればそうであるかもしれない。外からやってきたようで外からやってきていないのでしょうか」


今まで会った中で一番でなにを言っているのかわからない気がする。なまじコミュニケーションができるせいで普通よりも際立った異質さが現れている。


「一つ言えること、それはこの道の長さは人によるということです」


「あなたの長さはわかりません。これは簡単に言えば、万人にとっての真実です」


よくわからないが長さは人によって変わるということらしい。

俺の道の長さはわからない、ただ歩き続けるしかないのか。


俺は返事ができなかったが、軽く頭を下げてまた歩き出した。

頭を下げた時、道路が見えた。

道路には俺の足がある、足の少し前にさっきまで話していた男の足もある。

それは黒くない、黒いズボンを履いていて、白色のスニーカーだった。

初めて見た影ではない人間。顔は傘のこまで見えなかった。

どんな顔をしていたか、過ぎ去った今では知る由もない。


強まったり弱まったりを互い違いにする雨は俺の心を表しているように感じる。

さっきの会話で少し落ち着いたかと思えば、少し歩けばまた不安に押しつぶされそうになっている。


「万人にとっての真実か…」


「あなたは生きているか?」


「あなたはほんとうに歩いているか」


傘が雨を弾く音の中にそんな声が混じっている気がした。それは影が言っていることなのか、俺の幻聴なのかはわからない。

ここまでの時間で俺は気が狂ってしまっているかもしれない、もしそうであれば映画でよくある、何日もかけてじんわりと気を狂わせていく流れなんてものは嘘なんだろう。


突飛なことが起き続ければ簡単に壊れる。

人間の精神は、そんなにも強靭なものではない。


俺は今高校生、まだ20年も生きていない。

俺みたいな子供にはこんな経験は少し早すぎるように感じる。

大人であればここにいても大丈夫、とも思わないが。


この道が万人にとっての真実ならば、俺が今まで生きてきた道は虚偽だったのではないかと脳を回してしまう。


さっき言っていた男の真実がなんなのかよくわからないからだ。

俺にとっての真実は、なんなんだ。

ただ黒い影の会話を聞くだけが俺の真実だったのか。


影である俺が現れないのはなぜだろう。


自己を投影させた鏡であろうこの道に俺が出てこないのは、それほど俺は虚であったからなんだろうか。


表裏が少ないのが虚に繋がるのなら、俺はずっと虚であろう。


考えても仕方がないことに脳のエネルギーを使いながら歩いていると、先の方の霧が薄くなっていることに気づいた。


既に足はガクガクと震えていて、足裏はズキズキと痛んでいるがそんなことを放って俺は走り出した。


傘が風を受け、少しでもこの道に長くいさせてやろうとしているようだ。


「遠いな…」


見た時は少し先くらいだったはずなのに、近いようでとても遠い。

近づくごとに遠ざかっているように思える。

それでも走り続けよう、俺が今できる最大限が走り続けてこの道を出ることだ。


あぁ、風が強くなってきた。傘が俺の邪魔をする。どうしても俺をこの場に閉じ込めておきたいらしい。


もうこんな空間はうんざりだ、とっとと元の場所に戻してくれ。

突風に立ち向かう俺と、突風と協力して足止めしようとする傘。これだけ吹いているのならば傘がひっくり返る頃だが、傘も頑固者だ、まったくそんな気配がない。


やめてくれやめてくれ。これ以上ここにいさせないでくれ。

限界を超えている足がブチブチと嫌な音を鳴らし、肉がえぐれているような熱さを足裏から感じる。


それでも出るために駆ける、駆ける。


痛みなど気にしていられるか。


突風の次は影たちが俺の邪魔をしようと道を阻んでいる。


やめろやめろ。もうおまえたちの顔も見たくないんだ。


影なんだからおまえたちに実態はない。

もうおまえたちに畏怖など感じていない、あるのはおまえたちを邪魔だと感じる心だけだ。


雨なんて気にしていられるか、傘を閉じてあいつらを振り払い。

薄くなる方へ駆ける、駆ける。


元の世界は戻るために駆ける、駆ける。


濃い霧はだんだんだんだんと薄くなっていき、少し懐かしさを感じる世界の色彩が眼に溢れ出した。


「おまえ…寝不足なの?」


「ん」


どうやら、眠ってしまったみたいだ。

ジャンケンで負けた俺はこの暑い中飯を買いに行かされる羽目になった。

しかし玄関前で寝るとはどうしてしまったものか。

昨日は普通に寝たと思うんだけどなぁ。


夏バテ、かな。


「早く行かねえとやばいよ。雨降るらしいから」


「おーマジか。行ってくるわ」


そう言った後玄関を開けて、バーガー屋へ歩き出した。

ふと空を見上げると、昨日に続き満点な青空が広がっている。昼から降るとはとうてい思えないくらいに明るい。

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