2
おしゃべりコウモリが僕に話しかけて、星の欠片が道端に落ちていた。犬のリードだけが散歩をしていて、それを犬が追いかけていった。
今日はどこまでも行こう。僕はそう決心して歩き続けた。雪の降る誰もいないこの世界には、僕の心がざわざわすることなんて、一つもない。
一匹の兎が道の脇からぴょんと目の前に跳んだ。白い兎は雪で出来た雪兎だった。ちっちゃな鼻を空に向けてぴくぴくさせて、僕の前を横切っていった。
そうだ、雪兎を作ってみよう。
とてもいいことを思いついた気がして、僕は道の真ん中に膝をついて手で雪を集める。道はまっすぐずっと向こうまで続いて、時々右や左に曲がり道がある。夜なのに、雪と星と月のおかげで道はあんまり暗くなかった。むしろ、ほんのり光っているようにも見えた。
冷たい雪を集める手のひらは、すぐに真っ赤になったけど、僕は全然気にしなかった。やがて目のところをちょっとだけくり抜いて、両手に収まるぐらいの雪兎が完成した。初めて作った雪兎はへたっぴだったけど、初めてにしては上手な気がして、僕はその背中をそっと撫ででやった。
ぴくぴく鼻が動いて、雪兎は瞬きをした。瞼を開いて閉じると、そこにはもう赤い目が二つあって、長い耳がぴょこんと立った。ぶるぶるって身震いすると、細かい雪が飛び散って僕の上着についた。雪兎は短い前足と長い後ろ足でぴょんぴょん跳ねまわった後、立ち止まって僕を見上げた。
僕と雪兎はずっと歩いた。雪がしんしん降る中を、兎が前を歩いて僕が後ろをついて行く。雪ねずみや雪おおかみともすれ違った。雪はずんずん積もって、僕らはどんどん歩いた。
何時間経ったんだろう。一日ぐらい経ったかもしれない。二日かも、一週間かも。それとも一時間? それが全然分からないことに気が付いて、僕はふと怖くなって立ち止まった。前にいた雪兎がすぐに気が付いて足を止めて、僕の方に戻ってきた。
「僕ら、どこに行くんだろう」
尋ねる僕を、雪兎は赤い目でじっと見つめた。この雪兎はペットでも友だちでも家族でもない、もっとずっと僕に近いもの。例えば、僕の身体を千切って兎の形にしたら、きっとこんな感じ。
僕は僕を、雪兎を見下ろして、屈んでそっと抱き上げた。雪兎は逃げもしないで、僕の抱っこに身体を預けていた。その間もずっと僕のことを見つめていた。
雪兎は冷たかった。僕の手の温度で、少しずつ柔らかくなっていった。溶けてしまう。僕はたまらなくなった。雪兎とずっとずっと一緒に歩いて、どこまでも行きたい。ぽたぽたと指の間から水が垂れて落ちていく。まるで雪兎が泣いているようだった。
大丈夫だよ、僕らは一緒だよ。僕は腕を上げて口を開けて、雪兎を飲んだ。雪兎は滑るように僕の口に入って喉の奥へ落ちていった。温かくて、甘い味がした。「ただいま」雪兎が言ったから、「おかえり」って僕は黙って返事をした。
「ただいま」
「おかえり」
お父さんが帰ってきて、僕らは一緒にご飯を作った。不器用だけど、一生懸命作ってくれる野菜炒めと卵スープ。白いご飯とお漬物も一緒に炬燵に並べて、いただきますをする。だいぶ温かくなって雪も降らなくなったから、炬燵ももうすぐ終わりになる。
僕が一日だけ入院してから、お父さんはまたお酒を飲まなくなった。通りかかった人に道端で倒れていたのを発見されて、救急車で運ばれたのを僕はちっとも覚えていない。夜の散歩をお医者さんにも看護師さんにもたくさん叱られた。病院に来たお父さんは僕を抱きしめて、よかったよかったと声をあげて泣いていた。
お母さんはもう帰ってこない。それがやっと分かったんだと、照れくさそうに言うお父さんと、僕は一緒に頑張ろうって指切りした。二人がきっちりお別れしたのは寂しかったけど、僕にはもう僕がいる。お父さんもいる。怖いものなんてなんにもない。
「ほら、気をつけないと湯冷めするぞ」
お風呂から出ると、お父さんがココアを入れてくれた。受け取ったマグカップの中で、白いミルクがくるくると渦を巻いている。飲むのがもったいないぐらい綺麗で、炬燵でそれをじっと観察していると、お父さんは冷めるぞと笑った。
温かくて甘いココアは、雪兎と同じ味だった。
おかえり、雪兎 ふあ(柴野日向) @minmin
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