ウィズダム
Y国のとある企業が生み出した人工知能「ウィズダム」が大衆の間に普及するのは「瞬く間に」と言う言葉がふさわしいほどの速度だった。
「聡明」を意味する人工知能が人類にもたらしたもの。
それは「判断を放棄する快楽」だった。
このプログラムを使ったアプリ「ウィズダム」は、持ち主が何らかの判断に困った際、人間心理や様々な行動分析、収集してきた様々な人類の行動の事例を元に、最適な決断を支援してくれる。
しかもスマホやパソコンに手軽にインストールする事ができ、7,8歳の子供でも用意に使いこなせるくらいの分かりやすさで。
リリース直後は着る服や食事内容の選択程度だったのが、その精度の高さから圧倒的ニーズを生み、次第に出かける場所や外出するべきか否か。
そして、1年後にはさらに進化し対人関係で何を言えばよいのか、言ってはいけないのか。
就職や転職においてどの業種を選べばよいのか。
交際相手をどちらにするべきか。
果てはどんな趣味を始めるのが良いか。
子供は何人?
趣味を極めるため仕事をやめるべきかどうか?
学校を、職場を続けるべきか? やめるべきか?
目の前の相手と結婚すべき? それとも離婚するべき?
この環境で誰が信頼できる? 誰を裏切れば最も得できる?
まで。
もちろんここに至るまで、そのあまりの危険性にウィズダムの使用を全国的に禁止すべきだ、との声もあがった。
だが、すでにあまりに想定外の速さで人々は「他に判断をゆだねる事」への心地よさに魅了されつくしていた。
その声のあまりの大きさもあり、使用禁止の声はかき消されていった。
判断を行うこと、決断をする事への強度のストレスと不安。
間違っていたときの心理的ダメージ。
それらのストレスから開放された事に人々はかつてない安息を覚えたのだ。
自分は本当に正しいのか?
もしかしたら致命的な間違いを犯しているのでは?
そんな恐怖をもう感じなくてもいい。
そのリスクは全て「賢明なる存在」が請け負ってくれる。
自分たちはただウィズダムの判断に身を委ねればいい。
もちろん、それを良しとせず自らの決断や判断を是とする人もいたが、それらの人々は「かっこつけ」「敗者予備軍」果ては「人類の進歩の足を引っ張るダメ人間」として、冷ややかな視線を受ける事となった。
そしてついにその1年後には経営判断や自らの生き死にに至るまでをゆだねる事が出来るように進化した。
Y国の国民にとって、ウィズダムはまさに天からの使者だった。
※
Y国近海に浮かぶ孤島。
それぞれアプリの指示により訪れた50人の年齢性別共に様々な人々。
水も食料も豊富にある。
ウィズダムによる「この島に行くべきだ」との指示の下だった。
そう。
ウィズダムはこの時点で、単なる選択にとどまらず具体的指示まで援助してくれる様になっていた。
最初はアプリの指示だから、と観光気分で楽しんでいた人々も、数日経つ頃には不安を訴え始めた。
何より人々を不安がらせたのは、ウィズダムが突然メンテナンスに入り全く使えなくなってしまったのだ。
スマホもノートPCも同様。
この状況でどうすればいい?
だれも効果的な道筋を示す事ができない。
そんなある日。
島に放送が流れた。
それはこのような内容だった。
2年前から地球に「天からの使者」と名乗る、謎の存在がやってきた。
それはあまりに強大で、今の人類では歯がたたない。
そのためその使者と極秘に取引を行い、毎年生贄を捧げる事で合意した。
この島の人々は今から3時間後、その生贄となる。
ただし、貴重な人的資源をいたずらに多数失う事は我が国としても望まない。
そのため、生贄に志願したものが出た場合、他の者は全員解放する。
2時間以内に志願者が出なければ、全員を捧げる事となる。
志願者は島の港にある電話ボックスから代表の者が、人数と志願者全員の名前を名乗った後その場で待機するように。
そのような内容だった。
島の人々は愕然とした。
この状況に思考能力を失い、一昔前ならありえない速さでパニックとなった。
お互いに志願役を押し付け合い、脅迫や……ついには殺人まで起こった。
そんな中、か細い声が聞こえた。
「私……やる」
みんなの視線を集めたのは、まだ10歳にも満たないであろう少女だった。
少女は大人たちの異様な視線や自らを襲う恐怖心に酷く震えながらも搾り出すように言った。
「パパや……ママ、死んだらヤダ。沢山死んじゃうの……やだ。みんなが喧嘩してるのヤダ! だから、エミリ……」
少女が最後まで言い終わる前に、人々はその子に殺到しヒステリックに褒め称えた後、港の電話ボックスに半ば引きずるように連れて行き、連絡させた。
「大丈夫? ちゃんと言える? なんならおばちゃん代わりに言ってあげようか?」
「おい! 乱暴に引っ張るなよバカが! エミリちゃん怖がって気が変わったらどうすんだ! 殺すぞ」
そんな声に怯えながらも少女は、震える声で受話器を取り電話した。
その通話の後、10分もしないうちに港に軍用の小型船がやってきた。
そして、そこから降り立った深緑の制服を着た男性が事務的な口調で言った。
「エミリ・イヌカイちゃんだね? 志願者は君1人でいいかな?」
「……は、はい……」
恐怖のあまり座り込んでいる少女を、近くの男性が抱え上げて押し出した。
「そうです! この子がエミリちゃんです。私たちの英雄です!」
その声に周囲から大きな拍手と少女をたたえる声が響いた。
それらの異様な空気感と迫る恐怖のせいだろうか。
少女は失禁しながらすすり泣いている。
「さあ、行こうか。大丈夫、怖がらなくてもいい」
「……パパ……ママ。バイバイ」
泣き声交じりでやっと搾り出すように言ったその時。
群集の中から若い男女が飛び出してきた。
「エミリ、ゴメン! パパとママが間違ってた! すいません、もう二人追加で……この子の両親です!」
※
船内の豪奢な応接室で、少女とその両親は抱き合いながら恐怖に震えていた。
「パパ……ママ……ごめんね。エミリのせいで」
「大丈夫。すぐに出てやれなくてごめん。決められなかった私たちを許して……」
その時。
ドアが開き、先ほどの男性の軍人とノートパソコンを持った若い女性の軍人が入ってきた。
「最後に確認だ。志願したのは自らの決断か?」
3人はお互いに抱き合いながら小さく頷いた。
その直後、男性は言った。
「確認した。では少尉。今から長官に連絡しろ。あの島の人間全員を捧げると」
「……え?」
ポカンとしている3人に向かって、男性は言った。
「おめでとう。あなたたちには今後は国の指示に従い、しかるべき住居と立場が用意される。忠実に勤めるように」
そう言うと、二人の軍人は部屋を出て行った。
※
「それにしても、わが国も中々の選別を考えるものね」
応接間を出た直後につぶやいた女性の言葉に男性はため息混じりに言った。
「まあ、賢明なる叡智の判断なんだ。間違いはないだろう」
「ねえ、私……ふっと思ったんだけど……ウィズダムって、ひょっとして……」
「ストップ。それは禁則事項だろ? 誰かに聞かれたら軍法会議物だぜ。そんな事よりさ、この後食事でもどうかな?」
「いいわね。イタリアンかフレンチ、どっちにする?」
女性の問いに男性はため息をつき……
【終わり】
●○●○●○●○●○●○●○●○
それにしても11月とは思えないですよね……この気温。
あ、お客様もそう思われます?
やった! 私だけじゃなくて良かった。
ささ、良ければどうぞ。
最近仕入れた、オススメのアイリッシュウイスキーです。
カネマラ12年になります。
燻製の香りと共に鼻腔に届く甘くてフルーティな香りが癖になるんですよ。
私も最近自宅でよく飲んでるんです。
さて、今回見て頂いたお話。
何かを決める。
これって物心ついた頃から形や濃度を変えて、私たちの身近に存在する。
時に楽しみや幸福を伴う決断。
時に不安や恐怖を伴うような重要な決断。
でも、共通してるのは「最後に決めるのは自分」そして、その結果も自分で受け止める。
これがあるからこそ、人は人足りえるし様々な物事は成り立っているけど、それに強いストレスを感じる場面もまた多い。
ただ、決断を他者にゆだねる事は、甘美な味がする反面、ゆっくりと効いてくる毒にも似ている……
「決めてくれる他者」がいると人はたやすく生殺与奪の権を委ねてしまう。
そして、その人の言葉が絶対となる。
人の心を捉える術の研究は人類の歴史と共にあり、その果ての結論は……
ある特性、または状況下の人間の心を操るのは容易である。
……どうされました、お客様? そんな不安気な顔をされて。
え? 私の表情……ふふっ、私がどうかしましたか。
凄く怖い顔してた? それはいささか大袈裟ではないですか。
もう夜ですからね。
当カフェバーは夜になると間接照明を基調としてます故……そのせいではないですか?
さて、気分を変えてアイルランドの郷土料理を基調にしたディナーでもいかがですか?
我がカフェバーも他所に倣ってAコースとBコース、Cコースのメニューをご用意致しました。
ウイスキーもいかがですか?
Aコースがラフロイグ。
Bコースがカネマラ。
Cコースがグレンフィディックがそれぞれオススメのウイスキーです。
え? どのコースが特にオススメか、って?
えっと……ちょ、ちょっとお待ち頂いても良いですか?
スマホを……
こういう時、どう答えたらいいのかな、っと……ねえ、ライム! どっちがいいと思う?
カフェ京野の小さな言の葉 京野 薫 @kkyono
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