憧れの花
クーゲル
第1話
梅雨も来ていないというのに夏のような暑さが身を刺す五月。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響き、クラスメイト達が教室に駆け込んでくる。昼休みの騒がしさがそのままだったのに、一人の女子生徒が教壇に乗っただけで静まり返る教室。
「はい、これから今年のうちのクラスの文化祭の出し物について決めていきまーす。なにか案ある人はいますかー?近くの友達と話していいよー。」
その言葉を皮切りにまたざわつきが戻る。クラスメイトが近くの席の友達と盛り上がり口々に「なにする?」「飲食やりたくない?」と言っているなか、あやめはただ一人俯いていた。
(話すような友達いないし……去年なにやってたっけ……)
「あ、ちなみに私たちはカフェがやりたいと思っててぇ、可愛いコスチュームとか着たいよねって!」
そう前に立っている実行委員の女子がもう一人と目配せしながら話すと、またクラスの雰囲気が変わる。「カフェ……?」「まあ、別に悪くはないけど……。」と小声で話すクラスメイトを見たいわゆる陽キャの女子が
「はーい!私、カフェは人気で被りそうだからお化け屋敷やりたぁい!」
と声を上げる。それに対しその女子と仲が悪い男子が
「お化け屋敷も飲食もどっちも人気だろ。」
と声を張り上げる。どちらがいいか、いやどちらもよくないのでは、とクラス全体がいやな空気で包まれる。
(カフェ……可愛い系だと埋もれるって話なんだろうな。お化け屋敷……?カフェ……?あ、それなら!)
あやめは顔を上げるが、挙げようとした手は震え、何もできないまま周りをひたすらに見回す。
「何か意見ある人いないの?」
決まらないんだけど、と実行委員がイラついたように髪をいじる。その言葉に弾かれたようにあやめが
「あっ、あの……!」
と、小さな声で顔の横まで手を挙げるが気付かれない。
「あの!」
勇気を出して発した声は思っていた数倍大きな声で教室中の人の視線を集めた。
「なに?えーと、加賀さん?だっけ。」
「お化け屋敷とカフェの要素を取り入れた心霊カフェ……?みたいなことをやったら面白いかな、とか……」
生まれて初めてと言ってもいいくらいの視線を浴びたあやめはだんだんと語尾が消え入るような発言をしたが、静まり返っていた教室にはよく声が響いた。
「でもさ、それって準備面倒くさそうだよね。みんな忙しいだろうしさ。」
実行委員の女子はその意見を一蹴すると他の人に意見を求める。
(そ、そうだよ、ね……。私が意見出してもそんなもんだよね。)
「え、けど私はあやめちゃんの案いいと思うけど!だって心霊カフェだよ?ゾンビメイドみたいなコスチュームとか着たらめっちゃ可愛いし面白そうじゃん!」
(あ、あの子は確か……?)
「けど、準備大変だよ?ひまわりだって夏休み中も大会あるじゃん。終わらなくない?」
「私だって手伝うし。まだ夏休みがあるんだよ?今から準備したら間に合うよ!何よりほかのクラスと被らなそうだし。」
あやめの意見を支持してくれた女子が実行委員の子の却下の声に対しても反論をすると、教室中に「心霊カフェ、いいかも。」「ひまわりもそう言ってるしな」の声が広がっていく。
「はぁ……他に意見ある人いますか?いなかったらこの中から票取りまーす。」
諦めた実行委員がクラス中に改めて問いかけるが、他の意見が出る様子もなく
「じゃあこの中から決めまーす。」
と票を取る。結果はクラスの半分以上が心霊カフェを支持し、クラスの出し物が心霊カフェに決まった。
(き、決まっちゃった。私が言うだけだったら押し流されてたのに……。)
初めてクラスで意見を出した、という衝撃と助けてくれたひまわりのことを考えていたらいつの間にか帰りのHRも終わっていたようで次々にクラスメイト達が教室から出ていく。
(ひまわりちゃん!お礼言わなきゃ。)
あやめがクラスを見渡すと、ちょうどダンス部の友達とともに教室を出て行こうとしていたひまわりの姿を見つける。
「ひ、ひまわりちゃん!」
「あやめちゃん!どうしたの?」
「あ、あのね、さっき……助けてくれてありがとう!」
「えー、全然いいのに!あやめちゃんの案、よかったもん!文化祭楽しみだね。」
「そ、そうだね。」
「じゃあまたね!」
この後練習何時からだっけ、と話しながら会話の終わりを待っていたダンス部の友達とともに軽やかな足取りで教室を出て行ったひまわり。
「うん、またね……!」
何年振りかと思い出せないくらい久しぶりの「またね。」
眩しい笑顔に頬が赤く染まったのを自覚するが、それ以上に心の中が暖かくなり、あやめは思わず笑みをこぼした。
まだセミが鳴いていて残暑の厳しい日にあやめが通う高校で文化祭が開催された。
「いらっしゃいませー、何名様ですか?」
「すみませーん、こっちに血の海ソーダ1つ!」
「____ってまだあるー?」
シフトの時間になり、部活の出し物を行っている美術室から帰ってくると客が入れ代わり立ち代わり入ってくるカフェと化した教室を見てあやめはもしかしてとんでもない提案しちゃった?と呆然としていた。それを見た実行委員が
「あっ、加賀ちゃん来た!今からシフト?」
と声をかけてくれたが、あやめはせいぜい締まり切った喉からひねり出すように返事するのに精いっぱいだった。早いところキッチン交代してあげて、と言い残しあわただしく担当であるホールに出て行った実行委員を見て意識を取り戻すと、手荷物からエプロンセットを取り出して身に着ける。
「あっ、加賀来ました!交代します!」
「やっと加賀さん来たー!よし、じゃあ頑張って!」
頑張って、と声をかけられたことに嬉しさを感じながらも引き継いでいることなんか関係ないとばかりに怒涛の勢いで入ってくる注文にあやめは目を回した。
「ただ今をもちまして____」
文化祭終了のアナウンスがかかるとクラスメイトとともにあやめは一気に座り込んだ。
(はぁ、疲れた……)
「みんなお疲れ!」
疲れながらも声をかけてくる実行委員にみんな口々に答えながらも表情は達成感に包まれていた。
「これから後夜祭だし、みんな移動しよ!」
その号令を聞くとノロノロと動き出すクラスメイトを横目にあやめは迷っていた。
(後夜祭に行っても……盛り上がる友達とかいないし。今日は疲れたから帰っちゃおうかな。)
座り込んでいた腰を上げてカバンを探していると後ろから突然
「あっ、あやめちゃんだ!お疲れ様!」
と声をかけられた。
「ひっ、ひまわりちゃん!」
クラスメイトもみんな体育館に向かい、教室には自分のほかに誰もいなくなったと思っていたあやめは肩を震わせた。
「後夜祭、出るんじゃないの?確か……ダンス部、だったよね?」
そうあやめが問いかけると衣装忘れちゃって、と荷物置き場からトートバッグを持ち上げるとひまわりが答えた。つづけて
「そういえば、あやめちゃん美術部だったんだね。絵見たよ!」
「いや、あんなぎりぎりの時間で描いたやつ…デッサンも甘いしパースも狂ってるし」
しどろもどろになりながら答えるあやめに対し、廊下からひまわりがふと振り返ると顔をほころばせ
「私、あの絵好きだよ。」
と言った。あやめはその笑顔を見て鼓動が早くなるのを感じた。
そろそろ時間だ!と走って階段を駆け下りていったひまわりの立てる物音を聞きながら、あやめは夢を見ていた気分に陥る。
(後夜祭、見に行こうかな。)
あやめは持っていたカバンを床に置くと、ドクドクと波打つ心臓にはしらんぷりをして体育館へと軽い足取りで向かった。
夏の暑さは消え少し涼しくなってきた秋、年明けのコンクールに出す絵に取り掛かるべく美術部の活動日ではない放課後も教室に残り、あやめは一人で出す絵について悩んでいた。
(どうしようかな……みんなはもう題材決めて描き始めてるのにまだ決まらない……)
あーでもないこーでもないとスケッチブックに色々な構図やモチーフを描いては消してを繰り返していると、普段は部活に行ったり帰宅したりと残らないクラスの中心にいる女子たちが突然教室に入ってきた。その中にはひまわりの姿もあった。
「あー、あっつー。なんで秋なのにこんな暑いわけー?」
「!なんで……帰ったと思ったのに」
あやめは思わず小声で驚きの声をこぼしてしまうが、ひまわり以外はあやめの存在に気づかないまま入ってきた人たちの会話は続く。
「てか、マジ彼氏意味わかんないんだけど!」
「なにー?今日は一段と荒ぶってんねぇ」
「私でよかったら話聞くよ?」
声を荒立てながら話す一人をなだめながらも会話は盛り上がっていく。
「ってかさ!こういうときひまわりいっつもだんまりだけど浮いた話とかないの?」
「私?ないよ、しいていうなら部活が恋人、かな!」
急に振られ驚きながらもおどけたように返すひまわりに不服を覚えたのかさらに深堀する女子たち。
「じゃあタイプ!優しい人?やっぱ顔?」
「ひまわり優しいから引っ張ってくれる人とか似合うよ!」
「タイプかー……私のことを好きになってくれる人だったら誰でもいいかなー」
「えーっ、そんなぼんやり!?ひまわり絶対モテるし、もっと高望みしようよー!」
聞いたら聞いたで不服そうな女子たちの会話をぼーっと聞いていたあやめは頭を振るとスケッチブックに向かいなおす。しかし次に女子が放った言葉でまた弾かれたように顔を上げた。
「それって、女子からでも同じこと言えるの?」
「え?」
驚いたのはひまわりたちも同じだったようで教室の空気が止まる。しかしそれは一瞬で、ひまわりの言葉でその空気がまた動き出す。
「うーん、どうだろ。わかんないかも!」
「そうだよね!ごめん!変なこと言っちゃって。」
「もうー!」
そのまま別の会話に移っていくひまわりたちとは裏腹にあやめは切り替えられないでいた。
(なんで、私こんなに気になってるんだろう。関係ないはずなのに。関係……ない……はずなのに……)
持っていた鉛筆を強く握りしめる。文化祭の終わりに感じた胸の高まりは、いわゆる恋というものなのではないだろうかとあやめは考えていた。だからこそ、この話題はタイムリーでありあやめの心に突き刺さって抜けなかった。
(今はこんなこと考えてる場合じゃない。絵のこともあるし、女子同士なんてまだまだ周りの目は怖いし。)
あやめはそう結論付けると今度こそスケッチブックに向かった。
キーンコーンカーンコーン、と五時を告げるチャイムが鳴り響く。ひまわりたちの会話を聞いてからずっと集中していたあやめがスケッチブックから顔を上げた。
「今日は帰ろう……」
いつの間にかひまわりたちもいなくなっていたようで一人しかいない教室に夕陽が差し込む。帰る準備を終え立ち上がったときのガタンという椅子があげた音が教室に響く。
(今日のあの会話……私がひまわりちゃんに抱いてる感情って恋、なのかな……)
考え込みながら廊下を歩いていると不意に後ろから声をかけられた。
「あっ、あやめちゃん!」
「ひまわりちゃん!」
単純だと思いつつも落ち込んでいた気分が華やぎ、心なしか口角も上がったような気がした。駆け寄ってきたひまわりに笑みをこぼす。
「ひまわりちゃんは部活だったの?」
「うん!今日はたまたま開始が遅かったからアイス買いに行ってさ~」
「そうなんだ。」
文化祭の後から話していなかったひまわりと会話したかったが、上手くつなげることができず二人だけの廊下に沈黙が流れる。
「そういえば、」
そういって沈黙を破ったのは向日葵だった。
「今日の教室、うるさくしちゃってごめんね。」
「う、ううん、全然。むしろ私が残ってたのがいけないんだし。」
想定外のことで謝られすこしどもりながらも返せたことに胸をなでおろす。
「けどさ~、本当に恋愛ってなんだろうね。」
「え?」
「恋に恋するJK!とかよく言われるけど、結局人を好きになるって何?みたいな。」
明るくて人気のあるひまわりから出た疑問にあやめは驚いた。
「ひまわりちゃんは、彼氏とかいたことないの?」
「いたことはあるよ?けど結局その人と付き合ってるうちに好きとかわかんなくなっちゃった。」
二人の間にまた沈黙が流れる。未だ部活動に励む運動部の声と二人が歩く音だけが聞こえる。暗くなってきた廊下を歩く二人に切れかけの電灯が影を落とす。
気が付くと昇降口に来ていた。下駄箱で靴を履きながらも、さっきのひまわりの話を聞いてから悶々としていたあやめは一つの疑問が出てくる。
「けど、付き合ってたってことは最初は好きだったんでしょ?」
「うーん、どうだろう。それすらわかんなくなっちゃった。」
茶化すように笑ったひまわりだったが表情は困り切っていた。しかし、ゆっくりと歩き出したひまわりはいまだ履き替えているあやめを振り返って静かに言う。
「…最初は好きだった、と思うよ。一緒にいると楽しかったし、この先もずっとこの人と生きていくんだなって当たり前に思ってた。けど、いつの間にか一緒にいても苦しくって、この先この人とずっと生きていけるかなって思うようになっちゃって。」
「それで別れたの?」
「うん。本当に、好きってなんだろうね。付き合いたての時の感情がわかんなくなっちゃった。付き合い長かったし、ただの情だったのかもね。」
そういった後に見せた泣きそうな笑顔は、いつも楽しそうに笑っているひまわりが見せた初めての表情だった。しかしその表情はすぐに消える。
「なんか、暗くなっちゃった!帰ろ!!」
ひまわりがあやめにいつもの笑顔で笑いかけるとそのまま外に踏み出す。
「ほら!外すっごいきれいな夕陽だよ!」
「えー、どれどれ?」
ひまわりにつられて少し早足であやめも外に出ると二人で夕陽を眺める。
「うわー!本当にきれい!」
思わず歓声を上げるあやめを見るとフフッと笑いながらひまわりももう一度夕陽を見る。
「綺麗だね。」
しばらく二人で夕陽を眺めていたが下校時刻を告げるチャイムが鳴るとハッとしてあやめが言う。
「そっ、そろそろ帰らなきゃだよね!」
慌てているあやめを見て少し笑うと、ひまわりはわたしこっちだから、とあやめの帰る方向とは違う方向を指さす。
「じゃあ、また明日!あやめ!」
花が咲いたように笑いながら手を振りひまわりが歩いていく。
「ま、また明日!ひまわりちゃん!」
呼び捨てで呼ばれたことに心が軽くなる。ただそれ以上にあやめの心を華やかにしたのは
「また明日…か。ふふっ」
ひまわりが何気なく発した「また明日。」という言葉だった。またね、ではなくまた明日。他の人にとってはさほど変わりない別れの言葉だけどまた明日、と言うだけで憂鬱な明日が友達と会える特別な日になる、あやめが好きな言葉だった。
「ただいまー。」
家に帰るなり部屋に入る。ただいま、と声は上げるが母親にわざわざ話しかけるようなことはしない。学校では大人しい方とは言えど立派に反抗期なのだ。決して綺麗とは言えない部屋にカバンを転がす。制服にしわが付かないようにハンガーにかけ、汗のにおいが残らないように消臭スプレーをシュッと掛けると部屋着に着替える。
帰宅後のルーティンを終えるとそのままベッドに転がった。思い出すのはひまわりが言っていたことだった。
「恋愛ってなんだろう……か……。」
(本当に恋愛ってなんなんだろうな。)
ふと気になり転がしたカバンの中からスマホを取り出す。
≪恋愛 定義≫
検索エンジンに入力するとそのまま検索をする。
『恋愛とは、特定の異性に対し特別な愛情を感じ、恋い慕うことです。また___』
「特定の異性……」
(やっぱり異性、じゃないといけないのかな……けどあの時に感じてた感情は確かに恋だった、と思うんだけど……)
「あーっ、難しい!」
思わず声を上げたあやめに廊下を通りがかったであろうお母さんが声をかける。
「あやめ?どうしたの、課題?」
「あー、いやそんなわけでもないんだけど……」
「まあ、どうでもいいけどご飯できたからね。冷めないうちに食べにきなさい。」
そう言うと立ち去ろうとしている母親に声をかける。
「あっ、待って!」
「え?」
「お母さんは恋愛ってなんだと思う?」
突然の娘からの質問にハトが豆鉄砲を撃たれたような顔をしたが少し考え込むと
「恋愛、ね。私が考える恋愛はこの人とずっと一緒に同じ未来を見たいと思えるかどうか、かしらね。結婚する前はお父さんといたらこの先どんなことがあるかなってわくわくしちゃって、ずっとお父さんのことを考えていたわ。」
突然の母親ののろけのような話を聞いて少し照れ臭くなってしまう。
「あ……ありがとう……」
「あやめの役に立てたならよかったわ。じゃあ、ご飯食べに来なさいね。」
そういうと階段を下りてダイニングに向かう母親の足音を聞きながらもう一度ベッドに転がる。
(ひまわりちゃんと同じ未来……か……。ずっと一緒にいたいなぁ……)
「この感情って恋、なのかな……」
すっかり季節は秋に変わり冬の寒さが顔を出し始める頃、あやめは一人教室に残り絵を描いていた。
(コンクールに出す絵のテーマは決まった。後はどうやってこのテーマを表現しきるか。)
あやめはスケッチブックを埋め尽くすほどの向日葵の花を描いていく。
「ううん、駄目。こんな構図じゃ暖かさは伝わらない。私が本当に伝えたいのは、伝えたいのは……」
なんだったんだっけ、と自問する。あやめは繰り返し描いていることで何を伝えたいのかが分からなくなっていた。
ガラガラッ
「あれっ、あやめ?」
「ひまわりちゃん。」
突然教室に入ってきたひまわりに心臓を跳ね上げながらスケッチブックに描いてあるものを隠す。
「どうしたの?今日は部活休み?」
「いや、休みじゃないんだけど……」
背中を丸めるあやめに気付かないふりをしてあやめに近づいていくひまわり。
「行かないの?部活。」
「他の子はもうみんなもっと作業が進んでて……ずっと下絵にも入れてない私が行くと場違いなような気がして……」
他の子より絵が下手だからアドバイス貰いに行かなきゃいけないのに、と言うあやめの表情はどんどん暗くなっていった。
「私はあやめの絵、好きだけどなぁ。」
「え?」
「私は、綺麗で繊細なあやめの絵はあやめらしくて大好きだよ。文化祭の時も言ったじゃん。」
暗い表情でうつむいていたあやめは一気に顔を上げる。顔を上げると思っていたよりも近くにひまわりの顔があった。
「わぁっ」
思わず声を出して驚いたあやめを見ながらひまわりがフフッと笑う。
「驚いた?」
「驚いたよ!思ってたより近かったんだもん!」
「だって、あやめの描いてる絵見たかったんだもん。どんな絵描いてるの?」
「ひっ、秘密!描きあがったらひまわりちゃんには絶対見せる!だから今はまだ内緒。」
スケッチブックを覗き込んでこようとするひまわりを見上げて言う。
「うーん、分かった。じゃあその代わり、呼び捨てにしてよ!」
「呼び捨て?いいの?」
「だってずっとあやめ、私の事『ひまわりちゃん!』って。私たち友達なんだし、そんくらい良いでしょ!あやめ。」
いつの間にかひまわりはスケッチブックからは目線を上げて必死にスケッチブックを守るあやめを見ていた。
「う、うん……じゃあ、ひまわり?」
「うん!あやめ!絵、楽しみにしてるね!」
呼び捨てにされて少し満足げにしたひまわりはそのまま手をひらひら振ると教室から出て行った。
(なにしに教室来たんだろう……けど、なにはともあれ描きたいものが決まった気がする!)
ひまわりと話したことで確かに満たされた心が必死に描きたいものを訴えていた。
スケッチブックの新しいページを開くと、そのまっさらなページに迷いなく鉛筆を滑らせていく。
(いまだったら、なんだって描きたいものが浮かび上がってくる!何でもできる!)
季節は流れて外に雪が降り積もる冬。珍しくコンクール前にもかかわらず美術部が休みのため、あやめは特別に許可を取って一人で美術室にいた。
「うー、寒い寒い。暖房のスイッチは……」
ピッ
雪が積もるほど寒い日だったが当然暖房が元からついているわけもなく、暖房のスイッチを入れる。校舎が決して新しいというわけでもないあやめの学校はそこはかとない床冷えと機器が遅い暖房に冬場は苦しむ。
活動があるわけでもないのに一人で美術室に来たあやめの目的は絵だった。あやめは静まり切った美術室に自分が描く音が響き渡る瞬間がたまらなく好きであった。
「せっかく一人で使えるチャンスなんだから。」
そう誰に聞かせるわけでもなく呟くと中学の頃から愛用している絵具セットを手慣れたように準備する。
「これは何色にしようかな。どうせなら思いっきり明るくしたいよね!」
絵と対話するように独り言を繰り返していたが、その姿は教室では隅に縮まっている姿からは想像できないくらい生き生きとしていた。
次第に集中していったのか静かにただキャンパスに向き合って色を重ねていく姿は一人の芸術家のようであり、恋する少女のようにも見えた。
すっかり雪も解けて学年が終わる終業式の日になった。
あやめがあの日から描いていたコンクールに出品した絵は入賞。全校生徒の前で表彰されることになった。
「賞状、優秀賞。貴殿は____。」
校長から賞状を受け取ると形式的な礼をして舞台から駆け降りる。目指すは思い出の詰まったクラスの列の最後尾だ。
「おかえり、あやめ。」
そう声をかけてくれるのは身長が高い方なので後ろに立っていたひまわりだった。
「ただいま、ひまわり。」
「賞を取るなんてすごいね。やっぱりあやめの絵はそれだけ魅力があるんだよ。」
ひまわりのまっすぐな誉め言葉にあやめはどんな表情をしていいのかわからなくなる。しかし、すっと表情を引き締めると
「あの、ひまわり……」
と呼びかける。が、いつの間にか表彰の時間が終わっていたようでそのまま終業式の号令がかかってしまった。
「ごめんね、またあとで良い?」
「うん……」
ひまわりは律儀に振り返って謝罪をしてくれた。
(ただ私がタイミング悪かっただけなのに……)
今日こそは、絵が入賞出来たら、自分に自信を持って一歩踏み出せる勇気を持てると思った。コンクールに出した絵は他のなにでもない、誰でもないひまわりのために描いた絵と言っても過言ではなかったのだ。だからこそ入賞した、と先生から聞いた時の喜びはひとしおだった。入賞はあやめの大きな自信となった。
気付けば終業式が終わり教室へ移動する流れになっていた。
「ごめんね、あやめ。それでさっき言いかけてたのは?」
移動する列の中で少しだけ早く歩を進めるとひまわりが横に並んで顔を覗き込んでくる。
「あっ、いや、やっぱりなんでもないっ。」
目を合わせないように顔をそらすが、覗き込まれて目があってしまう。あやめの心臓が跳ね上がる。
「何でもないってことないでしょ?なぁに?」
「あっ、あのねっ、放課後中庭で話すでもいい……?」
「いいよ、放課後中庭ね!」
教室に着き、席に座るためそこで会話は終わる。
(ひまわりに伝えるんだ......!ひまわりともっと近い距離で、ずっと一緒に未来を見ていたい。同性同士なんて関係ないんだ、私は”ひまわり”だから好きになった。この気持ち、まっすぐ伝えるんだ。)
あやめが心のうちに決意を固めると、それにこたえるようにチャイムが鳴り響く。担任がクラス最後の話を終えて号令をかけさせる。
学年末の号令でこんなにも気持ちのこもった号令はいつぶりだろうか、とあやめは感じた。ひまわりと出会えたこのクラスに、一歩踏み出せる勇気を持てるようになったこのクラスに感謝の気持ちを込めて声を出した。
「一年間、ありがとうございました!」
クラスは解散したが、あやめにとっての戦いはこの後が本番だった。いまだ友達と別れを惜しんでいるひまわりを横目にあやめは一足先に中庭のベンチに腰かけていた。
(心臓飛び出ちゃいそう……)
お守りのように持ってきたのは、コンクールで入賞したあの絵だった。友達にどうしても見せたい、と先生に無理言って貸してもらったものだ。
すっかり聞きなじみのある音となったひまわりが駆け寄ってくる足音にあやめは顔を上げる。
「それで、どうしたの?中庭で話ってすごい珍しいじゃん?」
問いかけながら隣に座ってくるひまわりにあやめは答える。
「あのね……!」
「もしかしてこの絵って、入賞した絵?」
勇気を振り絞った第一声はひまわりの好奇に満ちた声にかき消される。
「うん、そう!この絵、ひまわりに見せる約束してたから。先生に借りて来たんだ。」
「見ていい?」
「もちろん!」
思っていた話の流れではなかったものの絵を見せる事になり抱え込んでいたキャンパスをひまわりに手渡す。
「わぁ!綺麗……ここの光、暖かそう……」
そう言いながら宝物を見る目であやめが描いた絵を隅々まで見ていくひまわり。そんなひまわりを見てあやめは考え込む。
(このまま告白、なんてしちゃったら……この時間も、この空気も、もう一生感じることができなくなるのかもしれない……)
お守り代わりのキャンパスがなくなり手持ち無沙汰になった手が強く握りこぶしを作っていた。口をついたようにあやめが言う。
「ごっ、ごめんね。急に呼んだりして。ひまわり、この後友達ときっとどこか行くよね。時間取らせちゃってごめん。」
帰るね、とひまわりの手から絵を取るとあやめは逃げるように走りだす。
(ちょっとくらい今変な空気になっても、何も言わなければ友達関係は続くんだから。下手に動かしてこの空気を壊すくらいなら私はっ……)
「待って!!」
「…え」
あやめは後ろからひまわりが大きな声を出して追いかけてくるのが分かった。思わず足を止めると後ろを振り返る。
「はぁはぁ……あやめ、一緒に帰らない?もしよかったらこのあとご飯、とかさ。」
膝に手を突きながらもニコッと笑って誘ってくる姿はあやめの大好きなひまわりの姿だった。
(あぁ……やっぱりひまわりはまぶしいよ。まぶしすぎて目が眩んじゃいそう。だけど、ひまわりの隣にいたらきっと楽しい未来が見れる、そんな気がする。)
「うん!一緒に帰ろう!ご飯行こう!」
キャンパスを抱えながら歩くあやめとそれを心配しそうに見ながら歩くひまわり。二人とも大輪の花のような笑顔を咲かせていた。
あやめが抱えているキャンパスに描かれていたのは暖かい日の光を浴びながら懸命に花瓶で生きる二輪の向日葵の花。そしてその絵に付けられた題名は
「そういえばあやめ、その絵のタイトルとかってないの?」
「あるよ!『憧れの花』!」
憧れの花 クーゲル @kugelbole
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