嘘つきのアリアドネ

熊尾黒雛

はじまり おしまい

 メキュルアという国に、一人の姫がいた。

 《とりわけて潔らかに聖い娘》という意味の、アリアドネと名づけられた彼女は、両親の期待と愛情が込められたその名に反し、幼少のみぎりより悪童して名を馳せた。


 ある時は、城内で働く若い女中に無理難題を押しつけ一日中振り回し、最後は階段から突き落とし病院送りにした。

 ある時は、王である父のもとに商談にやってきた商人の荷物の中に小型の刃物を見つけると、それを持ち出し自身の部屋の壁や床のいたるところに切り傷をつけ、しまいには自らの柔肌をも切り裂き、溢れ出る鮮血を飛び散らせて部屋を紅く装飾した。

「わたしに与えられたお部屋でしょう? だからわたしの証を刻んだの。わたしの血で染まった、わたしのお部屋よ」

 傷の手当てを終えた後、両親に強く咎められたアリアドネは至極当然のように平然とそう言ってのけた。


 両腕に残った一生消えることのない傷を愛おしそうに見つめる娘に、両親や周囲の大人達は口を閉じるしかなかった。

 両親は時折彼女がのぞかせる猟奇性と悪意に満ちた振る舞いに頭を悩ませたが、人の親として彼女を心から愛し、良識と道徳を教え、時には罰し、彼女の成長を側で見守っていた。

 少なくとも親子間の仲はけっして悪くなかった。周囲の人間はそう評している。

 あくまで周囲の他人の主観では、だが。


 アリアドネが十二歳の誕生日に母である妃は寝室で首を吊り、十八歳になる頃には父である王が会食中に心臓発作で急逝した。

 彼等が死の間際まで娘であるアリアドネを愛し続けていたのか。

 アリアドネが二人の死に対して何を思ったのか。

 それはもう誰にも、アリアドネ自身にもわからない。

 


 前国王の死から三年が経った。

 アリアドネは諸外国にも名を知られるほどの美貌と、聡明かつ狡猾な知性で、父の死後に反対勢力を抑え王位を継承した。来月には二十二歳になる。


 幼き頃から使い続けている深紅の血痕に染まった傷だらけの寝室から起床した彼女は、部屋付きの世話人を引き連れ身支度を整えると、朝食を摂ることにした。

 今日は子羊のハムとルッコラのサラダにキノコのポタージュとパンを一切れ。これといって空腹ではないのだが、長年の習慣としてただ無機質に、淡々と口に運び胃袋におさめていく。


 食事を終えると、国の内政を取り仕切る執務官長の待つ『謁見の間』に足を運んだ。

「おはようございます。女王陛下」頭を下げた白髪混じりの初老の執務官長と、彼の部下数名を一瞥することもなく、アリアドネは玉座に座った。

 ひどくつまらなそうにアリアドネは「今日は何の話かしら。貴方の話は退屈だから気が滅入るわ」と吐き捨てた。それを受けて執務官長は下げていた頭を上げ「二つ、申し上げなければならぬことがございます。とても大事なことでございます」と重厚じゅうこうな声で答える。

「あらそう。是非お聞かせ願いたいわね」と言うものの、アリアドネは興味なさげな顔を崩すことはない。

「まず一つ目はこの城の改築のことでございます」

「あら。ついにこの私のお城も改築なのねぇ。それは、とても良いしらせだわ」

「詳細は近々、建築家を交えご相談させていただきたく存じます」

「えぇそうね。将来のことも見据えて、私に相応しい素敵なお城にしなくてはね」

「二つ目はその将来のこと──お世継ぎのことでございます」

「世継ぎ?」城の改築のことで珍しくわずかに上機嫌になっていたアリアドネの顔がけわしく歪む。「それはまた、随分と飛躍ひやくした将来ね」

「しかし避けて通れぬことでございます」

「ではまず私に相応しい殿方を用意しなければね。神が気まぐれでお造りになっていればいいのだけれど」

「候補者はこちらで選定済みでございます。どれも家柄、容姿、才覚ともに、陛下の御眼鏡にかなう逸材かと」

「貴方の枯れた黴臭い選定眼で見定めた人選ラインナップなんてとても信用できたものではないわね」

 まぁいいわ──と、至極どうでもよさそうにアリアドネは話を打ち切った。


 こうしてアリアドネは執務官長に言われるがまま、幾人の男性と見合いをし、隣国の第四王子であるロタノミウスと夫婦めおとの契りを交わした。

「アリアドネ。僕は君ほど美しい女性を見たことがないよ」

「当然よ。私はこの顔を二十二年眺め続けているけれど、今の今まで飽きたことがないもの」

「その白く透き通る肌、真紅の瞳、まるで作り物のように美しいよ」

「作り物のように美しいというのは、まったく褒め言葉にはなっていないけれど、そういう貴方の愚直なところも素敵よロタノミウス」

「しかし何故、夫婦の寝室が地下室にあるんだい? いくら増築された新しい場所だといっても」

「お馬鹿さん。男女の愛の秘事というのは、深く密やかに満ちていくものでしょう?」

「なるほどね。火遊びも夜ひっそりとおこなうものだね。誰かに見つかってはいけない」

「えぇ、そうね。地下に潜っている時だけ私は王女ではなく、貴方は王婿おうせいではない。ただのつがいのけだもの

「たとえ獣でも、君の美しさはかわらない」

「そう、私は潔らかに聖く、そして美しいのよ。さぁ、抱いて頂戴」


 こうして二人は毎夜地下室で愛を育み、そしてアリアドネは自身の子をその身に宿した。


 それからアリアドネは職務の大半を夫であるロタノミウスに任せ、産まれてくる我が子のためにと、一日の大半を編み物をして過ごすことが増えた。

 幼少期の頃よりアリアドネのことをよく知る者達は、彼女も一国の王女、そして人の親となり、真っ当な成長を遂げたのだと安堵した。


 しかし不幸なことに、アリアドネの子は死産してしまう。赤子は双子だった。


 アリアドネは二つの亡骸を強く抱きしめると、別れを惜しみ泣き叫んだという。

 その後は悲しみに暮れ、地下室に篭りがちになってしまった。

 心配したロタノミウスや配下達は、地下室に足を運んだが、地下室の造りは複雑で、まるで迷宮のように進む者を迷わせた。

 アリアドネしか構造を把握しておらず、目的の部屋に迷わず辿り着けるのは彼女しかいないのだ。


「街の子供達を城に招待しましょう。お菓子や玩具を沢山用意して楽しませてあげるのよ」

 ある日、地下室から出てきたアリアドネはそんなことを配下達に命じた。

 随分と疲弊しているようではあったが、その姿に陰鬱な影は見られず、これで王女の気も晴れるならと、配下達は準備に取り掛かった。

 翌日、数十人の十二歳以下の子供達が城へと招かれた。アリアドネは率先して子供達の前に立ち、言葉を交わし笑顔を振りまき、交流を楽しんだ。


 それから度々、城ではこのような催し物が開かれ、子供達は大いに喜び、大人達は女王アリアドネをより好意的に慕うようになっていった。


「この国に住う国民達は、私の宝です。

 だから何よりも愛おしく、まるで自らの身体の一部のように、血のように滾り、骨のように組み重なり、肉のように犇めき合う、強い繋がりを感じるのです。

 貴方達と触れ合うことで生きていると感じるのです。

 貴方達と見つめ合うことで生きたいと感じるのです。

 貴方達と語り合うことで生きなければと感じるのです。

 特に子供達は、希望なのです。

 私が存在するための糧なのです。

 脈絡と紡がれてきた無数の螺旋が、まるで糸のように、細やかに美しく命の脈動を私に与えるのです。

 尊い命が、未来への道を淡く照らし、私はそのおかげで、歩みを続けることができるのです。

 私は私以外を愛することは知りませんでした。

 ですが今は、何もかもが愛おしい」


 このアリアドネの国民へ向けた演説の一週間後、彼女が数年前から、城に招待していた子供達の一部を監禁し、虐殺していたことが明らかになった。


 男児、女児共に七名、計十四名。

 五年間の間に十四名の子供達が、城の最下層、迷宮のような地下室内で、細い特殊な糸によって、生きたまま全身を三七箇所に解体され無残に殺されていた。


 犠牲となった子供達の血液は、大きな浴槽に溜められ、その生き血をアリアドネは浴び続けていたという。

 その浴槽の中には、彼女の死産した子供達の遺体も沈んでいた。

 アリアドネはすぐさま、真実を知った民衆と憲兵団に城を包囲された。

 配下や使用人たちは皆一目散に逃げ出し、城に残ったのは、アリアドネと夫のロタノミウスのみとなった。

 今にも外の者達が城内に押し入ろうという中、夜の帳が下り、二人はアリアドネの寝室のベッドの上で、向き合って座っていた。

「アリアドネ」

「なぁにロタノミウス」

「僕は前にも言ったね。君がどんなに獣になろうと、君の美しさは変わらない、いつまでも君を愛していると」

「そうね。ありがとう嬉しいわ。私を心から愛しているのは私だけだと思っていたから」

「僕は君の凶行を知っていた。君が人道に背く罪を犯していることを黙殺していた。何故って、僕はあんな子供達の命より、君が満たされる方がとっても大切だからさ」

「私は満たされていたわ。貴方が側にいてくれたのだから」

「いやそれは嘘だ。君は産まれてこの方、満たされたことなんてないだろう。君の心の深いところに辿り着けず仕舞いだった僕にも、それくらいはわかるさ。ひたすら君を眺めて、羨望する五年を過ごしたんだからね」

「二十七年のうちのたった五年でしょう」

「それでも心から楽しい五年だったよ」

「私もよ。勿論嘘」

「知ってるさ」

「両親の愛の真偽を確かめたくて、結果殺してしまった時は、まだすこしは、良心のようなものは、欠片でも残っていたと思うの」

「僕たちの子が死んだ時はどうだったかな」

「お腹を痛めて産んだのに、産声一つ上げずに死ぬなんて、あまりに理不尽よね。私の子なら、後々便利に使えると思ったのに」

「あの子達は、すくすくと育っていたら、どんな大人になったのだろうねぇ」

「獣の子は獣よ。まぁ、私を超える逸材には、ならなかったでしょうね」

「一応聞くが、君は何で可愛がっていた他所の子をバラバラにして殺したんだい?」

「私、子供の頃から貧血気味なのよね。だから血を分けてもらったのよ」

「そうか」

「そうよ」

「この部屋で終わりでいいかな」

「この辺りで終わりにしましょう」

「愛しているよアリアドネ」「私もよ」

 

「私も私を愛しているわ」

 

 城前に集まった群衆が城門を破ろうとしたその時、城から紅蓮の炎が立ち昇った。

 炎の勢いは留まることを知らず、四方三里を焼き尽くさんと三日三晩燃え続けたという。

 燃跡から、アリアドネとロタノミウスの死体は見つからなかった。あまりの炎の強さに炭化し灰になったのだろうと結論つけられた。

 瓦礫が処分された後、その土地にはアリアドネの残した地下室への入り口だけが、ポツンと残ったままとなり、入り口は封鎖された。


 虐殺王女亡き後、メキュルアという国は共和国となり、十五年後に隣国に吸収統治され、地図上から姿を消すことになった。

 アリアドネの地下迷宮は、後世には怖いもの見たさの若者達が、日夜探索に訪れる隠れ名所になったが、共和制設立からメキュルア統合後の二十年、その三十五年間ほどの間に、けっして少なくない数の行方不明者が出た魔境としても、一部界隈で知られていた。

 はたして愚かで無謀な侵入者達は、迷宮に迷い込んでしまったのか。

 それとも、人知れず迷宮に未だ潜んでいた魔物の餌食になったのか。

 

 それはもう誰にもわからない。

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