第4話

 なんで? どうして? 八重の疑問は声にならない。八重は母親がフラフラといなくなった後に、机に立てかけておいた「渡すはずだった本」を見つめる。

 

 表紙で笑っている男の子はカンちゃんにそっくりなのに、あの倒れた人形が重なって見えた。


 口からか細い声が漏れる。遅れて、八重は胸に溜まるものを胸や口から吐き出そうとした。


 えづいても、えづいても、胸にどす黒いモノが溜まっていく。


 八重は、後悔の念で吐き気がした。死んでしまいたい……そんな考えが漠然と浮かんだ。







 八重は気づくと、カンちゃんの葬式に参列していた。八重は焦点の合わない目で、参列者を見つめた。


 八重の予想だとカンちゃんの友達がいるはずだが、だれもいなかった。黒い服を着た大人しかその場にはいない。


 八重は、あれ? と首を傾げたが、変に考えるのはよそうと首を振った。それからの事は覚えていない。


 気づくと、八重は母親に手を引かれていた。母親がたまに振り返って八重を見る。その目には心配の色が浮かんでいた。


 八重が弱々しく笑うと、母親は後ろがみを引かれるように前を向いた。八重たちは、大きな木箱に近づいた。


 八重は自分では作れないだろうな、と木箱を見て思った。ボンドで作った形跡も、落として壊れることもないだろうと。


 八重は棺を覗き込む。八重はソッと棺に「渡そうとしていた本」を入れてあげた。


 カンちゃんは目を閉じて眠っていた。まるで何かから解放されたように安らかに……。八重は少し目を見開いた。


 


「……同じだったんだ……」


 八重はボソッと呟くと、カンちゃんに微笑みかけた。その顔は何処か晴れやかで、寂しそうだった。






 ――もう高学年なのにかくれんぼしようって、こどもだったよな……。


 ――成績悪くて母さんにおこらえてたよな……。やっぱり気にしてたのか?


 ――一緒に遊んであげればよかったなぁ……。


 学年に色々な声が飛び交う。


 ――声をかければよかったなぁ……。


 八重も例外ではなく、後悔していた。しかし、自己嫌悪に陥ることはなかった。漠然と、カンちゃんが今笑っている気がしたからだ。







 卒業式が差し迫って後数日、八重はミカから告白された。夕暮れ時、突然のことだった。


「八重がカンちゃんを好きなのは、わかってる。だけど、どうしても伝えたかった……」


 ミカの頬を、伝う夕焼け色の雫はあまりに綺麗で、八重は、ミカのあの異様な態度がなんだったのか初めて理解した。


 ミカの涙に自分への感情が溢れている気がした。自分に向けるには、あまりに優しくて、あまりに純粋な想い。


 八重が返事を告げるとミカは、何処か晴れ晴れした顔で


「わかってた」


 と笑った。卒業式のあと、ミカは引っ越した。そのとき、もう会えないという事実に八重は泣いた。

 

 勝手すぎると思っても、涙は一向に止まらなかった。



 それから八重は、地元の中学校、高校と進学した。あの頃より伸びた髪をもらったバレッタで止めて、昔のように図書室に入り浸って本を読んだ。


 小学校の思い出がやっと「宝物」として昇華された頃、八重はもう一度あの本を探した。


 読み返したかったが、火葬に入れたのでもう手元にはないのだ。


 そうして、自分の身長なんかよりもずっと高い本棚、自分が一生かかっても読み切れない本の中を、ずっと探した。


 すると上から三番目のところに、見覚えのある暗い赤の背表紙が見つかった。八重は目を輝かせて本に手を伸ばす。


 しかし、一向に手が届かない。


 八重が司書さんに頼もうかと考えていると、目の前に影がさした。誰かの腕が本を取ってしまう。


「あっ……」


 八重が声をこぼすと、その大きな腕は八重に本を差し出した。八重が咄嗟に手に取ると、そのまんま影がゆらりと動く。


 八重が振り返ると、真新しい学ランに野球少年のような刈られた頭の男の子が背中を向けて走っていった。


 八重はしばし呆然として、その後ろ姿を眺めた。


 心臓がドキドキと跳ねる。どこからか入った風が八重の頬をくすぐった。







「そして、付き合って、結婚して、息子が生まれて……このまんま人生が終わったと思っていたのだけれど、まだ先があったのね」


 少女の姿になった八重が、感慨深そうに呟く。あと、陸までもう少しだった。近づいた陸は霧がかかっていて様子がわからない。


 漕ぎ手は、舟を漕ぎ続ける。そして、ガタンと舟が揺れて陸に着いた。漕ぎ手は、八重をジッと見つめる。


 なにかに導かれるように八重は舟を降りた。水を切る音とともに、舟は去っていく。八重は霧の中をサクサクと歩いた。


 そして、だんだん霧が晴れてくる。


 八重は門をくぐった。


 その先には、懐かしい彼が笑いながらかくれんぼを他の子としていた。大人がいないのか、彼らは好きに遊んでいる。


 八重はうそ……と呟いた。この光景をみたことがある……。霧が薄くなっていくと、あの城が見えた。真っ白で物語のように雄大な城が……。  




 八重は呟いた。あの本の名前を、この世界の名を



「――こどもの王国」


 


 


 




 







 


 




 

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子どもの王国 高橋秋 @sokoniaihaaru

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