アンノウン・コジューン


 レクバト首都、情報取締局。

 遥か昔に磨き上げられた、レクーヴァをレクーヴァたらしめる塊が存在している。

 その大層な名前に似合い、ここには表舞台に現れる事のない諜報員や工作員、国際で秘密裏に活動する選りすぐりのモノ達——スパイの本拠地であると、堂々とネットに書かれている。

 どの様な検索エンジンであれ、レクーヴァ帝国内で検索しても、その名前を入力すれば必ず出てしまう。

 これでも諜報機関であり、その壁にあるモノは寄りかかり、あるモノは今、隣にやってきた所である。

「ふむ、コジューン。自身の立場を理解している様には見えないな」

「まさか。そんな事はおそれ多い」

「なら示して貰おうか。君は何故、私をここへ呼び寄せたのかを」

 なんと、この女に対して畏怖いふを身に染みることか。これには場にいるのカセットテープレコーダーも『思わず笑っちまう』

「………」

『びっくりするほど』『思わず笑っちまう』

「カセットテープでしか口を訊けなくするか?」

「冗談だ。噂によれば、お前は……、ある人物に対して、知っている。いや、身体の隅々まで知りすぎているだとか」

 意味ありげな間を開け、女は再び喋る。

「彼女との関係は築けているか?」

「昔話をしてくれる程にはな。彼女の話す、イベラ戦争の記憶はどこか異様で——それ故に俺は詮索せんさくする。あれは果たして狂えたからこそか……と」

「なるほど。君には全く見抜けはしなかった、しかしそれは精神的な異常によるモノだ、そう考えるのか」

 この空気には、無言が流れる。

「君も知っての通り、シルバはネフレア人だ。そもそもあの小柄な体格で、レクーヴァ軍の身体検査を通った事も驚くが……しかし軍を抜けたのもまた事実に他ならない。本来ならそういった事例は、軍法会議に掛けられる——筈だった」

 自分は耳を傾けて、女の話に意識を向ける。

「……私は吸血人として、情報取締局に古くから勤務している。その仕事の一つが、ジェナフィーツ・スタンの亡命の手助けだ。シルバの兄、ジェナフィーツはネフレアの意向を快く思わず、ネフレア軍内部の高い地位を利用し、幾分かの機密性を含む情報を以って我々に接触し……そこにシルバ・スタンは現れた」

「ほう……それで?」

「ジェナフィーツは彼女も亡命させる事を望んだ。計画実行のその日、後少しという所に……問題は起きた。軍に属する一人、クウィンが兄を捕まえ、我々の前で頭に銃を突きつけ、盾にする。シルバは兄の落とした拳銃を拾い……クウィンの頭を撃ち、彼もまた引き金を引いた」

「……ウソだろう?」

「しかし、不思議な事が起きた。兄どころか——クウィンも生きている。間違いなく、急所を撃たれたはずなのに。それが擬似病の吸血人である事は後に知るが、とにかく亡命は成功し、ついでに一人捕らえた……」

 女の一息が場を繋ぐ。

「確かに私は見ていた。兄は撃てと、シルバはそれに泣きながら撃ちたくないと言い、容赦なく発砲した。間違いなくあれは本当の感情であり。——その一方で揺らぎなく撃ったのも確かである」

「………」

「その件にお抱えの精神科医が診断したが……結論を言おう。ここ最近にいても、彼女の精神には、如何なる異常もなく健常けんじょうであり、また異質でもある。彼女のそれは、例えると無秩序の中の秩序。私に対して嫌いなら、事へ及ぼうとするモノだ」

「………。されたのか?」

「……つまり、矛盾しようが苦にもならず、自身の信念でさえも平気で矛盾を起こし、時に両立さえする。撃ちたくないから撃つのではない。撃ちたくない、撃つ。理論をすっ飛ばして行動に移す。彼女の精神とは、この様な事が出来る。とはいえ百年という年月は経ているが、記憶は本当とみなして良い——」

 再びの無言。だが、含み笑いが混じる。自分のおかしくて堪らない、雄叫びだ。

「——なんだっ、訊けなくされたいか!」

「ああっ、勘弁してくれ。本当にシルバとか? 一体どういう事をしたんだ? 俺達の親睦しんぼくを深める為にも、教えてくれたっていいだろう?」

「………。決して私は、君の様な同性への趣味は無い。——にも関わらず骨抜きにされた。それだけに優れて、そして彼女に対して、恥じらいを意識してしまう」

 その女が何かを言う度に、自分は頬がにやけて、笑いを堪えている。何かの罰ゲームか、これは。最早この波に情の防波堤が決壊を始めていた。

「だ——ダメだ! 耐えられん! くそッ、これは卑劣な拷問だな、腹が捩れ切れてしまう! ふハハハッ、ウアハハハはッ!」

「……呆れた奴だな、君は。後で死なない程度にぶちのめされる覚悟をしろ、コルフ」

「あぁ、ぁあ、俺はコルフじゃないぞ。その名前はとっくに捨てただろう?」

「そうだったか? アンノウン。私がズタボロにした相手に限って、名前と顔だけが思い出せないモノでな」

「なら、俺には勝てないな。アンノウンこそが俺だからだ」

「……良いだろう。生まれ変わりの時期も近付いている、今回は許す。今後もシルバと行動し……そして次があれば、メタメタにしてやろう」

「そうだな。打ちのめす、の方が語呂として良いと思うが」

「——次は来たり、今こそぶちのめさんとする、ぶちのめす」


 いつも通りの日々だ。ああ、そうだとも。

 これが俺であり、自分なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シルバ・スタンの刻 雨沢白田ー @catphilia3156

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ