エピローグ
老人が、咳をした。
棺桶のそばの蝋燭の火がちろちろ揺れている。
「二人が多くの困難を乗り越えたのには勇気をもらいます。なんか思い通りにならないことの連続って感じです」
「人生は、いつも思い通りにいかないから、思い通りになったとき、面白いんだよ」
わあ、年の功って感じの言葉だな。胸に留めておこう。
「最近は学校どうだい?」
「まあまあです」
最近やっと学校に行けるようになりました。命に関わる病気で数ヶ月前までは学校休んでばかりでした。
とは言えない。
「振り返るとダメダメで、自分のことばかりで、いっぱいいっぱいで、周りにも迷惑をたくさんかけていました。
「自分のことばかりじゃ悪いのかい?」
「……はい」
「そう言う時期は誰でもあると思うけどなあ」
老人が私を見つめる。
今までのことを言葉にしたくなって、
いつの間にか口を開いていた。
「なんか、思い通りにぜんっぜんならない日々が続いたんです。私吹奏楽部でした。あの夢の舞台に立ちたかった。全国は例え行けなくても」
人は過去の栄光に浸っていると言うかもしれないが、中学生で全日本大会に出場したことがあった。
「ずっと、部活には、一瞬、一瞬、今しかできないものを捧げてきました。部活のない学校生活は寂しくて。ずっと思っています、やりたかったなあって。でも、私は吹奏楽を大好きな気持ちを忘れたくない。ずーっと好きでいたいから。吹奏楽のせいで、だなんて思う前に、自分の心身を守るために退部を決断できました。また音楽、やりたかったなあ」
おじいさんは、静かに、深く頷いた。
「いつか、また、できるはずだよ」
今じゃなきゃ、ダメなんだ……。
話し疲れてしまった私はうつらうつらしてきた。
「あの頃は死にたかったなあ」
まどろみながら、つい、ぽろっとこぼしてしまう。
花実さんや青年は、生きようとしていた。
私にはそういう生き様は到底、できない気がする。そんなことを思う自分も、嫌だ。
そんなこと思うなんて。私が私じゃなくなってしまった気がする。一昔前の元気な私になりたい。まだ明るい気持ちでいられたあの頃の私に。
暗い気持ちに支配されそうだ。
そんなことより、眠いな。睡魔に負ける。その途端、ぷつん、と意識が途切れた。
「息を吐いてしね! でも、しっかり息を吸うんだよ。死ぬ気で息を吸うんだよ」
私は死ねと言う言葉に驚いて目を開けた。
「息を吸って」
言われるがまま、息を吸い込むと鼻いっぱいに、花の薫りがした。
夜空の下に、月の光を受けて、目を見張るほど真っ白く輝く花が揺れていた。風が吹くと、一斉に薙ぎ倒された。
「ここはどこ?」
美しい景色に、息が止まった。
「しね!」
再び死ねと、聞いたそのとき、驚きのあまり目の前がぐらぐら揺れた。
「え、死ね……?」
見渡す限り、
雪のような白い花が雪のように降っている。
ああ、死ねと言うあの人は、きっとさっきまで話していた老人だ。ふわふわと舞っているそれは、老人の姿を隠していく。
「死ねとは言っていないよ」
風の音で老人の声は聞き取りづらい。
「cinéだよ。cinémaのciné」
「え、映画?」
「昔、生きたい時に『シネ』と、言われた僕はこんな理屈を考えたことがある。映画みたく人の人生は短くないが、芸術のように長い。この言葉受け取ってくれるかな?」
芸術は人の心に刻まれる。いつまでも時を超えて続いていく。つまり、人の生き様は誰かの心に長い間、刻まれる。
「はい」
「あなたは花実に顔がそっくりだね」
「もしかして、もしかして、花実さんは私の親戚? もしかして昨日亡くなったおばあさんが花実さん?」
老人がこちらを、振り返って頷いた。白い花の花吹雪のせいで顔はよく見えない。
老人は徐々に近づいてくる。
「あなたはあなたじゃなくなってしまったと悲しんでいたけれどもそんなことはないよ」
老人が私の肩に手を乗せた。すると、肩が光った。 暖かい光が私を満たしていく。
世界が一段と明るくなった
「こんなにも素敵な子だから、あなたの音はとても素晴らしいに違いない」
瞬きをしたその一瞬。元の場所にいた。
老人はいない。
きっとあの人は、若かりし頃は青年だった幽霊なのだろう。
寝ぼけた目を擦る。
背後に人の気配がするので振り返る。そこには老人がいた。
「え、ちょ、幽霊が、戻ってきた?」
「幽霊? ははは。わたしは花実の夫だよ。徳でも積まねば、そう簡単に、幽霊とは会えないだろう」
「さっき、白い花畑で、私の肩を触って、死ねって言ったりもしてきて、それに、花実を迎えに来たって」
「落ち着いて、落ち着いて。私は人に死ねだなんて死んでも言わないよ」
「じゃあ、あれは誰?」
「きっと、花実を迎えにきた人だよ」
白い花 羽咲 @batyutyu
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