第1話

昔々。


海へ続く大きな川の近くに村があった。


 そこには罪人の世話をする娘がいた。

 

ある朝、娘は人生で初めての寝坊をした。


大急ぎで牢へ向かった。


とうとう最後の1人に朝食を提供した。


罪人は朝食を受けとると口を開いた。


「あなたの名前は?」


 娘はこわごわ

「花実でございます」

と答えた。


 朝焼けの空が一層色づく。

お天道様のまばゆい光が辺りを照射した。

 微かな光に照らされた、暗がりの中に佇む青年。たくさんの傷を持っていた。

腕はパンパンに腫れ上がっていた。


「その怪我はどうしたのですか?」


 青年は、しばらく黙ってしまった。


 

「ご飯を盗んだときにやられた……。僕は飢えて死にそうだった」


「一緒に生き抜きましょう」



「僕は罪人だ……なのに、なぜ?」


青年は一生懸命生きている。だからだ。

 

青年が釈放される日が近づいてきた。


「私はあなたと暮らしたいです」


「罪を背負った自分と一緒にいたら、あなたが風評被害を受ける。僕がここをでて花実と別れ、10年経って、それでも暮らしたいというのなら、僕ら、夫婦になろう」


「10年ですか、10年はあんまりです」


「だったら、3年後に1度だけ会おう」


 時は流れついに青年が牢から解放された。


青年は大きな川を渡った先の村に移り住んだ。


 青年と別れた花実は仕事を続けた。


あっという間に季節は巡り3年がたった。


その日、花実は小さなイカダ船を漕いだ。


 向こう側には青年の姿が見える。

今、突然吹いた大きな風に煽られる。


花実は、川に落ちた。死に物狂いで、イカダに乗った。


「やっと会えるというのに」


イカダは青年から遠ざかっていった。


花実の濡れた身体は冷え切っていった。不安を抱きながらイカダに揺られること10数分、島に漂着した。


 一方、青年は。自分のイカダに飛び乗って花実を追いかけていた。


「花実には、伝えなくちゃならないことがあるんだ」


と、せっせと漕いだ。

 荒波に揉まれ、冷たい水飛沫を浴びた青年は、体を壊してしまった。

 浜辺で倒れている青年を島人たちが救いだして手厚く看病した。

 青年の花実の無事を祈る日々は続く。養生に努めたが回復の兆しが見えない。それは島に来て15日目のことだった。


 青年は、島人たちがくれるあの薬は、ひょっとすると毒なのではないか、という仮説を立てた。

 島人たちの真情を無下にしてしまう気がしたが、悪化の一途を辿るばかりだったので疑わずにはいられない。


 薬を、こっそり、飲まないでみる。すると、みるみる体調は回復した。青年は体の調子が回復したので怪しまれないように患者の真似をし続けた。


 夜中、こっそり、島人たちの話を盗み聞きすることにした。居間から微かに声が聞こえてくる。


「男の様子はどうだ?」

「日増しに衰弱しております。起き上がるのも困難な様子です。しかしあの男の体調不良はどこか不自然です」

「薬を飲んでいないのかもしれないな。演技で我々を騙している可能性がある」


青年は、ゴクリ、生唾を飲んだ。


ここの島は危険だ。慎重に、この島から抜け出さねば。


 後日、青年は、再び島人たちの談話を盗み聞きしにきた。


 

「島の長に内緒で、捉えた小娘に『30日間村に咲く白い花を島によこし続けたなら男を解放する』と約束をしている。今日でいよいよ20日目だ」


「勝手なことをしていいんですか?」


「私はこの島のいわれ正しき処刑人である。口答えするな。彼らは私のこの窮屈な心を浄化させてくれるかもしれないのだ」


 歪んでいる島人は


人の愛が無罪証明できるとは信じていない。


もし疑いが晴れたとしても、どのみち、花実は島の長に不法侵入の罪で裁かれる。


 翌日、青年は、島人たちがこの家を出るのを見計らって浜辺へいった。


なんたる奇跡だろうか。

白い花を一輪、持つ、花実がいた。


花実の肌は潮風に揉まれ、今にも剥がれ落ちそうなほど乾燥していた。髪は縮れている。目は腫れぼったくなっていた。


「花実?!」


「つらいよ」


 青年は、駆け寄ってきた花実にかける言葉が見つからなかった。


この娘は、何者だ……? と、青年は内心、引いていた。自分は片道だけで生死を彷徨うほどだったと言うのに。


「花実……大丈夫か?」


 花実の顔が丸められた紙のようにクシャクシャに歪んだ。

 

「元気で良かった。病気で床に伏せていたというのは嘘でしたのね。いいえ、そんなことより。あなたには、お嫁さんがいたんですね。毎日毎日、あなたの赤ちゃんとお嫁さんが川であなたを待っています」


ぽろぽろ、花実の頬に涙が伝う。


「え……」


「もしかしたら、あなたは私が思っているより悲しいことに私をもてあそんでいたのかもしれない」


「ちがう。ちがう」


 青年は、花実を抱きしめた。


「花実に僕からちゃんと伝えたかった。すまなかった。僕たちは島人に騙されていて」


青年は遠くの人影に気づいた。


「はっ! 島人が来た。花実、すぐに村に帰れ。時期に僕もいく。必ず」


急いで青年は去っていった。


「あなただけ残して帰ることはできない」

その、花実の言葉は青年に届くことはなかった。


 花実はその後、白い花を30本、島に届ける決意をした。

 並外れた肉体力、精神力を発揮した。

 30日目の朝、青年は目が覚めると洞窟にいた。手が縛られている。


非常に最悪な状況だ。


「小娘とお前には罪がある。この島に不法侵入したあげく、既婚者であり前科者のお前が女と密会し抱き合ったのだ。不誠実である」


島人め。


ーーーー僕らの海辺での、会話は聞かれていたんだ。見られていたんだ。でもどうやって……


「小娘の口は災いの元だな」

 

島人は姿を消した。

 湿った洞窟は気味が悪い。じっとりとしている。


「私たちはこれからどうなるのかな」


弱々しい花実の声が、した。


「花実! 僕が守るから。大丈夫だ。必ずここから逃げ出そう」


2人は強く、強く、力強く。励まし合った。


「私、帰りたい」


「生き抜こう。僕は花実がいたから生きてこられた。花実がいるから、花実のおかげで、生きている」


私は決して、あなたの一番にはなれないのね、と言う想いを堪えた。


「ありがとう」


 青年が感謝の気持ちを込めて伝えてくれるとわかっている。けれども……原因不明の悲しみに心が震えていた。胸にヒビが入って、砕けた破片が自分の胸の内側を突き破る。抉ってくる。そんな感覚に襲われた。


そのあとの二人は黙っているばかりだった。

 


 明朝、島人の長を名乗る男に、崖に連れて行かれた。


 島人の長は、憎いほどに端正な顔立ちだ。


切れ長なのに大きな目、整った唇、筋の通った高い鼻、白く透き通る肌……。


見た目は本当の年齢より20歳若く見える。上質な絹の服が風にはためいた。


波風が吹いている。

微かに夜の匂いがする。


「あなたは、僕を看病するふりをして、毒を盛っていましたね」


「毒……? 体調が悪化しながらよくなる薬のことですかね?」


 低くて、クリアな島人の朝の声が冷たく響いた。


「え……」


「あなたたちはこれから、怒りの神の生贄になるのです。崖で一日じゅう、謝罪しなさい。段取りは今から説明しますから。謝罪したら帰りなさい。罪で己を穢した者が裁かれないことには、この島に平和は訪れないからね」


「僕たちが何をしたって言うんですか?」


ふふふっ、と島人の長は嫌味な笑いを漏らした。


「昔、この島の怒りの神が怒って流行病でたくさんの子供が苦しんだんだ。老若男女問わず、罪ある者を裁く。すると流行病は終息を迎えた」


それに、と島の長は続ける。


「大人になったら、社会で自分の立場を守って生きていくことが家族と自分を守ることにつながる。わかるかな。それを若者に教えるためにも罪は正しく裁かなくちゃなんない。あなたたちは自分の立場をわきまえなさい」


「誰しも違う立場の正義を持って生きています。僕は謝罪する意味がわかりません」

と青年は言う。


「真の正義のために挫かなくてはならない正義っていうのがある。あなたたちが罪人なのだから、裁かれなくてはならない」


と、島の長は言う。


「あなたが罪人よ」


「それは流石に言い過ぎじゃないか」


疲弊した花実は柄にもなく怒りを見せたので、青年は心苦しくなって、制した。


 花実は、悲しげに遠くを見つめたかと思うと、波風に揉まれたボロボロの手で青年の手を握った。


「人は人を裏切って愛することができる。でも人は人を信じないと愛されることはない。私は、誰も裏切っていない」


 花実の言葉に島人の瞳が揺れた。

花実の手は不安で震えていた。


「僕は花実を信じている」


青年は花実の思いを受け止めた。


「……」


島人の長は、2人を見比べた。

 眉を思いっきり跳ね上げてから、青年をまっすぐ見つめた。


「聞きそびれていたが、あなたの犯した犯罪は何だ」


「食べ物を盗みました」


「1つの盗みが、赤字のお店を潰す。人の生活を奪うし犯罪は負の連鎖となって、誰かが生きづらい世の中を作り上げる。それでも自分は悪くない、でいいのか? 社会はその連鎖を断つようにできているよね? 不法侵入したのにいいの、その態度。言うことを聞かなければ、最も重い罪を償わせる。となると死刑だ」


花実は顔面蒼白になっている。


「死ぬか? 死にたくないか? どうする? 俺に従うか従わないかだ」



「死を扱うことで、人を傷つけたり、御涙頂戴したり、そして、感情の波を呼ぶこともできる。でも、それに翻弄されるものか」


 青年は花実を背に、凛と言い放った。


「生きることも死ぬことも当たり前じゃない」


青年の叫びが響き渡った。花実の目には、きらきら輝く涙が浮かぶ。


「あなたたちの命を人質にしたのは、謝る。すまない。私の責任だ。でもね、人間間違いを犯す。誰もが。それだからこそ間違いを叱る立場の人間がいなくてはならないんです。だから二人は」


 青年は、花実の耳にそっと、ささやいた。


「こんなんじゃ堂々巡りだ。泳いで帰ろう」

「名案ね」


 島の長は、突然駆け出した二人の腕を掴もうと必死になって追いかけた。

「待て、死ぬぞ!!」

と、今まで聞いたことないくらいの大きな声を島人の長は張り上げる。


 二人は海に飛び込んだ。

 二人は海面から顔を出した。

 ぐんぐん花実は休むことなく夜の海を進んでいく。

 30日間、通って慣れた道のりだからだろうか、迷いなく進んでいく。

 時々、花実は荒れた皮膚が痛む様子だった。


 昔、飢えた野良犬のように路上でくたばっていたのならば人は僕を助けたのだろうか。

と、青年はなんとなく考える。

 誰も助けてくれなかっただろうな。

生きている実感がなくなっていく。


花実が突然、大きな声で叫んだ。


「一緒に帰ろう!」


青年の目からは涙が溢れた。


「ありがとう」



 大事なものほど、言葉にしたら剥き出しの状態だから、打撃を与えやすいゆえ、衝撃をくらいやすい。


 大事なものを曝け出すのが怖い。でも、怖いし、それを曝け出して道を外れてゆくのが普通なんだろう。


 


………


 海は果てしなく広くて自由だが危険を孕む。

 激しい環境下で、川を下って海に出たはずが、海から川へ登って行けるほどの、逆境に立ち向かう力を手に入れて逞しくなることもある。


 二人が岸辺へついて振り返ると、そこには、広い海があった。

 キラキラした海は二人の中に残されていた希望を受け継いだ。困難の後の海はかけがえのないことや物に気付きさらに美しく太陽に照らされている。

 

 これは、道を外れた二人の物語だ。

 

 

 花実は、あの雲が何重にも織りなす昼の空を見上げていた。

 この空にある雲のように、世界のあらゆる禍から愛しい人を包み込む幸せを心から願った。

長い長い悲しみはいつしか彼女を勇気づける大きな光となった。

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