第4話~引き継がれた力~

私は薄汚れた雑居ビルとビルの隙間の細い道を歩んでいる。

焦る必要はない……この先では彼女が待っているから……。

「どけー!」

狭い路地に艶を帯びた女の怒声が響いた。

私の前を逃げる人影の前に別の人影が立ち塞がっている。

私が歩みをすすめて近づくと人影が明確になってきた。

……これは人影でいいのか?

下半身は二メート以上の蛇の様相で、上半身は一糸纏わぬ女の後ろ姿だ。

鏡の中の人の姿は心を映すもの……女はなにを想い半人半蛇の姿になったのか。

半人半蛇の妖怪や悪魔、神は多くいる……私は歩みをすすめながら女の想った対象を考えた。

……そうか! ギリシャ神話のラーミアだ。青年を誘惑して性の虜にしたあとに喰らう悪魔エンプーサの代名詞。そして、眼球を取り出す異形の能力から子供たちに恐れられており、子の躾で親が名を使う神……またマニアックな姿だな。だが、女を表すのには相応しいな。

怒声にも怯まず道をあけない白髪の女に、蛇女が蛇姿の下半身を振り上げ叩きつけた。

白髪の女は軽く立つ位置をずらし蛇女の攻撃をかわすと、蛇の尾の先端に噛みついた。

そのまま白髪の女は体を回転させると、蛇女は鞭のように白髪の女の口から伸びた。

高速で白髪の女が回転を繰り返すと、鞭のように伸びた蛇女は狭い路地のビル壁に繰り返し打ち付けられていた。

<バチン! バチン!>

「うがああああ!」

狭い路地に蛇女が両脇のビル壁に叩きつけられる音と蛇女の悲鳴が響く。

鞭のように伸びた蛇女が私の方に向いたタイミングで白髪の女は口を開いた。

白髪女の回転で勢いを与えられた蛇女が頭を私に向け一直線に伸び飛んできた。

……遊び過ぎだよ……アリス。

私は右太腿のレッグホルスターから愛銃シグザウエルP226E2を抜くと、蛇女の額に照準を定め構えた。

白髪の女が射軸からずれたのを確認した私は引き金を引いた。

私は発射される9ミリパラグラム弾を触媒に火炎魔法を発動させる。

蛇女の額に命中した弾丸は伸びた鞭状になっている体の中心を貫通して尾の先端から飛び出すと、ビルの壁にぶつかり炎の塊になり消失した。

火炎魔法が施された弾丸が貫通した蛇女が炎に包まれ地に落ちた。

……さすが神の姿を借りるだけあって精神力は凄いな。

蛇女は額の中央を打ち抜かれ普通であれば脳が破壊され即死なはずだが、炎の中で苦悶の表情で私を睨み付けのたうち回っている。

しばらくすると、炎に包まれた蛇女は白目を剥き表情が消え動きをとめた。

炎が消えると蛇女がいた場所にはなにも残っていない。

白髪の女……アリスが尻尾を振り振りしながら少しよろける足取りで私に向かって来た。

「う、う、う……目が回ったあ~」

「遊び過ぎだよ。さて任務完了だ。晩御飯に行こう!」

私と腕を絡め寄り添うアリスと共に路地を出るため、私たちは歩みはじめた。

◆◆◆◆◆◆

明けぬ夜の新宿……現世と同じく大久保公園には春を売る者たちが多く集まっている。

鏡の中の世界では売春は問題ない普通の日常光景だ。

現世と違い取り締まる者もおらず、なにより己の欲望を押さえる必要のない世界だから……。

だがルールは存在する。

春を売る者は己の意志で売るのであって強制は許されない。

蛇女は理由はいろいろとあるが弱みを握った者に強制的に春を売らせ、売り上げのほとんどをピンハネしていた。

現世でも蛇女は管理売春を行っていた。

依頼はホストにはまり売り掛けの対価に蛇女の手で売春を強要された女子大生の親からだった。

女子大生は運悪く窒息プレイ好きの男に買われ、プレイ中の手違いで死亡した。

現世の蛇女と蛇女に女子大生を売り渡したホストは管理売春で実刑、窒息プレイを行った男も実刑を受けている。

蛇女はかなりの美人で過去は自身も立ちんぼの中でも目立ち、稼ぎもよかったらしい。

その美貌と被害者の女たちに借金を返済させることを躾として、美貌で躾の神と扱われるラーミアに己の姿を重ねていたのかもしれない。

女子大生が死亡した原因の三人は法的には処罰されたが、親の元に失った娘は帰ってこない。

些細な行き違いで娘を家出させ、命まで失うことになった事態に女子大生の親は耐えれず依頼で娘を取り返すことにした。

本来はホストにはまった女子大生の自業自得だが、蛇女は普通の売春者では避ける変態プレイ好みの客に相場よりかなり高い金額で弱みを握った者を無理やり客付けすることで、多額の売り上げを得ていた。

ホストも蛇女と共謀して、若い娘に返済不能な額の得り掛けを作らせ蛇女の手に渡し売り上げの一部を得ていた。

調査の結果、他にも多くの犠牲となった者たちがいたので依頼は受諾されたのだった。

依頼のホストと窒息プレイ男は先に始末を終えていたので、蛇女の始末を終え依頼は完了だ。

◆◆◆◆◆◆

「はい! サーロインのステーキだよ」

赤鬼姿のたっちゃんがアリスの前に皿を置いた。

置かれた皿の上では焼きたてのサーロインステーキが湯気を上げていた。

「わーい! 肉! ステーキ! 最高!」

アリスはステーキにフォークを突き刺すとナイフを使わずかぶりつき噛み千切った。

私はステーキを食べて満面の笑みのアリスを見ているだけで幸せな気分になった。


依頼を終えた私たちは最後の仕事場近くにあった<T’sキッチン>を訪れている。

……うん! この鯛の昆布締めの塩梅は素晴らしいな。

私は刺身を肴に日本酒を楽しみながら、ステーキを食べるアリスを眺めている。

満面の笑みのアリスは、あっという間にステーキを食べ終えてしまった。

「次はなにを食べようかな……」

アリスは次の注文を悩んでいた。

「たまには肉……」

私の言葉を遮りアリスが話しだした。

「たまには肉以外も食べろ! って言うんでしょ。でもねぇ肉の誘惑の前では……」

……本当は人姿の時は自由になんでも楽しんで欲しいけど……命は依頼で得て伸ばせるけど、健康は命だけでは無理だから。

「アリスちゃん! かぼちゃの煮付けと大学芋があるよ……あっ、あとランチョンミートときゃべつの炒め物も作れるよ」

「うわ~! 全部お願いだよ! ふふふふ。鏡華ぁ! ちゃんと野菜も食べるから問題ないよね」

……たっちゃんが毎度のやり取りで準備してくれていたのね。

かぼちゃ、サツマイモ、キャベツ……どれも犬が大好きな野菜だ。

私が肉以外も食べるようにアリスを促す毎度の流れに合わせて、たっちゃんはメニューを考えていてくれていた。

私は刺身を食べ終えたので天婦羅盛り合わせと日本酒のお代わりを頼むと、今回の依頼を受けた時の店のオーナールームでしたママとの会話を思い出した。

◆◆◆◆◆◆

「今回の依頼は二年前だが、処分対象が三人なので六年分の命が報酬だ」

依頼は事故や事件が起きてすぐに頼まれることは少ない。

なんとか失われた命を取り戻せる方法はないか、そんな荒唐無稽なこと叶える方法を探してもすぐには見つからない。

運良く私達のことを知れたとしても……数年もの刻が流れていることも少なくない。

私への基本報酬は遡る年数の倍の年数の命だ。

倍の理由は私が刻を遡るのに遡るのと同じ年数の命を必要とするから。

今回の場合だと二人の処分追加で二年が加わり六年の命を必要とする。

依頼者の命の残りが少なければ、依頼をした瞬間に死を迎える可能性もある。

ただ……私が無事に依頼を終えれば……失われた刻から死を迎えた瞬間までは取り戻した命と共に過ごすことはできる。

依頼に必要とする命の年数を多く必要とし死を迎える可能性があっても、依頼が絶えないのは一時でも失われた命と過ごしたい依頼人の想いから……。

「依頼は受けよう……ツクヨミの件は……まだ話してはくれないか……」

鏡の中でツクヨミと名乗る少女から襲撃を受けてから半年がたった。

私は半年の間に十件以上の依頼を受けて来たが、ツクヨミと再び相見えることはないままだ。

ツクヨミと出会い鏡の中から戻った私はママに問い質したが……。

ママの答えは「刻が来たら話す」だけだった。

この答えをしたママは絶対になにも話さない。

ママと長い付き合いの私はこれ以上の問いは意味がないと理解し、その時は矛を収めた。


「……ツクヨミは鏡の中のどこにでもいる。鏡の中の世界その物がツクヨミだから」

私の予想を裏切り、唐突にママが話をはじめた。

「鏡の中の世界は……現世で解き放たれては現世の摂理が成り立たなくなる、人々が持つ膨大な欲望を開放する場として作られた偶像の世界」

……作られた世界! そんな世界を誰が作った?

「ツクヨミは鏡の中の世界そのものであり、世界の管理人でもある」

「誰が鏡の中の世界とツクヨミを作り出した?」

私は執務机に座るママに詰め寄った。

「誰……誰とは言えないな……その存在は。強いて言うなら世界そのもの。人が偶像化し神と呼ぶ者……と表現するのが限界だな」

……なに、この会話は!? いったいママはなんの話をしている?

私はママの話に激しく混乱をしている。

たしかに私の存在そのものが常軌を逸している……鏡の中の世界と現世を行き来し、鏡の中では刻を遡ることもできる。

そして魔法などと人外の力も使える……だから普通の思考では世界は紐解けないこともわかっているが、それを持ってもママの話はまったく理解できない。


「鏡華は依頼者が私の元に辿りつける理由を考えたことはあるか?」

ママの話が突然に変わった。

「依頼者は依頼が完了すれば依頼をする必要もない刻に戻り、私のことも忘れる」

……依頼者がママの元に辿り着ける理由を考えたことはなかった。

「依頼が完了すれば依頼をしたことも忘れる。依頼を受けた者たちの口から依頼に関する話が広がることはない……失われた命を取り戻したい者たち……彼らが張り巡らされた私の根に接触をすると私の元に情報が届き、選別された者は私を知り依頼に訪れる」

依頼者はママの選別で決められ、ママのことを知ることになる……その選別基準はなに?

「選別の基準……それはツクヨミの失態を償う時のみ……」

「ツクヨミ……の失態?」

ママの激流のような話は私の思考を麻痺させはじめている。

「人の隠れた欲望を履き出させ現生を平穏に保つための鏡の中の世界。現世の死が鏡の中の死になっても、鏡の中の死が現世の死になることは摂理の破綻につながる」

本来は鏡の中の世界は現世を平和にするために作られた世界。

現世を平和にするために作られた世界で人が死に現世の人が死ぬ……それでは鏡の中の世界が作られた意味がない。

……なんとなく朧気だが、ツクヨミの失態が理解できはじめた。

「過去から欲望が大きすぎ鏡の中の世界の摂理に反して人を殺めようとする者は少数だがいた。それらの者はツクヨミの手で排除されることで摂理は守られてきた。しかし……徐々に大きすぎる欲望を持つ者が増え、ツクヨミの手をすり抜ける者たちが出て……ぐわぁあああ!」

突然、ママが苦悶の表情になると、それを隠すように両手で顔を覆うと机に伏せてしまった。

「……ぐがああああ……今宵は……ここまでのようだ。気付かれてしまった……」

「な、な、なにが起きたの? ママ!」

ママの悲鳴が収まり、机から起き上がり両手の平を顔から外した。

……えっ!? その顔は!

「ツクヨミ!?」

一瞬だったが机から起き上がったママの顔は、あの日に見た童女の……ツクヨミの顔だった。

すぐに見慣れたママの顔に戻ったが、その顔色は血の気をまったく感じない青白い顔色だ。

「さて、お客様が待っている。ホールに戻りなさい」

まだ苦痛が残るのか、ママは苦し気な声で私に伝えた。

こうなればママが続きを語るために口を開くことはないと、長年のママとの付き合いで私は理解してる。

「明日は依頼を実行するので店は休む」

私は明日の休みをママに伝えると、オーナールームを出て私を待つ客がいるホールに戻った。

◆◆◆◆◆◆

「天婦羅が冷めちゃうよ。あっ! ササミの天婦羅だ! いただきぃ」

昨晩のママとの会話を思い出していた間に天婦羅の盛り合わせができあがっていた。

アリスはササミの天婦羅をフォークで刺すと<パクリ>と食べた。

……普通はササミを天婦羅にしないから、たっちゃんがアリスのために作ってくれたね。

「ササミはあげるけど……大丈夫?」

私の呼び掛けに涙声でアリスが応えた。

「熱かった……犬舌では無理……火傷しちゃったよ」

……まったく……揚げたてをパクリは無理でしょう。アリスはササミが大好きなのは知ってるけど、無茶はしないでよね。

欲望を満たすために作られた鏡の中の世界……それであるなら、人目を気にする必要はない。

アリスが熱さに苦悶しながらササミを嚥下し終えたタイミングで、私はアリスに唇を重ねた。

私はアリスの唇を割り舌を差し入れアリスの舌と絡めた。

……普段はツルツルで気持ちいい舌が火傷でガサガサになってるよ。

できる限り包み込み癒すように、私はアリスと舌を絡めた。

……息が続かない……。

私はアリスから離れると、カウンターの中のたっちゃんを見たが鏡の中では普通のことで気にした様子はまったくなく安堵した。

それでも感じる恥ずかしさを誤魔化すため、私はグラスに残っていた日本酒を一息で飲み干した。

「痛みが引いた気がするよ……ありがとう」

少し涙目の笑顔で私を見つめるアリスが可愛くて、私はアリスを引き寄せ抱きしめた。

……現世のモフモフもいいけど、この張りがある柔らかさも最高だね。

私は回想を終え、日本酒のお代わりを頼み食事を再開した。

◆◆◆◆◆◆

食事を終えた私達は<T’sキッチン>を出ると、エレベーターに乗り六階へ向かう。

私達はエレベーターを降りると現生で私がホステスで務めている店に入った。

店内は現世の店と違い、大音量の激しいリズムの音楽が流れ、薄暗い店内に七色のムービングライトの光が入り乱れていた。

「じゃあ、踊ってるね」

店内に入るとアリスは私から離れ、ダンスフロアの人混みに向かった。

アリスと別れた私はエントランス横のバックルームに入り、一番奥の扉をノックした。

<コンコン>

「どうぞ」

落ち着いた女性の声が聞こえる。

扉を開けると、執務机に黒のミニスカートスーツに身を包んだ、黒髪肩長ボブの少し冷たい印象の美女が座っていた。

だが……いつもと違ったのは、その美貌の右半分が包帯に覆われ隠れていた。

「ママ! どうしたの?」

焦り上ずる声の私の問いにママが答えた。

「現世の私がツクヨミの逆鱗に触れてな、私を通して罰を与えるためにツクヨミに与えられた傷だ」

……あの時の! ママが激痛で話を止めた理由なのか?

私はママが座る執務机の横のなにもなかった空間が歪むのを捉えた。

空間の歪の中から現れたのは……。

「ツクヨミ!?」

ママの横に花魁姿の中学生くらいの童女が現れた。

「私の影が私の意に反するとは……やはり<刻を乱す者>は鏡の中の世界の摂理すら乱せるほどの力を引き継いでしまったのだな……」

……ママがツクヨミの影? そして、私に引き継いだ鏡の中の世界の摂理を乱す力がある?

誰から私は摂理を乱す力を引き継いだ?

私はツクヨミの言葉に混乱するしかなく、ツクヨミが次に紡ぐ言葉を待つしかできなかった。

「まだ……多くを伝える刻ではない。もう少し<刻を乱し>て<刻を制する力>を手にいれなさい……私が解放されるため、貴方に<試練の人生>を与えてしまったことは……許して欲しいと言っても、許してはもらえないだろうけど」

ツクヨミの言葉は私に更なる混迷を与えた。

……許して欲しい。なぜツクヨミは私に謝罪の言葉を伝える!?

私はツクヨミの言葉の意味を問い正したかった。

だが、急に私の視界に歪みが生じると……。

「今宵は帰りなさい。貴方が己の世界と信じる場所へ……それが幻であっても……」

ツクヨミの言葉が急に遠のく私の意識に聞こえたが……。

……ダメだ。なにも考えられない……でも……なに? この、とても暖かいツクヨミの口調は……。

意識が遠のく私は不思議な暖かさに包まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鏡の中で蝶は舞うーButterflies Flutter in the Mirrorー さいび @saibi0315

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ