第3話~鏡華の記憶~

鏡の中の私が夢なのか…

それとも…鏡に映る私が夢なのか…

それは…胡蝶の夢…

◆◆◆◆◆◆◆◆

 スコープ越しに男の姿を見続けて何時間が経過したのだろうか。

・・・・そろそろ、体勢を変えないと関節が固まってしまい、何かあった時は対応が遅れるな。

 スーツ姿の男はビジネスホテルの一室で、ベッドに座り微動だにしない。

 私は男の部屋の窓が見下ろせるビルの屋上で腹ばいになり、狙撃体勢で狙撃銃のレミントンM700のスコープを覗いている。

「今回の依頼は発生時刻が不確定なのは辛いね」

 狙撃体勢で隙だらけの私なので、アリスが周囲を警戒してくれている。

 これから部屋を訪れる者達に男は絞殺され、室内で首つり状態にされ偽装自殺を図られる。死亡推定時刻を曖昧にする為に部屋のエアコンは最低温度にされ、発見時には死亡時刻を特定するには体温が下がり過ぎていた。

 今回、何時間もスコープを覗き私が待ち続けている理由だ。


 ベッドに座る男の後ろの扉が開くと、屈強な黒スーツの男が二人入って来た。男達が太いロープを手に持っているのに気が付いた男は、最悪の結末になった事を悟り悲痛な表情になる。

 男は<ある大物政治家の秘書>だった。その政治家の裏金問題が表沙汰になった時に、秘書だった男は全ての責任を押し付けられた。男は死亡してしまったので予想の範囲を今は出ないが、逃亡資金と偽の身分を用意するから部屋で待つようにと指示を受けていたと推測される。

 スコープの中で黒スーツの一人が男を押さえ付け、もう一人が男の首にロープを回す。

‥‥これで間違いないな。

 黒スーツ達の殺意を確認出来た私はトリガーを引いた。男の首にロープを回していた黒スーツの眉間に穴が開き倒れ込む。

 すかさず、私は銃のボルトを引き排莢と次弾給弾を行った。

 男を押さえていた黒スーツが、窓に向かい男の後ろに隠れ次の銃撃から身を守ろうとする。再びトリガーを私が引くと、男の後ろに隠れきれていなかった黒スーツの側頭部に穴が開き倒れ込んだ。

‥‥あとは男の部屋に行き、ある政治家の影響を受けないジャーナリストの元へ行き、全てを話す暗示を施せば依頼は完了だな。


 銃は見つかっても問題ないのでレミントンM700は放置して、立ち上がった私は少し体を曲げ伸ばしして関節を柔らかくするとアリスに声を掛ける。

「アリス!先に部屋に行って、目標を確保して」

「はいなー!」

 アリスはクラウチングスタート体勢で四足になると、人では想像できない速度で走り出し非常階段に向かって行った。

‥‥さて、私も急ぐか。

 私もアリスの後を追いかけるが、人の脚ではアリスに追いつく事は出来ない。全力で私も走り狙撃をしたビルを出てビジネスホテルに飛び込むと、エレベータで男のフロアに向かった。エレベータ内で息を整えた私が部屋に入ると、動揺する男をアリスが睨み付け動きを封じていた。

「お前達は何者なんだ?」

 男の呟きに私は答えた。

「奥様が待っている。貴方を捨て駒にするような奴に忠義など持たず、奥様の元に帰りなさい」

 私は男の額に手の平を当てると、<男を捨て駒にして悠々と政界で過ごす男の姿>と<信用出来るジャーナリストと男の帰りを待つ女の姿>の暗示魔法を施した。暗示が施された男は、

「こんな男の為に死んでたまるか!佳代、今帰るぞ!」

大声で叫ぶと跳ねる様にベッドから立ち上がり、部屋を出て行った。


「簡単だったけど待ち時間が辛かったよ」

 私に腕を絡めて、尻尾を振り振りしながら歩くアリスが呟いた。ビジネスホテルを出た私達は、今日の依頼は時間が読めないので欠勤にした私に時間があるので二人でゆっくり晩御飯を食べて帰る予定だ。

 ビジネスホテルのあった大久保公園近くから、区役所通りに向かっていた時だった。

<ピリピリ・・・・>

 全身に纏わり着く静電気のような感覚が私を襲った。

‥‥雷撃魔法!?

 反射的に私はアリスを小脇に抱え、跳躍して雷撃魔法から逃げた。

<バーン>

 私達が飛び退いた数メートル横に小さな雷が落ちた。

「何がおきたの!?」

 私の腕の中のアリスが動揺した声で呟く。

「今、雷が落ちなかった!?」

「なんか光ったぞ!」

 大抵の事では気にしない鏡の中の住人たちが騒がしくなっている。

「とりあえず移動する」

 アリスを立たせると、走り出した私だった。

「何があったの?」

 全力で走る私の横を、四足体勢で余裕に走っているアリスだった。

「雷撃魔法攻撃を受けた。理由も何もわからないけど、あの場所で魔法戦は周辺に危険すぎる」

 追撃が来る可能性に警戒しながら全力で走る私は<職安通り>を渡り、新大久保の住宅街を駆け抜ける。

‥‥もう少しだ。あそこなら被害は出ないはず。

 住宅街を少し走ると広いグランドが見えて来た。

‥‥大久保小学校の校庭なら。

 明けぬ夜の世界に小学校へ通学する生徒はいない。校舎やグラウンドは現世を鏡に映しただけだから。

 私達は校門を飛び越えグラウンドの中央に向かう。


‥‥読まれていた!?それとも、相手の手の平の上で踊っただけか?

 グラウンドの中央には花魁姿をした、中学生位の幼さを残した女が立っていた。女が私達に腕を伸ばし手の平を向けた。

‥‥やばい。

 私はアリスを体当たりで跳ね飛ばし、女の手の平の射線からはずした。女の手の平から私に向かって火炎が渦巻き伸びて来る。

‥‥今度は火炎魔法か!?

 レッグホルスターに私は手を伸ばし、スローイングナイフを抜き女に向け投げた。蒼い尾を引いて女に向かったナイフは、火炎に触れると盛大な水蒸気を発生させた。ナイフを触媒に水魔法を発動させ、私が女の火炎に投げたので魔法が相殺されたのだった。

 煙る大量の水蒸気で私の視界が遮られる。

‥‥アリスに注意を促したい。でも、声で私の位置を悟られてしまう。

 徐々に晴れる視界に映ったのは、首を捕まれ女に高く持ち上げられたアリスの姿だった。

「苦しいよぉ‥‥」

 アリスのうめき声が私の耳に届いた瞬間、私は女を目掛けて走り出した。

‥‥ナイフや銃はダメだ。アリスを盾にされる可能性がある。

 私は女に体当たりを仕掛けた。体当たりを予測した女は、アリスを宙吊りにしたまま飛び退こうとした。

‥‥今だ!

 アリスの首を持つ女の腕を私はハイキックで蹴り上げた。

<バシ!>

 蹴りの衝撃で女の手がアリスから離れた。一瞬出来た隙にアリスは跳ね飛ぶと、私の横に着地した。

「ごめんアリス」

「助かったよ。ありがとう」

 私の謝罪にアリスは感謝で応えてくれた。


「魔法が使え、人外の動き‥‥お前、何者だ?」

 見た目の幼さに反し、低く落ち着いた大人の女の声が響く。

「それは、こちらの問いだ。なぜ、突然に攻撃をして来た」

 私は動揺を隠すように静かに女へ返した。

‥‥私以外に魔法を使える存在と始めて会った。

 魔法も鏡の世界と現世を私が行き来出来るのと同じで、私だけが使える謎だったはず。

「<刻を乱す者>は存在してはならない。故に抹消する」

 その言葉と同時に女から私達に向かって雷の姿をした雷撃が飛んできた。レッグホルスターからスローイングナイフを抜くと、私もナイフを触媒に雷撃魔法を発動させ女の雷撃に投じた。

「アリスは戦闘圏外に移動して」

 私の声に四足体勢で走り出し校庭の端に向け移動するアリスだった。

 金色の尾を引き飛んだナイフは、女の雷撃に衝突すると大きな爆発を生じさせた。

<ドガーン!>

‥‥くうぅ。女の電撃を破れず逃げ場のないエネルギーが破裂したか!?

 爆心地から生じた強烈な衝撃波が校庭の砂を巻き上げる。

‥‥ダメか。身体を支えきれない。

 衝撃波に耐えれなかった私は吹き飛ばされ、空中で体勢を立て直す事も出来ず背中から地面に落ちる。

「ガッハア!」

 打ち付けられた衝撃で息が詰まる私だった。砂煙の中から女が飛び出して来た。跳躍をした女は私の腹の上に跨る様に座り、地面に私の身体を押さえつける。

「グワアァ」

 女が着地する勢いを全て腹部に受けた私は、苦痛から悲鳴を上げてしまった。


「鏡華ぁ~!」

 私の名を叫んだアリスは、太腿のナイフケースからサバイバルナイフを抜き咥えた。アリスは四足体勢になり女を目掛けて走り出した。

‥‥ダメ。アリス‥‥アリスでは勝ち目はない。

 アリスに「逃げて」と叫びたいが、肺の中の空気を全て押し出された私は声を出すことが出来ない。

 女がアリスに腕を伸ばし手の平を向ける。

‥‥ダメだ!

 女の手の平から強烈な風が吹き、走るアリスを吹き飛ばす。地面を何回転も転がったアリスは、校庭と道路を仕切るフェンスに激突した。フェンスに激突したアリスはピクピクと痙攣しており、気絶はしているが生きていることがわかる。

 女は明らかに手を抜いた攻撃をアリスにしていた。

「なぜ‥‥攻撃の手を抜いた」

 なんとか私は声を絞り出した。

「この存在感と鏡華という名‥‥そなたは写し人でなく実体だな‥‥鏡の中に唯一存在する実体‥‥そなたは<刻に呪われた者>だったか」

 女は立ち上がると、私から少し離れた場所に立った。

「くぅ」

 まだ地面に叩きつけられた痛みから回復しない私は、全身に気合を入れ激痛に耐えながら女の前に立ち上がった。

‥‥完全に殺気が消えてる。何があった?


「我が名はツクヨミ(月読命)」

 ツクヨミ‥‥それは夜を統べる神の名だ。

 ‥‥明けぬ夜‥‥この街は夜が支配している‥‥この女は鏡の中の支配者なのか!?

 女に問い質したい私だが、女が発する威圧感で言葉を発する事が出来ない。

「<刻に呪われた者>であれば<刻を乱す資格>を有する‥‥私に<刻に呪われた者>を罰する事は出来ない‥‥私が与えてしまった<試練の人生>だから‥‥」

「私の存在の意味を貴方は知っているの?」

 やっと出せた細い声で私は女に問う。

「まだ話す刻ではない。もう少し<刻を乱し>て、自分が何者か理解しなさい」

 突然、女の周りを旋毛風が吹き荒れる。旋毛風で巻き上げられた校庭の砂塵で女の姿が見えなくなる。

「まって、私が何者か教えて‥‥」

 私の声は旋毛風にかき消された。旋毛風が収まり、一緒に舞い上がった砂埃も納まると‥‥そこに女の姿は無かった。

「なんだったの‥‥」

 思わず出た呟きだった。そして、私は大切なことを思い出した。

‥‥あっ!アリスは!?

「なんだったのぉ‥‥」

 立ち上がったアリスが、少し足を引き摺りながら私に向かってゆっくり歩いて来た。

「アリス!大丈夫!?」

 私はアリスに走り寄り、力一杯抱き締めた。

「ちょっと全身がズキズキと痛いけど、大丈夫だよ」

‥‥あの勢いでフェンスに叩きつけれらたらね。

「私より鏡華は大丈夫なのか?顔が真っ青だよ」

 そう‥‥女の去り際の話を聞いてから‥‥私の全身の血の気は引いたまま戻って来ていない。

◆◆◆◆◆◆◆◆

「はい!ジャックのボトルだよ」

 可愛らしい女の声に聞こえるが、僅かに混じる低音な声。

「カナちゃんありがとう。ソーセージとシーザーサラダ。サラダはプロシュートをマシマシでね」

「はーい。アリスちゃん」

 女の話を聞いてしまった私は、心が体に無い状態だ。身体に感じる全てが虚像の世界に感じている。ただ‥‥唯一‥‥現実を感じるのは私の手を握る、アリスの手の温もりだけだった。

‥‥この温もりが私を現実に繋ぎ留めてくれている。だだ、鏡の中の世界は‥‥現実なのか?

 突然、アリスが口付けを私にして来た‥‥アリスの唇の隙間からジャックダニエルが私の咥内に流れ込んで来る。

<ゴクン>

 咥内に広がる焼かれたオークの香りと、少しだけ感じるアリスの残滓‥‥そして喉の焼ける感覚が私を現実に引き戻した。

「わ、私!?」

「何があったかは腹ごしらえをしたら、ゆっくり聞くから。今は少し休んでね」

 アリスが私の異常さに気を使ってくれているのがわかる。

‥‥そうだった。とりあえず落ち着ける場所と、大久保小学校から一番近い馴染みの食事が出来る店で、文化通りからすぐのシャリーヌカフェに来たんだった。

 ここは現世でも変わらないミックスバーだ。店員も女装、ニューハーフ、女と多彩で日によっては女装オーナーがDJブースに立ちディスコの様相な日もある。店内は中央に立ち飲み用のテーブルがあり、その周りに十人程度が踊れるスペースがあり、壁際に十数個のボックス席が配置されて、店の端にはDJブースがある。オーナーのこだわりで食事には重きを置いており、バーと言うよりレストランレベルでフードも充実しているのでアリスのお気に入りの店だ。先程のカナと呼ばれた女性もニューハーフだ。心の中の姿が現れる鏡の中だと、僅かな声の特徴以外は完全に女性と見分けがつかない。

 ソファー席でアリスと寄り添い座る私だった。アリスが琥珀色の液体を満たしたロックグラスを私に差し出す。私がグラスを受け取ると、アリスも琥珀色の液体を満たしたグラスを手にして‥‥

「お疲れだよ。乾杯」

 私のグラスに自分のグラスを軽く触れさせ、アリスは一息でグラスを飲み干した。手にしたグラスを満たす琥珀色の液体を私も一息で飲み干した。喉が激しく焼ける感覚と同時に、私を包んでいた現実を隔てる薄膜が完全に消え去るの感じた。

 少しだけ現実感を取り戻した私は、自然と求める物があった。

「はい。灰皿だよ。私は気にしないで吸ってね」

 現世の店だと分煙で喫煙室でしか喫煙は出来ないが、鏡の中では自由だ。私はヒップポケットからシガーケースを取り出すと、タバコを咥え火を着けた。息を吸い込むと紫煙が肺を満たすとの同時に、完全に心が落ち着くのを感じる。

‥‥私が与えてしまった<試練の人生>‥‥ツクヨミが私に話した、これが全ての因果だとは理解出来るけど。

 だが、<刻に呪われた者>、<刻を乱す資格>は一体何を指し示すのか。再び混乱に陥りそうな思考を呼び戻す為、紫煙で肺を満たす私だった。


「はい!まずはシーザーサラダね。プロシュートはマシマシだよ」

 カノンがサラダボールと取皿を置いていった。

「よし!晩御飯の開始だよ」

 アリスが取り分けをしてくれたが‥‥

‥‥おーい!私が野菜だけで、アリスはプロシュートだけなのか!?

 まあ、いつものアリス流取り分けなのでツッコミはいれないが、肉食本能丸出しのアリスが可愛くて仕方ない私だった。サラダを食べ、大き目のボイルされたソーセージを二本食べると胃が限界を示した。満腹なのではなく、ツクヨミの件で乱れた精神が胃の動きを悪くしているのがわかる。

「もう満腹なの?」

 フォークの止まった私を見て、アリスが聞いて来た。

「うん。なんか胃がダメなんだ。アリスは、お腹いっぱい食べてね」

「じゃあ!すいませーん!本日のパスタを大盛で!」

「はーい!」

 アリスの注文にカナが応じてくれた。


「さっきの女のことが気になってるのか?」

「うん」

 ツクヨミが私に話した内容をアリスに伝えた。

「<刻を乱す>は、鏡華がやっている合わせ鏡で刻を遡り、死んだ人を生き返らしてる事かな」

‥‥そうか。色々と難しく考えてしまってけど。単純に過去を書き換える行為が刻を乱すなら意味が合う。

「アリスのストレートな発想がいいね」

「何それ!?私が単純って?」

「違う違う。擦れてない普通の考え方でいいな。ってね」

「まあ、鏡華はひねくれ者だもんな」

 アリスが先程の返しで少し毒を含めて来た。

‥‥こんなアリスも可愛いく愛おしい私なんだよ。

「その考え方で行くと<刻に呪われた者>は、自由に鏡の中の時間を選べ出現出来る私のことなのかな‥‥」

「そんな気がするよね」

「<試練の人生>だけは、わからないな。これはママに聞いてみるか」

「前から気になっていたけどママって何者なの」

「ママの話をするとなると、私の昔も話さないとだね」

「そういえば鏡華の昔話ってほとんど聞いた事ないね」

「本日の特製パスタは焼きミートソースですよぉ!」

 カナが、かなり大きいグラタン皿を持って来た。グラタン皿は山盛りのミートソースで炒めたパスタにチーズを大量に乗せ、オーブンで焦げ目が付く程度に焼かれていた。

 話は一区切りにして、アリスはパスタを食べ始めたが‥‥

「アチチ。これは犬舌じゃ無理だよ」

 サラダに使った取皿に少量を移して、冷ましながら食べるアリスの姿が可愛い私だった。


 私はロックグラスに琥珀色の液体を満たし、一息で飲み干す。もう一度ロックグラスに琥珀色の液体を満たし、今度はゆっくり飲みながら紫煙を巡らした。

 私には小学生五年生までの記憶がない。ある日、気が付くと私は新宿の街を彷徨っていた。

 警察に保護をされるが<平成XX年十一月三十日 命名 鏡華>と記された命名書だけが唯一の持ち物だった。

誕生日、名前から親元を調べるが該当する子どもは日本の戸籍では見つからず、私は無戸籍児として扱われることになった。警察から児童養護施設に私は移され、施設の人から色々と質問をされるが新宿の街を彷徨う前の記憶は一切思い出すことが出来なかった。

 何か記憶を封じてしまう程の出来事があった。無理に思い出させても精神崩壊の可能性もありえるので、私が無理に過去を思い出す事は求められなかった。幸いにも、語学力、学力は命名書に記された誕生日から計算した年齢の平均より優秀だったので、児童養護施設から小学校に通学を始め無事に高校を卒業した。

 高校を卒業すると施設を出て自立しなければならない。高校在学中に面接に行った飲食店の紹介で、卒業と同時にママの店でホステスとして働く事が決まった。ママは私の住む場所、生活に必要な用品、それでも不足している物を揃える為に入店一時金まで準備をしていてくれた。

 幸いにも容姿にも恵まれ、施設生活で鍛えられていたコミュニケーション能力もあり、入店後すぐにトップ常連組になれた。

 そして半年位の刻が経過した頃だった。

 休日に家で寛いでいた所にママがやって来た。ママは大きな鏡を二枚持って来ていた。ママは私に鏡の中の世界の話、私が自由に行き来出来る選ばれた人だと説明をした。御伽噺のような話で信じられない私に、合わせ鏡を作り、鏡の間に私を立たせた。

 ママの指示に従い合わせ鏡に映る一人の私に手を伸ばすと、鏡の表面が波立ち手が鏡に吸い込まれた。思わず信じられない恐怖から手を引いてしまった私だったが、勇気を出してもう一度挑戦をすると鏡に吸い込まれた手に続き腕、肩、身体と鏡の中に入っていった。

 鏡を通り抜けた私は、鏡に入る前と同じ部屋だが合わせ鏡以外は何もない生活感の無い部屋だった。部屋の窓から見えるのは夜の帳が降りた街並みで驚く私だった。

‥‥鏡を抜ける前の時間はお昼で、窓の外は日差しが眩しかったはず。

「この世界は明ける事のない夜が続く‥‥」

 突然、背後からママの声で話掛けられた。私が振り向くと、そこには元の世界にいたはずのママがいた。

「私は彼女の鏡中体だ」

 ママの鏡中体は鏡の中の基礎知識を私に伝えてきた。それから、私は両方の世界のママに鏡の中で過ごすのに必要な知識を与えられ、魔法の使い方を教わった。普段は元の世界で店で働く日々、休日は鏡の中で鏡中体のママに指導を受ける。そんな生活が半年くらい過ぎた頃だった。

 自由に刻を遡り、鏡の中で自由に魔法を使える状態になると、ママから初の依頼を受ける事になった。

それから、ホステス、鏡の中での過去の書き換え、そして‥‥自分の失われた記憶と、私が鏡の中の世界を行き来出来る理由を探す旅が始まった。気が付けば二十年以上の刻を鏡の中の世界と行き来して生活をしている。依頼の報酬で得られる<命>で私は老化する事無く旅を続けられているが‥‥

‥‥ママも老化しない謎だ。報酬の一部を手数料で自分の物にしているからとわかるが、<命>を自在に扱える事はママも普通の人ではない事を示している。

 そして、現世のママと鏡中体のママの記憶が繋がっている謎。普通の鏡中体は現世の自分を知らない。鏡に映った姿だから現世と同じような生活をしているが、記憶に関しては完全に別物だ。

‥‥絶対にママは私に何か重要な事を隠しているのは間違いない。


「ふ~。食べた!お腹いっぱいだよ」

 私が昔の記憶を思い出している間に、アリスが大盛のパスタを完食していた。

「なんか真剣な顔をしていたけど、何を考えていたの?」

 アリスの食事中に無言で考えていた私が気になったみたいだ。

「私の過去を思い出していたの」

 私は思い出していた過去の話をアリスにした。

「なんか小さい頃の記憶が無いのは悲しいね」

 私に同情をしてくれるアリスだったが‥‥

「私も鏡の中に来るまでは、とっても楽しかった事とか、死ぬほど痛かった事以外は覚えてない事が多いから同じかな。あっ、鏡華だけは会った日から忘れたことは一度もないよ」

‥‥そうだよね。普通の犬は生きるのに必要な記憶以外は、短期記憶で不要なことはすぐに忘れるとの学説もあるしね。

「<試練の人生>は失われた幼い頃の記憶に関係してそうな気がするよ」

「私もだよ。だからママに聞いてみないとなんだ」


 食事を終えた私達はマンションの部屋に戻った。

「なんかテンション低そうだから、このまま帰る?」

 アリスの問いに、私はアリスの手を取りベッドルームに向かった。

「少しの間でいいから‥‥全て忘れさせて‥‥」

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