おとぎばなし

真衣 優夢

第1話

テーマ「おとぎばなし」



 歌い手は、酒場の隅に腰かける。

 ぽろん。指がはじくハープの音色が客を振り返らせる。

 歌い手の青年は、人好きのする笑顔で客を眺め、そして目を閉じた。

 歌声と演奏にすべてをこめるために。

 アルトボイスが酒の匂いを洗い流し、狭い店はひととき、歌物語の舞台となった。





 それはどこかの世界の中の

 それはだれかの物語




 じっとりと暑い 夏の日の夕暮れ

 空に立ちこめる暗雲 嵐の予感

 夕闇は荒れるだろう 風がそう告げている

 



 暗雲の中 外套に身を包み

 歩き出す一人の男

 自らの城を忍ぶように出て行った 

 そは 国の王たる男




 美しき王 国の誰しも魅了されし王

 才あり 知に優れ 優しき心抱く王

 民が崇拝し敬愛した賢君




 なれど王が求めるは力

 圧倒的な力 絶対的な力

 今まで持ち得なかったもの

 優しさだけでは越えられぬ

 壁の高さにうちひしがれて




 わずかな行き違い 大きな諍いとなり

 隣国から忍び寄る戦禍

 心尽くした話し合いも 亀裂は埋まらず

 攻められれば勝ち目のない戦

 力なくして 民を守れぬ

 気づいたとき 王には 何の手段も残されておらず




 どうか力を 我に力を

 森の奥に眠る竜よ 我を導き給え

 力なき愚鈍なこの王が 民を救える手段を

 どうか力を 我に力を

 叫ぶ王の声は 雷鳴の中に消えてゆく




 臣下は雄叫ぶ 賢者は諭す

 王よ いざ戦わん 玉砕は誇りなりと

 王は否を貫いた

 誇りで何が守れよう

 残された民が 蹂躙されるだけではないか




 どうか力を 我に力を

 森の奥に眠る竜よ 我を導き給え

 力なき愚鈍な王が 戦を回避する手段を

 敵国が意気そがれ 兵を退かせる力を

 どうか力を 我に力を

 叫ぶ王の声は 雷鳴の中に消えてゆく




 竜の眠る森 長く伝え語られし森

 厳しき掟の深き森

 この森をゆくものよ 

 決して 来た道を振り返るなかれ

 振り返れば決して許されぬ




 賢君は誓いを守り続ける

 闇で道を見失っても

 その足はひたすらに前だけを進む




 とうとう空が鳴いた

 荒れ狂う雨粒は石つぶての如く

 大木の陰さえも 濡れをしのげず

 王は目を閉じ 思いを馳せた

 ひとときの雨宿り 

 王の頭よぎるは 幼き頃の自分




 若く美しく 希望にあふるる自分

 ただ 民を守りたい 善き王にならんと

 それだけを思い 冠を戴いた

 かつての自分が否定したのは

 武勲に優れる 騎士たる実弟




 弟よ

 力だけでは何も守れぬ

 かつての自分が弟を諭す

 弟は寂しく微笑み ただ国を去った




 ああ なんと愚かな私よ

 私はどうして 弟を認められなかったのか

 お前と心通わせていれば

 この国は 今を乗り越えられたかも知れないのに




 稲光が闇を裂く

 闇に浮かび上がるは

 巨大な影

 王が息を呑む

 欲していた存在を目の前にして




 凛々しき竜は そこにいた

 懇願する王の言葉を吠えてかき消し

 竜は告げる

 淡々と 情けこもらぬ声で




 汝 掟を 破ったな




 王は気づいた その意味を

 振り返る ということは

 進む足 その道順だけでなく

 人生の道もまたそうであることを




 それが最期

 竜は巨大な口を開け

 炎のような紅き口内へ 王を飲み込み

 残るはただ 降りしきる雨




 竜の眠る森 長く伝え語られし森

 森の守護者 竜に課せられた掟

 竜もまた破れぬ掟




 この森をゆくものよ

 決して 来た道を振り返るなかれ

 振り返るものは決して許されぬ

 振り返るものは 我が牙の露となろうぞ

 何人も 逃がれること叶わぬ掟




 残るはただ 降りしきる雨

 闇は全てを飲み込んでゆく







 行方知れずの王は戻らず

 残された臣下は 戦の支度

 王の不在は隠されたまま

 滅びの道を進まんとす




 そを止めしもの 城を訪れる

 隣国からの使者の旗

 腕に産着の赤子を抱いて

 世界に名を馳せた勇者が訪れる




 我は隣国からの使者であり

 かつ この国を守らんと訪れし者

 民よ 王は死んだ

 この腕に抱く子は 次代の王なり

 我は王を育てるため ここへ来た




 どよめく臣下 罵る賢者

 勇者は決してひるむことなく

 雄々しき声を響かせる




 この顔を見忘れたか

 我はかつて この地で王の騎士であり

 亡き王の実の弟である

 勇者とうたわれる我が名をもって

 戦の火種は撒かせない




 どよめく臣下 うなだれる賢者

 勇者の凛とした眼差しに

 逆らう者はいなかった




 流浪の果て いつしか勇者と呼ばれし王弟

 ひととき隣国に 客人と迎えられた勇者

 背を向けた故郷(ふるさと)を間近にし

 感慨にふける勇者に 持ちかけられる戦の話

 勇者の素性を知らぬが故に




 祖国に剣は振るえない

 なれど 恩義ある国を無下にはできぬ

 悩む勇者の夢枕に あらわれた美しき淑女

 竜の翼もち 赤子を抱いた 人ならざる淑女




 勇者よ 我が言葉を聞け

 我は 守護者のさだめに従い

 そなたの兄の命を奪った竜

 そなたの兄は 我が体内で 魂となりて叫んだ




 どうか国を救い給え その力を授け給え

 自らの命 これが終焉だとしても

 国が守られれば悔いは無いと

 叫ぶ魂に心打たれ 我はそなたの元に来た




 この赤子は 我が子供

 身籠もりし我の中で 叫ぶ魂を受け継いだ

 この子を育て 王にたてよ

 それができるのはそなただけ




 そなたの兄は叫んだ

 弟に謝りたいと すまなかったと 

 繰り返し 繰り返し 我が体内で

 兄に拒まれたと思い続けた そなたこそ

 兄に無き力ある そなたこそ

 この子を育てるにふさわしい




 目覚めると 赤子の声

 樹木の王 オリーブで編まれた揺り籠で

 男の赤子が泣いていた




 勇者は赤子を腕に抱き

 和解の使者を申し出た

 兄の願いを受け継いだ弟

 祖国は戦禍を免れた







 勇者は仮の王となり

 真の王たる竜を育てる

 自らの経験 知識 技術 生きてきたすべて

 竜の子に あますことなく継ぎ伝えた




 勇者は勇者でしかあらず

 決して賢君とは言えず

 その政は圧政の一途

 力で抑えることしかできず

 苦しむ民を救うこと叶わず




 ああ 兄よ

 我は国を離れてはならなかった

 我は剣 兄は知にて

 この国を守るが 生まれしさだめであったのだ

 兄よ もう謝るな

 間違っていたのは我なのだ




 きょうだいが描いた ひとつの理想

 きょうだいが描いた ひとつの希望

 きょうだいが描いた 願いのかたち

 そは 機織りの糸のごとく合わさって

 竜の子へ受け継がれた




 竜の子は自らの出生を知らず

 勇者を父と信じて育つ

 愛しき父は 竜の子に告げる 

 16の誕生日の夜 本当の親を 真実を




 自らは人ではなく竜で

 愛しき父の 兄である人を 母が喰った

 その魂がこの身に宿る

 あますことなく語られた真実は

 どれほど鋭い刃であったか




 竜の子は涙をぬぐい

 なにもかもを受け入れた

 竜の子は 頷いた

 自らは 全ての想い受け継ぐ者

 兄王の優しさ 弟勇者の強さ

 そして 実の母たる竜の力を

 すべて受け継いだ者であると




 二年の月日が流れ

 竜の子は王位に就いた

 自らの戴冠を待たず逝った 心の父を想いながら




 竜の子は 伝説の王とうたわれた

 千年にわたり 国は穏やかに平和を保ち

 かつての王の如く民に愛され

 かつての勇者の如く強く

 伝説の王とうたわれた




 竜の王の耳に 精霊の便りが届く

 そは 母竜の寿命

 竜の王は 人間に王位を返し

 次は森の守護者を受け継がんと

 真の姿で森へと還る




 森の守(もり)たる 竜はまどろむ

 人として育ち

 ふたりの父の願いを果たしたことを 誇りにして

 微笑みながら 竜はまどろむ




 森の守(もり)たる 竜はまどろむ

 森で唯一 振り返ることを許されて

 千年を守った 愛する国を夢に見て

 幼きころ 棒きれで戦った 愛しき父の面影とともに

 微笑みながら 竜はまどろむ




 微笑みながら 竜はまどろむ ……






 歌が終わる。

 酒場は歓声が沸き上がり、壮大な歌ものがたりと、美しき歌声、ハープの音色を褒め称えた。

 あちこちから飛んでくるおひねりに深々と一礼し、歌い手の青年はコップの水を飲み干した。



 客の一人が、青年に声をかけた。



「ずいぶんと長い歌だったね。お疲れ様」



 青年は微笑んだ。




「長い歌に付き合わせてしまいました。

 聞いていて、疲れませんでしたか?申し訳ありません。



 本来この歌は、一気に歌うものではないんです。

 主人公が、歌の途中で変わっていくでしょう?

 そこが切れ目なんですよ。



 詩人の中では、ごくごく当たり前に行われていることがあります。

 それは、『物語の続きを、自らが作って歌う』というもの。

 誰が作者かもわからない歌の続きを、勝手に作ってしまうんです。



 最初、この歌は、『優しき王が死んだ』というところで終わっていました。

 それはあまりにも悲しいと、誰かが続きを歌った。

 兄の弟、勇者があらわれて、竜の子を抱いて祖国へ帰る。

 そこまでを紡いだのです。



 ふふ、そうですよ。

 勇者の国作り、子育て、そして竜の子の未来は、私が繋げたんです。

 顔も知らぬ歌い手が、同じ歌を受け継いでゆく。

 そして物語は、終わりの形を何度も変える。



 この歌は、兄王の死で終われば明確なバッドエンドです。

 勇者で終われば、ハッピーエンドですね。

 私の綴った終わりには、何を感じましたか?



 この歌を歌ったとき、ある人に言われました。

 『これでは、登場人物は誰一人幸せになっていない』と。

 悲しい物語だと感じた方が、少なくとも一人います。

 私は、歌を変えるつもりはありません。

 変えることが出来るのは、『続きを唄うだれか』だと知っているからです。



 結果に見えるものは、人生の中途でしかない。

 未来は可能性の限り変わってゆく…。

 歌も、人も、そういうものなのかもしれませんね」

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おとぎばなし 真衣 優夢 @yurayurahituji

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