なにもなかった

@Yuuuuzan

私の記憶

「今日夜、地球は終わります!隕石が、降ってくるのです!」


 何かの映画が始まるような、ヒーローがこれから救ってくれるアニメの状況のような言葉を発した朝7時のテレビ。

 その画面には、隕石が地球に向かっているLIVE映像と、状況に似あわない明るい音楽と穏やかな笑顔のニュースキャスターが、それをまた穏やかに話す声が聞こえてくる。

 隕石落下によって被害を被る国々が、バラエティ番組などのエンドロールのように、左から右へと流れてくる。

 地球には逃げ場なんて無いし、被害は地球全体に決まってる。わざわざ書くなんて、暇だったのだろうか。

 見知った国があったり、聞いたことも見た事もないような国があったりして、なんだか新鮮な気分だった。

 地理の授業中に、退屈になって地図帳をぼんやり眺めて色々な国の名前を見つめていたこともあったが、それでも見たことの無い国が多々あった。

 私がそんな絶望的な状況を聞かされても冷静なのは、なんというか、一種の諦めだったかもしれない。

 普段の一日を過ごしているだけで人生が終わってしまう。そう考えると、夜に眠るのと何の違いも無いと思った。

 楽しかったり嬉しかったりしたこと、それから悲しかったけど人生には役立ったことを思い出すのは、眠る時にしよう。

 くだらないことも思い出すかもしれない。

 それはそれで、最期にほんの少しの華を添えられるような気がする。

 テレビを見つめながらお味噌汁を手に持ったままそう考えていたら、制服に味噌汁がこぼれた。こんな時に。


 ーーーーー


 適当に水で洗い流して、朝ごはんもしっかり食べて、玄関で靴を履き、これから学校に行く。

 濡れたスカートのことを一瞬気にかけた。でも、歩いていればどうせ濡れてても乾く、という結論に至ったので、放置をする。

 今日は地球が終わる日だってのに、呑気に普通の生活とは...。と、思ったのは学校に行くのが若干面倒だったからだ。

 あまり学校は好きでない。友達と話したり、遊んだり、一緒に写真を撮ったりする楽しみが無いから。だから学校には行きたくない。...これはどうにもならないことへの言い訳である。暖簾に腕押し、とはこのことか。

「忘れ物しないで!行ってらっしゃい!」

 と、出勤前の母がいつもの様にパタパタとスリッパを鳴らしている。

 母親も、家事をしてくれていながらテレビの音声は聞こえていたはずだ。なのに、そこにはいつもの快活な母がいる。

 地球が終わるなんて、嘘のように。明日がまた来るという、約束されない当たり前があることを知らないように。

「行ってきます」

 と返事をして、なんだか少し綺麗に見えた外の景色に溶け込み、歩を進めていった。

 しばらく歩いていて、なんだかやけに静かなような気がした。

 すれ違うだけの小学生が今日はいない。塀の上で眠っている猫がいない。掃除をしているたまに挨拶をしてくれる年配の女性がいない。

 もちろん、この人...猫もいるけど。この人たちが同時にいないことはこれまでにも両手で数え切れないほどあった。

 今日、世界が終わるからみんなが居ないと考えるのは、なんだか見当違いな気もしたが、この状況だし、そうと考えるのも無理は無いと思い直した。

 駅に向かい、定期を見せ、駅のホームの椅子に座りながらSNS を見てひまつぶしをする。

 一緒に学校行く人なんていないし。スマホが友達と馬鹿馬鹿しいことは言わないけれど、何より誰より一緒にいる時間が長い気がする。

 SNSのタイムラインは、地球が終わるとか、そんな話題で持ち切りだった。


「夢であってくれ」「まだ死にたくないなあ」「どうせ地球も終わる運命だったしな。今終わっても結果は同じ。」「やっと終わる」「今日は好きなことしよ」


 流し見をしているとそんな感じのことが頭に入ってきた。

 アルミホイルを全身に巻けば助かるとか、花を買えば助かるとか...。

 一目見ればわかるようなデマ情報も流れている。それがトレンドにすらなっている。

 自分が助かっても地球が無事でなければ死んでしまうのに。

 どうしても助かりたい人なら、藁にもすがる思いでこれらを実践するだろう。

 藳以下の、薄っぺらい情報ではあるが少しの心の救いにはなるのだろうか。

 どうせ明日にはみんな死んでいるからと、散々暴言を吐いたり、喧嘩したり、今までの辛かったこと、会社や学校やらをサボって好きなことをすること、助けを求めることなど...たくさん、それはもうたくさん流れてきた。

 駅のホームでも、昼間からやけ酒をしたのだろうサラリーマンの格好をしたまともに歩けもしないような男性が、寝転びながら電車を待ち並んでいる人々に喧嘩を売っている。

 ハイヒールを脱ぎ捨て椅子に座り、上を向いて瞬きひとつしない女性もいる。

 その女性を見て、ホラーゲームやお化け屋敷にあったようなびっくり要素を思い出した。

 そんな出来事を眺めていると、電車が走ってきた。

 電車が運んでくる風に、髪が揺れる。何気に、電車に乗る前のこの時間が、私は好きだ。「おはよう」とか、「今日もがんばってね」とか言われているような気分になって、何も無い今日でも頑張ろうと思えるから。

 私も心の中で「おはよう」と返した。これが最後の挨拶かな、なんて冗談を考えた。

 後ろの地獄が耳にも目にも入らないように、そそくさと電車に乗り込んだ。


 ーーーーー


 電車から見える景色が好きだ。

 あんなお店あったんだ、お洒落だな。とか、あんな家素敵だな、住んでみたい。とか、この近くの駅で降りたら、あの辺りを歩けるのかな、とか。色々、もしもの世界を考えながら外を見ている。

 あの街でどうしよう、この街でどうしようと考えていると、なんだか目に見える全てが自分の物のように感じられる。

 実際、そんなことはないけれど、自分の妄想の中でくらい、王様になったっていいよね。

 ...あの家に住んで、窓辺の風がよく吹く場所で目を覚まして、毎日朝ごはんには、白米と、お味噌汁と、お漬物と、焼き鮭を食べたい。トーストと、ジャムと、紅茶でも良い。庭の緑におはようと言って、水やりをして、その空気を一杯吸い込んで、朝の始まりを実感する。雨だったら、網戸を隔てて緑の香りを胸いっぱいに吸い込む。顔に雨がぴちぴちと網戸を通り抜けてきたのが鬱陶しくなれば、窓を閉めてしまう。

 それから学校に行く...今の家よりは、きっと距離が近いだろうな。

 楽しい妄想を電車の鼓動に伝え、お喋りしている間に、学校の最寄り駅に着く。ブレーキで揺れる体を、壁によりかかり、足で支えるも、少しきつい。荷物が重いんだ...。

 辺りを見回してみる。いつもはうちの学校の制服を着た人達が多いけど...今日はいつもより少ないかも。

 なんなら、電車もがら空きだったかもしれない。同じ車両に乗っていたのは、私を含めると5人ほどだったか...。

 せっかくの最後の日、好きなように過ごしたいものね。みんなは、どんな風に最後の日々を楽しくしているのかな。

 カラオケ、遊園地、水族館、とか...ベタなのはこの辺りだろうか。私も友達がいたなら、そういう所に行ってみたかったな。

 でも私は、自分の最後の日にこの学校で過ごすということを決めている。

 世間は勿体ないと評するか、真面目だと評するか...。まあ、なんでもいい。

 とりあえず、教室に向かおう。チャイムが鳴ってしまう前に。

 ...といってもそんなに急ぐことは無い。駅から学校まで徒歩5分、チャイムがなるまであと20分...余裕も余裕だ。

 私はゆっくり歩いて、駅の売店をちらちらと見ながら出口に向かう。毎日毎日、やけに美味しそうに見えて腹立つ。全部買っていたら遅刻してしまうじゃないか...。でも、毎朝クロワッサンだけは買って行きたいな。

 色々な味のパウダーが選べて、それをクロワッサンにかけてもらう。粉砂糖、ココア、抹茶、期間限定の果物でできたパウダーなど...。バターを選んでかけてもらうこともできて、それはもうじゅわぁと舌に染み込む美味しさ。人類全員この味嫌いな人いないだろうって感じの美味しさ。

 ...という想像をして、クロワッサンのお店の前を通り過ぎた。その時に、全品20%オフという文字を捉える。これはお買い得だ、学校が終わって店がまだやっていたら買いに来よう。学校終わりの楽しみがひとつできた。

今日はいつもよりもう少し頑張れそうな気がした。


ーーーーー


校門を通る。いつもは賑やかなはずの下駄箱への道だが、今日はなんだか少し淋しい。道の両脇の木々から離れた葉が、道の殆どを埋めている。

歩くたび、落ち葉たちがカサカサと音を鳴らす。今日は掃除をしてくれる人が来ていないらしいことが伺える。あの笑顔が素敵な人がいるだけで、心が安らいだものだが。今日に限っていないというのは、ほんの少し不安を増やしてしまうようだった。私は、無意識に歩く速度を早めていた。

少しして、下駄履に足を一歩踏み入れる。そこでも、カサリ、という感触があった。ここにも、風に吹かれた落ち葉が入り込んで来る始末。清掃員というのは、大きな役割を背負っているのだと今更気付いた。今度会うことがあれば、お礼の手紙でも渡してみようか。この状況じゃ、また会える保証は無いけれど。

外靴からくたびれた上履きに履き替えた。この子は2年目だ。3年も経たずに役目を終えてしまうこの子が、なんだか不憫で仕方がない。ごめんね。でも、地球がおわってしまうの。ごめんね。

教室は3階、階段を登っていく。夜は階段の鏡に人ならざるものが映る、というが、階段と怪談をかけ合わせて作ったうわさなのだろうか?

階段の怪談といえば、段差が減るという話もあった。数え間違いでもした人がいたのだろう...1、2、3......13。おや、2段足りない...?ただの数え間違いだろうか。今はこのことを忘れて教室に行こう。


ーーーーー


案の定、人がいない。普段他愛もない会話で賑わっている教室だが、お寺のように静かだ。もぬけの殻というやつだ。

自分の席は廊下側だが、あえて窓辺の席に座る。校庭を飾るフレームのように木の葉が茂っていて、それを写真に収めたような窓の組み合わせが好きだ。

この景色は、前に一回席替えをした時に見つけたものだ。風が吹けば、生い茂った葉はおしゃべりを始める。それが何とも賑やかで、でも、聞いていて心地よい。

ガラガラと、扉が開く音が聞こえるが、気にしないで外を眺める。なんだか足音が近いが、気にしない。近くで足音が止まったが、気にしない。

...いや、流石に気にした方が良いか。

振り返ると、今自分が座っている席の主がスマホをいじって私が退くのを待っていた。

びっくりしすぎて声が出なかったので、軽く会釈をして席を退いた。

元の自分の席に戻る。なんだか面白みのない席に来てしまったと、少し残念な気がした。見えるものは机の群れと、黒板と、時計くらいだろうか。木々と違って変化に乏しい。でも机の落書き位は増えているか...。

そうくだらないことを考えていた。

「どうして私の席に座っていたの?」

女性の声だ。私は先程椅子に座ってしまった事について言及されているらしい。

もしかして、私怒られてる?嫌われてる?本気で迷惑だった?謝らなきゃ、顔を向けて誠意を見てもらわなきゃ、誰かに嫌われるのはまずい。

0.0何秒程でその思考が脳を巡り、冷や汗が滲み、焦りが頂点に達したころ、彼女に顔を向けた。

「あっ、あの...。」

緊張で声が詰まる。絶対変なやつだと思われた、絶対許して貰えなくなった、絶対嫌われた...と、固まったままでいると、彼女は

「ご、ごめんごめん!怒ってる訳じゃないんだよ!ただ気になって...。」

と、優しく声をかけてくれた。その一言で緊張が和らいだ。なんとも不思議ではあるが、これは現実に起きたことなのだ。

私が事の経緯を彼女に伝えると、彼女はなるほどと言った表情でこちらを見た。

「へえ、そんな景色を見てたんだ。いいね、私も見てみたい!どこがいちばん良い?」

と教えを乞うて来たので、ついつい自分だけの秘密を教えてしまった。

2人で、何も言わない時間だったが、木々のお喋りに耳を傾けているのに忙しかった。その時間が、心地よかった。

一風ひとかぜ吹き終わって、木々のお喋りが止んだ頃、ホームルーム開始のチャイムが鳴った。

その時点で、この教室にいたのは彼女と私だけだった。その事実は、今日が終わるまで続いた事実だった。

チャイムが鳴って辺りを見回した彼女は一言、「私たち以外、誰も来ないね」と私に言った。

チャイムの直後に放送が入る。


「今日は生徒の数が少ないので、臨時休校になります。しかし、朝から暴行事件が多発しているようですので、みなさん一人で帰ることは避けるようにしてください。それでは、お気をつけて。」


気を使う一言と共に、担任の声らしき音声が聞こえてくる。そういえば、担任以外に誰か先生がこの学校に来ていただろうか...。

「休校かあ。」

彼女は退屈そうにぼやいた。普通の人であれば休校は嬉しいことのはずだが。実際、今の私の心は踊っているようだ。とても嬉しい。

「休校だと、何か都合が悪いの?」

気になって、そう問いかけてしまった。

「うーん、家に帰らなきゃ行けなくなるからかな。」

...どうやら彼女は、家に帰りたくないらしい。どんな事情があるかは知らないが、なんだか申し訳ない気持ちになる。

「お母さん、厳しくってね一。」

彼女はその後に言葉は続けなかった。だが、その続きは何となくその直後にわかった。

トゥルルル、と彼女の鞄から機械音が流れた。着信音だろう。彼女は憂鬱そうにそれを手に取る。

「...もしもし。」

『休校になったらしいじゃない。今日は早く帰ってきて受験勉強だけしてなさい。決まったところまで終わらなきゃお昼ご飯無いからね。』

冷たい口調の早口でまくし立てられ、自分勝手に電話を切られてしまった。

「...これがお母さん。」

なるほど、それは帰りたくないな...。でも、今ならその家から離れても良いのではないか?

「今日、隕石が地球に降ってくるってニュースあったよね。」

彼女にそう確認をとる。

「え...テレビはたまにしか見させてもらえないから、わからないけど。え、そうなの?」

彼女は、喜びと困惑が混じったような声を出して立ち上がった。

「今日くらい、帰らなくたって許されるよ。」

強引に、画面が開きっぱなしの彼女のスマートフォンを取る。それから母親の連絡先をブロック。

「...一旦は、これで。」

そう言って彼女にスマートフォンを返す。そして今更ながら、スマートフォンを奪った時に抵抗されなかったことを気になった。奪われることに慣れてしまっているんだとしたら...それはよくない。

だがその画面を見た彼女は青ざめていた。

「ど、どうしよう。連絡は1時間に1回って言われてるのに、これじゃあできない、おねがい、戻して。」

今にも泣きそうな声でそう私に訴えてくる。

「連絡、返さなくても良いんだよ。」

「...え?」

「今日くらい、私と自由に遊ぼう。」

私にしては、結構勇気のあるお誘いだと思った。これで断られたら、本気でショックだ。地球が終わる前に死んでやろうと思うくらいにはショックだろう。でも彼女は、ちょっと変わった返事で私に応えてくれた。

彼女は突然私の手を引っ張り、水道の前まで連れていく。何が何だか分からぬまま彼女の行動を観察していると、彼女は手洗い場にスマートフォンを投げ込み、そこに水を流した。念入りに洗うように、小さな穴にまで水が入り込むように、丁寧に丁寧に水で精密機器を水浸しにした。

満足いくまで水浸しにしたあと、彼女は電源ボタンを押した。不規則に動く電子の塊がもにょもにょと現れたあと、自動的に電源が切れた。それからは、もう二度と画面に明かりは灯らなかった。

それから彼女は、さっきの私の言葉に、ちゃんと言葉で返してくれた。

「うん、もう大丈夫。私と一緒に遊んでくれるんでしょ?案内してよ。」

と、瞳を輝かせて私に向き直る。

「もちろん。」

私と彼女の1日だけのデートが始まるのだ。


ーーーーー


カラオケに来てみた。雑な注文をした後に、個室に通される。少し派手な装飾が目立つ場所だが、彼女はとても嬉しそうだ。

「わあ、こんな素敵なところ初めて来た!ところで、ここはどういう場所なの?」

彼女はカラオケに来たことがないらしい。

「ここで歌を歌って、点数を競い合ったりできるよ」

と言ったら彼女は、「へぇー、うちの校歌あるかな?それくらいしか歌えないかも。」と言った。

「...わかんない。」あまりの返事に、どう言えばいいのか分からなかった。その様子だと、インターネットまで制限されている環境だったのだろう。

「でも、国歌はあるよ。」

「国歌あるんだ!じゃあ、それにする。」

女子高生らしからぬ選曲だ。流行りの曲とか、自分の好きな歌とか選ぶものを、歌える曲がほぼ無いからと国歌を選ぶのか...。

彼女は、歌が上手かった。なんと満点を叩き出したのだ。

その事について褒めると、彼女はとても嬉しそうだった。

「歌うって、楽しい!もっと歌いたいけど、これ以外の曲知らないから...ね、いっぱい歌って!」

それから私の微妙な歌を披露した。大体70点台。良くて80点台。

それでも彼女は様々な歌に触れて楽しそうだった。楽しい曲だとにこにこ笑って、悲しい歌だと静かに言葉を受け取り、激情を歌った曲だと、思わず口を開きっぱなしにして聞き入っているようだった。

オニオンリングを注文したので、二人で食べた。衣から玉ねぎだけを抜き取る動作が妙に楽しい食べ物だ。

彼女は、たまねぎが衣から抜けないように綺麗に食べようと何度もチャレンジして、ほとんどの量を食べていた。そんな彼女が、なんだか可愛らしかった。


ーーーーー


電車に揺られながら次の目的地へと向かう。誰かと2人で電車に乗るのは、小学生以来かもしれない。それも、ワクワクする様な場所へ行くなんて。

○○遊園地前駅は、もう既に駅から賑やかだ。壁のペイントには、ようこそという文字がでかでかと出てきている。

駅から歩いてすぐ、テーマパークはある...。

だが、思わぬ地獄を見ることになる。

入場券売り場に着いた時、誰もいない...。

それになんだか、食べ物が腐った匂いがする。

「なんだか、怖いな...。」

彼女はそう言って私の腕を掴んだ。

「誰もいないみたいだし、別のところに行こうか。」

私たちは駅へと戻った。彼女の目にあの風景がまだ映っていないうちに。

私は柵越しに見てしまった。老若男女問わず多くの人達が内臓を引きずり出されているのを。頭が何かに押しつぶされているのを。あまりにも傷だらけな体を。そのまま死んでしまっているのを。その中に1人佇む、血にまみれた同じ学校の制服を着た青年を。

腐敗臭がしていた原因はそれだと察するには十分な証拠だった。

まだ、他人事で済ませておきたい。早く別の場所に行こう。


ーーーーー


水族館に来た。しかしここと案の定、閉館している。空いていたのがカラオケだけだったとは。ほんの少し期待はずれだったが、これを予測できないでもなかった。この状況じゃ、誰が何をしでかすかわからない。

「...静かだね、本当にここに誰かが遊びに来るの?」

「みんな、ここ以外のどこかに行ったのかもね。」

「なんだか、勿体ないかもね。」

「ここ以外に、大切な場所がきっとあったんだよ。」

「ふうん...。」

水族館の近くには、海がある。どうせならそっちに行こう、と提案をした。

浜辺には見渡す限りの人の死体。それがちらっと見えたので、もう帰りたくなった。せっかくのデートの景色が最悪だ。オレンジ色に染まった空が私たちを照らしている。移動時間が長かったからか、もうそんな時間だ。

「...海、見よう。」

彼女はそう提案してくれた。私はそれについて行くことにした。


ーーーーー


死体まみれの場所から少し離れた堤防に、2人並んで腰掛けた。

釣り餌狙いの鳥がやって来たり、猫が擦り寄って来たりする。なんだか癒される一時だ。

それらが過ぎ去ったあと、私は彼女と夕焼けを見ていた。太陽と空、太陽と海の境目のように意識がぼんやりしてくる。こういうのを幻想的だと言うのだろう。

堤防にぶつかる波の音、遠くから聞こえるカモメの声。愛しき静寂の中、ふと彼女がこう言った。

「わたし...ここを死に場所にしたいわ。」

流石にびっくりした。彼女も、自分が何を言ったと思ってびっくりしている。

「あっ、えっ、えと、ご...ごめん...。」

動揺のあまり、上手く話せないようだ。

私はそんな彼女をなだめるように、頭を撫でてみた。彼女はちらとこちらを見たあと、目に潤いを湛えながら、口元は笑っているようだった。

ぽろぽろと零れる涙とともに、彼女は語り始める。

自分の母親が、自分の友達の母親と知り合ってから優しい母が変わってしまったこと。

そんな母に呆れて、父が離れていってしまったこと。

それからは何もかも奪われてしまって、衣食住の最低限のものが残ったこと。

毎日毎日、夜中から朝になる前まで勉強を強いられ、常に成績はトップを取れと言われていたこと。もしもそれができなかったら、家から追い出されるか、食事を抜かれるか、叩く、蹴るなどの散々な暴力が待っていた。泣いたり、文句を言ってしまった日にはもう酷い...。言い尽くせないんだ。

「だから、だから、自由にあそぼうって、言ってくれて、うれしかった。たのしかった。」

彼女はそう締めくくり、わんわん泣き出した。今までの分、沢山泣かせてやろう。そう思って、彼女を抱きしめた。その間、頭も撫でていた。

肩に染みる涙が止まるまで。ずっと、ずっと。

彼女の鳴き声がすすり泣きに変わってきた頃彼女は、最後のわがままだと、こう言った。

「家に帰りたくない。ここで死んでしまいたい。その時、あなたも一緒にいて欲しい。」

どんなわがままでも、断る気など無かった。一人で死なせるのも、なんだか気が引ける。

「もちろん」

そう答えたら、彼女は照れくさそうだった。

「でも...どうやって?」

そう聞くと彼女は、ポケットに入れていたものを取り出した。それは、スタンガンだった。

「...本当は、家に帰ったら使おうと思ってたの。でも、あなたと一緒に使うの。」

涙で赤くなった頬の少女が、私を誘う。

「ひとりになんてさせないよ、一緒に行こう。」

そう言ってやると、穏やかな表情で手を差し伸べられた。

「どこにでもついていくよ。」

手を取り、適切な位置まで2人で歩いていった。


ーーーーー


「ねえ、私たち、次もきっと良い友達になれるよね。」

彼女はそう言って、スタンガンごと私の手を包みながら微笑んでそう言った。

あなたを、望んでも良いのなら。

「もちろん」

「えへへ...よかった。」

心做しか、彼女の手が温かくなった。

「うん...じゃあ、もう行こうか。言い残したことはある?」

そう彼女が聞いてきた。

あと一歩で海に落ちそうな所で、私が最後の言葉を紡いでいる間に、彼女は抱き合うようにしてスタンガンをお互いの首元に当てる。私の言葉が終わったら、もう海に飛び込むつもりなのだろう。

「次は、もう少しマシな世界で会おう。」

そう彼女に返した。

「ふふ、そうだね。」

彼女はそう言って、笑ってくれた。

「また会おうね」

体重が海に傾けられる。彼女の力に身を任せて、海に落ちる。そのタイミングで、スタンガンがバチバチと音を立てて喉から頭を痺れさせる。

そのまま海に2人して沈んだ。感電して酷い顔になっていたかもしれないが、もうすぐ世界が終わるのだから、気にしなくても良いと思い直した。

ああ...終わるんだ。

視界は、限りなく青が広がっていた。


ーーーーー


結果的に、世界は終わらなかった。

「政府公認の、国全体を巻き込んだ、ドッキリなのでした!」ニュースキャスターが、笑顔でそう言い放った午前0時。

私の母が、私が寝ているベッドの足元に倒れるように眠っている。私がベッドで目を覚ました時、散々私を叱ってくれた。その愛情を、彼女に少しだけ、分けてあげたかったと思った。

壮大なドッキリをしてしまった...ニュース番組や、その番組のスタッフや、国のトップは、猛バッシングを食らっていた。

バッシングで済んでいるのだから、随分軽い罰だ。職を追われることが無いのだから。この世界は狂っているのか?

世界が終わるからと言って、何千件も心中や、強盗や、殺人や、暴行が起きている。全員がそれを簡単に許せるほどの補償は、彼らにはできないだろう。

私と彼女の心中は、失敗した。彼女だけが、私を置いて先に行ってしまった。

今日できた友達が、その日のうちにいなくなってしまった。なんだか、寂しいような気がした。私は一緒に行けなかったけど、彼女の夢だけでも叶って良かったと、彼女を祝福した。彼女は、向こうでは元気にやれているだろうか?そんな心配もした。


そんな涙に濡れた日の夜、月を睨み願った。


『彼女がいないこんな世界に希望は無い

全部、全部滅びてしまえ』


そう願った時、1つの星が瞬いていた。

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