GHOST night

@kamin0

ブリテンの亡霊

この世には常世ならざる力が存在する。それは大気に満ち、大地に満ちて人知れず漂う無味無臭の力の源として、古くからごく一部の人間たちに使役されてきた。その名も魔力。そしてそれを扱う人々のことを魔術師と呼んだ。更に、この魔力を操るのは生者だけではない。強い執念を持つ死者もこの魔力を使って現世に留まり、ゴーストと呼ばれる悪霊となって生者を襲っていたのだった。


 男はかれこれ1時間以上も奴から逃げていた。それでもあの不吉な騎士は、今だ男のことを追っている。ゴーストに疲労の概念は存在しない。ゴースト自身が必要としない限りは。

「汝、逃げることなかれ……」

 突然、暗闇の向こうから低い声がした。聞いたものを恐れさせ、畏れさせるような背筋が凍る声だった。

「待て!分かった、俺が悪かった!不意打ちをした事は謝る。だから一度見逃してくれ!」

 男はその声に後ずさりしながら、暗闇に向かって叫んだ。だが答えは無く、今度はガチャガチャという、甲冑がこすれあうような音がし始めた。そして、

「汝、ブリテンの禍となる者なりや?」

 声は男にそう問うた。その時男の体は、今いる狭い広場から逃げ出す体勢を取っていた。幸い声の主は目の前の通路から動かない。自分の魔術なら十分に逃げ切れる。男は腰に下げた小瓶を手に握り込むと、すぐに詠唱を始めた。

『今は遠くの奇蹟をここに 以て七天の加護と成さん

 呼応するは我が血身 光を齎せ カレイド…」

「往け、ガラディーン」

 その瞬間、男の体に異変が起こった。胸のある部分が急激に冷たくなっていくのだ。そこは心臓だった。男はその場に力なく両ひざをつくと、死の際にまたあの声を聞いた。

「汝は罪科をなす悪逆者により、ここに誅することとした。己が行いを悔いて死ぬがよい」

 男はそれを理解する気力もなく、儚く平凡な人生を終えた。

 この日、ロンドンでは外傷のない変死体が12人見つかった。すでに3日連続の出来事である。


 その頃日本では、ベッドに寝転がったある男が、気だるげにスマホを取り出していた。滅多にこない着信通知が10件も入っている。

(朝の5時だぞ…)

 男はベッドから起き上がることなく、その番号に折り返して電話をかけた。電話は1コールもたたずに繋がった。

「はい、網代藤次ですが」

「……アナタがアジロトウジ?」

 どうやら電話口のお相手は若い女性のようだ。それも流暢なイギリス英語を話す。藤次は日本語から英語に切り替えた。

「えーっと、はい、俺が網代藤次です。ご用件は?」

「その前に、貴方『悪霊祓い』でよろしいのよね?」

「確かに俺は悪霊祓いですが、なにかのご依頼で?」

「ええ、あるゴーストを祓ってほしいの」

「なるほど。ではまずお名前を伺いましょう」

 藤次はベットから起き上がると、寝間着のまま近くの椅子に腰かけた。そして別の椅子からメモ帳を取る。我ながら実に珍妙な部屋だ。必要最低限の家具すらない。あるのはベッドといくつかの椅子だけだ。

「私はレイン・エーリア。エーリア本家と言えば分かるはずよ」

「エーリア本家……イギリス魔術師の名門ですね。一体何が?」

「昨日の深夜、大学の帰り道に騎士のゴーストを見かけたの。しかも人を剣で貫いてた。私も追われたけど間一髪で助かったわ。それでお母さまたちに事の顛末を聞かせたのだけど、一向に取り合ってくれないの。だから私一人で対処することにした」

「では地元の悪霊祓いに任せては?確かイギリスには国立の魔術師団があるはずだ。エーリア家なら掛け合えるでしょう?」

「それじゃあ足が付いちゃうじゃない。家の者に知られてしまうわ。あくまで内密にしたいの」

「だからフリーランスの俺に、ですか」

「ええ、貴方相当に評判がいいんでしょう?」

「依頼者からは、ですよ。同業者からは散々な評価を頂いてます」

「『異端の魔術師』なんて呼ばれているものね」

「そうそれ。まるで中世の魔女か何かみたいだ。別になりたくてなったわけじゃないってのに」

「その話はまた今度お聞きしましょう。私はもう少し詰めた話をしたいの」

「依頼料ですか。一応ご希望の額を聞いておきましょう」

「そうね……2万ポンドでどうかしら。今自由に使える資産がそれぐらいなの」

 金持ちならではの発言である。それにしても予想外の大金だ。これなら……

「380万円ですね。飛行機代も付けてもらえますか?」

「構わないわ」

 やはり交通費も出してくれるらしい。

「では契約成立だ。その依頼、引き受けよう」

「本当に?感謝するわ!」

「お礼は全て終えた後に聞かせてもらう。それで、いつそちらに向かえばいい?」

「明日の5時にヒースロー空港で待ち合わせましょう」

「明日のイギリス時17時にヒースロー空港ね。依頼金は全て完了した後に貰おう

「分かった。それじゃあ宜しく頼むわ」

「こちらこそ」

 藤次は電話を切ると、椅子から立ち上がって伸びをした。

「さて、支度するか」

 藤次は寝室のすぐ横の部屋に入った。藤次にとっては仕事部屋と呼べるこの部屋には、大小様々な本が所狭しと納められていた。壁は本棚で埋まり、本棚は本で埋まり、床は本の山で埋まっていた。だが藤次はそれを綺麗に整頓しようとは思わなかった。少し埃っぽくて、古書の古めかしい匂いがするこの乱雑な空間が、藤次は好きだったのだ。それは、大好きだった父の書斎を思い出すからに他ならなかった。魔術などとは縁も無かった、あの頃の幼く儚い記憶。それでいてかけがえのない記憶が今なお藤次の胸に突き刺さっている。

「また依頼だよ、父さん。今度は剣を使う悪霊らしい。シャルルマーニュかな、それとも……」

 藤次はそう独り言をいいながら手を伸ばして、本棚から一冊の本を取り出した。表紙には壮麗な甲冑を身にまとった騎士が剣を構えている。背表紙には金張りで、『アーサー王物語』と書かれていた。

「……これは一応持っていくか。翻訳版は効果が薄いんだけどな」

 藤次は他にも数冊の本を見繕うと、それをリビングに空っぽで放置されていたトランクに丁寧に仕舞った。他にも着替えや生活用品を放り込んでケースを閉めると鍵をかけた。

「あとは面倒なのが一つか」

 藤次は適当な服を選んで着ると、その上から黒いロングコートを羽織った。夏場にこの服装は酷ではあったが、外出時に着ておかないと色々と面倒なのだ。

 それにしても暑いので、

「略式詠唱しておくか」

 藤次は魔術を使うことにした。この略式詠唱は、その用途を身体強化に絞る事で、魔術行使に必要な詠唱を大幅に省略した魔術で、その仕組みは単純な為、信頼性も高い。藤次は胸に手を当てると、

『部位指定、皮膚 出力循環150 ブーストオン」

 極めて簡潔に魔術をかけた。すぐに嫌な暑さが消え、随分快適な温度に落ち着いた。

 便利で手頃な魔術だが、それ故に使える者も限られている。一般に悪霊祓い、術師祓いと呼ばれる者たちだ。彼らは強力なゴーストや凶悪な魔術師を退治することを生業としており、その危険な職業柄、略式詠唱の使用が認められているのだ。ちなみにその他の魔術師は研究者と呼ばれ、自身の魔術に関する研究や実験が認められている。

「さて、またあそこに行かなければな」

 藤次は住んでいるアパートを後にすると、霞ヶ関に向かった。行く先々で通行人から好奇の目を向けられたが、本人は慣れているし、何より涼しいので別に気にしなかった。日差しが眩しいなと思ったくらいだ。

 霞ヶ関に着くと、真っ直ぐに国会議事堂に向かった。藤次の目的地はここだった。顔見知りの守衛と挨拶を交わすと、裏口から建物の中に入り、エレベーターを使って地下に降りた。エレベーターは最下層に到着してもなお降下し続け、3分ほどひたすら地下に潜り続けて初めて止まった。チーンという音がして扉が開くと、そこには教会のような広い空間が広がっていた。地下だからか薄暗く、何人か長椅子に座っている。彼らは全て魔術師だった。

 ここは日本魔術組合の本部。日本人魔術師を管理している国の公的機関である。日本に在住するほぼ全ての魔術師はここに属しており、仕事の斡旋や金銭的、法的支援を受ける事が出来る。そして藤次はこの組織に属していなかった。

(毎回ここで海外渡航の申請するの嫌なんだよな。でもこれを忘れると国内に入れないし)

 藤次はフロア奥の祭壇に歩いて行った。長椅子に座る魔術師たちの視線が痛い。これにはいくらたっても慣れなかった。

 祭壇にはいつもの受付が立っていた。藤次はこの受付も苦手だった。なぜなら、

「お久しぶりです。組合申込書をお求めですね?」

 事あるごとに魔術組合への加入を勧めてくるのだ。藤次は私情とはいえ組合に入りたく無いので、苦笑いをしてやり過ごすしかない。

「いえ、渡航申請をしたいのですが」

「組合加入じゃ無いんですか」

「イギリスで依頼を受けたんですよ。申請書類をお願いします」

「はあ、それじゃあ宝の持ち腐れですよ?大体…」

「あの、書類を」

「そうでした。用紙はこちらになります」

 受付は祭壇の中から申請用紙を取り出した。藤次はそれに慣れた手つきで書き込んでいく。

「藤次さん、もうすっかり魔術師が板につきましたね」

 不意に受付がそう言ってきた。まだ諦めないのか。

「そんな事ないですよ。この仕事はいつまでたっても慣れない」

「それでも途中で投げ出さなかった。藤次さんは真面目ですから、時間が経つほど貴方の魔術は洗練されて行きます。私はそれを見るのが好きですからよく分かるんですよ」

「…そう言ってくれるのは受付さんぐらいです」

 この人は時々こういうことを言う。彼はあくまで他人の魔術を見るのが好きなのだ。他の魔術師から自身の生い立ちによって敬遠される藤次にとって、彼のような人は少なかった。

「書きました。郵送お願いします」

「…確かに承りました。藤次さん、今回もご武運を」

「ええ、いつもありがとうございます」

 藤次が祭壇から降りようとすると、不意に受付に呼び止められた。

「待ってください!」

「どうしました?」

「僕としたことが忠告するのを忘れていました。実は3日ほど前からイギリス組合が厳重警戒令を出しています。なんでも国の魔術師がゴーストに殺されたそうで」

「…分かりました。ありがとうございます」

 藤次は受付に礼を言うと、本部を後にした。

(国の魔術師、つまりは軍の精鋭、洗礼十字師団の隊員が殺されたのか。そして今回の依頼はイギリスの悪霊退治。まあ、今更どうこうと考えても、依頼を受けたのは俺だ。面倒なことになる前に終わらせてしまえばいい)

 藤次は家に戻ると、最後の支度に取り掛かった。


 イギリス、ヒースロー空港に着いたのは、待ち合わせ時間の10分前だった。道中、突然の悪天候によって機体速度が大幅に落ち込んだ為だ。あらかじめレインにその旨を伝えていたとはいえ、こんな風に遅刻するのは初めてだった。

 レインがどこにいるかはすぐに分かった。藤次が飛行機を降りて通路を抜けると、ラフな格好ながら綺麗なブロンドを靡かせた美人が出迎えの人達と一緒に立っていたのだ。そんな華やかな彼女は、周囲から一目置かれたように少し距離を置かれており、藤次はまずはじめに目に付いた。

 そんなブロンド美女が、藤次と目があった途端大げさに手を振ってきたのだ。藤次は一瞬固まったが、レインは更に、藤次に声をかけた。

「トージ!ココよ」

 その声は、確かに電話越しに言葉を交わしたレイン・エーリアのものだった。すると。周囲の視線が一斉にこの黒のオーバーコートを着た、見るからに怪しい日本人に向けられた。

 藤次はその目を逃れるように足早にレインに近づくと、

「場所を変えよう…」

 と小声で言った。


「それにしても、何かリアクションをくれてもいいじゃない。手を振りかえすとか」

 ロンドンの通りに面する高級レストランで、レインはそう愚痴った。

「しかたないだろう?まさか君が、あんなに堂々と俺を待ち構えていたなんて思わなかった」

「でもすぐに気づいたでしょう?それに、トージだってかなり目立ってたじゃない。あんなロングコート着ている人、この季節には貴方ぐらいよ?」

「あの服装には一応理由があるんだよ」

「どんな理由?」

「本を仕舞う」

「ああ、貴方の魔術、本を使うものね」

「そう。知っての通り俺の魔術は、本と見なされる物の内容を、その内容そのままに具現化する魔術だ。触媒は当然本だから、万が一の時の為に傍に携帯する必要がある」

「なるほどね。でも暑くはないの?」

「略式詠唱で皮膚を強化しているから、特には」

「器用ね」

「よく言われるよ。レインさんは何の魔術を?」

「……実は魔術は使えないの。略式詠唱もてんでダメ。だから悪霊の事を話しても相手にしてもらえなかった」

 そう語りながら空のガラスを眺めるレインは、何処か自分の置かれている環境に諦観気味になっているように見えた。レインは続ける。

「でもね、人が殺されているっていうのに、見て見ぬ振りをして、そのままスルーしたくはないの。そんなの、亡くなった人が可哀想でならないもの。家の人間には偽善的だなんて言われるけど、それで救われる命があるなら、私はどう言われようと構わないわ」

「………」

 藤次は思わず返事に詰まった。レインの言葉は藤次の過去に強く作用していたのだ。藤次はそのあまりの眩しさに目をやられていた。

「…トージ?聞いてる?」

「え?あ、ああ、ちゃんと聞いていたよ。我ながら不躾な質問だった、謝罪する」

「別に良いのよ、これが私だもの。今更気にしていないわ」

「強いんだな、君は」

「逆よ。私は弱いから自分と向き合わなかった。魔術を続けることを恐れたの」

「でも勇気はある。それは俺には無いものだ。正直羨ましいよ」

「…褒めても何も出ないわよ」

 そう言うレインは、少し照れているように見えた。それに不覚にもドキリとしてしまった藤次は、まだ未熟なのだろう。

 レストランはレインの奢りだった。

「これくらい気にしないで。むしろ割り勘なんて言われたら、無理矢理にでも私が払ってた」

 とのことだ。名家の誇りという奴らしい。それもその筈で、エーリア家は中世の初めから続く由緒正しき魔術師の一族なのだ。代金を払った後、2人は路上で今後の予定について軽く話した。

「それじゃあ俺は、ゴーストの目撃情報をもとに辺りを歩いてくる」

「今から?ゴーストが出現するのは真夜中でしょう?」

「相手がそう思っていればね」

「どういうこと?」

「ゴーストの習性や使う魔術は、生前の記憶や考え、思い込みによって決定されるのさ。ゴーストは夜に現れるなんてのも、それが社会の一般常識、通念になっているからに他ならない。朝っぱらや良く晴れた正午にもゴーストは現れる」

「なるほど……じゃあ私も連れて行って」

「ダメだ。君に万一があったら俺は一巻の終わりなんだぞ?立場を分かってくれよ、依頼人」

「でも私はあのゴーストを見たわ。場所も覚えてる」

「ダメ。何度も言うが、君がゴーストに襲われでもしたら俺は……」

「私のことが心配ならそう言えばいいじゃない。まったく、キザな振りはよしてよね。それに私、ロンドンは良く知ってるし。なんなら、いざって時にトージを置いて逃げることだってできるのよ?」

「はあ……分かったよ、そこまで言うならお望み通り連れて行ってやる。その代わり、狭い裏路地なんかは俺の後ろにいろよ」

「分かったわ。それじゃあ付いてきて。現場まで案内してあげる」

 レインはさっさと道を歩き始めた。

「……君は話を聞いてたのか?」

「ほら、突っ立ってないで早く。その調子じゃ日が暮れちゃうわよ?」

(やっぱり聞いてなかったか……)


 2人はバッキンガム宮殿を掠めてピカデリー通りに入り、そこからさらに新たな通りに入った。見た目に特徴は無かったが、猟銃販売店や葉巻専門店などが軒を構えており、土地柄が良く出ていた。藤次はその光景を観光客然と言った感じで眺めていたが、不意に隣のレインが立ち止まり口を開いた。

「ここよ」

 レインが立っていたのは、ある店の脇に伸びる一本の脇道だった。壁にはピッカリング・プレイスと記された看板が付いている。警察の規制線が貼られているので確かにここらしい。

「この入り口から中を覗いたら……ってわけ」

 藤次が通路の中の様子を伺ってみると、確かに小さな広場が見える。

「なるほど…」

「どうするトージ。人もいないし入っちゃわない?」

「君はダ……少し危険か。しょうがない、付いてきてくれ」

「そうこなくちゃ」

 2人は規制線を乗り越えると、奥の広場へと入っていった。中は小さな駐車場くらいのこじんまりとした空間だった。周囲を建物に囲まれていたが、不思議と閉塞感はしなかった。

「そしてこれが殺害現場か」

 広場に行ってすぐのところに、人型の白い輪郭線が書かれていた。どうやら被害者はゴーストに背中を向けていたらしい。この狭い広場から逃げようとしたのだろう。

(ここにするか)

「レイン、君は通路を見張っていてくれ。人が来るとまずい」

「もしかして、ここで魔術を使うつもり?」

「気になることがあってね」

 藤次はオーバーコートの懐から一冊の本を取り出した。それはSFの金字塔とも呼ばれる、とある小説だった。

「その小説…!」

「俺のよく使う触媒だ。今からこれを俺の魔術で具現化する」

 藤次は栞をはさんでいたあるページを開くと、白い輪郭線の中に置いた。

(さっさと終わらせてしまおう)

 藤次は立ち上がると、本に向かって片手をかざした。そして口を開いた。

『彼の地に降り立つは大いなる神性 往きて四方は導かれ、刻む時は停滞せん

 その誓約に従い 聖なる光は言の葉に満ち足りて清き力となり此処に顕現せよ 清書光臨』

 その言葉と共に、開かれた本はパラパラとめくれ、周囲の木々や建物はざわめき始めた。そして次の瞬間、それらがピタリと止まると、静寂と共に本のページが一枚捲れた。そこには真っ黒なカードが挟まれていた。藤次はカードを手に取り、本の汚れを綺麗に払って懐に仕舞った。

「……それがトージの魔術?」

「案外地味だろ?」

「ええ、まあ想像したよりもずっと地味だったけれど。そうじゃなくて、その手に持ってる黒いカード、多次元メモリよね?小説の中にでてきた」

「そうだ。その名の通りに次元に干渉する。作中では主人公がこれを駆使して見えざる敵と戦う」

「見えざる敵とは、一体何のことやら」

 不意にそう声が聞こえたかと思うと、藤次の前に人が1人降りてきた。彼は白い防弾ベストを着こんでいた。ベストにはイニシャルが刻まれている。

「BCD、洗礼十字師団か」

(それにしても早すぎる……)

「そういう貴方はかのトウジ・アジロですね?噂はかねがね」

「挨拶しに来た、ってわけじゃ無さそうだが。任意同行でもするつもりか?」

「あんなに派手に魔術を行使されてはそうせざるをえない。それに、後ろの女性にも用がある。むしろこちらが本命だ。エーリア家には恩があるのでね」

「あなた、本家のパーティーにいた……!」

「お気づきのようですね。そう、私は洗礼十字師団、師団長オルガン・スティンガー。網代藤次、レイン・エーリア両名を拘束しに参りました」

「スティンガー……イギリス一の術師祓いに目を付けられるとはな」

「網代藤次、君の力は人の理を超えている。それを何の枷もなく使用することを、私は危惧しているんだ」

「俺は別に世界征服をしたいわけじゃない。お金を貰って本が読めればそれでいい」

「信じるとでも?私はな、網代藤次。君は神の下された神罰だと考えている。そしてそれを乗り越えた先にこそ、人類の栄華は待っているんだ。その第一歩が君の捕縛だ」

(これだからキリスト教上がりの魔術師は…)

「…そう言われてすごすごと捕まるわけにはいかないな」

「馬鹿を言え。すでに君たちは包囲されている。おとなしく投降しろ」

 藤次は通りに控えるBCDの隊員たちを魔力で確認するとレインの近くに寄った。そして、

『部位指定 脚部器官』

 略式詠唱を開始した。

「…!この包囲網から逃げる気か!」

 スティンガーはそれに気づいたが、すでに遅かった。

『出力循環 1000』

 藤次は後ろにいたレインを抱きかかえると、その場にしゃがんだ。

『ブースト オン』

 次の瞬間、藤次はすさまじいスピードで地面から上昇していた。地上はみるみるうちに遠く離れていき、ロンドン市街地の夜景が美しく光っていた。

(この速度なら追ってはこれないだろ)

 藤次はどこに降下するか探した。そしてある建物に目を付けた。

「……コリンシアホテルか」

 藤次は懐から先ほどの黒いカードを取り出すと、カードに向かって呼びかけた。

「座標転移、コリンシアホテル」

 そう言うや否や、景色は一変し、確かに地面を踏みしめる感覚が伝わってきた。藤次が立っていたのは、ロンドンの中心に建つ高級ホテル、コリンシアホテルの屋上だった。

「さて、一旦チェックインをしたいのだが、その前に」

 藤次は先ほどから悲鳴の一つも聞こえてこないレインを見た。レインは藤次の腕の中で完全に気絶していた。

(やっぱりな。急に跳んだのが不味かったか)

「おい、もう大丈夫だから。起きろ」

 藤次がレインの頬をつつくと、レインは顔をしかめてうーんと唸りうっすらと目を開けた。

「……死んだの?」

「五体満足、全く持って健康体だ」

「そう……って、貴方ああいうことをするんなら予め言っておきなさいよ!」

「おい!暴れると…」

 藤次の警告むなしく、どさっと音がしてレインは藤次の視界から消えた。

「ッ……!」

 悶絶するレインに藤次はため息をつくと、尻餅をつくレインに手を貸した。

「はあ、やっぱり置いていくべきだったよ」

「ちょっと、何よその言いぐさは!」

「思ったことを言ったまでだ」

「ふん、私がいなきゃ永遠と道に迷っていたくせに」

「君がいなきゃスティンガーたちとは出会わなかった」

「……喧嘩売ってんのね」

「なんだよ、喧嘩腰か?君、お嬢様だろ」

「アンタもそんなこと言うんだ……。なんだ、家の連中と変わらないじゃない」

「なんだって?最後の方が聞き取れなかった」

「ファックユーって言ったのよ。バカ」

「やっぱり連れて行くべきじゃなかったよ」

「うるさい。それよりも、どうやってここから降りるのよ」

「こうする」

 藤次はまた多次元ディスクを取り出すと、

『座標転移、コリンシアホテル正面口』

 次の瞬間、2人はホテルの正面玄関に立っていた。だが周りの人たちは気にも留めない。

「さて、今日俺はここに泊まる。君は家に帰りなさい。タクシーを呼ぶから」

「無理よ」

「……なんだって?」

「私の事がBCDにバレた。エーリア家はBCDと関係が深いからこのことはすぐに報告される。そしたら私は家に帰れない」

 レインは端的にそう報告した。家に帰れば何を言われるか分からないし、藤次にも不都合が及ぶかもしれない、ということだろう。

「では君もここに泊まるのか?」

「ええ、とっても遺憾だけど」

「初めて意見があったな。それじゃあ俺は早速…」

「待ちなさいよ」

「なんだよ、まだ何か?」

「私が部屋を取る」

 レインはカウンターに歩いていくと、受付の女性と一言二言交わすして戻ってきた。

「取れたから、さっさと行くわよ」

「行くって、君と?」

「他に誰がいるのよ。依頼人は守るんでしょ?」

「まさか…」

「そのまさか。だから遺憾だって言ったのよ」

 2人は終始無言のままホテルの最上階、スイートルームの一室に入った。藤次の住むアパートの倍はあろうかという広い部屋は、豪奢でかつ上品な家具や装飾がちりばめられていた。

「すごいな、これは…」

「1番高い部屋だもの。それに内装の趣味がいいから気に入ってるの」

「よく使っているのか?」

「友達と泊まりに来るわ。…ねえ、玄関の前に突っ立ってないで自分の部屋でも見てきたら?私は反対側の部屋を使うから」

「いや、いい。少しやることがある」

「じゃあ私はシャワー浴びてくるから。あ、またBCDを呼ばないでよね」

「魔術は使わない」

 藤次はいかにも高そうなソファーに座ると、テーブルに多次元メモリを置いた。

『再生、48時間前』

 すると藤次の周りにホログラムのようなもやが湧き上がり始め、ついに藤次の目の前に先ほどの小さな広場の様子が映し出された。そして、一人の男が広場の中に駆け込んできた。その男はBCDの戦闘服を着ていた。

(殺されたのはBCDの隊員か。なるほど、スティンガー達の到着が異常に早かった理由はそれだな)

 隊員はかなり追い詰められているらしく、壁際まで後ずさると、入ってきた通路に向かって

「待て!分かった、俺が悪かった!不意打ちをした事は謝る。だから一度見逃してくれ!」

 と叫んだ。すると背筋が凍るような低い声で、

「汝、ブリテンの禍となる者なりや?」

 と通路から聞こえてきた。

(これが例のゴースト、だな)

 隊員はその声に恐怖したように体を震わせ、そして通路に向かって走り出す体勢をとった。そして詠唱を始めた。

『今は遠くの奇蹟をここに 以て七天の加護と成さん

 呼応するは我が血身 光を齎せ カレイド…」

 隊員が詠唱を完了させようとしたその瞬間、

「往け、ガラディーン」

 通路から飛び出してきた一本の剣が、隊員の胸を刺し貫いていた。

(ガラディーンだと?いや、それより今、剣がひとりでに飛んでいった…?)

 隊員はそのまま力なく両膝をつくと、そこに通路から甲冑をきた一人の男が現れた。そして

「汝は罪科をなす悪逆者により、ここに誅することとした。己が行いを悔いて死ぬがよい」

 と隊員に告げると、剣を体から引き抜いた。だが、剣に血はついてはいなかった。そして悲鳴が聞こえた。その声の主は、聞き覚えのある声で言った。

「アンタ、今人を…!」

「汝も此れの同胞か?なれば女性とて加減はできまい」

「何を言って…」

 甲冑を着たゴーストは、先ほどの剣を手に握るとその声のする方へと歩き始めた。そこで映像が切れた。もやが晴れるとそこには、風呂上がりらしきレインがバスローブを纏い、腕を腰に当てて立っていた。藤次はその姿に面食らったが、平然を装った。

「…ずいぶん早い風呂だな」

「悲鳴がしたから急いで来たの。貴方、あの広場の記憶をディスクに記録したのね?」

「そのとおり。それと、言いにくいんだが先ほどの悲鳴は……」

「分かってるわよ、自分の悲鳴くらい。それと、あんまりジロジロ見ないでくれる?」

「あらぬ疑いをかけるなよ。俺は見てない」

「なに焦ってるのよ。そういえば、あなた何歳なの?」

「……20だ」

「20!?そんなに若かったの?てっきり27歳くらいだと思ってた」

「そういう君は何歳なんだよ」

「17歳」

「はあ?俺より全然若いじゃないか。そもそも依頼の電話をかけてきたとき、大学の帰り道にゴーストと遭遇したって…」

「私が17歳だって知ったら引き受けてくれなくなるかもしれないじゃない。それに、17には見えないでしょ?」

 確かにレインの外見に子供っぽさはほぼ無く、その立ち居振る舞いは洗練されているように見えた。

「……まあ、そうだな」

「でしょ?それにしても、見た目に寄らずに子供っぽいところがあると思ったら、まさかハタチだなんてね」

「17歳にそう言われる身にもなってくれよ。もういい、俺は寝る」

 藤次はソファーから立ち上がると、広いリビングを横切って寝室に入ろうとした。

「待ってよ、まだ聞きたいことが…」

「話すことはない。君も今日は寝ろ」

 藤次はドアを閉めた。

「はあ、どうも調子が狂うな。視たところBCDの連中も来ていないみたいだし、さっさと寝るか」

 藤次はコートを脱ぐと、電気も付けずにベッドにどさっと横になった。これが中々の寝心地で、藤次は疲れを癒すようにゆっくりと目を閉じた。が、ドアの開く音がした。そしてリビングの明かりと共に、レインが部屋に入ってきた。今度はパジャマを着ている。

「…おいおい、勘弁してくれよ」

「別にいいじゃない。興味が湧いちゃったのよ」

 レインはそういいながらベッドに腰かけた。レインの重みでベッドが軋んだ。薄暗闇のなか、レインは口を開いた。

「ねえ、トージ。貴方がそこまで老けて見える理由はなに?」

「……遺伝じゃないか?」

「適当言わないで。私が言いたいのは、なんでトージはその年齢で達観しているのかってこと。会ったときからずっとそうだったけど、私に対しても、自分に対しても、どこかドライだった。いや、ドライというより、距離を置いているって言った方がいいのかも。とにかく貴方のその立ち居振る舞いは20年を普通に生きて得られるものじゃないの。私はこれまで色んな大人を見てきたから分かる」

「……どれも君の憶測だよ。俺の人生に別段変わった所はない」

「ほら、今も。私の発言を妄想だって切り捨てずに、含みを持たせた言い方に変えてる。貴方はいつも言葉を選んでる。相手を気遣う言葉を選択し続けてる」

「それは決めつけだ。妄想と言ってもいい」

「そうね。これじゃあ根拠がないもの。でももう一つ、とても言いにくいんだけどもしかして貴方、身近な大切な人、例えば父親か母親のどちらかを亡くしていない?」

 それに藤次は一瞬固まった。レインはその機微を見逃さなかった。

「……やっぱりそうなのね」

「いい加減にしてくれ。君の話は全て勝手で独りよがりで、根拠の無い妄言だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「貴方はどちらを亡くされたの?」

 レインはなおも続ける。

「だから……」

「私はお父様」

「………」

「私が5歳の時に、事故で。それも私が道に飛び出したからで、お父様は私を庇って死んだ。その意味が理解できるようになってから私は毎日自分を責め続けた。そんなことをしてもお父様は帰ってこないのに」

「…………」

「お父様は根っからの善人だったわ。私と同じで魔術はからっきしだったけど、それでもみんなから好かれてた。幼いころの私はそれを見て憧れた。私もお父様のようになりたいって。まだまだ遠く及ばないけどね」

 レインの話を聞いて、藤次は思わず口を開いた。

「………俺は、同じだ。父さんを失くした」

「いつ?」

「5年前だ。俺が魔術に目覚めて、初めて自分の魔術を使った日。その日に父さんは死んだ。俺の魔術のせいで。俺も君の様に後悔した。自分を呪ったし、周囲を呪った。魔術師という存在も呪った」

「…トージが組合に入らないのもそれが理由ね」

「ああ、自分でも無意味な行為だとは分かっているんだ。それでも俺は、どこかで普通に戻りたいと思ってる。本当に無駄なあがきだよ」

「それでも続けるんでしょ?」

「そうだね。この世に悪霊がいる限り、俺はこの仕事を辞めない。やめられない」

「やっぱり貴方は優しい人。お父様とおんなじに、人を助けずにはいられない。私や他人を遠ざけるのも、トージの優しさなのね。お詫びするわ、トージ。さっきはごめんなさい。私、思い違いをしていたみたい」

「何も謝ることなんかない。俺の言い方が悪かったんだ。俺が未熟だったから」

「貴方はもう充分立派よ?私といて途中でうんざりしなかったのはトージが始めて」

「別に気にならなかったよ。マイペースは別に悪いことじゃ無い。それが君なら、俺は肯定こそすれ否定はしない」

「貴方のそういうところ、好きよ」

「……やっぱり君といると調子が狂うよ。もう用は済んだだろ。俺をいい加減寝かせてくれ」

「はいはい。おやすみ、トージ」

「……おやすみ」

 レインが部屋を出ていくと、藤次は暗闇の中で寝返りを打った。ベッドの端には先ほどまでレインが座っていたへこみが残っていた。

(こんな時に、俺は何を緊張しているんだ。それに父さんのことまで……)

 藤次は止まない胸の鼓動を隠すように体を曲げると、ぎゅっと目を瞑って寝た。

 そしてドアの向こうでは、レインが背中をドアにぴたりと付けて、その場から動けないでいた。先ほどの行動を思い出しては、恥ずかしくて死にそうだった。

(私、もしかしてとんでもないことしちゃった?最初は文句の一つでも言ってやるつもりだったのに。でも、あんな寂しそうな顔してたらそんなこと言えないじゃない。それにお父様のことまで話しちゃって)

 レインはずるずるとその場にしゃがむと、腕で足を抱えて、顔をうずめた。ひざのあたりに火照った顔の温度が伝わってくる。

(どうかしてたわ。トージも同じ境遇だったなんて、それで私嬉しくなっちゃったのよ。まさかこの気持ちを共有できるひとがいるなんて、男の人では初めてだったから……それに、私あんなことまで)

 本当にどうかしてる。レインはしばらく湧き上がる感情を整理しきれずに、その場に固まってしまった。


 次の日、2人はどこかよそよそしい雰囲気の中、リビングで顔を合わせた。

「……おはよう」

「えーと、昨日はその……いや、なんでもない。おはよう」

 そのまま向かい合ってソファーに座ると、レインの入れてくれた紅茶を飲んだ。

「…美味い」

「でしょ?家で延々と練習させられたから」

「ああ、毎日飲みたいくらいだよ」

 その時、ガチャリという音がした。藤次がテーブルに目をやると、レインがティーカップを倒していた。幸い中は空だったので、被害は無かった。

「大丈夫か?」

「…トージ、もう少し考えて発言した方がいいと思う」

 少しタイムリー過ぎる。

「なんでだよ。別段おかしいことはいってないだろ?」

「そういうところも。もしかしてトージ、女性経験ないの?」

「一々失礼だな、君は」

「どうなのよ」

 レインがあまりにしつこいので藤次も答えることにした。できれば言いたくなかったのだが。

「……ないよ。そんな余裕なかったんだ」

「そうなの?ふーん、そうなんだ…」

「そうだよ、どうかご自由に馬鹿にしてくれ」

「馬鹿になんかしないわよ。むしろ好まし……いえ、なんでもない。とにかく、さっきみたいな言葉遣いはできれば使わないようにして」

「さっきって、毎日飲みたいくらい…のくだりか?」

「そう。ああいう言葉は、その、私以外には使わないで。いい?」

「構わないが……そんなにおかしいか?」

「はい。もうこの話はおしまいよ。それよりトージ、今日の予定を教えて」

 藤次はまだ納得しかねていたが、とりあえずレインの話に乗ることにした。

「ゴーストの正体があらかた分かった。だが手持ちの本では少し手段が足りない。そこで大英博物館に行く」

「そこで何の本を借りるの?」

「アーサー王物語だ。その原本を手に入れる」

「……国の文化財よ」

「元の場所には返すさ。それに、これ以上の触媒は存在しない」

「じゃあゴーストの正体は一体なに?」

「恐らくは、円卓の一員にして『忠義の騎士』、ガウェインだ」

「ガウェインって、円卓の騎士は実在したの?」

「それは定かではない。だが問題のゴーストは聖剣ガラディーンを使用していた。恐らくゴーストの正体は、ガウェイン本人か、自分のことをガウェインだと強く思っている誰か、だ」

「そういうことなら原本は必要かもね。彼の強さは物語の中でなんども登場しているもの」

「ああ、そうなっている。そう書かれているんだ。だからこちらも、なるべく作中の強さに合わせたい」

「でも肝心の原本はどうやって手に入れるの?警備はとても厳重よ」

「……君の力を借りる」

「私の?」

「エーリア家の名を用いて警備の目を足止めしてもらいたい。俺の具現化した多次元ディスクは転移能力を持っているが、その発動条件は行きたい場所を目視するか、10メートル以内に近づくことなんだ」

「……分かったわ。私やってみる!」

 どこか嬉しそうなレインの様子を見て、藤次は思わず表情を崩した。

「ああ、よろしく頼む」


 その頃、ウェストミンスター寺院の主祭壇を前に、一人の男が立っていた。

「大佐、ここにおられましたか。珍しいですね」

 その後ろから部下らしき若い男が声を掛ける。

「ふと足が向いたのだ。かの寺院は墓が多い」

「……ゴーストですか」

「その言い方はよせと言っているだろう。奴等は悪霊にほかならない。それで、貴様は何の用でここに?」

「大佐を探していたのです。練潔執行隊が悪霊の正体を突き止めたと……」

「そうか。では名を聞こうか」

「それが……かの円卓の騎士、ガウェイン卿でございます」

「これはまた、神も酷なことをなさる。大英のため命を賭した忠義の騎士が、今や悪霊に身をやつしてロンドンで辻斬りとは…」

「大佐、どのように致しましょう」

「大英博物館に向かえ。アーサー王伝説の原本を触媒として使う。それに、網代藤次もそこに現れるはずだ」

「例の日本人魔術師ですか。彼はいかように?」

「捕縛しろ。令状は作ってある」

「承知しました。それと大佐、エーリア家のご息女の方は…」

「ああ、そうだったな。ふむ…」

 スティンガー大佐は顎に手を当てて考えると、すぐにニヤリと笑った。

「なるほど、思わぬ僥倖だ。予定を変更する。レイン・エーリアも拘束しろ」

「……!よろしいのですか?」

「本家は彼女の行動に大層立腹している。それぐらいは許可されるだろう。それと貴様、エーリアの血筋については知っているな?」

「確か大魔術師マーリンの末裔であると……は!そういうことでございますか!」

「気づいたようだな。そう、彼女を触媒として使えば魔術的効能は格段に上がる。血縁というのは、魔術の始まりから続く巨大な運命力に他ならないからな」

「その通りでございます。では直ちに部隊を編成し、博物館内外に適時配置いたします」

「くれぐれも網代藤次たちには正体を暴かれぬように、慎重に頼むぞ」

「心得ております。では」

 部下はその場を後にした。

(さて、此度の討伐は総力戦になりそうだな。研究者連中まで被害が及ばなければいいが。だがまずはあの日本人だ。本の具現化という魔術範囲の指定の広さと、そのアバウトさを補う前代未聞の魔力リソース。理論上は小惑星まで地上に顕現させるほどの大魔術を若干20歳の元一般人が扱う。それの意味するところは大きい。つまるところ、単独で我らの先を越される可能性もある。それは我々の信用にかかわってくるということ」

 スティンガー大佐はポケットの十字架を握りしめると、

『身を焼くは咎の矛先 しかして業火は血に宿る

 我が身を覆うは加護の御業 ただ主の為にこそ奉らん

 部位指定 全身組織 出力循環 2000

 栄光は父と子と精霊にブースト・オン』

 略式詠唱を唱えた。それはスティンガーが魔術戦において全力で挑む時の略式詠唱であり、詠唱を増やすことで通常よりも数倍の魔力強化がなされる。だがその膨大な魔力量を受け止める魔力容量を持つ人間はほぼ存在しない。そしてスティンガーにはそれが出来た。しかも1週間の間、状態を維持することが可能であった。

(神に誓って、必ず職務を遂行する)

 スティンガー大佐もまた、主祭壇を後にした。


 大英博物館は一階グラウンドフロアと、地下一階アッパーフロアに分かれ、800万点以上の常設コレクションが展示されている。そして藤次とレインは、そんな歴史的展示品には目もくれず、人ごみに紛れていた。

「ねえ、トージ。もう少し人がいない時間帯でも良かったんじゃない?」

 レインが人の多さに苦言を呈した。レインはこの博物館がどれほど混雑するかを良く知っていた。今はその中でも特に観光客たちが多い正午の時間帯であり、2人はグラウンドフロアのエジプト展示エリアで立ち往生していたのだった。

「このくらいの人数が周りにいないと魔術師は誤魔化しきれないんだよ。特にBCDの魔術師なんかはその点に精通しているし」

「それにしたって多すぎ。しかも何よこの格好」

 レインは自分と藤次の服装を交互に指さした。どちらも適当に選んだ安物のTシャツやズボンなどで服装が固められていて、お世辞にも格好がいいとは言えない。

「なるたけ観光客らしい服を選んだんだよ。特に君はいろいろと目立つから厚着にさせてもらった」

「これ、後で元に戻るんでしょうね」

「戻るよ。さっきも言っただろう?」

「言ってたけどそれにしても…」

「はあ、なんで君はそう喋りっぱなしなんだ。もしかしなくても君、この状況を楽しんでいるだろう」

「まさか。至って真面目に任務を遂行してるわよ」

「ほら、今だって……』

「…まるで緊張感がありませんね」

 博物館一階、職員控室ではBCDの隊員たちが1つの画面を見てそう話していた。スティンガー大佐がそれに答える。

「無理もない。レイン・エーリアはともかく、網代藤次はあの歳で魔力探知に長けている。だが、魔術に通じるほど我々の魔力を介した盗聴、盗撮装置には気付けない」

「我々の開発した魔道具はまだごく一部にしか流通していませんからね」

 先ほどとは別の部下が答える。

「それにしてもですよ。これじゃあ略式詠唱もなしに倒せそうだ」

「そう言うな。彼はその気になればロンドン一帯を吹き飛ばせるんだぞ?一対一で競り勝つのはまず無理だ。余程の技量差がなければな」

「だからこうして確実に捕えられるタイミングを狙っているんですよね」

 また別の部下がそう言って大佐を見た。

「ああ、ここで下手に暴れられてはイギリス魔術組合に多大な損失が発生するからな。なるべく穏便に両名を拘束し、ゴーストを討伐する」

 その頃藤次たちはやっとのことで窓際のエリアまで到達した。

「さあ、ここからが本番だぞ」

「私は受付を10分足止めすればいいのよね」

「その通り、俺は保管庫に接近して原本を拝借する」

(とは言っても、BCDにバレていそうなんだよな。魔術の痕跡はまだないが、俺が組合員じゃない以上、法律スレスレの手段を使って俺を拘束してくるはずだ。なら俺たちの居場所も目的もとっくに対策されたいてもおかしくない。今だって泳がされているだけの可能性も高い)

 であれば、それ相応の保険がいるな。

 藤次は背負っていたリュックから一枚の紙切れを取り出すと、それをポケットに入れた。

「行くぞ」

「オーケー」

 藤次は窓ごしに外の建物の廊下を見た。その手には多次元ディスクを持っている。

「座標転移」

 その瞬間、藤次たちは博物館に併設されている倉庫に転移した。もといた展示エリアの人間はそれに誰1人として気づかなかった。それはBCDの隊員たちも同じだった。この座標転移は、転移する際にその対象の存在認識ごと移しており、つまり転移する人物の周囲の人や動物は、五感からその人物についての情報が消えるのだった。

「これでほんの少し時間が稼げるはずだ。すぐに地下に向かうぞ」

「分かったわ。あそこのエレベーターで降りるのね?」

「その余裕がなくなった。もっと手早く行く」

 藤次はディスクを床に置くと、

「空間切除、X100 Y100 Z600」

 その瞬間、ディスクごと元々床があった場所が消えた。縦横1メートル四方に6メートルの深さで跡形もなく消滅したのだ。

「ちょ、これって!」

 驚くレインを抱き寄せると、藤次たちは6メートル下の地下2階に落下した。そしてレインを抱きかかえたまま地面に着地した。

(デジャブなんですけど……)

 レインが耳を赤らめながら藤次の胸元を離れる。だが、当の本人はそれどころでは無かった。

「ほら、君の出番だぞ」

 藤次の指さす方には長い廊下が続いていた。そして最も奥にはカウンターがあって、一人だけ受付がパソコンを見ている。

「ええ、分かってる。それよりトージ、後で話があるから」

「話?まあいい、俺は一旦ここで待機だ。きっかり5分、頼んだ」

「頼まれた!バッチリやり遂げるわ」

「じゃあ服装をもとに戻すぞ」

 藤次はリュックから一冊本を取り出すと、栞を挟んでいたあるページからその栞を外した。すると二人の服装は、藤次は黒いロングコート姿に、レインはカジュアルながら品のある姿に変わった。

「やっと戻れた。じゃあ行ってくるわね」

「ああ、よろしく」

 レインを見送ると、藤次はコートの懐からまた本を取り出して開き、開いた状態でその紙に触れた。正確には、ある特定の一文を指でなぞった。そして詠唱した。

『主はここに……清書光臨』

 すると本から煙が噴き出して藤次の全身を包み込んだ。

(きっかり5分、それでこの『雲隠れ』は発動する)

 藤次は手にディスクを握りしめた。

 その頃スティンガー大佐たちは消えた藤次たちの行方を追っていた。

「まだ見つからないのか」

「それが、館内に魔術の痕跡が認められず……」

「であれば奴の具現化したなにかしらを使ったのだろう。隣接する建物も全て探せ!」

(チッ!手間のかかる小細工ばかり使いやがる。魔道具を介しても認識に影響を及ぼすなんて聞いたことも無い。一体何を使ったのだ!貸出申請もいまだ通らないと言うのに!)

 スティンガーは若干の焦りを感じていた。思わず手に持っていた携帯がみしりと軋んだ。

 そのころ、レインは受付に到着した。

「どうも、少しいいかしら」

 レインの微笑みに受付の女性も笑顔で答える。

「もちろんよろしいですよ。お名前をお伺いしても?」

「レイン・エーリアよ。レノア・エーリアの紹介で来たのだけれど」

「レノア・エーリア様ですね?少々お待ちください」

 受付がパソコンで名簿の確認をしている間、レインは後ろを振り返った。すでに藤次はいない。

「レイン様、よろしいですか?」

 受付に呼ばれてレインは慌てて前を見た。

「なんでしょう」

「利用者リストにお名前が見つかりませんでした。紹介者様のお名前に間違いはありませんか?」

「ないわ。多分出資者のリストに載っているんだと思う」

「でしたら少々お時間いただきますが、それでもよろしいですか?」

「ええ、急ぎではないからゆっくりと慎重に探して」

「分かりました。少々お待ちください」

(これで5分は確実。あとは貴方次第よ、トージ)

 その時藤次は、廊下の曲がり角で『雲隠れ』の発動を待っていた。

(あと少しで5分経つ。レインは上手くやれているだろうか。でも彼女があそこでヘマをするような人間だとは考えづらいか。今は『雲隠れ』の完成とBCDが問題だ。奴らは間違いなく俺を狙ってくる)

 藤次が煙の中でそう考えていた時、不意にその煙が晴れた。

(きた!)

 藤次は腕を目の前にかざしてみた。予定通り、藤次の視界に変化はない。

(まずは透明化成功だ。あとは概念濃度の調整か)

 今度は透明になった腕に意識を集中させ、傍の壁に触れてみた。すると指先に触れた感触は無く、その手はなんの抵抗もなしに壁にめり込んだ。

(よし!部位ごとのすり抜けもできる。あとは保管庫に向かうだけだ)

 藤次は走り出したいのを我慢して角を曲がり、レインのいる長い廊下を歩き始めた。ここで藤次が走れないのは、『雲隠れ』は体の表面を無数の特殊な粒子で覆うもので、激しい運動をするとこの粒子がはがれてしまう恐れがあるからである。この粒子がはがれると透明化も出来なくなる。

(ゆっくりかつ迅速に、だ。焦るなよ、俺)

「まだ見つからないの?」

 レインの声が聞こえた。受付は困惑気味にマウスを動かしている。藤次がやっとの思いで受付についたころには、すでに5分がたっていた。レインの顔に若干の焦りが見えた。藤次がどこにいるか分からないからだ。藤次は受付を素通りすると、金属探知のゲートをすり抜けて倉庫の分厚い扉の前に来た。

(この中に原本があるのか。よし、行くぞ)

 藤次は慎重に全身の概念濃度を下げると、さっと扉をすり抜けた。

「成功だ!」

 藤次は『雲隠れ』を解くと、すぐに倉庫奥の重厚な金属棚に駆け寄り、所定の引き出しを開けた。そこには、

「なんだ、これは……」

 何も無かった。埃一つ無かった。確かにここに原本は保管されているはずだった。そして悲鳴が聞こえた。それはレインのものだった。

(やられた!)

『部位指定 全身組織 出力循環 1000 ブースト・オン!』

 藤次はすぐに略式詠唱をかけると、倉庫の扉をぶち破った。そこには、訳も分からず怯える受付と、こちらに銃を向ける隊員たち、そして両手を後ろ手に拘束されているレインとそれを抑えるスティンガーの姿があった。大佐は藤次に言った。

「また会いましたな、網代藤次さん。こちらで何を?」

「……!大佐、やっぱりアンタ、俺たちをわざとここまで泳がせていたな!」

「やはり気づいていたんですか。でももう遅い。原本は丁度数分前、我々が回収しました。ギリギリで博物館への申請が通ったのでね。そしてレイン・エーリア。彼女に関しても、エーリア本家からの許可を得ています。ですから少々手荒に拘束させてもらいました。最後に貴方だ、網代藤次。組合員ではない貴方に法的庇護はない。つまり日本魔術組合はこの件について詳細を知らない。そこでだ、貴方を捕縛して日本に強制送還する」

「……なんだと?」

「イギリス魔術組合の組合法にのっとり、自国の公益を害する他国魔術師を強制送還するのだ。君には不法侵入と器物破損、公務執行妨害の疑いがある。よってこの権利を組合員として行使させてもらう」

 大佐はレインを部下に預けると、藤次に相対した。

「なにか質問は?」

「山ほどあるが、まずは彼女を離してもらおう。手錠はいくらなんでも粗暴が過ぎるだろう」

「たった今扉をぶち破ってきた君に言われる筋合いはない」

「ではなぜ彼女を拘束する!本家の怒りをかっていたとしても、これは過剰だ!」

「よほど彼女が大切らしい。良いだろう、君の青臭さに免じて教えてやる。彼女、いや、エーリア家は古の大魔術師マーリンの末裔なのだよ」

(マーリンって、あの大魔術師マーリンか?)

「そんな、まさか……」

「それは本当なの?」

 レインが思わず大佐に尋ねる。

「本当だとも。魔術の扱えない君には伝えられなかっただけだ。それで、網代藤次。俺がなぜ彼女を拘束するのか、分かったかな?」

「彼女を、触媒にする気だな……」

「その通り。今回のゴーストはかの円卓の騎士、ガウェインだ。それに対抗するには、相当縁が深い触媒が必要になる。それはアーサー王伝説の原本であったり、マーリンの末裔であったりする訳だ」

「一体なんの魔術を使用するつもりだ」

「それは言えない。だがまあ察しはつくだろう」

「……どうしても彼女を解放しないんだな?」

「それは無理だ」

 藤次は拳を握りしめて大佐を睨みつけたが、動けば他の隊員たちに撃たれる。恐らくゴム弾だろうが、それでも十分なダメージになる。

(ここは一旦引くべきだ。それは良く分かっている。でもそれだと……)

「…………」

 張り詰めた空気の中で、レインが口を開いた。

「トージ、私のことはいいから。ここは貴方だけでも逃げて」

 その言葉に藤次はレインの顔を見た。レインは微笑んでいた。少し口角を上げて、優しく。

「心配しなくても、私は別に絶対に死んだりなんかしないから。だからここは一旦下がるべきよ、トージ」

「残念ながらそれは無理だ、レイン・エーリア。彼はすでに袋のネズミ。狭い路地に追い詰められた哀れな逃亡者だ」

 レインは大佐の言葉を無視して、尚も藤次に呼びかけた。

「早く行って、トージ。私、貴方のこと信じてるから」

 藤次はその言葉に覚悟を決めた。

(信じるぞ、レイン)

「……必ず君を助けに戻る」

 藤次はポケットに手を突っ込むと、その中の紙切れを手に握った。

「……!何をするつもりだ!」

 大佐はただならぬ気配を感じて咄嗟に藤次の手を掴もうとした。が、それは叶わなかった。

『我を導け、ユグドラシル!』

 藤次がそう叫ぶと地面から細い木の幹がいくつも飛び出し、藤次を覆った。そして発砲しようとする隊員たちの銃を奪うと、ツタを絡ませてその機関部を破壊した。すでに藤次は何本もの幹に覆われて姿も見えない。

「クソが!またやりやがったな!」

 スティンガー大佐の怒号もむなしく、地面から生えた幹はねじれて縮小していき、やがて地面の中に消えていった。


 藤次を覆った木の幹は、バッキンガム宮殿のグリーンパークにたどり着いた。芝生の一部が突如として盛り上がり、木の幹が生えてきたのだ。その木は幹が膨らみ、人ひとり包み込める大きさになっていた。それもすぐに裂け、中から藤次が飛び出してきた。藤次はよろよろとその場に両手をつくと嘔吐した。

「はあはあ、オエ。酷い気分だ。いや、それも些事に過ぎない。早く助けに行かないと」

 藤次はコートの懐を探ったが、めぼしい本は無かった。

(多次元ディスクは床をショートカットするときに使ってしまったし、雲隠れも一旦解けば二度と使えない。俺の手持ちはすでに尽きているのか……)

 藤次は急いでその場を離れながら、どうやってこの状況を打破するかを考えていた。

(一度触媒に使った物にはクールダウンがいる。ディスクは三日、雲隠れは5日は使えないだろう。ここは新たな触媒となる本を見繕うしかないか……)

 藤次はグリーンパークを抜けると、トラファルガー広場に繋がる通りにでた。そして手近な建物に入ると屋上に登り、そこから強く跳躍して広場に続く建物を辿って行った。なるべく人目につかないように移動したかったのだ。

(まずホテルに戻って本を回収しなければ。BCDがあそこまで強硬な対応を取ってくる以上、ホテルに目を付けていてもおかしくない)

 藤次は略式詠唱の出力を倍にすると、一気に広場を飛び越えてホテルの屋上に着地した。が、そこには案の定BCDの隊員たちが数人待ち構えていた。一人が無線で藤次の到着を伝えている。

「チェックアウトにはまだ早いんじゃないのか?網代藤次」

 部隊の隊長らしき隊員が藤次に声をかける。

「……どいてくれないか。荷物が部屋に残ってるんだ」

「それは無理だ。こっちも仕事なんでな」

 隊員たちは防弾チョッキから小瓶を取り出すとそれを握った。

「練潔執行隊、対象の無力化を開始する」

 その瞬間、小瓶から火が噴き出し手を包んだ。そして火はゆらゆらと手から伸び、剣の形状に変化した。

(無詠唱だと?いや、それは不可能なはず)

「……どんなトリックを使った。無詠唱の魔術行使は不可能だし、時間差にしても魔術は発動できないだろう」

「トリックなどではないさ。まず、洗礼十字師団は3つの部隊に分かれる。我々の後方支援を行う福音浄化隊、全線で戦う我々練潔執行隊、そして我らの魔術の詠唱のみを担当する特化部隊、詠唱聖歌隊だ。詠唱聖歌隊は隊員一人一人が自身の魔術を詠唱に特化させている。それでこういった無詠唱まがいの芸当が可能になる」

 隊員は炎の剣の切っ先を藤次に向けた。

「さて、解説も終わったことだし、大人しく拘束されろ。異端の魔術師」

 藤次はその発言に僅かながら反応した。それは藤次を、この場にほんの少し留まる気にさせた。

「……時間は掛けてやらないぞ、三下」

 藤次は腰を落として構えた。

「へえ、まさか丸腰で戦う気とは冗談が上手い」

 藤次はそれに答えることなく、地面を蹴って目の前の隊員に突っ込んだ。それに隊員は炎の剣を構えたが、思わず圧倒された。

(速すぎる!略式詠唱の時点で大佐の出力を超えているのか?)

 その時、藤次は身体能力が常人の20倍にまで上がっていた。藤次はギリギリかわす隊員を無視して、反対側の建物に飛び移った。そして足を止めるとすぐに振り返った。

(距離を取った?何をするつもりだ)

 隊員はその間合いに何か悪い予感を感じた。

「おい、ターナー。ここ一帯の魔術防護に漏れはないだろうな」

 ターナーと呼ばれた隊員は炎の剣を下ろすと、端末を確認した。

「触覚プロテクトも使ってるんだ。これ以上ないほど完璧な状態さ」

「そうか…」

(あそこから部屋の荷物を取りに戻るとしても距離が遠い。それに別動班もその荷物を回収しに向かっている。奴の取りうる選択肢はそう多くないはずだ……)

 隊員はいまだ動かない藤次を見据えるとその動向に注目した。

 藤次はホテル屋上で藤次を待ち構える隊員たちを見ていた。

(一度距離を取ったが、これからどうする。相手は俺よりずっと対魔術師戦に慣れた、BCDの戦闘員たちだ。それが複数人も魔術を使用して俺だけを警戒している)

 藤次は懐の本を思い出した。

(触媒として機能するのはあと一つ。それも日本語翻訳の第6版。触媒としては弱いが、これを使うしか状況は変わりそうにないか…)

 それに時間も無い。藤次は周囲を確認した。どうやら特殊な魔術防護がなされているらしく、効果範囲内の物理的ダメージは無効化されていた。さらに一般人が魔術行使を目撃する心配も無い。昼間の市街地戦に対応しているのだろう。少なくとも建物や一般人が巻き込まれる心配は無さそうだ。

(…タイミングは今しかないか)

 藤次は小声で詠唱を開始した。

『彼の地に降り立つは大いなる神性 往きて四方は導かれ、刻む時は停滞せん

 その誓約に従い 聖なる光は…』

 それと同時に懐から本を取り出すと、とあるページを開いて片手に持った。

 それを見たBCDの隊員たちは、すぐにそれを阻止しようとした。

「行くぞ!詠唱を完了させる前に無力化させる!」

 隊員たちは炎の剣を構えて屋上から飛びあがると、藤次に向かって一斉に切りかかった。だが、一歩遅かった。

『清書光臨』

 その言葉と共に、藤次は右手に持っていた本のページを空いた手で触り、何かを握るしぐさをした。そして、切りかかってきた隊員たちを避けるように屋上から飛び降りた。そして、何かを握りこんだ左手を本から引き抜いた。

「なんだと!?」

 その手には、曇り一つなく輝く一振りの剣が握られていた。藤次は地面に着地すると、すぐさまホテルの中に入った。

「まずい!別班の連中に至急連絡しろ!屋上から取り逃がしたと!」

 屋上の隊員たちはホテルの途中階のガラスを破って中に侵入した。

(なんとか成功したか。あとはこれがどれくらい保つのか、だな)

 藤次は非常階段を駆け上がりながら左手に持つ剣を横目で見た。藤次が具現化したのは、日本語翻訳版『アーサー王物語』の第7版で、手に持っている剣は作中に出てくる聖剣、エクスカリバーだった。

(原本とはかなりの違いがある以上、触媒としての効果は薄い。強度や切れ味、魔力的威力もあまり期待は出来ないだろう)

 切り合いはできるだけ避けたい。そう思ったのもつかの間だった。階段を上がり最上階の扉を開けた瞬間、藤次は腹部に向かって発砲されていた。

「ッ……!」

 藤次は間一髪、エクスカリバーで撃ちだされたゴム弾を両断すると、強い衝撃を手に感じながらよろめいた。

「今だ!間を置かずうち続けろ!」

 BCDの別働班は、携帯していた自動拳銃を藤次の首から下を狙って打ち続けた。

(まずい、焦った…!)

 藤次はまたもや数発、弾を切り伏せた。それでも防ぎきれなかったゴム弾が体を掠めた。さらに一発、みぞおちに弾が当たった。

(これは……!)

 藤次はその場に膝をついた。

「対象に命中!効果あり!」

「そこ2人、拘束具を持て!」

 数名の隊員たちが藤次の元にゆっくりと向かってくる。藤次は剣を床に突き刺すと、それを支えになんとか立ち上がった。

(この状況……一撃で全員を倒すしかないか)

 そして剣の切っ先を目の前に向けると、両手で柄を握った。

(できるだけ的を絞る!)

 藤次は意識を剣に集中すると、魔力を一気にその刀身に流した。それに気づいた隊員たちはすぐ立ち止まったが、すでに手遅れだった。藤次の込めた魔力はエクスカリバーを介して指向性を持ち、魔力の巨大な渦となって廊下に立つBCD隊員たちを吹き飛ばし、ホテルの外壁をぶち抜いて巻き込まれた隊員たちを外に排出した。後に残るのは細切れになったカーペットやぼろぼろになった壁だけだった。それと共に、一気に膨大な量の魔力を流されたエクスカリバーは粉々に砕けた。

「上手くいったか!」

(急いで荷物を取りに行くぞ)

 藤次は荒れた床を走っていくと、最奥のスイートルームにたどり着いた。藤次がカードキーでドアを開けると、室内は手つかずの状態で残っていた。

(なんとか間に合ったのか……)

 藤次はすぐにクローゼットから荷物を取り出し、触媒となる本をコートに入れた。

(今日中にはけりをつけたい。まずはレインの居場所を突き止めて救出する。その為には……)

 藤次はすぐさま魔術を使ってその場から姿を消した。


 そのころ、スティンガーたちは博物館から護送車に乗り込んでいた。車内に窓はなく行先は分からない。

「大佐、デルタフォースが目標と会敵したようです」

「応援を呼んでやれ。10人で彼の相手をするのは少々不安だ」

「了解しました」

「ずいぶんトージの事を買っているのね」

 一緒に乗り込んだレインが言った。

「当たり前です。彼の異質さやその危険性は我らの間では良く知られている」

「トージは別に危険じゃないわよ。別段おかしな所はないし。まあちょっとだけ鈍いけど」

「つまりはまだまだ未熟ということでしょう。それが巨大な力を持つのはあってはならないことだ」

「それも聖書の教え?」

「経験ですよ。私はこの仕事について久しい。身に過ぎた力を持って破滅した魔術師はいくつも見てきました」

「トージもその例外ではないと言いたいのね」

「そう捉えてもらって構いません」

「……じゃあ私はこれからどこに行くの?私の家、ってわけじゃなさそうだけど」

「バッキンガム宮殿です。正確には宮殿前の大通りに、亡きガウェイン卿を呼び寄せるのですよ。あそこは場がいいですからね」

「私はそのエサってわけね」

「まさか。安全には最大限配慮します。あなたはエーリア本家のご令嬢ですから」

「……私アナタのこと好きじゃないわ」

「そう言わずに。そもレイン様に拒否権は無いのですよ?」

「知ってるわよ。お母さまならそうするわ」

 レインは護送車の無機質な室内灯を眺めながらため息をついた。

(これじゃあ私、犯罪者みたいじゃない。最悪の気分だわ)

「……早く助けに来てよ、トージ」

 レインは誰にも聞こえないくらいの小声でそう言った。だが略式詠唱をかけたままのスティンガーにはそれが聞こえた。

(くだらんな。いくら網代藤次と言えど、もう残された手は多くない。自滅するのも時間の問題だろう。それに、中途半端な装備で戦闘を邪魔されては迷惑だ。ここで確実に選択肢を潰しておきたい)

 そうスティンガーが思った時、隊員が無線を取った。

「こちらコマンド。……何?分かった、すぐに伝える」

 隊員は無線を切るとスティンガーの元に駆け寄った。

「たった今デルタフォースが目標と接敵、そして壊滅しました!」

「なに!?」

「どうやら触媒のストックを残していたようでして、不意打ちされたそうです」

「目標はいまどこに?」

「現場から魔術で転移したらしく、完全に見失いました。ただゴム弾が腹部に命中しダメージを追っていると……」

「気休めにもならん!まったく、逃げ足ばかり達者な男め!」

 スティンガーは拳を握りしめると、なんとか怒りを鎮めた。

「もういい、俺が直接相手をする。お前たちは宮殿でのセッティングを急げ」

「ですが……」

「奴は必ず戻ってくる。それに対抗出来うるのは俺だけだ」

「了解しました……」

「……チッ!」

スティンガーは部下が下がると舌打ちをした。

(当初の予定がことごとく狂った!本来ならば悪霊討伐に専念出来たところを!)

 心の中で悪態をつくと、全体無線をつけた。

「コマンドより総員に告ぐ。宮殿内部のセキュリティレベルを一般機器、魔道具ともに最大にしろ。BCD以外の人間は立ち入らせるな。警察もだ」

『こちらアルファフォース、宮殿前に詠唱聖歌隊が現着。これより祭場の設営に移る』

「アルファ、魔力散布は終わっているのか」

『すでに調整済み魔力を散布し終わった。使用対象は当該霊に選択されている』

「コマンド、了解した。くれぐれも周囲の警戒を怠るな」

『アルファ了解。神のご加護のあらんことを』

 スティンガーが無線を切ると、すぐに車両が止まった。

(人除けの魔道具は上手く機能しているようだな)

「レインさん、ここで降りますよ」

「降りるって、やけに速くない?」

「詳しくは言えませんが魔術で道のりをショートカットしました」

「ふーん、空を飛んだわけでもなさそうだけど……」

 レインは優雅に足を組んだ。

(コイツ、わざと俺の目の前で…)

「時間がありません。あまり流暢に構えられては困りますよ」

「私が時間稼ぎをしているって言うの?まあ、あながち間違ってはいないけど」

(この小娘……!)

「顔、強張ってるわよ。さっきからずっと思っていたけど、アナタ意外と短気よね」

「……レインさん、貴方はご自分の立場を理解していない」

「してるわよ。私はゴースト退治のための大事な触媒。まさかアナタたちに身の安全を脅かされるなんて考えてもないわ」

「そうですか。ではそろそろ車外に降りていただけますか?繰り返して言いますが……」

「ええ、言いたいことは言ったし、もう外に出てもいいかな」

 レインはさっとスティンガーの横を通ると、そのまま軽快に鉄のタラップを降りた。

(いつか覚えていろよ、クソガキ)

 スティンガーはふーと息を吐くと後を追った。

(ちょっと空気が違う?)

 レインはバッキンガム宮殿の門の前に降り立つと、まず空気感の違いを感じた。気温や湿度はなんら変わりは無かったが、なにか体にまとわりつくような不快感を覚えた。

「それは魔力です。レインさん」

 後ろからスティンガーが声をかける。

「魔力は見たり触れたりは出来ないじゃない。それなのになんで感触が伝わってくるの?」

「魔術が編み込んであるんです。宮殿一帯にBCDの隊員しか使用できない制限を設けた魔術がね」

「そんなことが出来るなんて……」

(家じゃ教えてもらえなかったな)

「さあレインさん、貴方は戦闘の要だ。ふさわしい舞台を用意していますから、どうぞ先に進んでください」

 スティンガーはレインを宮殿正面に促した。そこには灰色の軍用テントがいくつか張ってあり、入り口を銃を持った隊員が警備している。

「あそこは?」

「支援部隊の待機所です。レインさんはあそこの白いテントにお入りください」

 レインは言われるままに、ただ一つだけある白いテントに入った。そこには台の上に置かれたアーサー王物語の原本と、その横に椅子。そしてそれらをぐるりと取り囲むようにスピーカーが設置されている。

「お待ちしておりました。こちらの椅子にお座りください」

 護衛の隊員に促され、レインは椅子に座った。

「……座っているだけでいいの?」

「いえ、これから注射器で血液を採取させていただきます」

「血の触媒、古典的ね」

「それゆえ強力です」

 やがてテントに医療班の隊員が来て血液を抜かれた。その血はほんの小さな容器に移されて持っていかれた。

「何に使うのよ、私の血」

「大佐がお使いになります」

(よりによってアイツに使われるのね……)

 レインは途端に嫌な気持ちになったが、レインに拒否権はない。ただこの固い椅子に座っているしか出来ないのだ。

 そのころスティンガーは宮殿前の広場から大通りを見つめていた。部下はその様子を察してか、少し後ろに控える。

「大佐、血を持ってまいりました」

「ご苦労。では執行隊を所定の位置につかせろ。もうそろ始める」

「了解しました。網代藤次は悪霊とは別途に警戒しますか?」

「いや、いい。俺が見る」

(正直、悪霊討伐は部下たちで事足りる。だが奴に限ってはそうはいかない。ほぼ無限の手札を持つ以上、我々の戦闘に横やりを入れられる可能性は大きい。ここは俺が直接、全力でそれを阻止するしかない)

 やがて全体無線で準備完了の合図がされた。スティンガーの率いる練潔執行隊も各隊が持ち場につき、四部隊のうち2部隊が、宮殿前広場に集結していた。

「貴様ら、準備に抜けはないな」

 スティンガーの問いにその場の隊員たちが答える。

「もちろんです」

「いつでも構いません」

「では開始する。全隊、前方大通りに注視!」

 スティンガーの合図で場の緊張がにわかに高まった。

「触媒展開、構え!」

 今度は隊員たちが腰につけた小瓶を右手に握りこんだ。そして白いテントでも原本のある1ページが開かれた。

「詠唱開始」

 スティンガーは無線で詠唱聖歌隊に開始の合図を送った。するとイヤフォンなどの機器もついていないにも関わらず、鼓膜に直接声が聞こえてきた。その声は魔術で自身の声を強化した詠唱聖歌隊の隊員たちによるもので、総勢20人の魔術師が寸分のズレも許さず詠唱を行う。そのため音は限界まで重なり一つの声となっている。それと同時にスティンガーたちも詠唱を行い魔術の使用をより確実にする。

『主はここに 神具を下すは御霊の剣 暗さを穿つは神の言 開く箱庭は加護を齎す

 大天使の名において 神なる灯火を我が真髄に

 其は咎を赦す聖火と成りえん 神性降臨

 贖うは叛逆の鉄剣クラレントレベリオン』

 詠唱が終わった瞬間、スティンガー達は手に握っていた小瓶を握りつぶし、中からは血が滴った。それと同時に激しい炎が手を包み込み、そしてそれは実体を持って炎を纏う一本の剣へと変わった。

(いい出力だ。あとは……)

 スティンガーは炎の剣を持ちながら、左手に先ほどのレインの血液が入った容器を取り出し、地面に一滴垂らした。すると木々がざわめき始め、快晴にも拘わらずゴロゴロと雷の音が鳴り響き、一気に空が真っ黒な雲に覆われた。やがて風も吹き始め、木々はざわめき始めた。

 スティンガーを除く隊員たちはそれに冷や汗を流した。それは、この一連の事象が全て、大通りの一角に集結しつつある膨大な魔力によって引き起こされたものだったからだ。魔力単体で自然現象に影響を及ぼすほどの莫大な魔力の渦が、目の前に顕現しつつあるのだ。スティンガーは隊員たちに声をかける。

「怯むなよ、お前たち。この程度の魔力量、我らの魔力総量に比べればまだまだ半分といったところだ。数で勝る我々に敗北の目はごく低い」

 スティンガーはあくまで冷静だった。だが、それも長くは続かなかった。目の前の魔力の渦が、勢い衰えることなく上昇し続けていたからだ。それらは風を巻き込み、竜巻となって周囲の樹木を激しく揺らした。

「た、大佐。悪霊の魔力量が許容値を超えました!このままでは魔術防護に乱れが……」

 吹き付ける風の中で隊員がそう叫ぶ。スティンガーは決断を迫られた。

(想定外の魔力量……網代藤次を相手取る余裕はすでに無い、か)

「分かった。散開させていた2部隊を呼び戻せ。それと魔術防護を最大レベルに上げて増援を呼べ」

「了解しました!」

 隊員は無線でその旨を伝えた。それを横目に見ながらスティンガーは思った。

(恐らく増援部隊が来るのはまだ先だ。ここは現場の我々だけで対処するしかない)

 そのころレインは、突然外の様子がおかしくなったことに疑問を抱いていた。

「ねえ、外はどうなっているの?」

「……お答えできません」

 護衛の隊員は頑としてレインの問いに応えようとしない。レインはしかたなく椅子にもたれた。

(さっきから聞こえる雷鳴や風の音。それに魔術の才が無い私でも分かる巨大な魔力の塊。どう考えても想定外のことが起こってる。この隊員2人も無線を聞いた途端表情を変えていたもの)

 レインは待つことしかできない。

 スティンガーたちが巨大な魔力を警戒する中、不意にその中から声が聞こえた。

「余の問いに答えよ、兵共」

 スティンガーがそれに応える。

「私はイギリス特化部隊、洗礼十字師団、師団長。オルガン・スティンガーだ。そちらの名を聞こうか」

「オルガン……あまり響きの良い名では無い。が、許す。それは些事に過ぎぬゆえな。それで、余の名を問うたな、貴様は」

「そうだ。お前は3日前からここロンドンの街で辻斬りを繰り返す悪霊だ。その名を聞かねば祓えるものも祓えん」

「ほう、なるほど。であれば貴様は魔術師か。それならば余を呼び寄せた血にも訳が付く」

「それで、お前の名は」

「そう急くな。余の名は決して安くないのだぞ?それを易々と披露はできまいて」

「お前、俺を舐めてかかっているのか?」

「それはまた、的外れな憶測よ。その手に持つ鉄剣には確かな覚えがある。この大風も、それを重く見えの事」

「やはりこの剣を知っていたな。らちが明かんからこちらから聞くが、お前はかの円卓の騎士、ガウェインだな?」

「……これは滑稽。まさか余をガウェインだと言うか、貴様は」

 ゴーストは愉快そうに乾いた笑い声をあげた。

「ではなぜ聖剣ガラディーンを操る。これまでの貴様の犠牲者は皆ガラディーンによって心臓を穿たれている。それがガウェイン卿の仕業でなくて何だと言うのだ」

「かの剣は勝手が良いから使っているに過ぎん。まあ良い、時間も頃合いだ。余の名は我が魔術を食らえば分かるだろうて」

(まさか、まだ魔術を使っていないのか?)

「部隊、構え!十分に対象を警戒せよ!」

 スティンガーたちは炎の剣を構えると、竜巻を注視した。念のため魔力を剣先に集中させる。

(ここで下手に突っ込んでは罠にはまる可能性がある。ここは引いて出方を見るべきだ)

 すると、にわかに竜巻はその威力を増し始めた。暴風は木々の枝を軽々と折り、隊員たちは吹き付ける風に体がよろめいた。そして、雷鳴が鳴り響く中で、鮮明な詠唱が聞こえてきた。

『円卓の理は頑く、強く、潔く 朽ちて尚その威光は地に注がん

 我が手に忠すは12の切っ先 いずれも鋭く悪を討つ

 今宵、騎士の王が鞘を解く

 亡き円卓の神聖剣ナイツオブラウンズ』

 その詠唱が終わった途端、竜巻は急に晴れ、その中心には甲冑を身にまとった騎士が一人立っていた。さらに、その周りを12本の大剣が、環になって取り囲んでる。一本一本がぎらぎらと輝き、その先端を斜め上に向けていた。その様子はまるで銀色の花のように見えた。スティンガー達はその詠唱と今の様子を見て、瞬時に察した。

「まさか貴方は……」

「そう、余の名をアーサー、アーサー・ペンドラゴンと言う。円卓の王にしてブリテンの王。そして騎士の王でもある」

 その発言に隊員たちはざわめいた。今討伐しようとしているゴーストは、アーサー王その人だったのである。

「よいな、雑兵ども。余はこの地にブリテンを取り戻さんとする英王なり。よって、不敬にも我が臣下の剣を握る貴様らを余の手で討つこととした。もし、貴様らに騎士の心得が残っているのなら、余に向かってくるがいい。それを余は迎えよう」

 逃げれば殺す。アーサー王は言外にそう言い含んだ。

(不味い状況だ。あまりの想定外に部下が動揺している。ここは俺が行くべきだろう)

 スティンガーは声を張り上げた。

「無論そのつもりだ!いいか騎士王、霊となって我らを脅かす以上、貴方といえども看過できん!よって、この剣でもって貴方を討ち果たそう!」

「なるほど、カムランの再現という訳か。よほどの趣味と見える」

「覚悟はいいな、騎士王よ!」

 スティンガーは剣を構えると、意識をアーサー王に集中させた。その姿を見て他の隊員たちもまた剣を構えた。この状況において、スティンガーは隊員たちの士気を戻すのに成功したのだ。

(相手が誰であれやることは一つだけだ!)

「いつでも構わんよ」

 アーサー王のその言葉と共にスティンガーは、

「討伐、開始!」

 と叫び、アーサー王にすさまじいスピードで走り出した。それに隊員たちも続いてアーサー王を取り囲むように散開した。それにアーサー王は微動だにせず、ただ周りの剣がひとりでに動き出した。それらは空気を切り裂いてスティンガーたちに切り掛かり、隊員たちはそれを間一髪で防いだ。

 スティンガーはその内の一本を受け止めながら、予想を超える威力にたじろいだ。

(重い!それにこの鋭さ、クラレントでなければ防げなかった……!)

 スティンガーはきらめく剣の間からアーサー王の様子を垣間見た。が、以前としてアーサー王はその場から動かずにいた。

「初太刀を受け止めたのは貴様らが初めてだ。練度にぬかりは無いようだな」

「当たり前だ。私達はこの国の最高峰だぞ」

「それ故にモルドレットが剣を顕せたのだな。確かにそれであれば余に効くはず。なるほど、後の世にも熟達した魔術師は居るようだ」

 アーサー王は感慨深げにそう言った。

「だがそれもごく僅か。ブリテンは今に至るまで衰えた。余、自らが復興せねばなるまい」

 スティンガーは鋭い突きを受け止めながらそれに応えた。

「ッ……!済まないが、それは余計なお世話だ。既に戦いの時代は過去のものとなっている。今更この平穏を乱すなよ、騎士王!」

「相容れぬか。だがそれも良い。信念の違いは飽くほど知っている。まあ案ずるな。理解するまではいかずとも、その思想を余の記憶にしばし留め置くことは出来よう。そして、貴様らはここで死ね」

 そうアーサー王が言った途端、飛び回る12本の剣の速度が上がった。スティンガーたちはそれを受けるのに手一杯となっていた。すでに体には防刃ベストを貫通して無数の切り傷が出来ている。

(確実に殺しに来た……!すでに対話での交渉は意味が薄いか)

 スティンガーの頭に不吉な予想がよぎったが、すぐにかき消した。それは考えるだけ無駄にすぎない。

「総員、魔力制限解除!容量ギリギリまで魔力を回せ!」

(であれば、こちらも攻めに出るしか無い!)

 隊員たちは略式詠唱の出力を限界まで上げた。それは後遺症の残る寸前を意味していた。だが身体能力は確実に増す。先程まで受けるのに一杯だったアーサー王の剣も、その軌道を予測していなす事が出来るようになった。

「まずは手段を潰す!」

 スティンガーは目の前を横切ろうとした剣に腕を振り上げ、そして叩き落とした。その強烈な一撃に剣は真っ二つに割れ、煙のように掻き消えた。その他でも甲高い金属音が相次いで鳴り響き、やがて剣の数は8本まで減った。

「良し!破壊出来る!」

「不自然なまでの体捌き、それも魔術か?」

「身体強化術だ。これで常人の何十倍も増す。中世には無かった技だろう」

「ふむ、そうだな。余も魔術にはそう聡くはない。そのために知らなかったのだろう」

 アーサー王は首をかしげた。

「そろそろそちらに行かせてもらうぞ。騎士王よ!」

 スティンガーは飛び回る剣をいなしながらアーサー王を見据えた。だが、当の本人はスティンガーに意識を向けていない。やがてアーサー王は口を開いた。

「……待て、魔術師よ。一つ魔術を思い出した。これはマーリンに教わった技であるが、どうやら余にも使えるらしいのだ」

(魔術だと?)

「貴様、二重で魔術を使うつもりか?それはマーリンと言えど不可能だろう」

「無礼な。それを可能にするのが余が師。それほど疑うのなら今すぐに見せてやろう」

 すると急に魔力がアーサー王に集まっていき、飛び回っていた剣も王の元に戻っていった。

「大佐、騎士王は何を……」

 すぐ近くにいた隊員が思わず尋ねた。

「魔術だと言うが、それは彼と言えども出来るはずはない。それよりもあの剣を削ることを考えろ」

「……了解しました」

 スティンガーはそう言いつつ、漠然とした不安を感じていた。

(今度は何をするつもりだと言うのだ、アーサー王よ……)

 アーサー王は剣を従えると、その場にただ立ち尽くした。そして、

『時は過ぎ去り今は遠く その誉れは腐り果てた

 しかして剣は時を越す 

 其を振るうは不朽の騎士 久遠の理想を成す光明

 姿を顕せ

 神聖円卓キャメロット』

 その詠唱と共になんと地面が傾き始めた。

「な、これは!」

 地面はさらに傾き、そして盛り上がって行った。空は曇りから一変して雨が降り始め、舗装された地面は次第にぬかるんだ泥の荒野へと姿を変えた。周囲の景色も段々と変化し、やがて宮殿前の大通り一帯は果てしなく続く荒野と、そこにそびえる小高い丘に姿が変化した。

「一体何をした、アーサー王!」

「魔術に決まっている。ただ戦いに相応しい場を整えたのだ。そう、カムランの丘にな」

「カムラン……まさか、この丘がそうだと言うのか?」

「そうだ。ここは余の因縁の地。その鉄剣でもって余は頭蓋を砕かれた」

「まさか、その再現でもするつもりか?」

「それは気休めにしかならんよ。余がしたいのは聖剣クラレントと、騎士モルドレットを追悼することだけ。今や炎にまみれて使役されるクラレントを余は見たく無い。それはモルドレットと言えど同じことだろうて」

「そうか。では最後に聞く。お前は本物のアーサー・ペンドラゴンなのか?」

「ふっ、それが最後の問いか。では答えよう。然り!余こそがかのウーサー王が嫡子にして緋竜の御子!そしてブリテンを統べる円卓の長。アーサー・ペンドラゴンなり!」

 またもやアーサー王の体から大量の魔力があふれ出した。

(緋竜……そうか、確かアーサー王はドラゴンの血が混ざっているのか。そしてこの魔力量はドラゴン譲りというわけだな)

 全く相手が悪い。スティンガーは自身の不運を呪った。

「……そうか。まさかこの目でその姿を見れるとは思わなかった。もし次があるならば、その時は剣を構えたくは無いものだ」

(俺の人生もずいぶん奇抜なもんだな。まさか騎士王の亡霊と殺し合うことになるとは)

 スティンガーたちはまたクラレントを構えると、丘の上に立つアーサー王を睨み据えた。

「いいかお前たち。恐らくこれは暫定詠唱だ。あの剣の魔術を強化するために、敢えて中途半端にした補佐魔術。だからこそ二重に近い詠唱が出来る」

「つまり我々には時間稼ぎが限界、ということですね?」

 後ろに控える隊員が言葉を継ぐ。その声は微かに震えていた。スティンガーはそれに答える。

「……そうだ。だが決して悲観はするなよ。どんなに高名な英雄であろうと、その根本は同じ人間。怯まず勇敢に挑め。弱気は何の役にもたたん。いいな」

「了解!」

「では散開して取り囲め。一斉に切り掛かるぞ」

 スティンガーたちは降りしきる雨の中、その炎を一向に絶やさないクラレントを握りしめて走り出せる大勢をとった。後は合図だけだ。

「……今!」

 その瞬間、部隊は迅速に散開して両翼に展開した。スティンガーは真正面からアーサー王に切り掛かる。

「そうだ、この景色だ。貴様は余の過ちそのものであったのか」

 アーサー王は剣を一気に飛ばしながら、一本だけを手元に残した。そしてその剣でスティンガーの一撃を受け止めた。

「まだ剣を握らないのか、貴方は!」

「余の剣はただ一つと決まっている」

「舐めやがって!」

 スティンガーはさらに強くクラレントを握り締めると、激しく斬り合った。だがゴーストに疲労の概念はほぼ無い。それはアーサー王も例外では無かった。

「……どうした。動きが鈍いぞ。もう疲れ果てたのか?」

 スティンガーは段々と略式詠唱の疲労が見え始めていた。さらに雨によってぬかるんだ斜面では思うように力がこめられない。

「クソ……!」

「……そろそろ終わりにするか。見よ、背後の光景を」

 スティンガーは距離を取らされると、言われるままに後ろを振り返った。するとそこには隊員たちが倒れていた。

「ま、まさか!」

「貴様らの身体強化とやらで死には至っていないようだが、暫くは枯葉も握れんだろうな」

 回復には丸一か月はかかるのだろう。

「……俺の詰み、か」

「そうだ。お前も大人しく殺されよ」

 スティンガーはクラレントを手放した。すでに炎は掻き消え、泥にまみれている。そしてスティンガーの周囲には9本の剣が取り囲んでいた。スティンガーはアーサー王の前に両膝をつくと、走馬灯のように記憶があふれだしてきた。

(死にかけることはあった。子供の時、孤児だった俺は空腹と暴力に幾度となく晒された。そこで神に出会った。偶然、魔術の才が会ったからBCDに入って仲間と出会った。信心深い同僚に優秀な部下。俺はよほどの幸運だったんだろうな。それも今日で完全に尽きた。この空間の中で彼に勝てる魔術師は存在しない。ただの1人も……)

「回顧は済んだか、魔術師よ」

「……ああ、せめて惨たらしく殺してくれ」

「では串刺しになるがいい」

 アーサー王は手元の剣をスティンガーに向けた。

(あの世で皆に詫びなければな)

 次の瞬間、スティンガーの心臓を剣が貫いた。そしてアーサー王は剣をゆっくりと引き抜くと、傷口と口から血が溢れ、力を失ったスティンガーの体は丘の斜面に倒れた。

「……そう長くはないな。ではあそこに向かうか」

 アーサー王は斜面をゆっくりと下り始めた。

 そのころレインはテントに1人でいた。つい先ほど護衛の隊員たちが血相を変えて外に出て行ったのである。

「はあ、この椅子どうにかならないのかしら。もう足腰が痺れてきたし、これじゃあ満足に歩けないわ」

 レインは椅子から立ち上がると、体をほぐして隣に置いてある原本を見た。どうやら物語の最後、カムランの戦いの最終局面のページだった。

「さっきの詠唱、クラレントなんとかって言ってたし、やっぱりこの場面が元になってるんだ」

(トージもこんな風に使ってたのかな)

 レインはそう思うと、原本に触れようとした。その瞬間、

「そこにいるのか?マーリンよ」

 テントの外から声が聞こえた。それは背筋の凍るような、聞き覚えのある声だった。レインは振り向きざまに尋ねた。

「……まさかあなた、ゴースト?」

「ゴーストだと?余はアーサー・ペンドラゴンだ。貴殿は大魔術師マーリンの子孫で相違ないか?」

「アーサー王!?冗談でしょ?」

(スティンガーはガウェインだって……まさか!)

「誤算だったってわけね」

「答えよ、貴殿はマーリンの……」

「ええ、そうよ。私はマーリンの子孫。それよりも貴方、スティンガーたちをどうしたの」

「スティンガー……さきの魔術師たちか。あれは余に不敬を働いた故、余が討ち取った」

(やっぱり殺されてたんだ…)

「………」

「どうされた、マーリンの子よ」

「ショックだっただけ。人が死ぬのは慣れないの」

「そうか。その割に気丈よな。妻を思い出す」

「あなた、私をどうする気なの」

「殺す」

 アーサー王は極めて簡潔に答えた。それゆえに意思は強いように思えた。

「……!それはなぜ?」

 思わずレインの声が震える。

「余が師はマーリンただ1人。その子孫と言えど、持ちうるものは気配ほどと見える。それに余は意義を感じぬ。よって殺す」

「そんな……」

 レインは後退りした。自身の死を感じ取ってレインの脳内には父親が死んだ時の記憶が溢れ出していた。レインはどうしようもなく怖気付いたのだ。

(まだ、やりたい事も数え切れないほどあるのに。私ここで死んじゃうの?)

 不意にバサリと音がしてテントの布が切り裂かれた。そこには雨が滴った甲冑の騎士が立っていた。その後ろになぜか大通りでは無く、広大な荒野が見える。

「そう後ずさるな。なにも痛みをもって命を奪うつもりはない。せめて気付かぬうちにでも……」

「……まだ死にたくない」

 レインはテントの壁に背中をピタリとつけながら震える声で言った。

「なに?」

「まだ死にたくない!だって、だって私……」

 レインの目に涙が溢れ出た。アーサー王は剣を向けつつも、黙ってそれを聞いている。

「まだお母様にも、アイツにだって気持ちを伝えられてないのに……!」

 アーサー王は側に控えていたガラディーンをレインに向けた。そして冷酷に言い放った。

「……あの世でするがいい」

 レインは突きつけられた切先を見てぎゅっと目を閉じた。

(誰か助けて!)

 その時だった。

「レイン!」

 そう叫ぶ声と共に、にわかに外が明るくなり、テントがバタバタとはためいた。やがてテントは吹き飛ばされ、レインの後ろには一匹の巨大なドラゴンが佇んでいた。その口には鮮やかに燃え盛る火球が見えていた。そしてドラゴンの背から1人の男がレインの元に降り立った。その男は、およそドラゴンには似つかわしく無い黒いロングコートを来た日本人だった。

「ごめん、遅くなった」

 彼は申し訳なさそうにレインを見た。その途端にレインは表情を崩した。

「もう、遅いわよ……トージ」

「一度安全な場所に君を移す。ついてきてくれ」

「おい、貴様は……」

 アーサー王は剣を向けたが藤次はそれには怯まなかった。

「貴方は後だ。丘に戻っていてくれ」

 藤次は腰の抜けて立てないレインを抱き抱えると、横に置いてある原本を懐にしまった。前方から剣が数本飛んで来たが、それらはドラゴンの放った火球によって焼き払われた。藤次はレインをその背に乗せて飛び立たせた。

「さて、まずい状況だな、これは」

 藤次はひとっ飛びに丘の上に降り立った。その下にはアーサー王がすでに控えていた。

「お初にお目にかかる。貴方はアーサー王だな?」

「……貴様、この泥の上で死に晒す覚悟は出来ているだろうな」

「そう怒らず。俺は俺の務めをしたまでだ。それにしても、随分強いのですね、貴方は」

 藤次は目の前に倒れるスティンガーを見て言った。どうやら死んではいないようだが、瀕死の重体だ。藤次はポケットから紙を取り出した。

『時は満ちてなお満たされぬ 流れるままに委ねるのみ

 しかして時の潮流はここにあり 時の境界タイムボーダー』

 藤次がそう詠唱した途端、みるみるうちに荒野が元の大通りに戻り、横たわっていたBCDの隊員たちも傷口や汚れも元通りになった。

「貴様、余の邪魔だけでは飽き足らず、余が魔術をも無に帰すか!」

 激怒したアーサー王が剣を飛ばそうとしたとき、藤次はスマホのような端末を取り出した。

『生体承認、コードWASD-2 重力隔壁アンチヴェール展開』

 藤次が本に向かってそう言った途端、アーサー王の放った剣は引き寄せられるように、ことごとく地面に叩きつけられた。

「……なるほど。貴様の魔術、相当の一物と見える」

 アーサー王はその時初めて、自ら藤次たちに向かってきた。それを見て藤次はすぐに別の本を取り出した。それは先ほどの本と比べ物にならないほどボロボロの状態だった。藤次はすぐに詠唱を開始した。

『輝く星はすでに落ち 12の言霊は塵と消えた

 其もまたたく星がごとく 忠義の心は不滅なり

 故に今、興せローマが黄金を

 示せ騎士の王道を

 輝く栄光は永遠に続かん

 久遠となりて絶世の槍デュランダル』

 詠唱が終わると藤次の手には一本の槍が握られていた。

「騎士王、貴方の剣は全て封じた。それなのになぜ向かってくるのです。丸腰の貴方に勝機はありません」

「見当違いも甚だしい。余はただ貴様の実力を鑑みただけのこと。それに、余の剣はただ一つよ」

 そう言った途端、アーサー王に集結する魔力がかつてないほど上昇した。さらにアーサー王の甲冑が眩い光に包まれた。

(まだ手札が残っていたのか!)

 藤次は咄嗟にデュランダルを構えた。

「恐れずともよい!今より貴様が目にするは、余の聖剣にして至高の剣、エクスカリバーなのだから!」

 すると甲冑が放っていた光は一条の光線に収束し、剣の形となってアーサー王の右の手に握られた。

「それが……本物のエクスカリバーか?」

 藤次はその光の剣を見て思わず言った。

「少し違う。彼の剣は余が死する時に泉の精へと還した。これは余が模造した全盛の頃の聖剣よ」

「つまりはレプリカか」

「しかして侮るなよ?この剣は余が魔力を尽くして成した巨大な力の塊。掠めるだけでも死に至ろう」

「当たらなければいいことだ。いくぞ騎士王!」

「来い、魔術師!余が手によって斃れるがいい!」

 藤次はデュランダルを片手に持つと、構えるアーサー王に突貫した。

 藤次はアーサー王の間合いギリギリまで接近するとその場で制止し、そのままの勢いで片手に持ったデュランダルをアーサー王の胸に突き出した。すると、風を切る音と共にアーサー王は藤次の視界から掻き消えた。それを藤次は瞬時に理解した。

(後ろか!)

 藤次の予想通り、アーサー王は目にもとまらぬ速さで藤次の後ろに回り込み、その光の剣を藤次の脳天に振り下ろしていた。藤次はそれを避けるようにしゃがみこむと、振り向きざまにデュランダルの柄でその攻撃をガードした。

「亡霊であれば殺れると思ったが、やはり通らぬか」

 アーサー王は一旦距離を取った。藤次もすぐに立ち上がってアーサー王に対峙したが、藤次の腕はすでに震えていた。

(想像する何十倍もの重さだった……略式詠唱もなしにどうやって……)

「アーサー王、先ほどの一撃、余りに重かった。貴方はどうやってその膂力を得た」

「魔術に決まっている」

「だが貴方は身体強化術は使えないのでは……」

「そのようなものは使っていない。そもそも余の魔術、亡き円卓の神聖剣ナイツオブラウンズは円卓の騎士12人の剣と力を引き出すというもの。つまり余はこの魔術を使う限り、円卓の英傑12人分の力と経験を得ることになるのだ」

(つまり、それに対抗するには略式詠唱の出力を相当に上げなくてはならないということか。それで使える魔力のリソースが限られてしまう。恐らくはデュランダルを維持できなくなるほどには……)

「魔術師よ。貴様の魔力許容量は凄まじい。だが肝心の経験が足りぬ。力ばかり付けても、鍛え抜かれた一個の技には勝てんぞ」

「なるほど、俺の魔力容量がギリギリなのを気づいていたのか。だがな、アーサー王。騎士の貴方には分からないかもしれないが、魔術というのは憎たらしいくらいに可能性で出来ているんだ。魔術師に出来ないことは、無い」

(こうなれば全部乗せだ。なんとか詠唱する隙を作る!)

『データ指定 定着閾値およそ140 出力開始』

 その瞬間藤次の頭の中に大量の情報が流れてきた。それはありとあらゆる剣術の記録だった。アーサー王はそれに感づいてかすぐさま藤次に切りかかった。が、それを藤次はぎりぎりでしのいだ。

(まだ膂力が足りない)

 藤次は次の魔術を展開しようとしたが、アーサー王の激しい連撃によってその余裕がない。次第に藤次は大通りの奥に押しやられていき、芝生の上に降り立った。するとアーサー王の攻撃が一瞬止まった。雨で濡れた芝生は滑りやすく、それに足を取られそうになったアーサー王は、思わず攻撃の手を緩めたのだ。そして藤次はその隙を見逃さなかった。藤次は略式詠唱によって詠唱のスピードを上げた。

『繰り返すは古の鉄血 ただ回天の意志がごとく 投影概念ミメーシス』

 藤次がそう唱えた瞬間、大地が揺れて流動しはじめた。そして一面の芝生は隆起して丘となり、そこに両者は相対した。

「この魔術……貴様、どこでこれを覚えた」

 アーサー王はすぐに藤次に切り掛かりはせず、ただそう尋ねた。

「図書館の禁書庫に置いてあった本に記されていた、エーリア家に代々伝わる伝統魔術だ」

「それはマーリンの使う魔術だ。それにこの丘、貴様の行いは余と余の師への侮辱に他ならない」

「丘……カムランのことか。確かに多少イメージはしたが、俺は別に貴方の過去を汚したいわけじゃない。ただ受けた依頼を遂行するための合理的選択だ」

「それで槍まで失ったと?貴様、いますぐに殺されたいようだな」

 確かに藤次の手からデュランダルは失われていた。それは藤次が自身の魔術を解いてまでこの伝統魔術を使ったからに他ならない。それはアーサー王も気づいていた。

(この魔術で奴は槍を失った。それに……)

「いいか魔術師。死の危険を負ってまでこの魔術を展開したことは多分の賞賛に値する。だが、この魔術がどのようなものなのかを貴様は知っているのか?」

「……この領域の中にいるものの魔力を奪い、使用者に蓄積する」

「それはマーリンが使えばの話だ。何の血縁も無い貴様にこの効能は表れん。さらにこの領域内では、エクスカリバーの威力が飛躍的に向上する。余が師はそのように構築したのだ」

「……」

「無知は罪よな。場を有利に整えようとした結果、それが実は真逆であるとは。このことを知っていればこんなことにはならなかったのだ」

「……まだ略式詠唱は解けていない。クールダウンが終わり次第、この魔術を解けばいい」

「それまで保つのか?魔術師」

 アーサー王はエクスカリバーを構えると、藤次を見据えた。藤次はそれに反応することは無かった。

(一か八かだったが、結局ハズレか。この状況を打破するには俺1人では不可能だろう。そう、俺一人では…)

 その時だった。

「アーサー王!」

 不意にそう叫ぶ声が聞こえると、なんとアーサー王の胸から槍の先が突き出た。

「な、油断した……!」

 その声の主はスティンガーだった。藤次はデュランダルを具現化した際に、スティンガーにもそれを間接的に渡しており、スティンガーはそれに応えて頃合いを見計らっていたのだ。

「部下の敵だ!ここでくたばりやがれ!」

 スティンガーはなおも深くデュランダルをアーサー王の体に突き刺した。その切っ先は心臓を貫いており、アーサー王の甲冑から血が零れた。

「貴様、よくも騎士の背を穿ったな!」

 アーサー王は体に突き刺さるデュランダルの柄を掴むと、それを握りつぶした。そしてそのまま体から引き抜くと、スティンガーの方を向いた。

「やはりとどめを刺しておくべきだったか……!」

 それにスティンガーはニヤリと笑って答える。

「なあ騎士王、棒切れでもアンタを倒せると思うか?」

「まだ愚弄するか!」

 アーサー王の剣は鋭くスティンガーの胴を薙いだが、それをスティンガーは間一髪で避けた。さらに、

「トージ!これを使え!」

 スティンガーは腰の小さな容器を藤次に投げて渡した。それは血だった。

「よそ見などと!」

 その直後、スティンガーはアーサー王の突きを食らって丘の下に吹き飛んだ。それを受け止めたデュランダルの柄は粉々に砕け散っている。アーサー王はそれをよそに藤次を見た。

「貴様、奴になにを渡された」

 藤次の手には血の入った容器が握られている。藤次にはそれが何の血なのかが分かっていなかった。だがアーサー王はすぐに気づいた。

「……中身は血だな?それもマーリンの子孫の娘のものだ」

「マーリンの子孫だって?つまりは……」

(レインか!)

 藤次は思わずふっと笑った。

「……何を笑っているのだ、魔術師」

「いや、俺はとことん運がいいな、って。正直、まさかこれほど上手くいくとは思ってなかったよ」

 藤次は容器のふたを開けた。

「待て、なにをしようとしている」

 アーサー王の制止も聞かず、藤次は中の血を地面に垂らした。すると藤次の体にみるみると魔力が集まってきた。

「騎士王、貴方は言ったな。この魔術はマーリンかその血縁者でなければ使いこなせないと。だが、触媒を変えれば使えるらしい」

 アーサー王はよろめいてその場に跪いていた。

「ぬう、余の魔力が吸い取られていく……!」

「さて、形勢逆転させてもらおうか」

(この魔力量なら、出来る!)

『部位指定解除 出力循環15000 ブースト・オン』

 藤次が詠唱した途端、藤次の体に膨大な魔力が流れ込んできた。そして急激な身体強化によって、体中に激痛が走った。

「ま、まだまだ!」

 藤次は懐から本を取り出した。それはテントから拝借してきたアーサー王物語の原本だった。

「アーサー王よ、貴方の剣、俺が使わせてもらおうか!」

 藤次は本を開くとそれを地面に置いた。

「貴様、もしや!」

 アーサー王は藤次に切りかかろうとしたが、魔術のせいで思うように体が動かない。藤次はアーサー王が十分に離れているのを見てから詠唱を始めた。

(詠唱の終わるギリギリまでこの領域を維持する!)

『彼の地に降り立つは大いなる神性 往きて四方は導かれ、刻む時は停滞せん

 その誓約に従い 聖なる光は言の葉に満ち足りて清き力となり此処に顕現せよ 清書光臨』

 その瞬間、本から眩い光が放たれ、その光は次第に収束して空に伸びた。その一筋の光は厚い雲を突き抜けて、丘から平坦に戻った芝生を雲に空いた隙間からこぼれ出た日光が照らした。雨に濡れた芝生は、きらきらと水滴が輝いていた。だが、以前として光の束はその状態を維持し続けている。藤次はすぐにその状況を察した。

(二重に詠唱しなければ使えないのか)

「殺してやるぞ、魔術師!」

 アーサー王が藤次に突っ込んできた。それに藤次は落ち着いて二度目の詠唱を開始した。

『これを勝る武威は無く これを劣るはその全て 天をも抉る力の渦

 開闢せよ

 エクスカリバー』

 その瞬間、光の束は解き放たれ、周囲を影のできないほどに照らした。そして光の収まった後には、一本の剣が本の間に突き刺さっていた。

「それは、まさか本物か?」

 アーサー王の問いに藤次は答えず、ただその柄を握って引き抜いた。それは壮麗な金の装飾があしらわれた、正真正銘のエクスカリバーだった。

「これが、エクスカリバー……」

 藤次は思わず剣の美しさに魅入った。ただ持っているだけで力が溢れてくるような、そんな感覚がした。

「魔術師よ、聞こえるか」

 不意にアーサー王の声がした。その声は先ほどと比べて恐ろしく冷静だった。

「アーサー王……」

「それはまさしく本物の聖剣エクスカリバーだ。余の模倣品とは威力も魔術的な神秘性も全く違う。さらに貴様は魔術によって膂力と経験がけた違いに上がっている。つまり余と互角かそれ以上。であれば不躾な切り合いではふさわしくない」

「……何が言いたいんだ」

「決闘よ。余が正式に貴様に決闘を申し込む。立会人はそこな魔術師でいいだろう」

 アーサー王はなんとか起き上がりつつあるスティンガーを見て言った。

(決闘、騎士の果たし合い。それに勝てばアーサー王はほぼ確実に祓えるか……)

「……了解した。勝敗はどちらかの死によって決まるのか?」

「無論だ」

 藤次が大通りに佇むアーサー王のもとに歩いていこうとすると、近くに歩いてきていたスティンガーがそれを制止した。

「おい、網代藤次。お前は依頼の確実な達成よりも悪霊の時間稼ぎを受け入れるのか?」

「時間稼ぎではないでしょう。それに彼の場合は騎士の誇りをかけているんだ。それは貴方も分かるはずだ」

「チッ、いけすかねえ野郎だぜ。いいか網代藤次、必ず勝てよ」

「無論です」

 そしてバッキンガム宮殿前広場にて、藤次とアーサー王は相対した。

「先に名乗らせてもらう。俺は悪霊祓い、網代藤次だ。加減をするつもりはない。全力で行かせてもらう」

「余はブリテンの王にして円卓の騎士の長、そして騎士の王、アーサー・ペンドラゴンなり。己が死力を尽くして挑むことを誓おう」

 スティンガーはその間に立って両者の立会人となった。

「では両人、武器を構えろ」

 藤次とアーサー王は互いにエクスカリバーを構えた。その途端に空気が重く張り詰めた。スティンガーはふー、と息を吐くと今度は大きく息を吸った。そして、

「……始め!」

 ほんの一瞬だった。瞬きする間もなく互いの剣は互いに繰り出され、激しい斬り合いとなった。激しい火花が散る中で、遂にその片方の剣が相手を深く貫いた。2つの剣は自身の放つ輝きによって、一筋の残像を残していた。やがて静寂の中から一つの声が聞こえた。

「見事だ……網代藤次」

 アーサー王は心臓を穿たれてその場に力なく倒れた。藤次は黙って横たわるアーサー王の側に寄ると、その体を支えた。アーサー王の兜からは血があふれ出している。

「……よもや自身の剣で貫かれるとは、到底想像できぬ結末だったな」

「貴方もとても強かった。あの刹那に俺のほほを貴方の剣が掠めた。俺じゃあ到底達することのできない技量だ。尊敬するよ」

 藤次の左頬には真っ直ぐな切り傷ができていた。だが血は滲んでいなかった。

「……そうか。余が剣はいまだ健在であったか」

 アーサー王は息も絶え絶えにそう言った。

「ああ、本当に強かった。だが、罪のない人々を殺害したのは看過できない。だから惜しんでも助けはしない」

「それがふさわしいだろう。敗北した王に治められる国など存在しない。余はそれを良く知っている」

「……アーサー王、そろそろ頃合いだ。最後に言い残すことはあるか?」

「…そうだな。やはり、この体になっても孤独は辛いものだな。それに、余が臣下をあのように使っては咎められもしよう。まずは地獄で詫びねばなるまいて」

 アーサー王の体は次第に光の粒子となってさらさらと消えて始めた。その束の間、アーサー王は言った。

「網代藤次、先程の剣、良い太刀筋だった。貴様もまた、騎士なのだな……」

 その言葉を最後に、アーサー王の体は完全に消え去った。

「よい魔術だったぞ、網代藤次」

 スティンガーが藤次の肩を叩いた。

「……あの時、大佐が血の入った容器を渡してくれたから倒せました。ありがとうございます」

「謝辞はいい。私はただ借りを返しただけだ。それよりも場の撤収を急ぐぞ。もう日も落ち始めている」

 すでに空に立ち込めていた暗雲は晴れ、淡い夕焼けが一面を染めていた。

「そうですね……俺も無茶をしましたから」

「どうした。なぜ浮かない顔をしている」

「その…あのゴーストは、いやアーサー王は、これまでのどのゴーストとも違っていました。魔力容量も魔術もけた違いで。それに、死に際に呪詛を吐かなかったのは彼が初めてなんです。それがなんというか、不思議な感情で……」

「じきに慣れる。それは悪霊祓いが一度は通る道だ。死してなお生者の誇りを持つ霊は稀にいる」

「大佐も同じ経験を?」

「……少しな。まあどれも未熟だった頃のことだったが」

 スティンガーは防刃ベストのポケットから煙草を取り出すと火を付けた。

「まあご苦労だった、網代藤次。俺はお前の腕を認めるよ。あのアーサー王に剣で勝つなんて思わなかった」

「随分体を痛めましたけどね。明日には全身筋肉痛で動けないですよ」

「いつ帰国する?」

「今日中には帰ります。長居しても仕様が無いですから」

「ではそれまでに組合に口を聞いておこう。まだお前の捕縛命令は出たままだからな」

「感謝します」

「ああ、だが忘れるなよ。お前は俺の部下をホテルの最上階から吹き飛ばしているし、それに軽犯罪も多数だ。それらはこの際不問とするが、今後はくれぐれも自重しろ」

「反省します……」

「では撤収だ。お前も手伝え」

 藤次はスティンガーに連れられて、ボロボロになっている宮殿前のテントに向かった。すでに藤次が助けた隊員たちが機材を片しており、退避していた補助部隊も次々と集結していた。さらにイギリス軍まで到着しており、これはスティンガーの話によると保険の保険とのことだった。おそらくは近隣住民の避難用である。

「それにしてもお前、よくもここまで魔力防壁をぼろぼろにしたな」

 スティンガーは端末を見ながら藤次に呼びかけた。2人は車両の荷台に腰かけていた。藤次が端末のディスプレイを見ると、穴だらけの直方体のようなものが3Dで映っていた。

「これって……」

「防壁を可視化したものだ。この無数の穴がお前とアーサー王が開けた穴だな。特別大きな穴はエクスカリバーの跡だろう。超高濃度の魔力を纏った剣は最大出力の防壁を貫通するらしい」

 スティンガーは改良が必要だとため息をついた。

「すみません。そこまで気にする余裕がなかったんです」

「もし防壁が破られれば近隣住民への被害は甚大だっただろうな。まあこれは我々の技術力の問題だ。落ち度は我らにある」

 その時、一人の隊員が藤次たちの元に駆け寄ってきた。

「大佐、少し宜しいでしょうか」

「構わん、そこで話せ」

「それが、本事案の関係者と名乗る女性が敷地外に居りまして……」

 それに藤次たちはそれぞれ反応を見せた。

「まさか!かなり遠くに運んだのに……」

「はあ、今度はあちらから来たのか。ジーク、通行を許可してやれ」

「は、了解しました」

 ジークと呼ばれた隊員はすぐに森の方へと向かった。

「どんな手を使ったのやら……」

「まあいいんじゃないか?会いに行く手間が省けただろう」

「まあそうですが……」

 藤次はなんとなく緊張していた。スティンガーに気づかれないようにさっと髪の毛を確認する。が、

「思春期か、お前は」

 どうやらバレていたようだ。まだ略式詠唱を解いていないのだろう。

 それから数分して、不意に声が聞こえた。

「トージ!」

 そう叫ぶ声は周囲の注目を集めながらこちらへと向かってくる。

「トージ!いるなら返事して!」

 やがて周りの視線が藤次に集まる。藤次は耳が赤くなるのを感じながらはあと深く息を吐いた。そして車両の荷台から降りると、その声のする方に答えた。

「もっと奥の車列だ!正門の近くじゃない!」

 すると先ほどの声はピタリと止まり、やがて灰色の軍用車両の間から綺麗なブロンドの髪が見えた。そして見知った顔が現れた。彼女は藤次を見つけるや否や表情を明るくして駆け寄ってきた。

「トージ!やっと見つけた!」

「何回俺の名前を呼ぶんだ、君は。もう少し周りの目を……」

 藤次が駆け寄る彼女に向かってそう言おうとした瞬間、彼女はそのままに勢いで藤次に抱き着いた。そして藤次の顔を見上げて言った。

「もう、遠かったんだから。裏道を使わなかったら日が暮れてたわ」

「それは……仕方ないだろう?あのゴーストは桁違いに危険だったんだから」

「つまり私が心配だったのね?」

「そうだよ。君に何かあったら俺は責任を負いきれない」

「そ、そうなんだ……」

 レインが視線を落とす。

「……なんだよ。言い出したのは君だろう?今度は君が赤くなってるじゃないか」

 それにレインは慌てて弁明した。

「別に照れてなんかないわよ。それより藤次、全身ボロボロだけどどうやってあのゴーストを倒したの?アーサー王でしょ?アレ」

「原本からエクスカリバーを具現化したんだ。それにスティンガー大佐も協力してくれた」

 藤次は荷台で煙草をふかすスティンガーを見た。

「生きてたんだ……って、アイツが藤次を手助け?あんなに殺意満々だったのに」

 それにスティンガーは答える。

「ひどい言い草だな、レインさん。俺はただ理にかなった選択を行っただけだ。それに彼には組合からの捕縛許可が下りていた。こちらも仕事でね」

「それにしては私情が入っているように見えたけど」

「……やはり貴方とは反りが合いそうにもない」

「それには同感ね」

「2人ともずいぶん険悪だな……だがまあ大佐には助けてもらった。それは確かだ」

「ふーん。じゃあ私は?」

「私はって……まあ君にも色々と助けてもらったよ」

「なんかアッサリしてるわね。もっと具体的に」

「君、結構そういう所あるよな……」

「なによ、気になるんだからいいじゃない」

「……そうだな。さっきは間接的に君の力を借りたかな。君の血を触媒にしたんだ」

「他には?」

「うーん……道案内、とか?」

「他は」

「……」

 藤次は考えているうちに、一つだけ浮かんできたことがあった。だが到底口にできそうも無い。口ごもる藤次をレインが待ち続けるという光景が広がったが、それも長くは続かなかった。レインの後ろにスーツ姿の男が2人歩いてきた。その2人組はレインに声をかけた。

「お取込み中のところ失礼。貴方はレイン・エーリアで間違いないですね?」

 それにレインは振り向きもせずに答える。

「そうだけど、私に何か?」

「エーリア本家から言伝がありまして、同行願えますか?」

 レインは難しい顔をしたが、諦めたようにため息をついた。

「はあ、流石に本家の要請は断れないわね。手短にお願いできるかしら」

「善処します。ではこちらへ」

 レインはその2人についていく直前、藤次に声を掛けた。

「あとで答えを聞かせてね。絶対だから」

「……善処する」

 レインはそのまま車両の間をぬって奥に消えていった。

「厄介なのに捕まったな、お前」

 スティンガーは藤次にそう言った。

「根はとても真っ直ぐな人ですよ。気が強いのもそれが理由だ」

「知った口ぶりだな」

「2人で話したんですよ。自分の中に揺るぎない正義を持っているのが良く分かりました」

 それにスティンガーはもたれた体を起こした。

「おい、もしかしてそれ、ピッカリーで俺を巻いた後の話か?」

「良く分かりましたね。あのあとホテルに泊まったんですけど、都合上相部屋だったんです」

「それはなんというか……」

「なんですか。別に何もありませんでしたよ」

「それは分かってる。お前初心そうだしな。俺が言いたいのは、出会って半日でよくそこまで腹を割って話せたな、ということだ」

「境遇が似ていたんですよ。親近感というか、共感できるところが多々あったので話が続いてしまって」

「似た者同士ってことか。案外さまになってるんじゃないか?」

「さまって、そういう言い方は辞めてください」

「何をいまさら。さっきだってお前らの熱い抱擁を見させられて、こっちは煙草の一つも旨くならねえ」

「熱い抱擁なんてそんな……」

「ハタチでそれかよ。経験の一つもねえと不便で仕方ないな」

「余計なお世話です。そろそろ撤収も終わりそうだし、俺たちも行きましょうよ」

「分かっている」

 2人は機材の撤去と安全確認が済んだ広場に向かった。すでにBCDの隊員たちは全員整列している。そしてスティンガーは彼らの前に立った。横には藤次もいる。スティンガーは隊員たちに向かって言った。

「初めに言っておく。はっきり言って我々は実力不足だ。全くの部外者に助力を乞う必要があるほどな。だがそれを悲観するのは違う。私たちは魔術師だ。足らぬ箇所はひたすらに研鑽すればいい。そして最後に、皆良く戦ってくれた。今回の経験は必ず次に生かすぞ。いいな」

「イエス、サー!」

「では各部隊ごとに順次解散。負傷者は軍病院に行くように」

 スティンガーは部隊を解散させると藤次に話しかけた。

「お前にも礼を言わなければな、網代藤次」

「俺は別にいいですよ。俺が勝手に首を突っ込んだんだから」

「その勝手がなければ俺や俺の部下は死んでいた。感謝する網代藤次」

 スティンガーは藤次に握手を求めた。それに藤次は応えた。

「こちらこそ感謝します、オルガン・スティンガー大佐」

「ああ、助かった、網代藤次」

 その時初めてスティンガーは笑った。それはびっくりするほど穏やかでぎこちない笑顔だった。

「……何をまじまじと見ているんだ、網代藤次」

「え?あ、いや。大佐、そんな顔するんですね」

「お前は俺をなんだと思っているんだ……」

「はは。じゃあ俺は荷物を取りにいきますね。空港のコインロッカーに突っ込んだままなんですよ。それにレインもいる」

「了解した。じゃあな、網代藤次」

「はい。また会いましょう、スティンガー大佐」

「それはごめんだ。二度と来るなよ」

「邪魔はしませんよ。では」

 藤次はスティンガーに別れを告げるとレインの元に向かった。レインは車を用意して藤次を待っていた。

「案外早かったわね。もっと捕まるかと思ったけど」

「別れの挨拶をしただけだからな。それより、その車は君が運転するのか?」

「そうだけど」

「……」

「なによ。別に心配はいらないわ。これでも私、バスだって運転できるんだから」

「君がバス運転手か。想像も出来ないな」

「いいから早く乗って。助手席に」

「後部座席じゃだめか?」

「くどいわよ。安全は保証するし、もしもの時はトージの魔術があるじゃない」

「魔術はそんなに万能じゃないよ……」

 藤次は渋々助手席に乗り込んだ。レインはどこか嬉しそうに運転席に座った。

「じゃあどこに行きましょうか」

「空港まで頼む」

「……ちょっと、もしかして今すぐに帰るつもり?」

「そうだな。イギリス組合との兼ね合いもあるし、あまり長居は出来ないんだ」

「……そうなんだ」

 レインは先程とは打って変わってしょんぼりとしている。それに藤次はいたたまれない気持ちになった。

(こんなにテンションが下がるなんて、申し訳なくなるだろうが……)

 レインはあくまで仕事の依頼者。それだけのはずなのに、どうしてか無視できない。藤次は悩んだ末に結論を出した。

「……少しなら、時間はあると思う」

「ほんと……?」

「ああ。でも遠出は無理だ。せめてこの近くで……」

「じゃあピッタリな場所があるわ!」

 レインは慣れた手つきでシフトを入れると車を発進させた。レインは確かに丁寧な運転だった。少なくとも京都で乗ったタクシーよりは危なくなかった。藤次はシートベルトを握りしめながらレインに尋ねた。

「どこに行くんだ?」

「行けば分かるわよ」

 レインは何度か道を曲がると、見覚えのある通りに出た。

「この通り、ピカデリー通りか?」

「そうよ。もうどこに行くか分かったでしょ?」

「……ああ。あそこは確かにいい場所だ」

 レインは通りの途中に車を止めた。藤次が車から降りると、目の前には奥に続く狭い通路があった。奥にはこれまた狭い広場が見える。ここは2人が最初に来た広場だった。藤次の後ろからレインが声をかける。

「どうするトージ。人もいないし入っちゃわない?」

「そうだな。付いてきてくれ、レイン」

「そうこなくちゃ」

 2人は通路を抜けて広場にでた。相変わらず狭い。それでも閉塞感が無いのがここの魅力なのだろう。2人は隅に置いてあったベンチに腰かけた。その横には古めかしい街灯が一本だけ立っており、夕暮れを越して薄暗くなった広場を照らしていた。

「あの時は良く見ていなかったが、いい場所だな、ここは」

「ね。こういう場所ってなんだか落ち着く」

「同感だ」

 2人はしばらく無言だった。だが沈黙の気まずさは無く、お互いにこの空間を楽しんでいた。やがてレインが口を開いた。

「ねえ、トージ。あの約束、覚えてるわよね」

「ん?あー、君に助けてもらったことか……」

「具体的に、ね。まだ最後の一つを聞いてないわ」

 藤次はまた躊躇ったが、意を決したように口を開いた。

「……俺は、少し不安だったんだ。今までずっとそうだった。魔術師になってから頼れる人もいなかったし、全部が一からで。俺は精神が強いわけでも無いから辛いこともあった。でも君の話を聞いて、その、とても勝手なんだが……安心したんだ。俺と似た生い立ちの人がいるのが、とても」

 藤次はそう言って恥ずかしそうにベンチに深くもたれた。

「私も……思った。私、トージみたいな人初めてだったから。だから……感謝してる。ありがとね、トージ。貴方と出会えて私、とても楽しかった」

 レインは藤次に笑いかけた。藤次は思わず目を逸らした。そのまま見つめていたらどうなるか分からなかったからだ。藤次は高まる動悸を抑えてレインに言った。

「そんなこと……こちらこそ、ありがとう。君が依頼人で良かったよ。久しぶりに父さんのことを良く思い出せた」

「ほんとに?嬉しい」

 レインはそう言って藤次の肩に頭をもたげた。その途端に藤次の体が強張る。

「お、おい。そういうことは……」

「お願い、もう少しこのままでいさせて。そしたら私、満足だから……」

「………」

 藤次はレインの体の温かさを感じた。そして、レインの心臓が早鐘の様に鳴っていることも分かった。

(そんなの、反則じゃないか)

 すでに日は落ちて、街灯の光がスポットライトのように2人を照らしていた。レインのブロンドがきらきらと輝いているのが印象的だった。その輝きはまるで、騎士王の光の剣のように、気高く美しかった。


 夜のヒースロー空港は案外すいていた。藤次は借りていた本を返却し、荷物をまとめて搭乗口まで来ていた。その柵の向こうにはレインが見送りに来ていた。最初に会ったときと同じ、カジュアルで上品な服装だった。前回との違いがあるとすればそれは、服の袖についた泥汚れだけだろう。

「じゃあ、そろそろ行くよ」

 藤次が歩き出そうとした瞬間、レインがそれを引き留めた。

「待って」

「どうかしたか?」

「私たち…また会えるわよね?」

 その問いに藤次はふっ、と笑って答えた。

「ああ、会えるよ。それまでお別れだ、レイン」

「じゃあこっちに来て」

 レインに言われるままに藤次は、柵越しにレインと向かい合った。レインは穏やかで、少し悲しそうな顔をしていた。

「また会えるって、約束よ?トージ」

「約束だ」

「じゃあ少しかがんで」

 藤次が言われたままに少し前にかがむと、レインはおもむろに藤次の唇に自身の唇を重ねた。そして動揺する藤次に、あの大佐のようにニヤリと笑って言った。

「私待ってるから。それまではこれで我慢してよね」

「き、君は何をするんだ!それにこれ、ファーストキス……」

「わざとよ。他の女に取られるくらいならこれぐらいしておかないと。それに私だって初めてだったのよ?」

(厄介なのに捕まったな、お前)

 藤次はスティンガーの言葉を思い出した。今やっとそれが理解できる。それに厄介どころでは無かった。

(約束だなんていわなければよかったかな)

 藤次は若干後悔したが、それでも悪い気はしなかった。

「いつか恨むぞ、レイン・エーリア」

「上等よ。後悔はしてないわ」

「そうかよ。じゃあな、レイン。君と仕事ができて良かった」

「うん。またね、トージ」

 藤次はレインに別れを告げると飛行機に乗り込んだ。藤次は窓際の席に座ふと、ふとガラスに映る自分の顔を見た。藤次は微笑んでいた。それは今までにない自然な笑顔だった。それに藤次は、さらに笑みをこぼした。

(単純だな、俺も)

 レインは藤次を見送ってから深く息を吐いてその場を後にした。まだ動悸が収まらない。まさか自分があそこまで大胆な行動を取れるとは自分でも思っていなかった。そこにメールの通知が来ていた。レインがスマホを取り出してみると、送り主は母親からだった。そのメールを見てみると、

『貴方のお父様についてお話があります』

 と書かれていた。レインは短い返事を返すと、高揚する気持ちを抑えて空港を後にした。

 空港の外はひんやりと冷えていて、それが熱くなった体を冷ました。2人は思い思いにロンドンの街並みを眺めながら暗い夜を越えた。それは一つの物語の終わりでもあり、新たな物語の始まりでもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

GHOST night @kamin0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ