瓦落多

海月^2

瓦落多

 女は座っていた。椿の下、子どもの秘密基地のような日陰が差し込む。

 葉の隙間を透過してきた日差しの一欠片が女の背を焼く。薄い長袖のシャツは、女の肌にぺたりと張り付いていた。一歳ひととせ、女はそのままだった。

 椿が咲き、雪が降り、春が訪れる。生命が芽吹き、夏に輝き、秋に落つる。そしてまた、凍える季節が始まるまで。女はそこを動かなかった。

 今年も椿が咲く。女は膝を抱えて眠っていた。それは冬眠に近かった。動物のする冬眠と違うのは、女が年中同じ体勢で眠っているということだ。粛々と息をして、自然の音が響く。雪は肩に降り積もり、赤く乾いた目がある一点を見つめている。

 女の瞳はもう動かなかった。何日、瞬きをしなかったことだろう。空気中の埃が女の瞳を傷つけた。曇っていく視界はある日ぶつんと切れ、砂嵐が流れた。そして、女は視力を失った。瞼を閉じることも、瞳を動かすことも出来なくなった。

 ある学者は言った。女はもう生きていない。生命はとうに失われているが、何らかの影響で体内の物質が正常時と同じように動いているだけなのだと。

 ある学者は言った。女はまだ生きている。今は一時的に眠っており植物状態のようになっているが、きっといつかは起きるだろうと。

 後の人が言う。それは何方も正しくないと。女は種族として人である。そこに相違はない。だが、女は半分、人ではない何かが混じっていた。ようは、の存在だったのである。つまり、やはり女は人ではなかったのである。


 女が霽れハレの存在であった時間は少ない。女は年端もいかぬうちに人を殺し、死人しびとを積み上げていった。女の目に映るのは常に死人であった。

 ある日、女は椿の植え込みに座った。それから立ち上がらなくなり、この様になった。まあ、人としての生命力を回復しないままに傷ついていった代償なのだろう。

 さて、女は人ではない。が死んでいるわけでもない。つまりその処理に困るのである。倫理観的にゴミとして捨てるわけにはいかない。だが、人でないのなら邪魔な瓦落多なのである。結局その議論には決着がつかず、女の体はその場に捨て置かれたままだった。


「瓦落多……」

 ある日、女が口を開いた。周囲で話すニンゲンの言葉を繰り返しただけだった。ただ、人は臆病だった。

 瓦落多として捨てられる彼女を誰が顧みようか。誰が愛そうか。ならば私が、貴方が、書き留めておくこともまた、一つの選択肢ではないだろうか。そんなことを思いながら、私は今日も戸籍を閉鎖した。毒島千代栄。独りの女性の生涯だった。

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