第5話

 眼鏡を外して涙を拭きとろうとしたとき、手に何かの感触があることに気が付いた。それは「やえむぐら」の札だった。


  八重葎 しげれる宿のさびしさに 人こそ見えね 秋は来にけり


 はていつの間に手にしていたのだろう、と初男は訝しんだ。確か慎二の隣にずっと置いてあったはずだが……


 まあいい、と初男は呟く。これはかるたの神様からの贈り物だと思って、大切に持っておこう。


「かるたの神様はお祖父ちゃんや」という慎二の言葉を思い出した。慎二がそんなことを考えているなんて思いもしなかった。冷ややかさも暖かさもあるはずのない永遠という空間の中で、孫の愛情は忘れかけていた温もりを初男の心に与えてくれる。それは砂のトンネルで繋がった時の、可愛い孫の指先の温もりのようでもあった。


 初男は札を握りしめ、目を閉じて祈った。「やえむぐら」の札よ、風となって、嵐となって、この思いを大切な人へ運んでおくれ。お祖父ちゃんは、慎二のことが一番大好きやで。かるたを愛してくれてありがとう。きついこともいっぱい言っつんたけど、それでもめげずに一生懸命かるたを頑張ってくれて、お祖父ちゃん、本当に嬉しかった。慎二が一緒にいたから、お祖父ちゃんはかるたが楽しかったんや。慎二が応援していてくれたから、年とってしんどくても頑張れたんや。いつまでも、いつまでも、慎二のそばにおるからな。だから慎二も――


 遠くの方でかすかに自分の名前を呼ぶ声がした。おうい初男の兄貴、早くかるたしよう、と。初男は「やえむぐら」の札をなくさないよう、ポケットにそっとしまって上から軽く叩いた。これからもそこにいてくれと願いを込めながら。八重葎がそれに頷くように静かに揺れた。ススキの綿毛の種が一つ、また一つと煌めきながら虹色の空へ駆けていく。初男がいたはずのその場所には、一陣の風が誰かを優しく包みこむように小さな渦を作り上げていた。

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秋にそよぐ、やえむぐら nishimori-y @nishimori-y

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