第40話 夢の途中
―― 平成の御代・物部寧音の曾孫の証言 ――
「夢の途中」という昭和の曲がある。映画主題歌で、作曲者の男性・来生たかおが歌う予定だったのだが、映画監督の思い付きでヒロインが歌うことに決まり、揉めた。そのため曲名は、ヒロインが歌った映画主題歌と、作曲者の元歌が異名同曲でレコード発売されることになったという。
曾祖母・
曾祖母は、〝
かくいう姫先生は、岐門伯爵様の養女に迎えられたのだけれども、あまたの結婚話をすべてキャンセルなさったのだという。
姫先生とのお別れは予定されていたもので、曾祖母は〝事変〟と呼んでいた。
彼女の叔母にあたる岐門夕子さんを知る人によると、二十代の容姿のまま歳をとらない不思議な人だったという。その夕子さんと連れ立って姫先生は、関東大震災で亡くなったご両親のお墓参りという名目で、東京に旅立った。お二人は、岐門駅に停車した汽車で室蘭港へ向かい、そこから東京港行きの定期船に乗ったのだが、室蘭港までは伯爵様や奉公人の皆様、そして曾祖父・曾祖母が、お見送りした。――このときの曾祖母・寧音は末の大叔母を宿し、六か月の身重だったため、姫先生について行けなかったことを悔やんでいる。
姫先生と夕子さんが船のタラップを昇る際、曾祖母は、
「うちの兼好を荷物持ちに連れて行かない? 実をいうと兼好は、私と結婚してもやっぱり、先生のことを想っている」
「ユニークなご意見ですこと(※お嬢様言葉翻訳:何を仰るの、やだなあ、もう――)」
大正デモクラシーの余韻が残る昭和初期、明るい色合いの着物・
―― では、ごきげんよう ――
昭和二十(一九四五)年三月十日未明、制空権をとった米軍はB29爆撃機を東京上空に送り込み、大量の焼夷弾を投下し、下町を焼き払った。このときの被害者数はいまだ不明だが、十万人にも上るものと推定されている。
姫先生と夕子さんはいわゆる〝東京大空襲〟に巻き込まれ、行方不明になった。
岐門町もそのころ空襲に遭ったのだが、工場・倉庫地区から離れている伯爵様のお屋敷にも、なぜか、爆弾が投下され炎上した。――伯爵様と御奉人三名が行方不明になっている。――戦後、占領軍・米軍ジープが伯爵邸跡地にやって来て瓦礫を撤去し、地下まで掘り越して何かを捜したようなのだけれども、けっきょく何も見つけられず、駐屯地へ帰っていったのだそうだ。……たぶん占領軍の中にナイアルラトホテップの手の者がいて、伯爵様の至宝〝衝撃石〟を捜していたのだろう。だが、岐門家の方々が幻夢境に転移した際、持ち去ったのに違いない。いいきみだ。
〝事変〟前夜の一部始終を目撃した曾祖父・曾祖母夫妻なのだけれども、曾祖父・兼好は二〇〇〇年に満九十六歳で亡くなった。曾祖母・寧音はというと――
*
平成二十三(二〇一一年)三月十一日午後――
二時四十六分、東北南部から関東地方にかけて大規模地震が発生した。地震発生から一時間後の三時四十五分、私が乗船する海上保安庁の巡視船〝まつしま〟は、十一ノット(時速十六キロ)で福島県・相馬市沖を航行し、三・三マイル(約五・三キロ)前方に、黒い濁流からなる高波を観測した。
「船長、前方沖合で、黒い小島のようなものが浮上しています!」
「〝事変〟の一現象に過ぎない。みんな、船を縦にして、あの波に突っ込むよ」
曾祖母から聞いている。あれは小島じゃなくて、旧神ノーデンスによって、知性を奪われた海神ダゴンの身体だ。海底の奥底に封印されていたのが一時的に弱まって、海上に姿を現したのだろう。
―― まるで壁だね ――
大波に対し船体を横にすれば、たちまち転覆だ。だから一見無謀に思えても、船体を縦にして突っ込む必要がある。――よっしゃ来い。海の女をなめんな!
進行方向左側から望んだ高波からは白波が立っている。
「両舷前進、来るぞ。総員、何かにつかまれ!」
全長九一・四メートル、一二〇〇トンの巡視船船内に強い衝撃が走った。
ザバッ……
「高波第一波を越えた! 続いて第二波に備える。行くぞ――」
こうして、私達の船は、地震発生後に発生した大津波を乗り越えることができた。
同じころ、塩釜港に戻った当日は電話や携帯電話はつながらなかったのだが、一週間後に復旧して北海道・岐門町の実家と連絡がつき、このとき仙台の病院に入院していた祖母・物部寧音が亡くなったことを知った。曾祖父・兼好と同じく九十六歳になるところだった。――本人達自身はどう思っているか判らないのだが、傍から見るとお似合いの二人だったのだと思う。
*
曾祖母の一回忌で実家に戻った際、親戚筋に当たる現在の〝聖女〟に会ったのだけれども、その人は震災当時、南東北にいたと言っていた。
「〝東日本大震災〟は地震で家が圧壊して亡くなった人よりも、地震に伴った大津波に吞み込まれ亡くなった人のほうが多い。あのとき私は入院なさっていらっしゃった寧音様の病院に、お見舞いに伺おうとしていました。――そのとき病棟から、大きな光の柱が立ち上り、空いっぱいを覆う聖紋になったのを憶えています……」
やはり曾祖母もまた〝聖女〟だったのだ。――未曽有の大災害〝事変〟が今世に生じたとき、行き場を失った多くの生命を救済し幻夢境に転移させる。だがこの大技をつかった聖女は強大な通力を失い、今世に戻れなくなってしまう。
関東大震災では千石瞳さん、東京大空襲では姫先生が、そして東日本大震災では曾祖母・物部寧音がその職責を果たした。
聖女は〝夢見姫〟とも呼ばれている。幻夢境の近況をその人は次のように伝えてくれた。
サルコマンド島が軟体亜人〝レン人〟から解放されると、セレファイスにあった日本町がそこに遷り、旧神ノーデンス神殿を再興させている。また同じく軟体亜人達の生存圏となっていたレン高原一帯〝北方領域〟が現在は、サピエンス族の領域に服した。――そこは第七の王国の版図で、王都は〝夕映えの都〟カダスにある。
了
―― 引用・参考文献 ――
〇 H・P・ラヴクラフト著/大瀧啓祐訳 「未知なるカダスを夢に求めて」『ラヴクラフト全集6』(株式会社東京創元社1989年)
〇 加藤ゑみ子 『お嬢さまことば速修講座』(株式会社鴎来堂2017年)
〇 FNN311 「福島県沖・大津波に遭遇した巡視船 【海上保安庁提供映像】」
https://www.youtube.com/watch?v=wAFYVpX45xs&t=20s
聖女事変 五色いずみ《ごしき・いずみ》 @IZUMI777
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