第39話 夕映えの都カダス

 有翼亜人ともいうべき夜鬼ナイトゴーントは、欧州の方々がイメージするところのデビルに近い外見です。岐門屍鬼衆くなと・しきしゅうには軍馬のように従順なのですが、吉田先生や寧音さん、そして私が油断しているとなぜだか、くすぐりだすという不思議な習性がありました。


 ――灰色山脈はサピエンス族のインクアノク王国と、軟体亜人の生存圏〝北方領域〟との国境になっています――


「灰色山脈山頂・亜人修道院上空への瞬間移動に成功です」


 サルコマンドを昼に発った夜鬼の群れは、人を乗せた七体を後衛に、乗せていない十三体を前衛に配して、山頂に雪を頂くジグザグな尾根が連なった山脈の上空を北へ向かって飛んでいます。


 夕子叔母様が夜鬼と念話して、

「灰色山脈よ、麓にいくつもある風穴は、夜鬼達の営巣地となっているんだけど、そこから先は彼らもあまり近づかないんだって」


 凍てつくレン高原上空を夜間飛行すると、地上では篝火が見えます。軟体亜人〝レン人〟が輪になって、調子の外れた曲調の笛に合わせて踊っているのでしょう。


 このとき、〝シャンタク鳥〟ことワイバーンの群れ五十羽が、私達の前を横切ろうとしました。けれども〝シャンタク鳥〟は夜鬼の捕食対象なので、出会った途端一斉に、ギャーッと悲鳴をあげて散開してしまったのです。


 そこからさらに北に向かうと、――深緑色の肌、禿頭、尖った耳、牙、我々サピエンス族の腰ほどの高さをした種族の営巣地がある、その名も〝ガーゴイル山脈〟を超えました。いったいどれだけガーゴイル達も空を行く夜鬼の姿を見かけるや、岩の裂け目にある営巣地に逃げ込んでしまいました。


 星々がかすんできて白々と夜が明けてきました。

 すると前方に、双頭の山頂がある山脈が見えてきます。


「夕子叔母様、あれは?」

「山の頂から中腹にかけて、岩肌を削って築いた都市があり、さらに神像や神獣も彫りこまれている。――瞳お姉様が言っていた。ここは彫像山脈みたい。――片帆、上昇気流に乗って一気に超えるわよ」


 峻厳な岩肌だと誤認してしまいそうな、空気の濃さから標高三千メートル級と推測される、玄武岩からなる双頭の峰の一方を削り出した彫刻や都市は、恐らく旧支配者ナイアルラホテップのために、その奉仕種族が築いたものなのでしょう。


 ところがです。私達が双頭の頂きを超えようとしたとき、乱気流が発生し、二十体の夜鬼達は羽ばたくのを止め、翼を閉じてしまったではありませんか。


 吉田先生の声がして、

「寧音ちゃん、下の岩肌に向かってビームを放つんだ」

「判った!」


 熱線が、双頭の峰に狭まれた谷底の地表を吹き飛ばし、砂塵を舞い上げます。このため数秒間だけながらも乱気流は静まり、無風状態の〝なぎ〟となったのでした。

 この機を逃さず二十体の夜鬼達は力強く羽ばたいて、上昇気流に乗りました。

 気づけば眼前は黒い峰と対をなす、縞瑪瑙の峰の比高差千メートルは超えていましょう岩壁となり、さらに頂へと昇ったのです。


 朝陽が射しきらめく瑪瑙岩塊の頂きを削りだして築いた都城には、おびただしい数からなるドーム屋根の塔、列柱で飾った古代風の神殿、そして王宮がありました。

 私達を乗せた夜鬼は町屋を囲う市壁の一角にある巨大な門の上を飛び、迷宮となった市街地を低く飛んで、奥の高まった王宮に続々と舞い降りていくのでした。


 ―― ここが縞瑪瑙の城、夕映えの都〝カダス〟? ――


 夕子叔母様を筆頭とする岐門屍鬼衆、吉田先生と寧音さん、そして私・片帆の七人は、夜鬼達を降りて王宮前ファザードに待機させ、中へと踏み込んでいきました。


「夕子叔母様、カダスには幻夢境の神々が住まうと聞いていましたが、町はもぬけの殻です。どういうことでしょう」


 するとエントランスの奥から声がしました。

 玉座に座っていた人物は、古代ギリシャ・ローマの神官服「トガ・プラエテクスタ」に近いものを着ていました。トゥニカという下着の上に、紫色の縁取りが施された一枚布を羽織っています。


「汝らは聖女片帆とその一党であるな。――は魔皇アザートス以下、蕃神ほしがみのメッセンジャーにして、幻夢境に住まうの庇護者・ナイアルラホテップである」

「脆弱な神々って?」

「神とはいっても彼の者らの正体はハイエルフだ。ハイエルフが優位を保っていた時代は終わった。今や彼の者達は汝らサピエンス族の聖女や賢者達と、まともにやり合えば負けてしまう。現に、賢者バルザイや弟子のアタルにちょっかいを出した連中が、返り討ちにあっている。ゆえにハイエルフは躬、あるいは我ら宿敵・旧神ノーデンスの庇護下に入った」

「つまりここ、カダスは棄てられた神界ということですね?」


 美麗な細面の男性……どこかで見憶えがある。もしかして、貴方は――。


「察しがいいね、片帆」


 つややかな光沢のオールバックにした黒髪、心持ち顎が尖っているようにも見える細面、深淵を思わせる黒い瞳、彫刻のように筋の通った鼻、微笑を浮かべつつも冷厳さを帯びた唇……。月桂冠を被ったその人がビロード地の紅い肘掛椅子からゆっくりと身体を起こす。すらりと四肢が伸びた体躯は百八十センチくらいでしょうか。この立ち振る舞いを私はどこかで、見たことがあります。


 ――そんな、まさか、大鳥様!


「大鳥秀二朗、確かに躬にはそんな顔もある。――そしてこんな顔も持っている」


 割って入るように、吉田先生が、

「あっ、前校長の内東現子ないとう・あらこ先生。――貴方は男性なのか、女性なのか?」

「どちらでもあり、どちらでもない」

「では現子前校長のご主人・秀夫氏というのは……」

「内東校長周辺人物として、名前だけつくったものだ」玉座を立ち上がったナイアルラトホテップと名乗る蕃神ほしがみは、一段高くした台座を降り、呆然と立ちすくむ私の所まで来ると、肩をだこうとしました。「いずれにせよ、前代未聞の夢見の力を持つそなたは、躬のものだ」


 このとき、寧音さんが――、

おひい先生に触るな! 私の大好きなその人の心を弄んでおいて、何が神様だよ!」


 私の膝が崩れ落ちた床に転移門の魔法陣が現れ、奈落へと転落する。

 シャンタク鳥が飛んで来て、その背に立ったナイアルラトホテップの両の腕に、私は落ちようとしていました。


「至高の聖女・千石片帆よ、今世の森羅万象は彼の昔、旧神ノーデンスによって知性を剥奪され闇の奥に封印された魔皇アザートスが見る夢で、目覚めるときに終わる。――されば這い寄る混沌の具現たる躬とともに、魔皇のもとへゆこうではないか。混沌たる新たなる今世を創生するのだ」


 さらに寧音さんの声が割り込んできます。

「先生、転移門を開いたから、今世へ逃げて。負けちゃ駄目だ!」


 ――そう、負けちゃ駄目。


 今、幻夢境を出て、旧神ノーデンスの分霊たる、おじい様がいらっしゃる〝聖域〟へ逃がれれば、旧支配者ナイアルラトホテプといえども、おいそれとは手が出せないはず。だけど、ここまでコケにされて、ただ逃げるのは癪というもの。――私はインベントリ(※アイテムボックス)を開き、以前、おじい様から戴いた長弓を取り出すと、文字通り、一矢報いてやりました。


 矢は見事に、大鳥秀二郎とも内東現子とも名乗ったことがある、〝這い寄る混沌〟を称する邪神の首を貫く。ナイアルラトホテップ、彼の一柱の〝神殺し〟は、ノーデンスすら敵わなかったことで、いわんや生身の人間でしかない私が成し得ることではありません。

 とはいえ、凶神まがつかみはひどく、のたうちまわっておりましたので、横をすり抜け、転移門に飛び込んだ次第です。


 私に続いて、吉田先生にお姫様抱っこされた寧音さん、夕子叔母様達・岐門屍鬼衆の皆さんが、闇に閃く転移門に飛び込んで来られた様子でしたから、まずは上々というところ。

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