第38話 レクチャー

 サルコマンドは島のほぼ全域が都城遺跡となっており、随所にある列柱神殿や、小路地で区画された町屋には、月面獣ムーンビーストや隷属する軟体亜人〝レン人〟が潜んでいますことでしょう。


「実を言うと、ここに来る前にセレファイスに寄って、お姉様に会って来たの」


 そう言ったのは夕子叔母様です。

 叔母様の計画によると、日時を合わせて母・瞳が率います武装商船団と合流し、一気に島を制圧はずだった。ところが先走ったサルコマンド出自の家令の山川さん達三人が、無謀な突入をしたので、計画が台無しになったとのこと。


 その母ですが、寧音さんが全方位ビームで黒いガレー船を沈めた日から二日後に、半壊したそれが接岸していた玄武岩の埠頭の向こう側に旗艦を接岸させ、そこから上陸してきました。―― 一つ編みの髪に赤い燕尾服、男物のパンツとブーツといった装い。日本人町の一党は母もそうですが、まるでカリブ海賊のような恰好をしていました。

 その母に夕子叔母様は今に至る事情を説明しました。


 海賊女王な母が、

「なるほど判った。片帆や夕子は大鳥君や安東氏を救出に急ぐのよね。サルコマンドに隠れていますモンスター残党は、私達で始末しておく」


 そこで私は素朴な疑問を母に問いかけます。

「母さんが夕子叔母様に協力して、サルコマンド島のモンスターを討伐する目的ってなんですの? 商人である以上、何かしらの利益があるかと存じます」

「もちろんあるわよ。――ここ幻夢境には現在、六つの王国があって、各国には夢見姫が君臨しています。格下ではあるけれども夢見姫の一人である私は、彼女達と情報を共有していますのよ、オホホ」お下げの船団長は続けて、「四年後の昭和六年に、米・英・仏・日からなる四か国条約が失効することになっています。つまり、十年以内に大戦が勃発することになるってわけ」


 そこで吉田先生がくわえていた煙草をポロっと落とし、

「瞳さん、いったい日本はどこと組んで、どこと戦争をするんです」

「自国を除いた四か国条約国全部――」

「ええっ、なんでまた?」その言葉には吉田先生ばかりか私も、思わず声をあげてしまいました。

「これからほどなく大恐慌が起こり、列強各国は広大な領域、植民地で経済ブロックをつくり、他国の物流を遮断する。アメリカほど広い領土もなければ、イギリス・フランスほどの植民地を持たない日本はじり貧になってしまい、中国・東南アジアを占領し、返り討ちにされる運命にある」


 夕子叔母様が母に同調して、ウンウンとうなずいて、

「瞳お姉様が関東大震災のとき、幻夢境に召喚した日本人達は、イギリス出身のセレファイス女王のご厚意で、彼女のもとに住まわせてもらっていますのだけれども、戦争が起きれば居心地が悪くなるでしょ」

「なるほど、それで、サルコマンド島に日本町を移転させるというわけですのね?」

「ノーデンスと眷属神がおわす〝旧神の神界〟に至る転移門もここにあるしね。そういうこと――」母と叔母様が声を合わせておっしゃります。


 ここで夕子叔母様が思い出したように、

「転移と言えば、聖女が知るべきことわりというものがある。片帆、カダスに発つ前に、瞳姉さんからレクチャーを受けるといいわ。それに寧音ちゃんもね」


 埠頭近くにいた夕子叔母様、吉田先生、寧音さん、そして私――

 母もいたはずなのに、瞬時に姿を消す。刹那、百メートル離れたところで手を振っています。


 寧音さんが、

「これって転移ね。いったいどうやるの?」


「今のは同一時空においての瞬間移動テレポテーション」お下げの母に言わせると、「四半世紀ほど前にドイツのボルツマンが〝量子仮説〟を発表した。――この世のすべては量子で形づくられていますの。私の身体を組成しています量子情報を百メートル先に飛ばし、そこにある量子をつかって再構成する」私達のところに再び戻って来た母がウィンクして、「転移は応用編で、今世‐異世界間で行う大技のことを言うわ。聖女には生まれながらにして、これの資質があるの」


 彼女はそれから、

「こんなお遊びもできるわ。憶えておくと便利な小技ね」


 ―― ドッペルゲンガー!――


 吉田先生が刮目してそう叫びました。


 母が二人に分裂して立っています。ドッペルゲンガーは〝分身現象〟です。それを母は意図的につくりだしてみせたわけです。一体が生身の体で、もう一体が、量子状態になっていますというところでしょうか。


 私がつかう今世‐幻夢境間の転移ではヨグ=ソートスという旧支配者クゥトゥルフの通力を借りるのですが、その場合、何かしらの代償を支払うことになります。ですがこの方法ならば、自分の通力のみで、比較的安全に瞬間移動できるというわけです。


 常人が母の通力を真似することはできませんが、私や寧音さんにとっては可能なことで、母の武装商船団の旗艦に泊めて戴き、都合二日のレクチャーで習得することができました。


     *


 婚約者である大鳥様、〝岐門女くなじょ〟元校長の旦那様はインクアノク王国の縞瑪瑙鉱山では確認できませんでしたし、レン高原の修道院や、ここサルコマンドでも発見できませんでした。


 吉田先生は、

「ならば二人が囚われています可能性が高いのはやっぱり、〝夕映えの都〟カダスですかね」


 寧音さんと私が母に習った瞬間移動は、一度行ったレン高原までなら扱えます。ですが、カダスに向かうには、レン高原の深部を抜けて行くことになり、シャンタク鳥ことワイバーンが何百羽といます営巣地を抜けて行かねばなりません。


 旗艦の厨房でおにぎりを結びながら夕子叔母様は、

「ならばあと十体くらい夜鬼ナイトゴーントを呼ぼうかしら。都合二十体もいれば虫よけにはなるかな……」


 叔母様が夜鬼の一体にその旨を伝えるとほどなく、島のどこかの洞窟に潜んでいたお仲間の十体が飛んできました。


 そういうわけで、母達武装商船団にサルコマンド制圧を任せ、夕子叔母様率います家令の山川さん、家政婦長の稲葉さん、庭師兼運転手の白井さんからなる岐門屍鬼衆四人の護衛のもと、吉田先生と寧音さん、そして私・片帆の三人は、二十体からなる夜鬼の背に分乗いたしました。予定通りレン高原までは瞬間移動をつかい、そこから先は夜鬼の飛翔に頼り、最終目的地〝夕映えの都〟カダスへと向かうことにしたのでした。


 出発の日、母が私を抱きしめ、

「いいこと、片帆。カダスの玉座には幻夢境の神々が盟主に戴くナイアルラトホテップがいるはず。彼は変装の名人で詭弁家だから絶対、気を許しちゃだめ」


 ―― 瞬間移動テレポテーション! ――


 次期聖女である寧音さんの練習がてら、母から習った術式を使い、まず、私たちはレン高原の修道院まで跳躍いたします。

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