写真家脳とカメラマン脳

写真家脳とカメラマン脳の話を、僕はよく飲み会で話す。

写真で生計を立てる人間は、大きく二つに分類できるという話だ。


自分の感性や見たものを伝えたいという強い思いを持つ「写真家脳」。そして、求められたクエストを自分の技術でクリアし続ける「カメラマン脳」。

この二つは、同じ「写真」という大きな土台の上に立っているけれど、気質は全く異なる。


僕は「写真家脳」だ。常に自分の脳内にあるものをアウトプットしなければならない。そうしなければ、僕の脳はゴミ屋敷のように情報で埋め尽くされてしまうからだ。

だから、僕は表現のために最適なツールを探している。ほかの写真家たちのマインドや感性、時代が求めるもの。そういう答えのない問いをいつも探し続けている。自己探求、それが「写真家脳」だ。


ただ、それだけでお金を稼ぐことは難しい。

だから、ほとんどの「写真家脳」は、カメラマンとして働いている。僕もそうだ。カメラマンとして、お客に求められるものを自分の技術でクリアし、その見返りに感謝や報酬を得て日々をやりくりしている。


カメラマン脳の人たちは、言ってしまえば陽キャだ。

彼らは世界をポジティブに捉えていて、光に満ちた世界を努力で切り開く。執着がなく、さっぱりしている。自信があって、好奇心のベクトルはカメラではなく、例えば家族やスポーツ、女性など、全く別の方向に向いている。

彼らにとって、カメラマンは「職業」であり、人生の全てではない。

そんな彼らが、僕には眩しすぎる。


写真家脳の人間は、いつも独りだ。

彼らは研究者タイプで、情報を咀嚼し、解釈し、それを脳内にしまい込む。そして、それが埃をかぶった頃にまた似た情報と出会い、新たなアウトプットの準備が整う。僕自身も、写真を撮る理由を得るために、自分の中をひっくり返して、その理由を探し求める。


一方、カメラマン脳の人たちは料理人のようだ。

彼らはどんな分野のプロフェッショナルとも渡り合い、客を満足させるために自分の技術をフルに活用する。そして、外界と接触しながら自分の価値を高め、どこで必要とされ、どこでお金を稼げるかを見極める。彼らはまさにリアリストだ。


この仕事を続けていくうえで、自分が「何者なのか」を見極めることは、非常に重要だと思う。

カメラマン脳の人が写真家として活動することも、その逆も不可能ではない。カメラというツールは、表現や再現の手段だからだ。

ただ、写真家脳の僕が「この写真家はこういう思いがある」と話しても、カメラマン脳の彼らにはその真意がすべて伝わるわけではないだろうし、逆に彼らが「もっといろんな人と交流しよう」と言っても、僕のような写真家脳は、そう簡単に自分の世界から出られない。


自分の「幸福」を見極めるためには、この違いを理解することが必要だ。

自分がどちらに属するのかを見極めずに、ただ走り続けるのはとても疲れる。自分を見極めることで、これまで朧げだった自分の目的が、少しずつはっきりした形を持ち始める。


結局、自分という存在は、後付けの理由でしか構成されていない。

しかし、その理由を自分で選び、判断したのなら、それが僕にとっての真実になる。そして、その理由を形にしていく行為が、写真家脳やカメラマン脳としての仕事の本質だ。


もし君が写真を愛するなら、自分がどちらの脳なのか、一度見極めてみるといい。

その選択が、君の写真人生を豊かにするかもしれない。

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