彼女が人であるために

@akahara_rin

星海アルマのために




「GYAAAAAAA!」


 真昼間のビル街に響き渡る絶叫。

 そちらの方に目をやると、どこから現れたのか、ビルにも負けない大きさのドラゴンが羽ばたいているのが見えた。その目的までは分からないが、段々と降下しているのが分かる。


 もしも着地すれば、地面や建物だけではなく、人への被害も免れないだろう。

 その直下から、悲鳴を上げながら人間たちが逃げて行く。かくいう私も危険だったが、腰を抜かしたせいで立つこともままならない。


 その最中。


「変身っ!」


 凛とした、しかし幼さの濃く残った声が響くと同時、周囲が光に包まれた。


「イアっ、行くよ!」

『いいとも』


 フリルが目立つ真っ赤なドレスに身を包んだ少女が、人の流れに逆らって飛び出した。


「マギステッキ! シュートモード!」


 少女が構えた小ぶりの杖が、光の粒子を纏う。

 玩具のような外観のそれは、瞬く間にマスケットと呼ばれる長銃へと変形していた。


引力インテーク!」


 銃全体が星の如く輝き、その光が銃口へと圧縮されていく。


破壊光線バ・スター!」


 引金を引いた刹那。


 閃光が、私の視界を焼いた。




 光に焼かれた視界が戻って来た時、ドラゴンは影も形もなかった。しかし白昼夢ではなかったことは、同じように座り込んで空を見上げる人たちが証明してくれている。

 それと。


「大丈夫? お姉さん」


 優しく微笑み手を差し伸べてくれた少女の声は、どこか凛とした響きがあった。




 ◆




「さっきはびっくりしたねぇ」


 とあるカフェで買った、やたらと名前の長い甘いドリンクをストローで吸い上げながら、少女――星海アルマはこちらを見上げた。


「お姉さんが怪我しなくて良かった」


 見たものを蕩かすような、大人びた笑み。

 歳に見合わぬ表情に、私の背筋がぞくりと震えた。


「ねえ」

「な、なに?」

「わたしには、何も言ってくれないの?」


 すっ、と気温が下がった気がした。

 わたしは慌てて口を開く。


「あ、アルマちゃんも、怪我しなくて良かったよ」

「んふふ、ありがとう」


 ころりと雰囲気を変えて、アルマは朗らかに笑った。言わされたような、というか完全に言わされた形だったが、どうやら満足してくれたらしい。


「よいしょ」


 ずごご、と音を立てて飲み切った飲み物の容器をアルマが軽く握ると、容器は軽い高音と共にビー玉程のサイズまで圧縮されていた。

 そして、アルマが容器だったものを自分の口に運ぼうとして。


「だ、だめ!」


 私は慌ててアルマの手を取り、ビー玉もどきを取り上げる。

 私の行動に、アルマは一瞬ぽかんとしていたが、すぐき笑顔を取り戻し、軽く手を叩いた。


「あぁ、そうだった。カップは食べちゃだめなんだったね」

「……もうそろそろ、必要?」

「うん、ごめんねお姉さん。お願いしても良い?」

「……分かった。じゃあ、私の部屋で」




 ◆




 星海アルマは魔法少女である。


 今から十年ほど前、地球は異世界と繋がった。

 と言っても、それはあくまで一方通行。向こうからこちらにはやって来れるが、こちらから向こうに行くことはできない。そんな非対称的な繋がり。


 異世界からやって来るのは、大抵の場合怪物だ。


 あまり詳しいことは分かっていないが、向こうで群れから追放されたものや、生息域を奪われたものが逃げ場としてこの地球を使っているらしい。

 怪物とはいえ、近代兵器を用いれば撃退することは可能だ。だが、やって来る全ての怪物に兵器で対処できるほど、この国の軍事体制は優れてはいなかった。


 少なくない被害が出たころ、向こうの世界のを名乗る者たちからの使者が現れた。使者たちは人間の少女と契約することにより、少女に怪物と戦う力を与えることができた。

 これは、彼らに言わせると詫びになるそうだ。


 少女、つまりは未成年の女児をある種の兵器代わりに使うという倫理的な問題はさておき、契約した少女――魔法少女の力は圧倒的だった。


 あらゆる怪物たちを、彼女たちは最も容易く薙ぎ払う。


 魔法少女が現れてから程なくして、国は魔法少女の存在を正式に認めた。

 倫理というあやふやな概念は、経済という実体に敗北したのだ。


 星海アルマは、その魔法少女の一人である。




「んっ」


 じゅる、と下品な音を立てて、アルマが私の手首に吸い付いている。生温く、ざらついた舌に舐られる度、手首に付いた傷がちくりと痛んだ。


 魔法少女は戦う力を得られる。

 しかし、それはノーリスクで、というわけではない。

 細かな理屈を私は知らないが、変身し、力を行使する度に、彼女たちの身体と精神は「人間」から乖離していく。


 もちろん、解決策もある。

 それは、定期的に「人間」を摂取すること。本当は生肉が一番効率的らしいが、流石にそれを許容することはできない。よって、彼女らは定期的に人血を飲むことで、人という殻を守っているのだ。


「んむ」


 乖離が進行しすぎた時、一体どうなってしまうのかを知っているのは、使者と政府の限られた人間だけ。

 私に分かるのは、それが良くないことである、ということだけだ。


「……美味しい?」

「ぅん」


 こくこくと喉を鳴らして傷口を舐めるアルマを見て、私は目を細める。


『おかしいな。前に飲んでから、まだ一月も経っていない筈だけれど』

「……イア」


 どこからともなく現れた、白毛の生き物。猫でも犬でも鼠でもない、地球には存在しない形をした、しかし不快感は感じさせない二足歩行の毛むくじゃら。

 噂をすれば、とでも言うべきか、このイアという名前の毛むくじゃらが、アルマが契約する使者である。

 その使者が、私のすぐ横にふわふわと浮いていた。


「おかしいって、大丈夫なの?」

『普通は、人から離れれば離れるほど、その血肉を美味に感じるものなんだ。だから、一月ぶりでそこまで美味しく感じるのは少し変だね』

「そんな……」

『アルマは使える力も大きいし、それが原因かな。まあどうあれ、君が血を飲ませている限りは大丈夫さ』


 毛むくじゃらの言葉は、どこか無責任に、無関心なように、私の耳には聞こえた。


「ぷぁ……もう大丈夫。ありがとう、お姉さん」


 紅く染まった口元を、アルマはぺろりと舐め取った。

 何故かまた、背筋がぞくりと震えた。


「……ううん、私の方こそ、今日は守ってくれてありがとう」

「んふふ。良いよ、気にしなくて。わたしがお姉さんを守るのは、当たり前のことだからね」


 そうは言いながら、アルマはいつもよりご機嫌だ。

 手首に吸いつく姿勢から、抱きつく姿勢に切り替えて、私のお腹に頬擦りしている。少しくすぐったい。

 本当はアルマが舐めた手首を洗いに行きたかったのだが、どうやらそうもいかないらしい。


 手持ち無沙汰になった私が頭を撫でていると、段々と穏やかな寝息が聞こえてきた。

 どうやら、寝てしまったようだ。


 出会った頃とは見違えた、艶やかでさらさらの黒髪。年相応の可愛らしい洋服。

 服や身形に気を使えるようになったのは、歳を重ねたことだけが理由ではないだろう。


「…………」


 特に止める理由もなく、私はアルマの髪を撫で付けるように頭を撫でる。


 毛むくじゃらの使者は、いつの間にか消えていた。




 ◆




 私――有馬カレンがアルマと会ったのは、三年ほど前のことだった。


 魔法少女が現れてからの怪物による被害は減少傾向にある。しかし、ゼロにはなっていない。

 何故なら、怪物の出現地点には規則性がないからだ。

 もちろん個体差はあるが、怪物は凡そ人間社会で生きるには向いていない生態をしている。好き好んで人を襲う個体は多くないが、今日のドラゴンのように、存在すること自体が危険な怪物は多い。


 全国各地に魔法少女は配備されているが、出現から即座に駆けつけることはできない。

 必然、人は魔法少女がやって来るまで蹂躙に耐えるしかないのだ。


 私が彼女と出会ったのは、そんな蹂躙の真っ只中だった。


「Killllllllll!」


 巨大なカマキリの周りには、つるりとした断面の瓦礫が散乱している。

 本来、カマキリの鎌、前脚に切断力はない。あれは獲物を取るための捕脚であり、捕らえた獲物を逃がさないことが主題だ。

 だが、それで言うのなら、初めから殺してしまえば逃がさないという結果は同じだろう。


 そんな単純な理屈かは知る由もないが、事実としてカマキリの鎌は地球の種のそれとは掛け離れた性能をしていた。


引力インテーク!」


 バラバラになった瓦礫が、破壊的な音を立てながら一箇所に集まっていく。

 瓦礫の集まる先では、真っ赤なドレスに身を包んだ魔法少女が、赤熱した長剣を掲げていた。


 瓦礫が長剣へとぶつかり、赤熱が伝播していく。

 溶岩の如く溶ろけた瓦礫たちが、長剣を拡大させる。


 長剣は瞬く間に、カマキリを両断して余りあるほどの大きさへと変貌していた。

 その熱量は、私の冷や汗をまとめて蒸発させるほど。

 あるいは、大海原であろうと活断せしめるだろう長剣を、彼女は躊躇いなく振り下ろす。


青海聖剣シリウスハート


 じゅ、と何かが溶ける音、それから焦げ臭さ。

 そして、それを感じることを忘れさせる熱波。

 火傷しそうな程の熱さが、爆発的に広がった。




 そして。


 私の家と家族を二等分にしてくれた怪物は、いっそ哀れになるほど呆気なく、真っ二つになって死んでいた。


斥力リペル


 ぱち、と乾いた音がして、真紅の魔法少女が持つ長剣は元の大きさに戻った。


「イア」

『政府関係が来るまでしばらく掛かるね。待つかい?』

「イヤ、帰る」


 彼女が手に持っていた杖が消えるのと同時、いつの間にか現れていた毛むくじゃらが、やれやれとでも言うように首を振った。見た目の割に人間臭いやつだと思ったのも束の間、真紅の少女が踵を返そうとする。


「ま、待って!」


 反射的に、私は声を掛けていた。

 何か考えがあったわけではないし、今思えば話したいことがあったわけでもなかった。


「あの! た、助けてくれてありがとう! あなたの名前を教えて欲しいの!」


 だから口から出たのは、ありきたりで捻りのない言葉だった。

 私の言葉に足を止め、振り返った少女は口をへの字にしたまま、しばらく黙っていた。


「…………アルマ」


 ぽつりと、私の耳に届くぎりぎりの声量で、彼女はそう言った。

 それが彼女の名前だと理解したのは、アルマが立ち去り、政府の救助隊がやって来てからのことだ。




 それからは、正直あまり話すことはない。


 家族を失った私は、国が運営する寮で生活することになった。私と似たような境遇の人間はこの国には大勢いるため、そういう人間向けの施設はよく整えられている。同寮の人間に恵まれたこともあり、幸い、生活に不自由することはなかった。


 そんな寮生活の中で、私は魔法少女のメンタルケアのボランティアのスカウトを受けた。


 魔法少女は強いとはいえ、ただの少女でもある。そのため、戦闘後、特に負傷した場合は精神が荒れてしまうことがよくある。

 もちろん、きちんとした資格を持った心理士は魔法少女と共に配備されている。戦闘後の荒れた状態に対応するのは、殆どの場合そちらだ。


 ただ、平常時であっても、魔法少女は他人と交流する機会が多くない。

 怪物の出現に対応するため、彼女たちは生活の殆どを政府施設内で過ごす。魔法少女自体の数が多くないこともあり、他人、特に同年代の人間と接することが殆どないのだ。


 これは、どう考えても健全な精神の育成には悪影響である。

 故に、性格や普段の生活態度などを調査しやすく、持ち掛けられたら断りにくい私のような立場の人間を、友達役として利用するわけだ。

 ……まあ、少し悪い言い方をしてしまったが、魔法少女のためを思うからこその、重要な役割であることは間違いない。

 それに、この役割を振られたことを恨んでいるわけでもなければ、受けたことを後悔しているわけでもない。


 そのお陰で、また彼女と出会えたのだから。


 私が星海アルマの担当になったのが偶然なのか、それとも意図があってのことなのかは分からない。ただ、どちらでも良いと思っている。


 請われて直接血を与えるこの関係が、この役割として適切だとは思わない。

 上司には報告しているし、このまま続ける許可も得ている。アルマは血液入りの料理が好きではないから、どんな形でも摂取できるならその方が良い、と。

 しかし、この関係を友人と呼ぶ者は、きっと極少ないだろう。


 けれど、これを悪くないと思う自分がいる。

 どんな形であれ、彼女との関係が続くなら、それで。




 眠る彼女の髪を撫でる私の口は、酷く醜く歪んでいた。

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