私の花子さん

双葉ゆず

私の花子さん

 こんな夢を見た。


 クラスの皆が揃って学校の七不思議について話していた。なんでも、昨夜とあるテレビ番組で怪談が特集されていたらしい。その手の話題に興味は無かったが、近くの席にいる女子生徒たちが話を持ちかけてきたので、聞くだけ聞くことに決めた。


 彼女たちは本物の『トイレの花子さん』を見てみたいのだという。私でも花子さんに関してはなんとなく知っている。おかっぱ頭で赤い吊りスカートを履いた女の子の姿であることは有名だろう。

 彼女たちによれば、花子さんを呼び出す方法をいくつも試して失敗している生徒もいるそうだ。その上、会ったが最後トイレの個室に引き摺り込まれるとか、何でも一つ願いを叶えてくれるとか、良くも悪くも色々な噂が飛び交っているようだ。


 「試しに呼んでみたらいいのに」と呟くと、彼女たちは首を横に振り「怖いから嫌だ」と口を揃えた。好奇心より恐怖の方が上らしい。……怯える彼女らを見て何を思ったのか、私は自ら提案してしまった。


 「私が代わりに花子さんを見てこようか」と。




 放課後、ひとりで三階の女子トイレへ足を運んだ。此処も廊下も人の気配はない。早速、教えてもらった方法を実践してみることにした。



 一番奥の個室の扉をノックする。コン、コン……軽く拳を当てたつもりが、やけに音が響いて聞こえた。煩いほど鳴っている胸の鼓動が収まらない。

 ――少女の霊なんて怖くない。そもそも幽霊は実在しないと本気で思っていた。けれど実際、花子さんが現れる可能性を前にして恐怖を覚えている。私は結局、あの女子生徒たちと何ら変わらないのかもしれない。


 ルールに従えば、あとは一言を投げるだけだ。深呼吸をひとつ、私は震えた声で呼びかけた。


「花子さん、遊びましょ」


 窓から流れてきた心地よい風が、肩下まで伸びた髪を撫でるように揺らす。個室から返事はない。やはり自分が思っていた通り、花子さんはいないのだ。激しく波打っていた心音も漸く普段の落ち着きを取り戻した。

 もう帰ろうと踵を返した瞬間だった。


「いいよ」


 予想だにしていなかった声。全身が震え上がる。咄嗟に背後を振り返った。


「なんてね」


 姿を現したのは花子さんではなく、冗談交じりに笑うセーラー服の少女。クラスメイトのさくらだった。小学生の頃からずっと同じクラスだったので、彼女のことはいくらか理解しているつもりだ。それでも、まんまと騙された。……とは言え安心してしまって、その場にへたり込む。


「……どうして此処に」


「それは勿論、あかねが花子さんに会いに行くって言ってたからだよ。残念ながら、いなかったみたいだけどね」


 にこりと微笑む桜。

 今日話していた女子生徒の中に彼女はいなかった筈だ。どこかで小耳に挟み、興味本位で来たのだろう。


「折角だし、屋上まで行こう。あそこは星が綺麗に見えるから」


「星? 今は夕方だけど」


「何言ってるの。もう夜だよ」


 訳もわからぬまま、私は桜に手を引かれて女子トイレを出た。廊下の窓の向こうには私が言った通り夕焼け空があった。しかし、いざ屋上に着くと空は暗くなっていて、無数の星が煌めく中で大きな満月がぽっかりと浮かんでいた。



「じゃあ、何して遊ぼっか」


 私から少し離れたところで背を向けたまま、桜はどこか不気味な口調でそう訊いてきた。心臓が嫌な音を立てている。花子さんを呼ぼうとした時とは明らかに違う音。


屋上ここで遊べることなんて、何も……」


「釣れないね。誘ったのは茜の方なのに」


 冷や汗が頬を伝う。背後にあるドアノブを掴んで何度も捻るが、全く開かない。いつの間に鍵をかけられたのだろう。


「遊ぼうって言ってるのに、なんで逃げようとするの」


 桜がこちらを振り返る。影に隠れてしまって表情が見えない。


「ほら、こっちに来て」


 逆らうのは無駄だと悟り、桜の方に向かって歩き出すと、頭上からバケツが落ちてきた。避けられる筈もなく、私は全身に水を被った。

 一瞬、自分に何が起きたのか分からなかった。


 顔についた水を拭いながら顔を上げると、今度は桜が箒で私の腹を突いた。変な呻き声が出ると同時に、よろけて地面に座り込む。


「さ、桜……やめて」


「……どうして?」


「こんなの、遊びじゃないでしょ」


「遊びだって言い張ったのは、茜なのに?」


 もう一度顔を上げた時、桜の目は泥沼のような色をしていた。



 桜がトン、と私の体を押す。視界が夜空に埋め尽くされたかと思うと、遠のいていく桜と校舎が見えた。


「じゃあね」




 落ちていく中で、私は漸く自分が桜をいじめていたことを思い出した。桜がやってきたのと同じように、水を浴びせて箒で叩いた。私が強行した『遊び』はきっと、それだけではなかったけれど。

 涙が零れた。泣きたかったのは彼女の方だっただろうに。


 静かに目を閉じる。

 『花子さん』は確かにいたのだと思った。

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私の花子さん 双葉ゆず @yuzu_futaba

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