第4話

 沼宮内ぬまくないには、結局1日滞在した。

 店主の家で夕飯までごちそうになり、ハトナはどうにか昔の事を聞き出そうとし、巫女はどうにかそれを隠そうとし、一進一退の攻防を、東雲の一家は楽しそうに眺めていた。


 そして翌日。

 朝食を食べてから、これでもかというほど色々な甘味を持たされ、2人は旅を再開した。


「おい巫女様。東雲ばっかり食べるなよ。他のだけ残っちゃうだろ」

「ふふふ、過去のトラウマを克服した今、誰も私を止められないのですよ」

「ああそうだったな。山の獣には何を言っても無駄だった。……この甘味もなかなか美味いな。もう少し貰っておくんだった」

「だからハトナに聞かれるのは嫌だったんです。悪口ばかり言ってると女の子にモテませんよ」


 ―――モテる。か、とハトナは思った。

 この巫女はよく『恋』の事を話している。


 本や歌舞伎やでそういう仲になる男女の話は聞いたことがあるが、あくまで作り話だけでの話だ。全国を練り歩く女は供の少年と恋に落ちないし、再会した菓子職人に嫁入りして旅を終えたりもしない。

 女は恋を捨て、死の恐怖をものともせず、己が使命を果たす。そういう話も本や歌舞伎でよく見た記憶がある。でもこれは現実にある話だ。隣を歩いている巫女は、人々の為に命を使う。


「なあ巫女様」

「んー?」


 巫女が甘味を頬張りながら返事をする。さっきハトナが美味いと言った菓子だ。どうやら耳ざとく聞いていたらしい。


「巫女様だと他の鬼祓いと区別付かないし、何か名前とかないのか」


 ごくん。と巫女は口の中の物を飲み込む。


「鬼祓いは人々の信仰に対して平等に与えられる救済の手ですから、区別などむしろ無い方がいいんですよ」

「でもよお、例えば巫女様が……俺達がいつか別れたとして、その後に思い出だそうとした時、なんか不便だろ」


 巫女様が死んだとして―――その確実に迫っている未来。それを口に出すのが憚られた。


「ハトナ」


 巫女の柔らかくてやさしい手が、ハトナの両頬を包み込む。


「私が死んだら、名前の代わりに、この顔を思い出してください」


 吐息が顔に掛かるのを感じられるくらいの距離。視界の全部が巫女の顔でいっぱいになる。

 凝視とも言えるような近さで眉や頬、唇を見ていると、なんだかスケベな人間になってしまうような気がして、逃げ場がなくなり巫女の目を見つめる。

 心臓の鼓動がだんだんと強くなって、肺、喉、鼓膜まで衝撃が広がっていく。そろそろ巫女に触れられている頬まで一緒に脈を打ちだして、ついにバレてしまうんじゃないかというところで、ようやく解放されて安堵した。


「ハトナ、覚えてくれましたか」

「毎日見てるんだから、こんな事しなくても覚えてるって」

「そうですか、残念です。普段はこんなにまじまじとハトナの顔を見る機会がありませんから、私はけっこう楽しかったのですが」

 

 つい反射的に口走ってしまったが、いざ落ち着いてから振り返ると、あまり嫌でも無い体験だったなと思った。むしろ、もう少し続けて欲しかったとまで感じてしまった。

 とはいえ「巫女様、死んだ後に思い出せるようにもう1回見つめ合おうぜ」なんて言えるような度胸は、ハトナには無い。


「でもやっぱり、話す時だけでも名前があったほうが便利だよな」

「無いものは無いのですから仕方がないでしょう」

「鬼祓いになる前はなんて呼ばれてたんだ?」

「4歳から見習いになったので、隠してるとかじゃなくて本当に覚えてないんですよ。そういう鬼祓いは多いはずです」


 そんな小さい頃から親元を離れて厳しい修行をしていたのか。

 13まで親に守られて育ったハトナには、想像もつかなかった。

 

「そこまで言うなら、ハトナが付ければ良いじゃないですか」

「え?」

「私にも鬼祓いにも名前はありませんし、そもそもこの話を始めたのはハトナなんですから、何かいい名前を考えてください」

「俺が考えた名前って……巫女様が気に入るかどうかも分かんないし、せめて一緒に考えてくれよ」

「そもそも名前って親が勝手につけるものじゃないですか。ハトナはお母さんのお腹の中にいる時に両親に名前の相談をされたんですか?」

「それはそうだけど」


 改めてハトナは巫女の方を見る。みこさま、みこさま、と旅を始めてからずっと呼んできたので、それ以外となるとなかなか思い付かない。


「どうですか、難しいでしょう。降参してもいいんですよ」


 やっぱ思い付かないから巫女様のままでいいや。と諦めかけていたが、そうも煽られては、あまのじゃくな心が刺激されて何としても案を出したくなる。

 そんなハトナ見て巫女は、勝ち誇ったような表情で東雲の包み紙を開けて、かじりつく。


「あ、思いついた」

「へぇ、何という名前ですか?私はどのように呼ばれるのでしょう」


 巫女は、やはり美味しそうに咀嚼している。ハトナの直感は確信に変わった。


「シノミコ。なんていいんじゃないか」

「シノミコ?ミコが巫女から来ているのは分かりますが、シノはどこから?」

「それだよ、それ」


 ハトナは巫女が持っている東雲を指差す。


「『しののめ』が好きな『みこ』だから、シノミコ。どうだ?なかなかしっくり来るだろ」


 シノミコ―――は、半分かじった東雲とハトナの顔を交互に見た。

そして少し考えた後、怪訝な表情をする。


「……なんだか、人が死ぬ方の『死の巫女』って感じがしませんか?それ」

「名付ける時は相談なんて必要ないって言ったのは、どこのシノミコ様だったっけー?」

「むむむ……取り消します。やっぱり巫女には名前なんて必要ありません。私たちに個は無く皆同等なんですー!」

「うひゃー、死の巫女様が怒った、命を取られちまう」

「ハトナ!今のは絶対に『死』の方で呼びましたね!そんな怖い巫女じゃないのにー」


 小走りでハトナは駆け出し、それをシノミコが追いかける。


 やっぱりこの人は、とても死の巫女を連想などできない。

 普段はあんなに物腰が柔らかくて、そして時折はこんな茶目っ気を見せて、恥ずかしい過去みたいなものも持っていて。


 自分はそんな彼女のことが――好きだ。

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幕末の鬼祓い巫女 雀内一 @szme

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