第3話

 文久2年(1862年)6月 

 陸中國りくちゅうのくに盛岡藩もりおかはん(現在の岩手県北部)



 盛岡の城下町から奥州おうしゅう街道を北に進むこと2日。

 東北道で最大の河川である北上川きたかみがわの源流にほど近い、沼宮内ぬまくないの宿場町。

 

「ハトナ、これで大丈夫かしら?私だってバレないかしら」


 巫女は鼻から上だけを覆う狐の面を着け、ハトナの方を振り返った。


「はいはい大丈夫だって」

「もう、ちゃんとこっちを見て言ってください。口が出ているんですよ!これじゃあ丸出しと変わらないじゃないですか」

「それが一番目の覗き穴が大きいんだからしょうがないだろ。さっきから転んでばっかりじゃないか。他の面だったら店に着く前にはかまが擦り切れるぜ」

「それは……そうなのですが」


 事実、面を着けながら歩いていて何度も地面につまづいて転び、袴の膝下のあたりは土汚れにまみれていた。


「大体にしてよ、そんなにバレたくないなら行かなきゃ良いじゃないか。他にも美味いもんの店はたくさんあるだろ」

「そんな選択肢は断じてありません!何せそのお店こそがこの旅の目的……いいえ、むしろ私の生きる意味と言っても過言ではないかもしれません。これから行くお店の看板菓子は本当に本当に美味しくて、それはもう日本で一番なんです。これは7年以上全国を歩いてきた私が断言します」

「はあ、お菓子ってだけでそんなに変わるモンか?」

「そんなことを言っているなんて、ハトナはまだまだ若いですね。まるで昔の私を見ているようです……昔の私…………のぁぁぁぁぁ」


 巫女は頭を抱えて地面にうずくまる。


 沼宮内ぬまくないに近くなってから、いや……盛岡に着く少し前くらいから巫女は変だった。

 やけにテンションが高くなって口数が増えたかと思えば、次の瞬間には奇妙なうめき声を上げて身をよじったり、うずくまったり。昔の事を話し出そうとするから『それで?』なんて相槌あいづちを打ってやれば『これは封印した過去なので、決して口外できないのです』と急に話すのを止める。


「巫女様ー。沼宮内ぬまくないに入ってからそれもう何度目だよ。3分に1回は同じやりとりしてるぞ。これじゃあ全然進まねえよ」

「過去の私はなんと恥ずかしいことを……これじゃあお嫁に……いいえ…………お墓に行けません……」


 そう言って頭を抱えながら、巫女はハトナの方をチラリと見る。


「あ!今のは巫女ジョークの1つで、巫女は引退しなければ結婚できないことと、巫女の死因第一位が鬼に殺されることなので瘴気しょうきのせいで誰も埋葬しに近付けないという現実を皮肉った意味があるんですよ」

「さいですか」

「え、ちょっと、もう少し何か反応してくれないんですか!面白いね!とか、可哀想だね。とか、そん時は俺が嫁に貰ってやるぜ。とか」

「はいはい。元気になったみたいだからもう行くぞ」

「待ってくださいハトナぁ。心の準備がー」


 そう言って巫女はハトナのそでの端を引っ張りながらついて来る。

 5歳年上とはいえ、若くて顔の整った女に、こうも子供のようにひっ付いて来られては、ハトナの方もドキッとしてしまう。

 しかし、ハトナはこの巫女が確実に死に向かっており、それでもなお命の灯火を消すその時まで巫女であり続ける、その覚悟を持っていることを知っている。


「じゃあ10数えるから、その間だけ待つ。ひとーつ、ふたーつ―――」

「えっ、あ、早いです早いです。もっとゆっくり―――」



 *



 『沼宮内ぬまくない 甘味処 東雲しののめ


 ハトナは黒地に白で書かれた暖簾のれんをくぐった。


「いらっしゃいお客さん。……おや、旅の方ですか」

「ああ。巫女様がここの東雲って甘味が日本で一番美味いって言っててな」

「ちょっとハトナ、私の事はあまり喋らないでと言ったでしょう」


 店番をしていたのは歳のいった老夫婦だった。店主だろうか。

 巫女はハトナの後ろで店主たちから隠れるように腰を屈め、狐の面を両手で強く押さえている。


「後ろに居られるのは鬼祓いの巫女様でしたか。宿場町なので立ち寄られる機会は多いのですが、お連れ様を見かけるのは初めてですな」

「他の巫女もよく来るのか?」

「まあ手前味噌ではございますが、小さい宿場町とはいえ、これでも町一番の甘味屋を自負していますもので」

「だってよ巫女様。そんなに大勢来てるならいちいち覚えてねえって」

「いいですから。このお金で買えるだけ買ってすぐ出ましょう。急ぎの旅なのですよ」

「一体どこに急いでるんだよ。1町ごとに立ち止まって休憩してたやつの台詞じゃねえだろ」

「いえいえ、お代はけっこうですよ鬼祓いの巫女様なのですから寄進させていただきたいのです」

「へへ、ラッキーじゃねえか。俺の分もくれるのか?」

「もちろんですとも」

「いいえ店主、結構です。私はそんなたいそうな身でもございませんので、代金を支払わせてください。さあハトナも断って」

「せっかく貰えるってのにそれはないぜ巫女様。つーか、寄進を断ってもいいのかよ」

「もし、お尋ねしたいのですが」


 店主が妻に「なあ、この方」と言うと、妻が巫女のことをじっと見つめて「あっ、そうですよ」と驚く。


「そちらの祓い巫女様は、もしかして5年前に鬼を祓ってくださった巫女様ではないですか?」

「……鬼祓い巫女は名を持たぬ存在。個は無く皆同じものと扱ってください」

「巫女様、なにこんな時ばっか普段言わないこと言ってんだ?やっぱ変だぞ」

「その声、間違いありません。私たちの息子を救っていただいた祓い巫女様です」


 身を乗り出すように喋り掛けて来る老夫婦に観念したのか、巫女様はおずおずとハトナの後ろから姿を表す。


「あの時はその、本当になんと言って良いやら……何も知らぬれ者が無礼千万の愚行をしでかしまして……」

「そんなのは些細なことですよ。」

「そうですとも。私らはこうして商売を続けていますし、息子も一人前の菓子職人に育ちました」

「昔の巫女様って何かしたのか?たまに匂わせる癖に肝心なことは教えてくれないんだよ」

「なあに、子供はみんな通る道さ。あんなの気にする大人は居ない。兄ちゃんもデカくなればそのうち想像が付くだろう。気になるなら後でこっそり教えようか?」

「ちょっと店主。お願いですからハトナにそれを言うのは勘弁してください」

「でも、祓い巫女様もだいぶ雰囲気が変わりましたね。危うくお礼も言えないままお見送りするところでしたよ」

「息子もあれから腕を上げて、今では菓子作りはほとんど任せているんですよ。うちの甘味を召し上がってください。お茶も用意しますので」

「是非どうぞ。これは貴女様が守ってくださった味なんです」


 そう言って店主たちは棚に並べてあった甘味を手当たり次第に勧めてきた。


 『銘菓 東雲』


 ハトナが店の名前を冠したその包み紙を開けると、まず米粉のやさしい香りが広がる。

 クルミと黒ごまが混ぜ込まれた白い生地は柔らかな弾力だが、サラサラとしていて手に付くこともない。

 一気に口の中に放り込むか、2口に分けて食べるか、絶妙な大きさ。

 でも、なんとなく1口で食べてしまうのは勿体ない気がして、サクッ…とも、カリッ…とも表現しがたい小さな音を立てて半分かじる。

 もちもちとしているが、団子のように歯にくっついたりはしない。だからと言ってパサパサと喉が乾くわけでもない。


 いつの間にか、半分にかじった残りも食べてしまっていた。

 もう1つ、東雲の包みを開ける。


 甘いのだが、あんこのように甘すぎる事もなく、お茶を飲まずとも永遠に食べていられる。

 時折クルミが歯に当たり、顎にも心地よい食感。

 餅やゆべしに似ているようで違う、今までに食べたことがある甘味にカテゴライズできない、不思議な味わい。

 気付けば既に4つ、食べきっていた。


「なるほど、これはうめえや」


 そういえば、と思って隣を見ると、巫女も噛みしめるように食べていた。

 

「とても懐かしい味です。この瞬間まで生きててよかったあ」

「祓い巫女様ってば、大げさですよ」

「前にお会いした時は甘いものが嫌いだとおっしゃっていたので、実のところ少し不安だったのですが、喜んでいただけてホッとしました」


 そういって夫婦は笑い合った。


「この巫女様が甘いものが苦手?冗談だろ」

「あの時は本当にお礼のしようも無くて、せめてもと東雲を押し付けるように持っていってもらったんですよ」

「最初は断られたもので、お別れした後に『迷惑だったんじゃないかな』とかって心配していたんですよ。今は甘味が好きになられたんですね」


 最初は遠慮しがちに食べていた巫女の前には、空の包み紙が既にハトナよりも多く重なっている。


「2つ前の冬に、少し心境の変化がありまして。……あ、でも東雲さんの甘味だけは、初めて食べた時も美味しかったですよ!」

「そうだ、息子たちの顔も見ていってください」


 おうい、サダキチ!と呼ばれ、店の奥から30くらいの男性が出てくる。


「どうした親父……あ、お客さんいらっしゃい、ごゆっくり。親父、仕込み中は急な用事以外呼ぶなって言ってんだろ」

「バカ野郎おめえ、こちらにいらっしゃるのはお前の命を救ってくだすった祓い巫女様だぞ。そんな他人行儀な礼の仕方があるか!」

「何言ってんだよ親父、もうボケたか?あの時の巫女様は確かにこの上ない恩人だけどなあ、こんな別嬪な巫女様をあんな山の獣のような人なんかに例えたら、かえって失礼じゃないか!」


 職人親子の話の途中から、巫女は忘れていた恥ずかしさが湧き戻って来たかのように、湯呑みを持つ手で、赤くなった顔を隠している。


「ったく、馬鹿息子が……」


 あちゃー。と頭を抱える店主と、その姿を見て、状況を把握したサダキチの表情が少しずつ変わる。

 

「え……親父…………マジか……」


 愕然とするサダキチ。


「その、はい。恥ずかしながら、私です……」

「あ、いやその、貶めるつもりは無くてですね……ただあまりにも美しい方だったもんで、あのクマみたいな臭いがする方と……その………どうか命だけはお助けをお!」


 お前はどうしてそうも馬鹿なんだ。と、店主が言わなくても顔に書いてある。


「あの時は土足で人の家に入り込んで、あちこち汚してしまい、本当に失礼いたしました」

「いえいえ祓い巫女様、顔を上げてください。こちらこそ頭を下げさせていただきます」


 そう言ってサダキチはヒザをつき頭を下げるが、仕込み中の手を床に触れないようにしているせいでおかしな格好になっている。

 その手は、赤黒く変色していて、ハトナは目を奪われる。


「その手……」

「すんませんねお連れさん。お見苦しいものを。でも甘味に影響はないんでご安心ください」

「いや、俺もそうなんだ」


 サダキチと夫婦は驚いて目を開く。

 そしてその目はそのままハトナの首元や腕、脚にこれでもかと巻かれたサラシに移る。


「するともしかして、そのサラシの下は全部」

「ああ」


 そう言ってハトナが布を一部めくると、サダキチと同じ色が見えた。


「改めて、こちらの祓い巫女様は凄え方ですよ」

「そうだな」

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