第2話

 その晩、村人たちが野衾屋のぶすまやの店主の屋敷に集まり、鬼祓おにはらい後のうたげが行われていた。


「おかげさまで、やっと死んだ親父達とも顔を合わせられるこっだな」

「んだなあ。去年も一昨年もみんな墓参りさ行けねかったから、張り切って掃除しねんばなんねな」


 盛り上がる村の衆を尻目に、ハトナはそっと宴を抜け出して、草鞋わらじを結んでいた。


「こんな遅くにどこへ行くんですか?」


 巫女がその背に声を掛ける。

 

「ちょっとかわやに」

「お団子を持ってですか?便所飯ですか?寂しい子ですね」

「なに変なこと言ってんだよ。飲みすぎじゃないのか?」

「私は赤くなりやすいだけでお酒には強いんですよ」

「はあ。まあ、酒を飲むのは止めないけどよ、酔い止め薬とかは持ってないんだからほどほどにしとけよな」

「夜の山は危険ですよ。鬼よりも怖いオオカミやクマがうじゃうじゃ潜んでいますからね。でもハトナのそういう所、私は素敵だと思いますよ。」

「……なーんだ、全部お見通しってことか」

「明日、温泉に向かう前に、2人で住職にお供えに行きましょう。ですから今日の所は一緒に楽しんでください」

「そうだな。分かったよ巫女様」



 ―――鬼祓い巫女は、金銭を持たない。

 と、いうのはもう少し古い時代の戒律で、今ではほとんどの巫女は路銀を持ち歩いている。

 それでもせいぜい3日分の食費程度であり、泊まる宿は善意で借り、擦り切れた衣服なども寄進きしんまかないながら全国を行脚する。


 その日、巫女とハトナは店主の屋敷に泊まった。



 *



 5年前 夏

 陸中國 一関藩

 


 鬼祓いにはいくつかの流派があるが、阿仁帯あにたい山と神狩みかり山の系列だけで、全ての鬼祓いの8割を占める。

 そして修行を終えた者は、各年ごとに優秀な順番で壱番巫女、弐番巫女、参番巫女……と呼ばれる。

 つまり、阿仁帯山の壱番巫女と言った時点でその年に鬼祓いになった者の中でも1番か2番くらいには優秀ということだ。


 阿仁帯山では通常、12年を費やして鬼祓いの修行をするが、私はそれをわずか9年で満了し、歴史上で最年少の鬼祓いとなった。

 私は優秀だ。

 山内では『先巫女さきみこ』と呼ばれる教育役たちでさえ、私に敬意を払った。

 

 ……それが、世俗へ下りてみれば何事か。

 

 私を見ると、年の若さから実力を侮り、敬意を忘れる。

 修行にかかる年数を考えれば、むしろ、年若い鬼祓いこそが尊敬にあたることは明白であるはずなのに。


 だから私の名乗りはこうだ。

 『阿仁帯あにたい総本山そうほんざんが鬼祓い巫女 安政あんせい三年の壱番』

 これを聞けば、私をあなどる者は誰一人居なくなる。

 

 ―――なんとも都合の良い肩書だ。



 *



 鬼が出たという話を聞き、私は栗駒山くりこまやまへ向かっていた。

 しかし整備が進んでいない道で、迷いそうであった。

 なので私は通りすがった寺で道を聞くことにした。

 山門には『玄毘山 山王寺』と書かれている。


 参道は草が短く刈られていて、足元もぬかるまないように少し高く土が盛られている。


「私は阿仁帯あにたい総本山が鬼祓い巫女 安政三年の壱番だ。坊主、道を問う」


 境内で草むしりをしている坊主の背中に声を掛ける。


「これは祓い巫女様。全国行脚のお勤め、まことに有難きことにございます。どちらへ向かわれるのでしょうか」

 

 坊主がこちらを見て手を止め、腰を上げた。


「栗駒山の中腹に鬼が出たと聞いた。何か知っているか」

「鬼祓いに来ていただけたのですか。ありがたいことです。詳しくお話いたしますので、まずはお入りください。狭い寺ですので掃除は行き届いております」

「要らぬ。急いでいる。道だけ聞こう」


 私はイライラして言った。

 

「ですが、もうじき日が落ちますよ。今から向かえば子の刻(深夜0時頃)は過ぎるかと。向こうは人家も無いですし」

「無用な気遣いだ。野良畜生など私の相手にもならぬし、疲れればその場で野宿する」

「祓い巫女様はみな、そのような生活を送っておられるのですか」

「おい坊主、私の話を聞いていたか?道を教えろと言ったのだ。叩き切るぞ」


 人のペースを崩す、しゃくさわる坊主だ。

 私は腰に下げていた小刀をさやから抜き、切っ先を坊主に向ける。


 ―――巫女は祓い術で『宝剣ほうけん』という武器を使うが、それが一般的にも武器であるとは限らない。かんざしや木の枝、石ころだって構わない。鬼も、人も、畜生も、それで斬ることができる。

 私が手にした小刀は、弓より遠くへ、斧より強い一撃を生む。


「貴女のような徳の高い祓い巫女様は、絶対に悪意のない人間を切りませんよ」


 はっはっは。と、その坊主は笑い声を上げる。実に不快だ。


「私の答えは変わりませんので、今日の所は当山で身体をお休めください。その代わりに明日、朝早く発てばよいではないですか」


 男の笑顔も相まって不満は大いに残るが、時間としては大きな損失ではないと自分を納得させ、この寺に一晩泊まることにした。



 *


 

「鬼祓いの身をもって寄進をあずかる」

 

 晩飯は玄米粥と大根の漬物、それと野菜の煮物。何の変哲もない味だ。


「肉や魚など、精のつくものをお出しできず申し訳ありませんが」

「構わん。飯など身体が動けば何でもいい。それに出されたものを食うのが巫女だ」

「では我々と同じですね」

「一緒にするな。お前ら坊主は好んで禅問答とか言う暇つぶしに明け暮れているが、そんなもので遊んでいる巫女など1人も居ない」

「禅問答が暇つぶしですか、これは手痛い。巫女様は無駄を極限まで削ぎ落としておられるようですな。……しかしそれでは、いずれ心が壊れてしまう」


 いちいちしゃくに障る坊主だ、と思った。

 私が返事せずに飯を食らっていても、坊主は飽きずに話し続けた。


「ですから、何か心を満たすものを見つけてください。人としてでも、祓い巫女としてでも構いません。ふと自分の足元を見失った時に、また歩きだすための行き先を1つ、心に持っているとよいでしょう」

「ああそういえば、修行中にもそんな事を言っていたやつがいたぞ」

「素敵なお方ですね。その方も貴女に負けず劣らず、さぞご立派な祓い巫女様になられていることでしょうね」

「さあな。私と違って無能だったから、鬼祓いになるのを諦めて世俗に生きているんじゃないか?それに、もし鬼祓いになってたらとっくに死んでるはずだ」


 無能な女の顔を思い出してみたら、案外すぐに浮かんできた。

 名前は無かった。鬼祓いは常に番号で呼ばれ、『個』を持たない……はずだったが、あいつには『無能という個』が存在していた。

 見習いたちの中でも年上なくせに甘ったれで、人間の幸せがどうとか、こんな鬼祓いになりたいだとか、絵空事ばかり語っていた。


「話は変わりますが、ここの近くに厳美渓という景勝地がありまして、景色も十分に美しいのですが、そこで食べられる野衾屋の団子がそれはそれは絶品でして、もしお時間があれば立ち寄られてはいかがでしょうか。なんなら私もお供しますので」

「私は甘いものが嫌いなんだ」

「そうでしたか。では温泉はいかがでしょうか。ここらを流れる川が翠色をしていることには気付きましたか?あれは温泉地帯特有のものでして、ちょうど鬼が出たあたりは温泉が湧いておりますので、鬼祓いの後に疲れを癒やしてから旅立たれてはいかがでしょう。他にもこの地では―――」

「寝る」

「湯を沸かしていますが入りませんか」

「不要だ」

「ですがその……禊ついでにいかがでしょう」


 坊主がやけに食い下がるから言葉を交わすのも無駄と思い、手早く入浴することにした。湯を出ると、それまで着ていた巫女装束のツーンとした臭いが鼻を突く。

 鼻が慣れて自覚が無かったが、かなり酷い臭いだ。そしてその隣には着替えが置かれていた。

 あの坊主め、臭いが気になるなら、そうとはっきり言え。

 

「明日は夜明け前に出る。道は覚えたからお前は起きなくていいぞ」





 ―――翌日。夜明け前の寅4つ時(午前3時過ぎ)

 私が目を覚ますと、夕べ脱ぎ捨てていた装束が綺麗に畳まれて、匂いと汚れも粗方落ちていた。夜分に干しただけで乾くはずもないので、おそらく火の近くに掛けていたのだろう。

 

 やはり、坊主は既に起きていた。台所からは美味そうな匂いが漂っている。


「やけに早いな」

「坊主の早起きを甘くみないでいただきたいですな。簡単なものですが朝食を用意しています。握り飯も包みましたので、弁当にどうぞ」


 坊主の飯は美味かった。


「それから、もう使う機会もありませんので、よければお使いください」


 私が草鞋の緒を結んでいると、坊主は綺麗に拭き上げられた錫杖を取り出してきた。


「軽い木が使われておりますので、旅の邪魔にはならないかと」


 受け取って地面に突いてみると、カシャン――と先端の金属が打ち鳴り、なるほど手によく馴染んだ。


「おい坊主……」世話になった。


 そう言いかけたが、何やらむず痒いものが尾を引いて、言葉が上手く口に出ない。

 

「―――どうかお気になさらず。行ってらっしゃいませ」


 たった半日で見慣れたその微笑みに背を向け、私は寺を後にした。

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