幕末の鬼祓い巫女

雀内一

第1話

 日本では古来より、人の命をむしばむ未知のものに対して、鬼、モノ、あやかしなどの名前を付けて恐れてきた。

 それらは科学の発展と共に、細菌やウイルス、毒ガスなどと正体を突き止められ、今日では恐れるに足らない存在となった。

 しかしながら、今なお科学には未知の分野が多く、人は本能的に夜の闇を恐れている。


 江戸時代末期。今よりもずっと夜の闇が濃かった時代。

 鎖国下でも徐々に浸透してきた西洋科学により、日本の闇は少しづつその姿を明るみの下に照らしていった。

 とはいえ未だ全てが解明された訳ではなく、闇にはまだバケモノが潜んでいた。

 そんな変わりゆく幕末の日本で、人知を超える恐ろしいものを退治する『鬼祓おにはらい巫女』を生業なりわいとする女と、その供をする少年がいた。



 *



 文久2年(1862年)4月

 陸中國りくちゅうのくに一関藩いちのせきはん(現在の岩手県南部)


 厳美げんび。それはかつて東北の地に舞い降りた独眼竜・政宗公が『松島と並ぶ我が藩の景勝地』と誇り、何度も足を運んでいた渓流。

 宝石のように透き通った翠色すいしょくの川が轟々と音を立てて流れ、両岸にそびえる鋭い岩肌は、神々の時代からその急流に削られ続けて作られたという。そして崖の上では青々と茂った木々が、太陽の日差し受けてキラキラと輝いている。


 「巫女様、川の水が緑色だ!」


 巫女の格好をした若い女と、それより5歳ほど若い荷物持ちの少年が、厳美げんびの川を横目にして街道を歩いている。


 「そう言えば、ハトナは初めて見たのでしたね。温泉地に近い川は緑や白い色がつくことが多いのです。せっかくですから、お団子をいただいたら温泉にも浸かりに行きましょうか」


 ハトナと呼ばれた少年は13歳。生まれ故郷である陸前國(現在の宮城県)を出て半月ほど。ただでさえ見知らぬものだらけのハトナにとって、翡翠ひすいのように不思議な色をした川は、この世のものでないように錯覚する。


「あまり川ばかり見ているとつまづいて転んでしまいますよ」

「心配要らないって。……おっと」

「もう。言ったそばからじゃないですか」

「なんとか踏みとどまったから大丈夫!」

「重い荷物を背負ったままなのですから、怪我には本当に気を付けてくださいね」

「……ところで巫女様、次の目的地は近いのか?」

「もうすぐ着きますよ」


 巫女の返事に対してハトナは期待を隠せない様子で尋ねる。


「じゃあこの地にも鬼が出るのか!?」

「そういう話は聞いていませんが」

「へ?」

「ここへはお団子を食べに来ただけですよ」


 ハトナは、とぼけたような表情になる。


「じゃあ、いつもみたいに鬼祓いをしに来たんじゃないのか?」

「ええ。巫女は常に戦っている訳じゃありませんよ。人間、時には休息も大事です」


 2人は渓流のほとりに建てられた小さな東屋あずまやに腰を下ろす。


「着きましたよ。ハトナ、荷物を下ろして大丈夫ですよ」

「でも巫女様、団子屋なんてどこにも無いぞ」

「あるではありませんか。向こう岸に」


 ハトナが巫女の視線を目で追うと、なるほど川を挟んだ対岸の崖の上に1軒、小さな団子屋が立っている。


「ここの団子は、空を飛ぶんですよ」


 東屋あずまやより高い位置にある団子屋からは2本の長い縄が伸びており、川の上をまたいでこちら岸まで続いている。太い方の縄には滑車かっしゃおけが掛けられており、細い縄はその滑車に結び付けられていた。


「この桶にお金を入れて木板を打ち鳴らすのが、ここでの注文方法なんですよ」


 カン――カン――。巫女が木板を高く打ち鳴らすと、滑車に結び付けられた細い縄が引かれて、桶がスルスルと空を登っていく。

 そして程なくすると、桶が川の上をサーッと滑るように移動してきた。


「ね。面白いでしょう」

「何だっけ、あの、木と木の間を飛び回るネズミみたいなやつみたいだな」

野衾のぶすまですか?目の付け所がいいですね。あのお団子屋さんも『のぶすまや』と言うんですよ。ほら」


 ハトナが桶の中を見ると、あんこ、ごま、みたらしの2種類の串団子と、お茶が2人分用意されており、湯呑みには両手両足の飛膜ひまくを広げている野衾が描かれていた。


「美味そう!食べて良い?」

「どうぞ。喉に詰まらせないように気をつけてね」


 1本の串に5つ刺さっているみたらしを、一気に2個頬張る。甘じょっぱい味が、なめらかな舌触りと共に口の中に広がってゆき、もちもちとした団子の食感と調和されていて、気付けば1本ペロリと平らげてしまった。

 続いてはごま。食べた瞬間にごまの香りが鼻を刺激し、口の中でよだれが一気に溢れてくる。みたらしの主張が強いしょっぱさとは違う、甘さの中にほんの少しだけ隠れている塩味。すりごまのザラザラとした食感と共にアクセントになり、全く違った味わいを楽しめて、こちらもすぐに1本食べてしまった。


「うふふ。ハトナ、口の周りに付いていますよ」


 巫女に指摘され、ハトナが舌でペロリと口の周りを拭うと、ごまとみたらしの混ざった味が感じられ、美味しさがもう1種類増えた。

 巫女の方はというと、お茶を間に挟みながら、3種類の味を1つずつ順番に食べていた。あんこしか残っていない自分の団子を見て「自分もその食べ方をすれば良かった」と少し後悔したが、次の機会があっても自制できず、片っ端から食べてしまうような気がした。

 最後のあんこも絶品だった。食べ終わってから口に残る甘ったるさを流してしまうのがもったいないような気がして、巫女が食べ終わるまでお茶は飲まず、旅立つ直前になって一気に流し込んだ。


「あら、これ……」


 ハトナが飲み干した湯呑みの下に小さな紙が敷かれており、


 ―――鬼祓いの巫女様でしたら、木版を5打していただけないでしょうか。伺って相談したいことが御座います。


 と書かれていた。


「危なく見落とす所でした。ハトナが最後までお茶を飲まないからですよ」

「だってあんこの甘さが口ん中から無くなっちゃうだろ?それより巫女様、俺が木板やっていいか?」

「ええ、どうぞ」



 *



「ご足労いただいてすみませんです巫女様。おらいから出向こうと思っていたのに」

「いえいえ。全国行脚ぜんこくあんぎゃの身ゆえ、これくらいの距離は歩いたうちにも入りませんよ」

「ありがとうございます。ところでそっちの方は……」

「巫女は本来一人旅ですからね。この子は訳あって預かっている子です。多少医学の心得があるので、そちらでもお役に立てるかと」

「そうですか。実を言いますと、この村の寺さ鬼が住み着いているみたいなんですよ」

「なるほど。ではそのお寺に住職は」

「3年前に亡くなりました。無宗派の寺で後任の住職も見つからず、それ以来は村の者で管理してきたんだけんども、鬼が出るようになってから墓参りにも行けず困ってるんです」

「分かりました、参りましょう」


 川のほとりでみそぎを済ませ、団子屋のトミに聞いた道を進んで半刻ほどすると、寺に続く山門が見えてきた。

 

 『玄毘山 山王寺』


「やっぱり、山王寺さんのうじさんですか」

「巫女様は知ってるのか?」

「亡くなった住職には、1度目の行脚あんぎゃの時に泊めていただきました」

「あー、なるほどなるほど。やけに詳しいと思ったら、巫女様はその時にさっきの団子も食べたんだな?」

「いいえ。その時は急ぎの道中だったので寄り道をする余裕は無く、野衾屋の話だけを聞いたんです」

「まさか巫女様にも甘味より優先するものがあったとは驚きだな」

「あの時は今よりも……何というか…………殺伐としていて……そう、色々なことに余裕が無かったり、見えているものが少なかったんですよ」

「ん、どういうことだ?」


 人の手が入らなくなって3年が経った参道は草木に覆われており、獣道の方が遥かに通りやすそうだった。

 ハトナがなたで切り払いながら道を切り開き、巫女はプチプチと花を摘みながらその後ろに続く。


「うぇっぷ。クモの巣が口に入った」

「大きな口を開けて喋っているからですよ」

「そんなこと言ってもよ。こんな山道を黙々と歩いてたら先に気がおかしくなっちまうって」

「あら?私は昔、鉈も使わずにこの身1つで、しかも走りながら山越えをしたこともありますが、この通り元気ですよ」

「さすがにそれは嘘だい」

「ふふっ。もう少しで本堂に着くので頑張ってくださーい」


 ハトナが参道さんどうに入った時から続いていた、大熊の舌で首筋をめられるような悪寒。本堂まで辿り着くと、それがいよいよ強くなり、吐き気や目眩など、体中のありとあらゆる部位が不調を訴え始めた。

 なんとか背中から行李こうり(竹で編んだ荷物入れ)を下ろして道具を取り出そうとするが、ハトナはそのままひざをついて地面に倒れ込んでしまう。

 


「ハトナ、動けそうですか?」

「…ぅみ……ません……ぃこさま……」

「分かりました。ではそこで見ていてください」


 巫女が乾いた苔と小枝を組んで火打石の火花を当てると、炎が勢いよく燃え上がる。その炎の上に参道で摘んだ花を放ると、まるで一斉に飛び立つ渡り鳥のように、色とりどりの花びらが空へと昇ってゆく。


阿仁帯式あにたいしき祓術はらいじゅつ 獅子吼ししく


 そう唱え、最後に1輪残った花を持ったまま右手を横に一閃いっせんする。

 ぎ払うと同時にその場の悪い気は霧消むしょうし、空に舞った花びらは不自然に長い滞空時間を経てゆっくりと地面に落ちてくる。

 ハトナの身体の不調も引いていった。


「少し、寄り道しても良いかしら」


 本堂の中はクモの巣とコウモリのふんだらけになっており、2人は土足のまま中に上がった。

 巫女は本尊ほんぞんの仏像の前を気にせず素通りしたが、ハトナは何となく気まずなり、一礼してから横切った。


「さっきの鬼、たぶん住職さんね」

「巫女様は分かるのか」

「明確に人が鬼になるのではないけど、こういう時に人はそう感じるってこと」

「どういうことだ?」

「人の世は曖昧あいまいなのよ」


 懐かしそうな目をしながら巫女は建物を一通り眺め、本堂裏手の『先住塔せんじゅうとう』と彫られた石柱の前で足を止めた。


「住職、長い間ご苦労でした」


 本人が『殺伐としていた』と言っていた時期に出会った寺の住職。

 今の巫女しか知らないハトナにとっては、とても想像できない姿だ。そもそも巫女の話が本当か嘘かだって、まだ定かではない。

 でも、その話が本当だとしたら、ここに眠っている住職はどんな巫女と出会い、どんな言葉を交わしたのだろうか。

 今のハトナに知る由もない。


「え……巫女さま何してんだ?」

「何って、お供えですよ」

「それ、どう見ても食べ終わった団子の串じゃねえか!ゴミ捨ててるだけだろ!」

「ふっ……ハトナは知らないのですね。仏教の教えによると、仏さんは香りを召し上がるそうですよ」

「なんか分かった気になってるみたいだけど、それってお供えした後に食えってことだろ絶対に!人の墓前に食いカスを捨ててけって意味じゃねえだろ!」

「ハトナはいちいち細かいですねえ。もー、ぷんぷん」

「はいはい。それは良いからゴミはちゃんと持ち帰ろうぜ」

「分かりました」

 

 巫女は墓の前から串を回収し、ハトナが背負ってる行李の編み目に

 

「えいっ」

 

 ズボッと差し込んだ。

 

「それじゃあ、トミさんに報告に戻りましょうか」

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