裸眼よりもきれいな世界

水中毒

僕が普段見る景色がより綺麗に見えるわけ

僕は、この学校で一番目が悪い。

視力はなんと驚異の両目0.01。しかも近視・乱視付きの役満だ。

眼鏡をかけてもその影響は大きく、せいぜい、0.7が限界だった。

もう視力1.0の世界など久しく見ていない。


別にこの視力は何か大きな病気が原因だったり、事故が原因で起こされたものではなく、結局のところ原因はテレビ、今はスマホ・タブレットの見過ぎのせいなので、結局自業自得なのだ。しかし、人類は僕みたいな人のためにか、眼鏡という文明の利器をすでに発明していた。おかげで僕はこの状況に置いて不満を言う気もなかったし、僕自身も言おうと思ったことは無かった。


しかし、高校に入ると状況は一変する。皆お洒落をし始めるようになり、次第に眼鏡はハイカラな高校生からは、反お洒落主義の象徴となり、次第に淘汰されていった。

その勢いはすさまじく、中学に入った時には全体の50%近くいた眼鏡ユーザー(僕は中学受験をして、中高一貫校に進学したので、その影響か同学年にも眼鏡ユーザーは多かった)はみんな軒並みお洒落主義の最先端であるコンタクトレンズを導入し始め、眼鏡を掛けていたのは僕だけとなった。その僕も、時代の流れに飲み込まれた。ただ、今だ目の中にレンズを入れるという行為に対してある種、嫌悪感を抱いていた僕は、折衷案とし授業以外で眼鏡を掛けないという、視界の自由を放棄することによって、この学校における基本的人権を得ることに成功したのであった。


視界の自由を放棄すると言っても、実は意外と生活自体はできたりする。

小さな文字が見えなければ、超至近距離で見ればいい話だし、信号や周りの風景に関しては、色自体は見えるのでそこまで問題はなかった。顔に関しては、顔のパーツ判別できたし、確証がない時は声で判断した。


しかし、この事によって、僕は景色を楽しむことができなくなった。

春の桜並木は僕にとっては桜色の水彩絵の具を溶かした水バケツのように淀んで見え、夏の青空に浮かぶ入道雲は青色キャンバスにクラムチャウダーをこぼしたみたいに汚く見え、秋の紅葉は単色の味気ない赤になってしまい、冬の雪化粧はただ視界を空虚な空間にするだけだと容易に想像できた。


そんな絶望に似た思いを抱いていたある時、町を歩いていると、いつもはぼやけて仕方がない視界に、まるで聖遺物を初めてみた時のように光り輝くものがあった。

その黒く、ゴツゴツとしたフォルムは、今まで見てきた電子機器とは違う、特別な何かだった。

昨今の、スマホブームによりすっかり廃れてしまったカメラだった。


僕はその時のお金の全財産を使い、お店に置いてあった中古のカメラ本体とレンズを買い、家に急いで戻った。

ボディキャップを外し、レンズを着け、レンズカバーを外した。

本体右上部にある突起を円に沿ってずらすタイプの電源を入れると、電源近くのライトが光り、電源が入った。

しかし、ディスプレイが光らず、不思議に思っていると、カメラ上部についているファインダーが光っていることに気が付いた。

窓を開け、レンズを外に向け、ファインダーを覗いた。


ぶわっ!


と強く風が吹いた。向かい風だ。

お洒落主義の象徴であるセンターパートを作るために伸ばした髪が左右上下前後に自由に動き、頭に塗りたくったワックスが必死にセットを維持しようとしたが、抵抗むなしくいともたやすくほどいてしまった。

窓をくぐり、僕の部屋の中を自由にかき乱す風は、眼鏡を文鎮にしたルーズリーフの束を浮かべることに成功した。

それでも僕はファインダーを覗くことをやめなかった。

いくら髪型がおかしくなろうとも、いくら机の上に雑然と置かれたプリントが舞い踊ろうとも、僕はただ、カメラのセンサー越しに見える景色に夢中になっていた。

鳥が飛び、蝶は舞い、ヘビは地を這っていた。

木漏れ日は、木の持っている葉を立体的に表し、眩い光となって僕の所に飛び込んできていた。


僕は、カメラから見える世界に惚れた。

間違いなく、裸眼の世界よりもきれいな世界だった。



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