クラスカースト最底辺のド陰キャ、将棋が強ければ何をしてもいい世界で無双する!

ピヨ幸

第1話 恵まれた環境に生まれた、だけの男

恵まれた環境に生まれた人間が、必ずしもその後の人生で優れた結果を残せるとは限らない。その後の人生で努力を怠った人間は例外なくそのまま堕ちていく。


俺はそう確信している。


17年前、俺はとってもお金持ちな両親の1人息子として生を受けた。

そして俺はこの17年間、その恵まれた環境を受動的に享受し続けて生きてきた。


 高橋たかはし肥太こえた(俺)とは、高校2年生で、身長150cm、体重80Kg、そして実家がとても金持ちな男の名前である。


 俺はクラスの最後列の席で古典の授業を受けていた。俺の席は窓側にあるので外の景色がよく見える。今日は10月14日の木曜日、季節はもう秋になるというのに、外の気温は25度を超えていた。窓の外からこの教室に蒸し暑い空気が入ってくる。教室の中にエアコン自体はあるが、現在そのエアコンは故障中である。 その為、現在この教室は死にそうになるぐらいとても暑い。教室の中では俺を含めクラスメイトのほとんどが 半袖シャツを着ているというのに、皆んなこの暑さに耐えかねてダラダラと汗をかいていた。


 俺が現在通っているこの高校は片田舎のへんぴな場所にある。学校の周りは山に囲まれている。この高校は一応県立ではあるものの、学力レベルはとても低い。なぜなら、こんな不便な場所にある高校に進学するのは俺みたいに今まで勉強してこなかった奴か、家が貧乏で市内の学校に通学できない地元民の二択だ。この地域一帯に高校はここ一つしかない。そのため、この地域に住む子ども達の殆どがこの高校に進学する。よって、生徒間で学力レベルは上から下までいる。俺のように最底辺の人間から、市内の公立トップ校に簡単に受かってしまうような優秀な人間まで。ちなみにだが、その優秀な人間の筆頭とも言えるのが、現在、俺の目の前の席に座っている新庄しんじょう一花いちかだ。彼女は学年一の頭の良さに加えて、品行方正な優等生である。しかも容姿まで抜群にかわいいという。こんな完璧な美少女がいたら誰でも好きになってしまいそうな気がするが、それがそうでもないのだ。それは彼女の持つ独特な近寄りにくい雰囲気によるものだ。


 新庄しんじょう一花いちか は、学校規定の紺色の少し長めのスカートに、見た目的に厚手そうな黒いタイツという、この暑さからは考えられないような一風変わった服装で、授業を静かに受けていた。一見すると、これはとても暑そうな服装に見えるかもしれないが、驚くことに彼女は通年でこの学校規定の紺色のスカートに、黒いタイツという服装で生活していた。そのため新庄しんじょう一花いちかという人間は、日中の気温が35度を超えるような真夏の猛暑日でも、決まって毎日、この暑そうな恰好で生活していた。なぜ彼女がこのような恰好を好んでルーティーンとしているかは俺にも分からないが、彼女は毎日この恰好で生活していた。


 今、俺はクラスの最後列の席で古典の授業を受けている。今は古典の授業中ということもあり、古典の先生がなにやら話しているのが聞こえる。しかし俺の頭の中には、全くと言っていいほど先生のありがたいお話は入ってこなかった。今日の朝のホームルームで行った、席替えのくじ引き。それで俺は、新庄しんじょう一花いちかという女子の後ろの席に座る事になった。俺の1つ前の席には、新庄しんじょう一花いちかという女子がいる。女性経験が全くなかった俺にとって、これは俺にとって死にそうなぐらい嬉しいことだった。


 これ以上俺が女子の事について話しだすと、自分でもドン引きするぐらい気持ち悪い事になってしまうので、とりあえず話を進める。


 結論からいうと、俺はこの後、一度死んだ。文章で言ったら15文字くらいで説明できるくらいの雑な感じで、死んだ。俺の頭上にあるエアコンが頭の上に落ちてきた。そして死んだ。エアコンが頭の上に落ちてきた瞬間は死にそうなぐらい痛かったけど、その直後には俺も意識が無くなって、その流れで俺は死んだ。そしてここからもテンプレだが、俺はそのあと別の世界線っぽい所に転生した。


唐突に雑な展開で悪いが、俺はそういう流れで一度死んで、それからタイトルにもあるような、<将棋が強ければ何をしてもいい>別世界で生き返った。


恵まれた環境に生まれた人間が、必ずしもその後の人生で優れた結果を残せるとは限らない。同じ事を2度も言ってくどいように思われるが、これは俺のたった1つの信条なのだ。 自身の持つ恵まれた環境を受動的に享受しているだけの人間、つまり、その後の人生で努力を怠った人間は例外なくそのまま堕ちていく。俺はそう確信している。


 17年前、俺はお金持ちな両親の1人息子として生を受けた。両親がお金持ちと言っても、正確には俺の母親の父親、つまり俺にとっての母側の祖父がとんでもない金持ちだった。俺の祖父は昔、バブル景気の時に一山当てた財産を元手に当時の市街地の中心部にあるビルをあれやこれやと買い漁った。


 その後、バブルが崩壊してからというもの、祖父が当時買い漁ったビルの資産価値は大きく下落してしまったとはいえ、それでも祖父は当時としては考えられないくらいの莫大な財を得た。それからというもの、その祖父はここら辺一体の大地主として長いこと居座った。それから何十年かして祖父が病気で亡くなると、祖父が遺した莫大な土地と財産を、その祖父の一人娘であった女、つまり俺にとっての母が譲り受けた。母はそれから直ぐして、お見合いでであった俺の父親と結婚した。そして俺が生まれた。ここまでが俺が生まれるまでの経緯だ。俺は優しい母と賢明な父の1人息子として待望の生を受けた。そうここまではよかったのだ。


 俺は生まれてからというもの、金持な両親の1人息子として悠々自適な生活を送っていた。優しい母は、俺が欲しいものなら何でも買ってくれた。一台10万円もするようなかっこいい自転車、子供に持たせるには勿体なすぎるようなブランド物のリュック。小学校の頃は、俺がそんなブランド物のリュックやシューズなどを学校に着ていくだけで、皆んながチヤホヤしてくれた。俺は物凄く気分がよかった。自分で具体的に行動を起こさずとも、恵まれた環境を享受しているだけで、勝手に俺の人生は好転し続けていた。その頃からか分からないが、俺はとてもわがままで自分勝手な性格になっていった。


 それからというもの、俺は両親の勧めもあり市内の一等地にある私立の中高一貫校を受験することになった。中学受験の為に親からは塾に行くように言われたが、何となく面倒に思った為、俺は塾に行くのを拒んだ。それから、そんな俺の様子に見かねた両親は俺に優秀な家庭教師を付けてくれた。 その優秀な家庭教師の頑張りにより、俺は結局第一志望の中学は落ちてしまった物の、そこからツーランクぐらい落とした第二希望の私立の中高一貫校になんとか受かった。


 何やかんやいっても、俺の人生は好転し続けていた。そこの私立の中高一貫校は、金さえ出せば大学まで内部進学出来るらしく、俺はもうこれ以降好きでもない勉強をしなくていいと分かり、とても喜んだ。しかしそんな幸せな生活も長くは続かなかった。


 俺は中学校に入ってから、陰湿ないじめを受けた。俺は元々自己中心的な性格であったので、入学早々二週間程でクラスで孤立するようになった。それから、クラスの皆んなから無視されるようになった。小学校の頃のように、ブランド物のリュックやシューズを着ていくだけでは誰もチヤホヤしてくれなかった。


 そして学校に行くのが億劫になった俺は、中学一年生の夏休み明けから不登校になった。朝から晩まで、暗い自分の部屋に籠ってネットゲームや動画視聴をする毎日だった。その生活が一年半も続いた。小学校の頃はスマートだった背丈も、中学3年生になる頃にはブクブクの肥満体になっていた。家の中での不健康な健康習慣が原因だった。当時は1日に、甘い甘い砂糖が沢山入ったジュースを1日に2リットル以上平気で飲んでいた。そんな生活が一年半も続いたのだ。自分の体格がどんどんブクブクとなっていくのを、俺は他人事のようにみていた。


 俺がそんな生活を続けていたのにも関わらず、両親は俺に優しく接してくれた。両親も元々相当なボンボンだった為、人に怒るという経験が人より圧倒的に少なかったのだろう。だから、俺の両親はどこまでも俺を甘やかした。俺はそんな状態の親を強く憎んだ。俺の今の悲惨な状況が親のせいであると、信じる事がせめてもの俺にとっての救いだったからだ。


 しかし、そんな俺にも転機が訪れた。それは、俺がネット将棋に出会った事だ。俺は元々、幼稚園の年中から小学校の三年生くらいの時まで、家の近くにあった将棋クラブに通っていた。別に俺自身は将棋をする事に乗り気では無かったが、俺に何か習い事をさせたい両親の強い思いもあり、とりあえず席に座っているだけで出来る習い事という事で、俺は渋々将棋クラブに通わされていた。また当時両親は、俺が他の同学年の皆んなと関わる事がとても嫌いだった為、その将棋クラブで最も料金の高いコースである、マンツーマンレッスンを俺に受けさせた。そこではその教室の1番偉い先生が、俺に将棋のいろはを手取り足取り教えてくれた。その為かは分からないが、俺は将棋クラブに入ってから6年程で、小学生の将棋大会で県優勝出来るほどまでになった。いくら俺が将棋を強くなる為に、両親に莫大な金をかけて貰ったとはいえ、さすがの俺もその時は嬉しかった。それから飽き性だった俺は、その調子に乗ってしまった事もあり、その場の勢いで将棋クラブは辞めてしまった。そんな訳で、俺は元々両親に金をかけて貰ったことがあるおかげで、将棋はそこそこ強かった。そのおかげで、俺が中学3年生の頃から始めたネット将棋では、想像以上に勝ちを量産する事が出来た。俺はそれからというもの、中学3年の春から夏休み明けの9月まで、家に篭ってネット将棋を指し続けた。それが俺にとっての唯一の生きる楽しみだった。


 それから中学3年の秋になった、さすがに俺の様子に呆れた両親がまたも優秀な家庭教師を今度は3人も付けてくれて、俺は何とかレベルはそこまで高くないものの、立地の悪さから倍率の低かった県立高校に入る事が出来た。 そんな訳で、俺はこの親の財力という生まれ持った恵まれた環境を存分に享受して、何とか人並みの生活を取り戻した。


 俺のどうでもいい昔話をしていたら、話がぐだぐだと長くなってしまった。申し訳なく思う。話を聞いてくれる相手の気持ちを考えずに、長々と自分語りをしてしまう自己中心的な所は俺の良くない所だ。


 話を戻すが、俺は高校2年生の秋に一度死んだ。頭の上に故障中のエアコンが落ちてきて、俺はあっけなく死んだ。清々しいほどあっけなく死んだ。しかし俺は再び生き返った。なぜかは分からないが、取り敢えず俺は生き残ったのだ。別にこんな人生いつ終わっても、別にこれと言ってほとんど後悔は無いが、俺は運良く生き延びた。


 しかし、俺が生き返ったのは今までの世界とは、今まで俺が生活していたところの世界では無かった。事故の後、俺は目を覚ますとどうやら今までの世界とよく似た異世界に来てしまったらしい。しかもどうやらこの世界では、将棋の強さが物を言うらしいのだ。そんな虫のいい話があるのかとツッコまれそうだが、俺が現にこの世界で生きている事を踏まえて許してほしい。頼む。



一度でもいいから、自分にとって都合のいい世界線で生きてみたかった。これは俺が生まれてからずっと思っていた事だ。俺は前の世界では、自分にとって確かに都合のよい裕福で金持ちな家庭で生まれた。しかしどうだろうか。そんな恵まれた環境に生まれた俺は、その後の人生で人並み以上にみじめな感情を味わい続けていた。今となっては、その恵まれた環境こそが自分の負目おいめとなっている気がする。


だからこそ俺は今度こそ、異世界だろうが何だろうが自分の思うように生き抜いてみたい。そう強く思っている。将棋の強さがとても重要視されるこの世界では、将棋が人並み以上に強い俺にとっては確かに都合がいい。、俺はこの世界で自分を肯定できるまで生き抜いてみたい。


 高橋たかはし肥太こえた(俺)とは、高校2年生で、身長150cm、体重80Kg、そして恵まれた環境を生まれながらに手にした男の名前である。


そんな俺のリベンジとも言える、新しい世界での二度目の人生が今幕を開ける!








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