竹輪の磯辺揚げ

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竹輪の磯辺揚げ


 休日、午前。

 紙の匂い漂う街に僕はいた。



 駅から上がった出口はやや離れているが、基本的にはビジネス街の一部として認識される地域だ。大きな通りはビルで殆ど構成されていて、他は学校や公園、コンビニ、飲食店。路地に入れば住宅もある。観光名所ではない、けれども態々休みに来たいと思えるこの街。

 変わり映えのない風景の中、道を黙々と歩いていれば目的地が近付いてきて、僕の様な人間の心ばかりが躍り出す。


 出入口が開け放たれていても一見には近寄りがたいマニアックな店。狭くて物に溢れる店。古い臭いが強くする店。薄暗さのあるひんやりとした店。音のない店。そんな所に居るのは殆どが御同類で、何でか風体や持ち物さえもが似通っている。

 ここに入れば次はあちらへ。何気なく置かれた品物達に心を惹かれて予定にはない一時停止。

 管理されたマニア垂涎の一品に溜息とニヤつきを零し、財布の中身を思い出して首を振る。

 寝食を犠牲にしてでも、という人種も世にはいるが、競って並立つつもりはない。大きな臨時収入でもあったなら、と夢描くのが精一杯だ。

 現実にはお目当ての品と少しばかり気になった物を入手するか否か、そんな所で悩み悩んで最終的に鞄の中に増えた物は三つや四つ。

 目の前を通り過ぎる重たげな紙袋の持ち主に、一体何を買ったのだろうと興味を持ちつつ頭の中で地図を広げようとしてふと現在時刻に気付く。


 そろそろ腹も減った。向かう先を変更しよう。



 路地をうねうねと進み、辿り着いたのは小さな個人の飲食店。

 入口の印象に反し、店内には奥行きがあって広々としている。天井が高く椅子や机がやや低めなのも一因だろう。


 流れ作業の様に席へと案内されて、そのまま饂飩と竹輪の磯辺揚げを注文する。ここは饂飩が安くて美味い。

 とは言え、饂飩という食品の善し悪しを語れる程に舌が肥えている訳ではない。そもそも饂飩は不味くするのが難しい気もする。

 『安い』の方は確かな事で、金をたっぷり使った後ならまず有難い店だ。

 出された湯呑みの思わぬ熱さに慌てて離し、今度は掌を当ててそっと握る。

 息を吹きかけ、唇に触れさせてからゆっくり傾け中身を啜る。

 ほうじ茶が美味い。


 先に居た客が出て行き、後にやって来た客が入る。その間を忙しく店員が行き来している。

 重たそうな皿やら湯気立つ鍋やらを運ぶ姿は逞しい。感心しているとあっという間に饂飩が運ばれて来た。



 具材は葱だけとシンプル極まりない。雑音の少ないそれを箸で掴み、一気に啜り上げる。

 出汁の香りと口に広がる塩味。つるん、もちりとした歯触りが心地良い。

 咀嚼して飲み込んでからまた一啜り。時折葱のぬるつきとピリリとした辛味を感じる。

 器の中身が半分程に減った所で天ぷらの方へ意識を向ける。


 それにしても竹輪の天ぷらとは不思議だ。

 見た目はまるきり竹輪なのに、口に入れた時のザクザク或いはサクサク感は揚げ物のそれ。けれどすぐ空洞に行き当って、肩透かしの様な柔らかさを感じる事になる。それでも噛み締めていればじんわり練り物特有の弾力が主張し出す。

 この食感を他の物で得る事は出来ないんじゃなかろうか。少なくとも僕は食べた事がない。

 また磯辺揚げであるからこその風味も良い。青のりはどうしてこんなに香るのだろう。

 『そういう風に作っているから』、心の野暮なリアリストを封印して目前の糧を消費しながら賛辞する。

 大振りなそれを一本食べ切り、箸を饂飩へと戻す。



 ズルズル、ズッ、ズッ。



 あちこちから聞こえてくる音。世の中マナーがどうとか言うけれど、此処は庶民の店だ。

 必要なマナーなんてさっさと食べてきっちり支払い、とっとと出て行く位だろう。

 出汁まで飲み干し、空の器を置いて立ち上がる。


 勘定を済ませて外に出れば、すぐさま次の客が入る。

 気付けば出来ていた数人の列の前を通って、来た道とは逆の方向へ行く。




 腹は満ちた。気力も豊かだ。

 さて、今度はどこに向かおうか。





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