第4話 鋏の少女
周囲に人の姿が無いことを確認してから、私は思い切り足元の小石を蹴飛ばした。
あの夜、隼人は今度こそ普通の来訪者として自宅にやってきた。あの夜、というのはもちろん、私が隼人に十七回殺された世界線を持つ夜、つまり昨夜のことだ。そこで私たちは短いながらも作戦会議を行い、惨劇が起こるとされる今日という日に何をするべきなのか、どういった準備が必要なのかを打ち合わせた。
意識を現在へと変え、私は自分の胸元に目線を落とす。
《これで正解だったかな?》
「盛り乳」と言われるのが嫌だったから適正サイズのブラを着用していた。どうせ他のクラスメイトはそんなこと一切眼中に入っていないだろうが、こと隼人に関してはそうもいかない。
うーん、と頭を悩ませる。
一応何か言われた時のために、運動しやすい格好って言ったのはそっちでしょ! との無理めな言い訳も脳裏に忍ばせてはいる。
《これもこれで意識のし過ぎだって思われるかな?》
うーん……………………うーん。
気がついた時には校門の前まで辿り着いていた。
昨日までなら別の意味で億劫な学校生活も、今日という日に限っては全く別の意味で緊張感を持ってしまう。
これから何かが始まる。その確かな兆候があったと隼人は言っていた。
その兆候は何なのか、夢なのか、それとも予感なのか、虫の知らせなのか。その辺の詳細については、正直なところ私はあまり興味がない。ただ、隼人がいうならそうなのだろう、という信頼の元で今日という日を迎えていた。
《――よし》
大きく深呼吸をしてから、曇り空の真下、私は意を決して校門をくぐった。
***
チャイムが鳴った。
今日一日の中でも最も退屈であった昼食直後の古典授業を終え、クラスメイト達は教師が教室を出たかどうかも怪しいタイミングから歓喜の声を上げていた。
「よし。社会は寝てりゃあ大丈夫だからな。吉田先生はそこんとこ緩いし」
男子の声に、周囲の人間が同調しているのが聞こえてくる。
私は席に座ったまま、自分から見て四つ前の席に腰を据えた隼人を見やった。
どうやら私とは本当にクラスメイトだったらしい男は、緊張感の欠片もない様子でふぁ~っと一つ欠伸をした。その様子を見ていると、こっちが一日中神経張り詰めながら物音に反応してきたのが馬鹿らしくまでなってくる。
「チャイムがトリガーだ。それで全てが始まる」
昨夜そんなことを言われたものだから、私はホームルーム開始から、一限から五限終わりまでの計十三回のチャイムの度に全身の筋肉をガチガチに固めながら周囲の様子を窺ってきたというのに……
《もしかして私、隼人に騙された?》
この時間にまで何も無いせいで、思わずそんなことを考えてしまった。
黒いストッキングの緩みを直して、私は時計にちらりと目線をやる。もうそろそろ授業が始まる時間だ。不真面目なクラスメイト達も一応は教科書を机の上に出している様子。そして社会科の教師で今年四十になる独身男の吉田先生が教室に入って来るや、生徒達全員が自分の机にいる、つまり欠席者がいないことを確認して一つ頷いた。後ろ手で教室の扉を閉め、教壇に立つ。
小学校から何百、何千と繰り返してきたルーティーンが始まろうとしていた。
しかし、
「――ん? なんだろうね。スピーカーの故障か何かかな?」
黒板の中央真上に設置されたスピーカーからは不気味な音が流れた。普段私たちが耳にするチャイムよりも数音低い、そしてノイズ混じりの不気味な音。
ついさっきまではガヤガヤと他愛のない話をしていたクラスメイト達も、今となってはまた別の意味で騒ぎだしていた。「ホラーだろ」「六限目はやるなって神のお告げだろ」「こりゃ帰るしかないな。縁起わりぃもんよぉ」皆それぞれに、けれど誰も真面目には異音について向き合ってはいなかった。
私はというと…………身体の震えが抑えられないでいた。
教室の入口の引き扉。曇りガラスの先に何か得体の知れない黒い影が立っているのが分かっていたからだった。
《きっとアイツが何かするんだ》
そして予想はすぐに的中することになる。
吉田先生が閉めたばかりの扉を開け、そいつは姿を現した。ようやく私以外のクラスメイト達の視線も一斉にそちらへと向けられる。
身長約百六十センチ。上は白いワイシャツ。下は黒いスカートに身を包んではいるが、それは私達の学校の制服とはまた違う規則に遵守したものだった。肩までのセミロングの黒髪。頬を緩めた表情を見れば何処かあどけなさも感じる少女と言った見た目も――しかし両手を使って持った全長一メートルほどの銀色に輝く鋏のせいで、私はそれを『純粋な存在』として消化することはできなかった。
突然の来訪者によって暫しの間沈黙に包まれた教室に、またすぐに喧騒が戻ってきた。
「なんだよ。まだハロウィンは早いぜ?」
「制服も違うってことはコスプレ大会かよ。てか、顔は結構可愛いけど何処のクラスのやつだ?」
「いやいや、こんな奴は俺らの学年にはいなかったぜ」
「そんじゃあ下級生かな。どっちにしろ、ってとこはあるけど」
「ねぇ~。見た目は悪くないけど、このタイミングで突撃してくるってことは頭ちょっとヤバめなのかも(笑)。ウケる」
思いの思いの言葉を並べる生徒達の様子からして、真面目な吉田先生はそれがこのクラスの人間が首謀としたイタズラの類ではないことを理解してか、どこかホッとした様子を見せた。
吉田先生が少女に向かって近づいていく。
「どうしたんだい? 今は授業中だから。それにその鋏? のような物を持ってきちゃ駄目じゃないか。それを振り回して周囲の人間を傷つけてしまうことだってあり得るんだし」
私の頭の中ではガンガンと警報が鳴り響いていた。
《止めなきゃいけない。アイツは絶対に只者じゃないのに!》
昨夜の隼人の言葉が思い出される。
「――明日大量の人が死ぬことになる。トリガーはチャイムだ」
あんな不気味なチャイムの音を聞かされれば、今がまさに地獄の始まりということは分かっているのに、声が出ない。過度な緊張や恐怖が私の喉を押しつぶしてしまっているのだ。
私は隼人の様子を窺った。
《なんでこんな時に!》
彼はクラスメイト達とは違った真剣な眼差しで来訪者を見つめていた。
やっぱり、これから何かが起こるのは間違いないのだが、隼人はその事態を防ごうとするよりは、むしろこれから起こることの全てに意識を集中させようとしているかのように思える。
相も変わらず薄気味の悪い笑みを浮かべた化け物を見て、私は覚悟を決めた。
「――先生!」
教室を満たすほどの大声を出したのは、高校生活が始まってからこれが初めてのことだった。
勢いそのままに立ち上がってしまった私を中心とした沈黙が生まれる。突然の来訪者が大きな鋏を持って教室に入って来ることよりも、影乃彩花という人間がこんな突拍子の無いことをしだすことの方が衝撃なのだろうか。
私に視線が集まる。隼人と、化け物を除いたすべての視線が。
「どうしたんだ、彩花。珍しくそんな大声を出して」
こちらへと顔を向けた吉田先生は、いったい何をどう説明すれば全てを分かってくれるだろうか。
しかし、そんなことを考える暇も無いほどに事態は急変した。
「――逃げてッ‼」
絶叫を受け、先生は自分に近づいてくる少女の存在に気がついた。大きな鋏を持った、化け物の存在にようやく気がついたようだった。
チャキリ、と鋭い音が鳴ってハンドルが開かれる。全長一メートルほどもある鋏ともなれば、それをめいいっぱい広げずとも大の大人一人くらいなら簡単に両の刃で囲い込んでしまえる。巨大な刃の峰には、突然の出来事に驚愕したクラスメイト達の顔色が窺えた。その中に、これから起こる凄惨な出来事を予知できていた人間なんて、私を含めても教室には二人しかいなかった。
まるで風船が破裂して噴き出す水のように、吉田先生は身体から血を吐き出した。腰の高さから上下を真っ二つに切られ、恐怖と痛みを訴えようとした口からは湯水のように血が溢れ出てくる。切断された勢いのままに教壇に身体がぶつかり、その衝撃で、これまでは摩擦力によって何とか繋ぎ止められていた二つの身体がばらばらになって崩れ落ちた。上の身体からは大量の血と共に臓器がどろどろと流れ、下の身体は陸に打ち上げられた魚のように痙攣している。
事態をようやく把握した誰かが、耳を劈くほどの悲鳴を上げた。
化け物は、もはや動かなくなった吉田先生から目線を逸らし、ゆっくりと私達に向かって目線を据える。
相変わらずの薄気味悪い笑みを浮かべたままの鋏の少女は、新たな獲物を見つけては一歩を踏み出した。
At School @Imy_memine
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。At Schoolの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます